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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 性的描写広告の規制はいいが現実問題はどうするのか


 婚数も「土曜日のエロ」の日になってしまった。ジェンダーとかセクハラとかそんなことが非常に大きく報道されているが、一方でエロの事件やエロに関する内容は全く減ってこない。本日の記事に関しても、「実際誰が何をするのか」ということが全く見えていないし「実質的にそこを規制しても問題は解決しないのではないか」というようなことが見えてくる。そのへんは、後で見てみよう。

その前に、今週のニュースを見てみよう。

今週のニュースでは、やはりローマ法王フランシスコが亡くなったことであろうか。そもそも天皇陛下であれば「崩御」皇族お方であれば「薨去」というが、ローマ法王に関してこれ等の言葉を使うのかと言えばどうであろうか。そのへんの丹後の使い方からよくわからない部分がある。

ローマ法王は、しっかりと人間なので、当然になくなってしまう。フランシスコ法王は、初めてのイエズス会出身の訪欧であったということであり、また中国の人権無視の態度に対してかなり厳しいメッセージを送っていたことで知られるのであるが、その当事国の中国も一応死を悼むメッセージを出している。ここでメッセージを出さなければ、大国としてのメンツが崩れることになるのであろう。

さて、私はキリスト教徒ではないので、フランシスコが亡くなった事よりも、今後の「教皇選挙」いわゆる「コンクラーベ」の方が興味があるといっては不謹慎かもしれない。ちょうど映画館で「教皇選挙」という映画が上映されている。そのホームページからどんな映画なのか引用する。

「全世界に14億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者にしてバチカン市国の元首であるローマ教皇が、死去した。悲しみに暮れる暇もなく、ローレンス枢機卿は新教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>を執り仕切ることに。世界各国から100人を超える強力な候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂の扉の向こうで極秘の投票が始まった。票が割れるなか、舞台裏で蠢く陰謀、差別、スキャンダルの数々にローレンスの苦悩は深まっていく。」(https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=025543)

教皇選挙を扱った陰謀などを描く内容になる。ちょうどこのような映画が上映されているところで「本物のコンクラーベ」があるというのもなかなか興味深い。

<参考記事>

「性的描写広告」規制、三原こども相「先頭に立つ」 法整備も視野 自民・山谷氏と議論

4/18(金)産経新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/8f600bd1e41352a0d1d15185d78dd9daeafc27a2

<以上参考記事>

 コンクラーベの中d芽生「広告」はおこなわれる。もちろんテレビコマーシャルやチラシを配るようなものではないが、しかし、枢機卿の中では、その支持を集めるために、自分の今までの功績を大きく打ち出して見たり、または、今度の自分のおこなう内容にだしてみたりということになる。そのコンクラーベは本日26日に行われえるらしい。

さて、その「広告」に関してであるが、一気に今週のネタにしてみよう。

「広告」ということに関しては、「エロ広告」が今問題になっている。参議院内閣委員会で山谷えり子参議院議員は「親や教育者が大きく心配しているのが、子供向けサイトに成人向けの性的な広告サイトが入ることだ。業種の自主規制が緩い、あるいは間に合わない」と取り上げ、三原じゅん子大臣は「広告であるか否かにかかわらず、インターネット上には青少年の健全な成長を著しく阻害する情報が多く流通しており、強い問題意識を持って受け止めている」と述べている。

さて、エロ広告は実際に多くのところにある。ニュース記事の途中などにも出てくる場合があるので、ネットを見ていて誤解されることも十分にありうる状態である。一方で、本来ならば「なんだまたか」というような感じで終わっていれば済むはずであるが、そのよな広告をクリックしてしまうということも十分にありうる。つまり「エロをそのようなところで求めてしまう青少年」が出てきてしまうと言ことになるのではないか。

日本の場合「青少年保護」というのは「正確な知識や、社会の動きをいらせること」ではなく、「そのことがなかっ長に隠してしまうこと」を意味する。本来は「教えて、そのうえで良いものと悪いものを見分ける力や、悪い物からの免疫を着ける事」が本来の教育であり、その教育ができていなければ、この国会答弁のような問題になってしますのではないだろうか。

では、皆さんに聞くのであるが「子供に性教育や、性的な知識、またはエロ広告などにだまされないというような免疫を着ける教育」をおこなうのは「誰」で「いつ」おこなうのであろうか。この内容をしっかりと決めなければならないのではないか。親は「学校が行うべき」学校じゃ「各家庭が・・・」というように、まさにこのようなところにも縦割り行政ならぬ縦割り教育がなされ、そしてたらいまわしがおこなわれているのである。そのようにして「全くエロに免疫のない青少年」が大量生産されてしまい、そのことによって「性行為」がわからなかったり、そもそも異性を口説くということがわからなくなってしまう。単純に手をつないで歩いているだけで「いやらしい」というようなことになってしまい、男女関係が疎遠になってゆく。どのような事でも「ハラスメント」になってしまう世の中になっているのではないか。

そしてその結果が「婚姻の現象」と「少子化」である。

はっきり言うが「エロいことをしなければ、子供は生まれない」のである。少子化問題を語るということは、エロいことを肯定しなければならないのであり、その在り方を真剣に考えなければならないのではないか。少子化は、経済的な問題ばかりではないのである。

黒海で議論すべきはそのようなことで、規制ばかりではない。

本来あるべき姿はどのような日本で、その中で、具体的にだれが何をするのかということをしっかりと指針を決めることではないか。

「宇田川源流」【現代陰謀説 】 「陰謀論を信じる大統領が出てきた」というアメリカ政治の歴史


 毎週金曜日は「現代陰謀説」をお届けしている。さて、様々な陰謀に関することをいつもは書いているが、今回はまさに「陰謀」と言われる部分を体現したかのような事件であったことから、その辺のことは無くしておこう。さて2022年12月初旬に、ハインリヒ13世なる人物が中心になったドイツのライヒスビュルガーと言われると言われる集団が「ドイツはディープステートという影の政府に支配されているために、正常な状況に戻さなければならない」ということを主張し、そして現在の政権を転覆させるということを目指したのである。この事件に関しては2022年のブログと翌2023年1月の現代陰謀説で開設したばかりである。

 その書いた内容には「陰謀論に騙された陰謀論者」ということを書いたと思う。まあ、私自身は「ディープステート」なるものを全く信じていないというか、その存在を見たことはないので信じることはない。また信じている人々は、なぜか「その出先機関」というようなものを攻める事ばかりであり、そのディープステートなるものを直接何かするというようなことは全くない。アクセスもしていないあたりがなかなか特徴的である。

 キリスト教やイスラム教というような、一神教は「二元論」を使い、善悪に分類する。しかし、その代わりに「陰謀論」というか「神に代わるもの」というような存在として「ディープステート」なるものを使っているということになる。そのために、妖怪や幽霊と同じように「ディープステート」なるものが出てくると、その場で思考停止になり、神のお告げのようにいつの間にかそれに従わなければならないような状況になってしまっている。もっと言えば、「信じるか信じないか」というような二元論が出来上がってしまうということになるのである。

 さて、そのようなディープステートが存在しているかしていないかということは別にして、その存在を信じている人物が、超大国であるアメリカの大統領になった。もちろん大統領1人がその内容を信じているのではなく、大統領のスタッフ全体や与党である共和党の一部も、すべてがこのディープステートを信じ、その存在と戦うということを考えているのである。

<参考記事>

なぜトランプ大統領が"道徳の最後の砦"になるのか…普通のアメリカ人が陰謀論を信じてしまう背景

4/19(土) プレジデントオンライン

https://news.yahoo.co.jp/articles/4e2e46f014976ef67aef8a8cae20046ba809de9f

<以上参考記事>

 アメリカの政治は、今なかなか面白いことになる。もちろん、日本にかかる関税などのことは問題は大きいところもあるが、しかし、アメリカの内部の政治ということになれば、なかなか面白いのである。

さて、誰も言っていない内容なので、どこかで学説がしっかりとしてあるのかもしれないし、また間違えているということかもしれないのであるが、アメリカの政治に関して仮説を持っているのである。というのは「政党人ではない人が大統領になる時に、政治勢力が大きく変わる」ということなのである。

アメリカはもともと、南北戦争をするような対立をしていた。この南北戦争は奴隷を存続させるか、解放するかということが課題であった。アメリカの民主党は「保守派」であり「奴隷存続派(南軍)」であった。そして奴隷解放を訴えたのは「共和党」の方であった。しかし、19世紀後半、南北戦争後の民主党の分裂などで党勢を失い、民主党は反中央集権と個人的自由を打ち出すことによって共和党政権に取り残された不満層の受け皿として存続した。南北戦争の敗地にされ、共和党政権に怨念を持つ南部の人々、北部の都市部で低賃金に苦しむ移民、資本主義の発展で没落していく西部の中小農民などがこの時期の民主党支持層だった。この時期、北部の工業都市は外国(特に先進資本主義国イギリス)の工業から国内市場を防衛する手段として保護関税を求めていたので、共和党政権がそれを推進したのに対し、南部の農村部は低関税ないし自由貿易を求めたため、民主党の候補は関税引き下げを選挙で訴えた。このようなことから労働組合などを多く支持層に取り入れ、アメリカ社会党やトロツキストなどを入れて左傾化・個人主義化する政党になってゆく。

そしてこおトロツキストが変節し、「保守合同」がおこなわれる。この保守合同によって出てくるのが、「新保守主義(ネオコンサバティブ)」であり、その特に政権を取るのがレーガンとなる。

この新保守主義中心主義が親子ブッシュ大統領によって行われるのであるが、その後新保守主義が対等の反動でオバマやバイデンといったリベラリズム政権ができる。このリベラリズムと新保守主義をまとめて「敵対的」としたのがトランプ大統領である。

要するに、アメリカの国内の大きな政治的な思想の変動が起きた時に、その政治勢力の対等ではなく、別な勢力から「新たなヒーロー(大統領であるが)」が出てくるということになるのではないか。

しかし、アメリカの国民も日本の国民も、このようにかなり詳しい歴史などをわからず、また勉強をすることもなく、ただマスコミの垂れ流す無為な報道と、間違った分析ばかりを持ってきて、その内容で行動をしてしまうんド絵、本質を見ることができなくなってしまうのである。アメリカの国民は、少なくとも「民主党と共和党」という政治枠組みでは収まり切れない政治思想の変動があり、マスコミなどに左右されることなく、その主張をうまく取り入れている。しかし、影響力の大きな「マスコミ」に対抗するには「マスコミ自体も陰謀によって動かされている」というようにしなければならない。レーガン大統領の時はケネディ大統領の暗殺やニクソン大統領によるウォーターゲート事件などが大きな内容になってきていたが、ネット社会になってそのような「噂話」では足りなくなってきたので、しっかりとしたネットにおける「陰謀論」が出てきたということになる。

トランプ大統領が本気で陰謀論、少なくtもディープステートを信じているかどうかは不明であるが、少なくとも政権の運営上では、ディープステートを信じて敵対した方が有利であることはよくわかる。そのようにしてトランプ大統領の強固な支持層を作るということができるのである。

陰謀論そのものではなくそれを利用する政権が出てきたということがネット時代のアメリカ大統領になるのではないのでしょうか。

「宇田川源流」【日本報道検証】 NHKの偏向報道クルド人擁護番組の報道の信頼を棄損した罪


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。

 さて、今回は、埼玉県川口市のクルド人問題、そしてその内容に貸してクルド人の用語だけを報道し、公平平等の立場での報道を完全に放棄してしまったNHKの「報道の信頼性棄損の罪」ということを見てみたいと思います。以前、このブログが始まったころで、まだ「宇田川源流」ではなく「ニュースのC級解説」のころ、「マスコミ批判に関する一考」という連載を毎週月曜日に行っていた。日本のマスコミ報道に関しては、非常に大きな問題があり、公平性も中立性もなく、なおかつ意見がwか荒れていることに関して、双方の意見を並列して報道するというような内容が全くできない。その為に、選挙などによって報道の規制(本来は自主規制)があると、政治報道が全くできなくなってしまう。逆に言えば、偏向報道しかできないのであれば、それは「一方の意見の表明」出しかなく、報道ではない。ましてや、「国民全体から放送費用を強制的に徴収している公共放送」の立場であればなおさら様々ならば広い意見をしっかりと報道すべきであろう。

しかし、残念ながらNHKはそのような「公共放送」というような感覚が全くない状態になっており、片方の意見だけを、それもことさら「偏向放送」をしている。

NHKに関しては、以前より「偏向報道」が強いというようなことが言われている。現在では多少批判も多くなった「NHKから国民を守る党」の立花孝志が、一度参議院議員になっているのは、「NHKをぶっ壊せ」という掛け声がある程度国民に受け入れられていたからであり、ある意味でそのころからNHKの信用という野茂は失われている。そのような「信用できないで、公共電波を片方の意見だけで私物化する集団」に強制的に金銭を税金のようにとられているのだから、国民の反発は大きなものであろう。

そのような社会現象が出てきているのに、全く反省がないということが、今回の問題の根源である。

<参考記事>

NHKの川口クルド人特集 「偏向」批判など受け異例の修正へ 再放送延期、公開質問状も 「移民」と日本人

4/17(木) 産経新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/ff717d04c3c9388e432fe4b83fc67a645b071463

NHK会見、川口クルド特集に質問集中「偏向との意見は承知」「取材深めた上で」一問一答 「移民」と日本人

4/17(木) 産経新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/6f388b400c9f17811b5acc02ac1de6e58f1ebfdc

<以上参考記事>

 そもそも移民問題というのはどのようなことなのであろうか。

移民問題というので問題があるのかもしれないが、実際は「民族間紛争」という感覚でとらえなければならない問題である。日本の場合は、基本的には日本人の生活というものは、沖縄から北海道まで同じ文化、同じ生活習慣で生活しているから、あまりよくわからない。日本の人々に対して異民族ということが問題になったことはあまり歴史上大きくはないのである。

では「民族問題」というのはいったい何であろうか。

単純に「生活習慣」だけではなく「生きていくうえで大事にしている価値観」も全く異なるということが大きな違いになる。そしてそのことが「相手の大事にしているものを怪我したり奪ったり壊したりしてしまう」ということであり、そのことが大きな問題になるのである。これが、「一つの国」の中で、または「同一の生活圏」の中で問題が起きた場合にはどのようになるのであろうか。

例えば、今日本の老人たちが子供の遊ぶ声が嫌だ、うるさいといって、近くに幼稚園があったり、または公園があるということを忌避するということがあった、確か長野県の問題である。では、このことが、「イスラム教徒が近くにいて、日に5回コーランの詠唱が大音響で響いてきた」ということになった場合に、それが許容できるのであろうか。子供遊ぶ声で我慢できない人々が、毎日5回コーランの詠唱が行われるのである。私がインドネシアにいたころ、一日5回、町の中の公共のスピーカーで大音響でコーランの詠唱が流れたのであるが、そのような生活環境で「イスラム教が迷惑」などといえば、相手は「神を馬鹿にした」ということで騒動になる。最悪の場合は殺し合いになるである。現在のイスラエルとハマスの戦争も、また、2012年のパリの雑誌編集部襲撃事件も同じことなのである。

これは宗教の問題ではなく、民族でも同じであろう。たとえば、普段全裸で生活をする民族(アフリカや東南アジア・南アメリカなどに散見される)が、日本において自分の文化を重視するといって、日本国内で全裸で生活し、なおかつ、その生活を近所の人々に教養知ればどのようなことになるのであろうか。警察がわいせつ罪で逮捕すれば、それに対して「民族差別である」と集団でデモを起こした場合、どのようになるのであろうか。民族の違いということはまさにそのようなことなのである。

日本の場合「相手に迷惑をかけないように他者に気を遣う」「他者との関係性を重視する」という文化性があり、そのことから「助け合い」や「社会の目を気にする」「恥の文化」というようになっているが、このことが重視されるのであるが、その文化性を理解しないで来る外国人に対して当然に反感を持つのは当然の国であろう。

単純に、各文化の持つ生活圏があり、クルド人はすでにトルコ政府と和解しているのであるから、当然に居場所はある。実質的にないとかそういう議論は、少なくとも日本でする必要がない。つまり日本において既にクルド人が難民申請をして居住する正当の理由はないということになるのである。その様に「正当の理由もないで日本にいるクルド人を擁護する」ということをしてよいのであろうか。よく「不法移民」というが「訃報」つまり「法律に違反している人」を公共電波で擁護するなどということが、許されるのであろうか。難民又は移民という事であれば、「正当な手続きをして行うべき」ということであり、違法者を擁護するようなことはあり得ないでしょう。ある意味でクレームが多くて当然なのである。

公共放送として「中立・公平」の放送をすべきであり、それができないならば、放送をやめるべきではないだろうか。

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 さらば平良源内・源内を悪人にしなかった手腕に感服


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について、歴史小説作家として私の勝手な内容を書いている。今回は「さらば、平賀源内」ということなので、本編に入る前に安田顕さん演じる平賀源内に関して少し見てみよう。

平賀源内は、讃岐国、現在の香川県さぬき市志度の辺りの生まれである。生家である白石家は讃岐高松藩の蔵番という足軽相当の身分の家である。源内自身は、もともと信濃国の平賀家が武田信玄に滅ぼされたのちに伊達家に仕え、苗字を変えて白石家と名乗った者であり、その伊達家の家臣が宇和島家の伊達家に一緒になって四国にわたり農民となったとの言い伝えがあり、その子孫なので平賀と苗字を変えたと主張している。

宝暦2年(1752年)頃に1年間長崎へ遊学する。身分が低いはずの平賀源内がなぜ遊学できたのかは不明であるが、高松藩は水戸藩の支藩のような感じで発展してきており、第5代藩主・頼恭は、将軍吉宗の、薬や農産物の国内生産の研究を奨励するとの方針に添う形で城下の栗林荘(現在の栗林公園)に薬草園を作らせた。ここには藩内の優秀な学者を招聘したので、そのような流れから優秀な人を遊学させたのに違いない。

長崎で本草学とオランダ語、医学、油絵などを学んだとされる(詳しい資料はない)源内は、大坂、京都で学び、さらに宝暦6年(1756年)には江戸に下って本草学者田村元雄(藍水)に弟子入りして本草学を学び、漢学を習得するために林家にも入門して聖堂に寄宿する。宝暦11年(1761年)には伊豆で鉱床を発見し、産物のブローカーなども行う。物産会をたびたび開催し、この頃には幕府老中の田沼意次にも知られるようになる。明和3年(1766年)から武蔵川越藩の秋元凉朝の依頼で奥秩父の川越藩秩父大滝(現在の秩父市大滝)の中津川で鉱山開発を行い、石綿などを発見した。

安永3年(1774年)、蔦屋重三郎が改めた吉原細見『細見嗚呼御江戸』の序文を福内鬼外名義で執筆。この辺はドラマで出てきている場所である。安永5年(1776年)には長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生機)を修理して復元する。話題となったエレキテルを高級見せ物にすることにより謝礼を貰い生活費とし、余興まで加えて見物客の誘致に努めた。鉱山開発の指導や戯作・浄瑠璃まで書き散らした文芸活動も生活費を稼ぐためだった。

安永8年(1779年)11月20日夜、神田の源内宅に門人の久五郎と友人の丈右衛門が止宿していたが、明け方に彼らは「口論」となり源内は抜刀。両人に手傷を負わせ、久五郎は傷がもとで死去。源内はこの事件が起こる前から、よく癇癪を起こしていたとされる。翌21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死した。享年52。

土用のウナギを食べる習慣を作ったり、または、戯曲などで様々な文学作品をやっていたが、しかし、どれも本業とはならない。現代でいえば「何でもできる器用貧乏」で「いつも借金取りに追われていた」というようなイメージの人物ではないか。しかし、「一般の人よりもかなり先を言ってしまっていて、万人に理解されない」という天才はいるのだが、まさにそのような天才であったのかもしれない。死後、約150年たった大正13年(1924年)、従五位を追贈されている。

<参考記事>

壮絶…「べらぼう」ヤスケン劇場が凄まじ過ぎた 「こんなに辛いとは…」「涙が止まらない」

2025年4月20日 分 シネマトゥデイ

https://www.cinematoday.jp/news/N0148463

<以上参考記事>

 上記に史実というか、記録に残っている平賀源内について書いた。しかし、ドラマでは全く違う書き方になっていることは、見た方ならばよくわかっているだろう。

今回の平賀源内は、「いい人」であり「悲劇の人」である。そして、その平賀源内と田沼意次(渡辺謙さん)を陥れるのが徳川治斉(生田斗真さん)ということが、今回平賀源内の蔦屋重三郎(横浜流星さん)に向けた原稿を最後に燃やしているシーンですべてが見えてきたのではないか。逆に言えば、今後「平賀源内の遺志を継ぐ」とした須原屋(里見浩太朗さん)や、蔦屋重三郎も、もしかしたら徳川治斉に狙われるという展開もありうるのではないか。

作者の森下先生は、この物語を、逆にわかりやすくするために「大きな陰謀を仕掛ける黒幕」と「その黒幕に翻弄されながらも、必至に自分の役割を果たす正義」という対立で描こうとしているのではないか。その大きな陰謀の行く先は、現在の10代将軍徳川家治(西島秀俊さん)の後継問題で今後出てくるということになるのではないか。実際に、今までということになれば田安家の当主、そして先週に「幻の11代将軍」といわれた徳川家基(奥智哉さん)や、幕府に忠誠を誓っている松平武元(石坂浩二さん)も暗殺してしまっているのであるから、なかなかの手際である。田安家をつぶし、その後継者を松平定信として白河藩に追いやり、その後、次々と邪魔者を暗殺するだけでなく、残された人々を全て田沼意次が黒幕であるかのように仕向け、内部で対立させている。暗殺によってお互いがつぶし合うような形にしているのであるから、かなり巧妙であるということが言えるのであろう。

今回の平賀源内の死も、そもそもは田沼意次が平賀源内に徳川家基の死の新装を探らせ、ある意味で天才であった平賀源内は、手袋に毒が仕込まれていたことをすぐに見破った。しかし、その手袋が田沼意次が送ったものであるということまで分かり、平賀源内は、田沼と縁を切る形になる。

そのような所にうまく入り込んで、「田沼が仕向けた」というような形でまずは大工を入れてタバコ、というよりは「アヘン」を吸わせ、そのうえで幻覚を見させて、最後にはその煙草を手配した大工を殺した罪を着せてしまうということなのである。田沼意次にしてみれば、下手に助ければ、将軍を殺した犯人ということになってしまうので見殺しにするしかなかったということになる。同時に、その平賀源内が狙われた原因が「死を呼ぶ手袋」である、いやそのことを小説にしようとしたという行為であるということがわかった田沼は、間違いなく、次回以降「真犯人と戦う」ということになることが期待される。

田沼意次にしてみれば、疑われながら真犯人を探すということなので、かなり大変になるが、それがどのようになるのかを、今後うまく見てゆくことになる。

一方で平賀源内を慕う人々は、墓を建て、そして、「罪人の遺体は引き渡されない」という法から、「平賀源内はまだ生きている」ということにしてその志を引き継ぐようになる。まさに、そのことが、蔦屋重三郎の運命を大きく変えることになるのであろう。

平賀源内の死で、一つの節目になった。次はどうなるのであろうか。期待してしまう。

  なお来週はドラマはないということなので、この連載もどうしようか悩んでいるところである。まあ、そのような「途中の番組」もあるので、なんとなくここで一区切りという感じがするのかもしれない。

「宇田川源流」【日本報道検証】 赤沢大臣の関税交渉は成功だったのか?


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。

 さて、今回は、先週最も大きな政治的なトピックであったと思われる、「トランプ相互関税に関する赤沢大臣による関税交渉」について見てみたいと思う。なお、本件に関しては、石破総理及び政権は「一回目の交渉としては成功」ということを言っている。この「一回目としては」という微妙な言い方はいったい何なのであろうか。要するに二回目以降に進展がなければそのような評価にはならないということなのであろう。外交経験のない赤沢大臣の割には、うまくやったのではないか、というような印象でも取ることができる。

しかし、今回の交渉は「交渉を妥結して、結果が出るまでの期間は、日本は関税がかかったままである」というものであり、そのことから考えれば、緊急性を擁するということになるはずであるが、党もこの感想には「悠長に構えている」というような感覚になってしまうのではないか。

私のような感想を出す人はほとんどいないので、世論としてはあまり大きな意見ではないが、本来は「一回の(またはかなり短期間)交渉で全てを決する必要がある」ということであり、きほんてきには「戻って確認してから再度交渉をする」などというような話ではないはずだ。過去、日清戦争の下関条約における陸奥宗光も、また、日露戦争のポーツマス条約における小村寿太郎も、いずれも「交渉が決まるまでは日本に戻ることはできない(下関の場合は日本国内なのであるが、比ゆ的な表現で)」というような覚悟があったはずだ。慎重に交渉を進める場面と、短期間で結果を出す内容とは全く異なるはずであるが、残念ながら、その様な使い分けもできないのであろうか。

 石破内閣の内容は非常に残念な内容であるというような気がするのである。しかし、これは「交渉に臨む覚悟」ということで、もちろん私の感じる理想論とは異なるが様々な考え方があるということなのかもしれない。しかし、石破内閣の外交姿勢には、より大きな問題点があるということになる。「参考記事」のあとは、その内容を見てみることにしよう。

<参考記事>

石破首相、帰国の赤沢氏と会談 トランプ関税対策、検討加速を指示

4/18(金)毎日新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/84d0347f5b8b0b455f52ca3184b1318a67a3138d

岩屋外相「安保は別の話」 日米関税交渉巡り

4/19(土)共同通信

https://news.yahoo.co.jp/articles/769adef5e6c596fd9b4f2447b24141402cec1dd5

<以上参考記事>

 「外交とは情報戦争である。」誰が言ったかは忘れたが、どこかの政治家が言った言葉である。まさに、外交とは「情報の戦争」であり、外交を行うには、事前に敵の情報をしっかりと見出してその分析を行わなければならない。そのうえで、今度の名言は作家の塩野七生先生の言葉であるが、「外交とは、可能なかぎり少ない『ギブ』で可能なかぎり多く『テイク』する技能だ」ということを言っている。要するに交渉の中でどれだけ日本の国益になる内容を引き出すことができるかということでしかない。

では、今回の赤沢大臣の交渉に「テイク」を得たものは何かあるのであろうか。はっきり言って「ゼロ」である。残念ながら、「相手の出方を見た」だけのことであり「外交ではなく、本来は外交の前段階」で行うべき内容である。つまり、外務省が全く仕事をしていないか、または石破内閣が外務省の情報の使い方を知らないか、はたまた、外務省がアメリカ政府から全く信用されておらず情報を得ることができなかったかのいずれであろう。いずれにせよ石破外交が全て破綻しているということ、または情報を得ないで外交をしていることになる。

そのうえで、トランプ大統領は「日本を優先する」といい、事前に「貿易赤字」「農産品」「自動車」「非関税障壁」そして「日米安保の不均衡」ということを発言している。これらの発言は散発的に発言されているということを見れば、アメリカのホワイトハウス内部で何らかの打ち合わせを行い、その中で出てきたものが発言やSNSへの書き込みということで現れているということが強く予想される。トランプ大統領は、戦略的に多くのことをため込んで整理して発言するタイプではなく、何か情報が入った時に衝動的に過激な表現を行うということが発言の特徴であることを見れば、当然にそのようなことが強く推測されるのである。

その様に考えれば、トランプ大統領が相手ではなくても、これらの内容が関税校長の中心的議題になると考えていたし、このように情報を出しておけば、何らかの反応を持ってくるものと思っていたのの違いない。

当然にこれらをすべて受け入れろなどということはない。元首相安倍晋三の父で外務大臣をやっていた安倍晋太郎氏は「(外交は)将来に向けてスジを通すべきは通していかなければいけない」と発言している。このように考えれば日本の国益のために、「スジ」を通して話をすべきではないか。

石破首相は2月7日の首脳会談で1兆ドルの投資を行うことを約束してきている。そのうえで「貿易赤字解消」ということを言えば、何かを買うという事しかない。「農産品」「非関税障壁」に関しては、日本のことをよくわかっていなければならない。しかし、現在の経済政策を見てもわかるとおりに石破内閣は現状の日本を全く把握していない。残念ながら今までの内閣の中でも稀有なほど「日本国民を知らない」ということになる。全く何もわかっていないし、また、何もできていない。現場を知らないということでしかないのである。

そのうえ、「安保の不均衡」に関しては岩屋外務大臣は「仮に安全保障の問題が出てくれば、本当は別のトラックの話だろうと思う。事柄の性質が元々違う」などと言い、日曜には石破内閣も同様の発言をしている。経済と安全保障は別などというようなことが「国家と国家の関係」でそのようなことが言えるのであろうか。また日本だけがそのようなことを言っても、それで「では安全保障を解消する」といわれて日本はどのように対処をするのであろうか。「テイク」を引き出すはずの外交で、全く何もできていないということであり、また、そのようなことを交渉が終わってから言っても意味がなく、赤沢大臣は何も言えていないということが大きな問題ではないのか。

いずれにせよ、石破内閣は全く外交ができていない。同時に、このような要求が出てくるということは、2月7日の首脳会談で、1兆ドルの投資を約束したにもかかわらずその約束も果たしていないということでしかないのである。単純に「信頼を失った石破内閣の外交」が日本の国益を損ねているということに他ならないのである。

もう一度「信頼関係の構築」からしっかりと行うべきではないか。石破内閣は外交の基礎の基礎もできていない、そう見えてならない。

「宇田川源流」【日本万歳!】 本屋大賞で「食を通した絆」


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさや日本の良い所を記載し、またはそのような記事を紹介し、その内容を私なりに分析をしたうえで、その内容が、その人やその書かれている対象のモノだけではなく、日本の国民性や日本人の全てが持ている魂のような「何か」が重要であり日本の称賛されているモノであるということがわかるようにしている。つまり、それが日本人全体が持っているものであったり、日本人の国民性のようなモノ出会った場合、称賛されている記事はそのまま日本人全体を称賛しているということに他ならないのではないか。

 毎週月曜日になると、日本人のほとんどは、働きに出る。日曜日などでせっかく休み、自分の世界に入っていた李、家庭に入っていたにもかかわらず、また働かなければならないという「マンデー・ブルー」な状態になる人が少なくない。もちろん仕事が趣味という人も少なくないのだが、そのような人は少数派であることは間違いがないようである。その為に、そのような「ブルー」な人々であっても、日本人一人一人全員が、日本人としての誇りと、世界から称賛されている日本人の国民性などを武器に、より一層仕事が頑張れるようにしてみたらどうかと思うのである。

 さてその国民性の中で、最も世界の強みは「ソフト」ではないかと思う。そのソフトの話をすれば、いつもアニメや漫画の話になってしまうのであるが、本当は「書籍」が最も素晴らしいのではないかと私はいつも思っている。実際に「漫画=2次元」というようなことを言うのであるが、本来、「文章=1次元」という考え方がありその1次元で書かれた内容を、頭の中で自分の経験やそのほかの内容をすべて動員して文章の中の世界観を身近な内容として、その中で書かれた主人公や登場人物ンい共感しながら内容を疑似体験してゆく。この「疑似体験による経験」ということが、日本人は素晴らしき、一つの本でも多くの想像力が生まれ股解釈がうまくできる。小説などを書いていると「幕末」の世界などは、一つの減少やその内容に関する解釈の多様性が、徐々に「尊王」「攘夷」というような(もちろん佐幕派もいるが)思想に集約されてゆく。それまでの多くの人々が、擬制になったのであろうが、一方でその内容に関して、集約する中で大きな国内の動きになる。そのような歴史を日本はしっかりと踏まえてきているのである。

<参考記事>

本屋大賞に「カフネ」 阿部暁子さん「頂いた大きな贈り物に報えるように」【発表会詳報】

2025年4月9日 14時42分 好書好日

https://news.livedoor.com/article/detail/28521370/

<以上参考記事>

 日本の中には「本屋がなくなってゆく」ということで「活字離れ」などといわれているが、実際はどうであろうか。この「活字離れ」という内容に関しては、実は「新聞や雑誌の販売数が急激に落ち込んで、なおかつ廃刊や休刊が多くなっている」ということが、言われている。実際に「本が読まれなくなった」とか「活字を書かなくなった」のではなく、新聞や雑誌などの媒体が勢いがなくなったということに過ぎないのである。

私の個人的な感想ではあるが、「活字」は「本」「紙」ということを離れて、SNSやネットでの表現において非常に多く使われている。もちろん日本語の今までと同じように、日本語そのものが変質しまたは、その言葉そのものも、大きく意味が変わってきているということになるのであるが、それでも「活字」がなくなったのではなく「活字の使い方が変容した」ということでしかない。紙に書くという事や、誰が決めたかわからない「正しい日本語」なるものを使う人が少なくなっただけで、リアルのコミュニケーションが少なくなれば、それだけ活字は多く使われるようになるということになるのである。

さて、活字の問題は「同一性が少ない」という事であろう。例えば、「黒髪の美しい女性」と書いた場合、情報は「髪が黒い」「美しい」「女性」という事しかないので、その時に想像する女性像は読んだ人によって異なるということになる。しかし、それは「美しい」とか「髪が黒い人」のイメージが大きく異なるのであり、また、その女性のイメージを統一する必要はない。そのイメージの違いを楽しむということが読書の大事な一つである。

さて、そのようなことを繰り返してきた人、つまり本を多く読んでいる人は、相手の理解が進みそしてうまく「利己主義ではない自分を表現できる」「相手と共感を多く生むことのできる」人物になる近道を歩いているということになるのではないか。

そのような本の中で、「本屋大賞」がえらばれた。本屋の店員が最も売りたいと思う本を選ぶ本である。

 本の紹介に関しては「参考記事」の中身をそのまま引用する。

阿部暁子さんの『カフネ』は弟を亡くした野宮薫子が、弟の元恋人・小野寺せつなが勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝いながら、「食」を通じてせつならとの絆を深めていく物語。

要するに、「人のやさしさや」「食を通じて(つまりネット等ではなくリアルに一緒にいるという人間関係からくる)の絆」が大きなテーマになっており、そして、そのテーマに共感する人が最も多かったということになるのである。逆に言えば「それだけ人と人の絆を欲しいと思っている人が多い」ということである。活字を通してその世界を見ることができる。そして若者が、多くの読書家が、「自分に必要なことを見出すことができる」という事こそ、日本のすばらしさなのかもしれない。

小説 No Exist Man 2 (影の存在)

第三章 動乱 11

「厦門内戦という知らせが来たが」

 東銀座の事務所では、荒川から連絡がこないことに、嵯峨朝彦がいらだっていた。自然と酒の量が増えてしまっている。しかし、自分の亭主や幼馴染のヤスまで行ってしまっている菊池綾子も不安そうな表情をうかべている。

「はい、政府も、内戦ではないかというようなことを危惧して対策本部を作っております。」

 政府からの情報は全て今田陽子が持ってきていた。

「荒川君は無事なのかね」

「連絡が取れていませんが、戦争をしているのは厦門全般ではなく第73軍駐屯地近くでしかないので、市内はまだ落ち着いているというように聞いています。」

「殿下、もしかしたら荒川さんや太田が内戦を引き起こしたのかもしれません。」

 菊池綾子は、あくまでも楽観的に言った。実際に何かあったとしても自分たちが直接助けに行けるような状況ではない。ある意味で問題はない、きっと大丈夫と待っているしかないのである。

「しかし、第72軍の基地からミサイルでの攻撃があり、航空機も出ているようです。」

 ネットを屈指した青田博俊は、アメリカや日本の衛星からの画像を、壁に映し出した。大きなスクリーンのようなものはなかったが、何も飾りのない白い壁に、プロジェクターで映像を映し出している。衛星画像なので一人一人の行動などまでは見えないものの、ミサイルや航空機が飛び勝っていることや、戦車が街中を走行している。

「政府の方は」

「はい、外務省からの問い合わせでは、中国共産党政府は初めは否定していましたが、その後、東部戦区での戦区内の軍事演習が行われているちうことを認めました。しかし、あくまでも国内、そのうえ中国領土内での演習なので、外での問題はないということを主張しています」

「彼らのいう一般人民への被害は」

「訓練だからないというようなことを主張しています。」

 今田陽子は、少しうんざりしたようにいった。

「企業の反応は」

「企業は大変ですよ」

 青田が、画面を分割して中国進出企業のSNSが映し出された。

「今はこのようなことがネット上にすぐに出てくるのだね」

 SNSの画面には、厦門の街中に戦車や軍兵が移動している写真や、空に航空機やミサイルが飛んでいる写真が掲載されている。そのほかにも、動画が掲載されているものもあった。町の外れでは、銃撃戦があるのか、銃声が聞こえている。

「完全に内戦だな」

「公式には、市街戦の演習ということですが、一般住民の避難などは全くされていないのですね」

 嵯峨と今田は、つぶやくような感想を言った。

「これは、政府も確認しているのか」

「もちろんです。上海の領事館から人も派遣し、日本人の安否確認をしております。」

「その安否確認の対象者に荒川君は」

「入っていません。あくまでも、現地で居住または就業している人しか対象になっていません。あとは、旅行者くらい。さすがに荒川さんは北京から上海と移動なので」

 確かにそうだ、と嵯峨はうなづいた。

「このような内容も見てもらっていいですか」

 青田は、別な画面を出した。そこには企業のホームページが出されていた。

「日本の企業は、厦門だけではなく、全く関係ない北京や成都に進出している企業、もちろん広州や香港まで全ての日本の企業がすべて日本人の帰国を推奨するということになっています。」

「すぐに政府を通して聴いてみましょう」

 今田はすぐに政府に電話をした。

「すぐに官邸に戻れという命令です」

「うむ、行ってこい」

「はい」

 今田は東銀座から首相官邸に戻った。

「総理お呼びでしょうか。」

 首相官邸の応接に多くの人が集まっていた

「飯島大臣。改めて状態を説明してくれますか」

 阿川首相のほか、橘防衛大臣、今川秘書官、北野安全保障会議議長もそこにいた。またそのほかの大臣や次官なども入っていた。

「ああ、中国共産党はいきなり厦門および東部戦区全体で演習が始まったようです。71集団軍と72集団軍が73集団軍を敵に見立てて戦っているというような感じで、主に73集団軍の駐屯地のある場所で戦闘が行われているということのようです。その中で、南平の自動歩兵旅団と泉州の防空旅団はすでに降伏したようで、その周辺では戦闘は行われていません。この他の戦闘状態の詳しいことは、橘防衛大臣から報告させましょう。」

「いや、飯島さん、中国と日本の外交交渉について先にお願いします」

 阿川総理は、その様に応えた

「外交上は、中国は通常の市街戦の演習といっており、事前に現場、つまり厦門市などには告知をしていたということを言うのですが、残念ながら、そのような事前通知を受け取った現地の日本企業はありません。そして避難誘導などもなくそのまま現地で市街戦が始まっているというような状況です。」

「そのようなことで、どの様な対処をしていますか」

 今川秘書官は、飯島大臣に詰め寄った。

「いや、中国政府がそういう以上、中国の主権の範囲内の事であり、日本政府としては何もすることがない。いや、強制的に自衛隊を派遣するとかもできないし、また安全保障条約に従ってアメリカ軍に出動を願うこともできない。当然に、日本企業の人々に対しては現地で自己責任で行わなければならないということになるのではないか。他に何かできることがあるのかな。今川君」

「確かに何もできませんが」

「一応上海の領事館から警察出身の外交官、いわゆる防衛武官を向かわせていますよ。しかし、それ以上は何もないということになるのではないでしょうか。」

 飯島は不機嫌そうにいった・

「現場には入れたのですか」

 今田陽子である。

「いや、まず航空機などは飛行禁止になっている。道路も途中で閉鎖されているとお、上海の領事館からは、そのようにして現在厦門市内には入ることができないでいると報告があった。まあ、軍事演習中ならば、当たり前のことだ。」

 飯島は、親中派の政治家といわれている。そのような意味から中国に強く抗議するなどということは全くしないどころか、どちらかといえば媚びた感じの外交しかできない。

「閉鎖されているということは、厦門市から人がからでてくるということもないということですか」

 阿川総理が聞いた。要するに、厦門市から一般の住民が脱出できるかどうかということである。

「出てくる人もいないと報告があります。中国政府は、市民がいるという前提で市街戦が行われるのであり、そのような想定をしていると伝えてきています。」

「なるほどね。要するに厦門市にいる人は中国人でも外国人でも巻き込んで見殺しにするということですか。」

 阿川はため息交じりで行った。

「橘防衛大臣から現在の状況を・・・」

 北野安全保障会議議長が橘を指名した。橘は若手の政治家であるから遠慮ない内容を言った。

「橘さんは、この戦況でどの様に考えますか」

「総理の質問なので、個人の意見を申し上げます。私は大臣として、この内容は演習などではなく、内戦又は軍の反乱に対する制圧であろうと考えております」

「なるほどね。それならば市民が巻き込まれても仕方がないということになりますね。政府としては。そのまま反乱がおきたほうが困るでしょうから。」

「別な観点から見れば、これで台湾への軍事侵攻が遅れるということになるのではないでしょうか。」

 橘は、そういった。確かにそのとおりである死、橘の政治家として視点の広いことをアピールするには問題はないのであるが、少なくとも厦門にいる日本人の安否という議題を話している中には何の関係もなかった。

「では対策を考えましょう。皆さんの忌憚のない意見をお願いします。

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2025年16号 備蓄米を放出しても下がらない米の価格への提言


 皆さんおはようございます。

 メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」主催の宇田川敬介です。

 今年も様々な内容にして、少し違う観点から様々な内容を見てみたいと思います。

普段のブログとは全く関係なく、少し柔らかい内容で見てみたり、国民の慣習のことなどを見てみたいと思っております。

 これからもよろしくお付き合いください。

さて今回は、我々の生活の糧というか、日本の文化の中心である「米」について考えてみたいと思います。

何しろ米が高すぎます。

3月の消費者物価指数は3.2%上昇ということが発表されました。

その中でコメ類全体では前年同月比で92.1%の増加となっています。

このことが、今の日本の経済政策の中心になっているようです。

そして、そのことがうまくいっていない石破内閣の支持率は、かなり下がっているということになります。

その内容を見てみましょう。

★ 稲と日本の文化

日本の文化は、稲を中心にはぐくまれてきていると言えます。

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毎週月曜日発行で、月400円(税別)です

この文章は明日の先出です!!

また申し込み初月は無料ですので、ちょっと覗いてみたいと思う方は、ぜひ一度申し込んでみてください。

多分本で読むより安いと思います。

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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 大学教授になった芸能人が語る“ヤラセ”や“性接待”


 今週も「土曜日のエロ」の日になった。今週のネタは芸能界の「タブー」について、本人が語ったという形のものであるが、実際に「エロ」も「事件」も本人が語るということは非常に少なく、なかなかうまくゆかないということになるのである。

その「真実が語られるかどうかわからない」ということになれば、今週話題いなった「赤沢大臣とアメリカの相互関税交渉」ではないか。あえて「アメリカ」ということを書いたが、本来はベッセント財務長官なのであるが、今回は時間があったのかまたはアピールのためかトランプ大統領本人が交渉に参加したということになる。赤沢大臣本人が語っているように「格が違う」ということは、他の人から見てもよくわかる話である。しかし、本来は全権大使なのであるから、国を代表しているわけであって、赤沢大臣自身が「格が違う」などということを言ってはよくないこともその通りであろう。

この件に関しては、本編またはそのほかの所でも様々に語ることになるのであろうが、しかし、あえて私本人が「自分の意見」を考えるかということを見てみよう。

そもそも「相互関税」を行うということは石破内閣であれば、トランプ大統領になった瞬間に予想しなければならない。予想して備えておくということが本来の政治であり、そしてその最悪のケースでも被害を少なくするということが為政者の内容であろう。しかし、石破内閣は全くそのようなことができていない。2月7日の首脳会談で「信頼関係が築けた」などと言っていること自体もおかしな話である。要するに「石破内閣というのは本当のアメリカの姿を全くわかっていない」ということである。これは外交だけではなく、経済でも内政でも、選挙や野党対策もすべて同じで、楽観的な見通して自身の思い込みで物事がすすむと思っている為政者というのはというのは、本当に困ったもので、どんどんと日本の国力がむしばまれてゆくということが見て取れたのではないか。

赤沢大臣は、かなり良くやっていたという思う。しかし、残念ながら内閣そのものが、今回、まったく予想していない状況であり、楽観的であるということがそのまま大きな交渉で出てしまったのではないか。

ある意味で、芸能人になって華々しい活躍ばかりを夢見て、裏側もドロドロした内幕に関して全く考えていなかったということと全く変わらない。その程度の政治しかしていないということなのであろう。

<参考記事>

いとうまい子、60歳で大学教授に “ヤラセ”や“性接待”など芸能界での苦い記憶を明かす

4/15(火)ABEMA TIMES

https://news.yahoo.co.jp/articles/f5deea8eca1facfe6d952ed096c6492e229d0fcb

<以上参考記事>

 この「土曜日のエロ」の中では、現在では差別用語となる「河原者」ということを解説し、そのような認識の人が今もまだ残っているというような感覚になっている人も少なくないということを見てきた。ちょうどフジテレビと中居正広氏の性接待事件に関して解説したり、あるいは芸能人に関してみてみるとそのようなことがどうしても「逃げられない内容」というような感じになる。

さて、今回はいとうまい子さんが、大学教授になって、芸能界での苦い経験を語ったということに関して見てみる。要するに「自分自身が様々な経験をしたということを、苦い経験として語った」ということなのである。

ちなみにいとうまい子さんを知らない人も少なくないと思うのでとりあえず簡単に見てみよう。

いとうまい子さんは、いわゆる80年アイドルで、1981年に雑誌『BOMB』に特集記事が掲載され、かなり話題になった。しかし、1983年デビューは、大沢逸美、森尾由美、松本明子、小林千絵、THE GOOD-BYE、岩井小百合、桑田靖子、徳丸純子、原真祐美、小出広美、武田久美子などがいたが、目立って売れたアイドルが存在しなかったために「不作の83年組」と言われた。ちなみに「THE GOOD-BYE」は、今はギターリストとして活躍している野村義男三を中心にしたバンドで会ったがやはりあまり売れなかった。また、武田久美子さんは、元祖「貝殻ビキニ」で話題になったアイドルであるが、やはり今一つ売れた印象がない。

そのような中でいとうまい子さんは、『高校聖夫婦』(1983年)『不良少女とよばれて』(1984年)などのドラマ出演で話題になり、2000年代からはバラエティーの仕事が増えていて、それこそフジテレビの昼のおバラエティ番組『バイキング』ではレギュラー出演をしている。

例えば「仕事決まりました、打ち合わせをしたいからご飯を食べましょう」って言われて。関係者の方とマネージャーとご飯を食べて、その後、食べ終わったら「今晩相手してよね」みたいに言われて。私は「それは無理ですよ」って。「そういうつもりじゃないです」って言ったら、次の日に仕事を降ろされました。<参考記事より抜粋>

まさにこのようなことは日常であったということになる。このようなエピソードは私自身もよく聞くことがあるし、また、食事会に「お天気キャスター」などが来ていることもあった。そのような経験をしていると「売れている女性って、もしかしたら」というような感覚を持ってしまい素直にテレビを見ることができなくなるような感じになってしまうのである。

ある意味で「芸能界」徒は「この人でなければならない」ということではなく「いくらでも変わりがいる」し、「性接待をしても、売れたい(目立ちたい)」というような人は少なくないのである。その様に考えれば、1983年「不作の」といわれる年の方が「清純派」が多かったのかもしれない。

もちろん、アイドルも人間である。売れたいという欲もあれば、性欲の旺盛な人も、男性女性にかかわらずあるのではないか。その様な内容が今くマッチすればよいが、マッチせずに強制的になればおかしくなる。そして、そのような性接待で仕事が決まってゆくようになれば、実力で物事が決まらなくなってしまうので、芸能界自体が陳腐化してしまうのである。

実力主義ではない芸能界。そのことがフジテレビのようンあ大きなメディアでもおかしくしてしまったのではないか。テレビが面白くない、というのは、このような事情もあるのであろう。

「宇田川源流」【現代陰謀説】 台湾に入った中国のスパイ6割が軍関係者


 毎週金曜日は「現代陰謀説」をお届けしている。現在このように普通に生きている中で、今まさに動いている陰謀ということを、現在公開されているニュースの中からその内容が見いだせるニュースをピックアップし、そしてその中にある「陰謀」を暴きだしてみたい、という内容である。もちろんニュースだけでは完全に不足していることから、それ以上の知識などが総動員されなければならないが、このブログではそこまでしようとは思っていない。それよりも「このような読み方をすれば、陰謀を読み分けることができる」ということをこの場で示したいと思っている。実際に、完全に見分けることは難しくても、ニュースの読み方を見てゆけばよいのではないかということとを考えている規格である。

 さて、陰謀というのは基本的には「戦争」に直結することが少なくない。結果論ではそのように物事がみえる。実際は「相手の国を、自国の思い通りにコントロールする」ということがあり、その場合、相手の国の事を考えて行うのではなく、自国の利益のために相手の国を使う、場合によっては相手国の政権を崩壊させるというようなことにつながるので、そのことが露見した場合に両国の関係は悪化し、その結果、「戦争」に繋がってしまうということがある。

 もちろん、善意による他国の介入というものがあるが、だいたいの場合、国の価値観が異なるのであるから、その価値観そのものを押し付けた結果を求められた場合、その内容が大きな問題として出てくることになるのではないか。またそのように外部からコントロールされていたことが明らかになれば、その外部勢力は当然に反発を覚えるということになる。

 そしてそのような陰謀の前には、相手国を観察するということが必要になる。その上で「戦争を覚悟した観察」を最後に行う必要がある。秘密兵器や、隠れた何かがあった場合は、戦争になって被害を被る可能性があるからだ。そのように考えれば、「陰謀を仕掛ける前」と「陰謀の終盤」のにかい、よく相手国を観察する必要があることは間違いがない。

<参考記事>

中国のスパイ容疑による起訴、6割が現役・退役軍人 対応を強化へ=国防部長/台湾

4/8(火) 中央社フォーカス台湾

https://news.yahoo.co.jp/articles/7cc3d0267d3800a35351104c1840a3b01bb969d8

<以上参考記事>

 台湾へのスパイ行為が非常に多い。特徴は「軍人が多いこと」である。<参考記事>によれば、2020年から現在までの中国のスパイ事件で起訴された人数は159人。それで95人が現役または退役軍人であり、士官は46人、下士官が27人、兵士22人ということである。

実際に、起訴されたのがこの数でしかないということになる。逆に言えば、起訴されていない軍人もいるので、軍の中にかなりの数のスパイがあるということになる。日本やアメリカの場合は通信社や研究者などの「産業スパイ的なスパイ」が非常に多い。もちろん、それらの産業も軍事に応用できる技術がほとんどである。これに対して台湾の場合は技術や産業ではなく、実際に動く軍隊ということになる。

軍隊へのスパイということは、当然に「兵装」「駐屯地などの位置」だけではなく「作戦」や「軍の配置」や「軍の位置」「弱点」などを見ることになる。要するに、「どこを攻撃するか」ということなど、軍の動くに関する内容が最も重要な内容になってくるのである。

要するに「中国人民解放軍の兵装や軍拡」によるものは日本やアメリカに関するということになるのであるが、「台湾に対する攻撃のための情報」を得るということで台湾にスパイを入れていることは明らかであるということになる。そしてそのスパイに加担しているのが、少なくとも明らかになり証拠がある状態でもこれだけの人数ンがいる。ましてや士官で46人もいるということになるのである。

士官といえば部下もいるということになる。日本で士官クラスが裏切って勝敗の結果が反転するということは、関ケ原の戦いが最も有名ではないか。関ケ原後においての布陣は、明治時代になってドイツのメッケル少佐が「西軍が勝つ」と即答するくらいの内容であった。しかし、関ケ原に布陣していた吉川広家・毛利秀元が動かず、小早川秀秋などが裏切って西軍側に布陣ながら西軍を後ろから攻撃ということになれば、西軍が半日で敗北してしまったのである。

まさに台湾もそのようにならないとは限らない。スパイとして情報を与えているだけではなく、小早川秀秋のように裏切って戦うことになれば、台湾はかなり大きな問題になるそして軍人の士官にスパイがはびこっているということをよく考えるべきではないか。そしてこの情報をもって、日本を含む多くの国は、中国共産党はどのような相手であるということ、そしてその狙いが台湾であり軍事侵攻が近いということを考えるべきではないか。いまだに「中国が攻めてくるはずがない」などとぼけたことを言っている人は、スパイと同等の影響力を持つ裏切り者であるということではないか。

「宇田川源流」【日本報道検証】 中国で「AI公務員」登場とその日本への影響


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。

 さて、今回は、今話題になっている「生成型AI」ということに関してみてみようと思います。なおAIに関してはオンラインサロン「陰謀渦巻く世界情勢の中であなたが生き残る方法」(https://lounge.dmm.com/detail/2838/)の3月に特集していますので、その内容を参照していただけるとより深くわかっていただけるのではないかと思います。

人工知能は、「『計算 (computation)』の概念と道具の『コンピュータ (computer)』を用いて『知能』を研究する計算機科学 (computer science) の一分野」を指す言葉でありその概念を現実化したものである。英語で「artificial intelligence」というのが言語であり、その単語を略して「人工知能(人工知能)」といわれることの方が一般的である。

人間の知的能力をコンピュータ上で実現する、様々な技術・ソフトウェア群・コンピューターシステム、アルゴリズムとも言われる。主力な特化型人工知能としては、

・ 自然言語処理(機械翻訳・かな漢字変換・構文解析・形態素解析・RNN等)

・ 専門家の論理、知識や条件による判断を模倣するエキスパートシステム、ナレッジグラ、因果推論

・ データから特定のパターンを検出・抽出、予測、分類する統計的機械学習及び深層学習(画像認識・音声認識・数値予測・故障診断)、ベイジアンネットワーク

・ データの特徴量を圧縮し、別の情報を作り出す深層学習(VAE、拡散モデル)

・ 優秀な個体を自然淘汰で選別する遺伝的アルゴリズム

・ 最善手の探索(モンテカルロ木探索、ダイクストラ法)

等がある。

 この手以後のことを序章として、「陰謀渦巻く世界情勢の中であなたが生き残る方法」ではしっかりとその内容や将来性だけではなく、問題点や将来性、そして人類滅亡の未来もありうるということまで検討している。

<参考記事>

ブラック労働でもかなわない「AI公務員」登場、安定職に失業の危機!?【洞察☆中国】

4/7(月) 時事通信

https://news.yahoo.co.jp/articles/da0eb15e440eaf03d2f307ddd422e9d674c84bba

<以上参考記事>

 さて、AIが出てきたことによって、今まであった職業がなくなる危機が存在している。もちろんそんなことはAiでなくても同じである。過去、例えば郵便ができたことによって飛脚という商売はなくなってしまっているし、映画が音声を伴うフイルムを出すことによって「弁士」という映画の音声をつかさどっていた職業もなくなってきている。電話が発展したことによって電話の交換手もないし、エレベーターガールなどという職業も、昭和では憧れの職業であったのに、そのような職業もなくなってしまったのである。このように時代の進行と、技術の発展によって機械や技術に職業を奪われることは、何もAIではなくても同様の状況は存在した。

AIの問題は、多分、それまで「エリート」といわれていた職業や「安定してた」というような職業や、人の頭脳的な仕事に関してもその領域が侵されてゆくということになる。実際にハリウッドでは、脚本家のデモなどが起きているが、そのようなデモが起きても、結局は、時代の流れには逆らえないということになるのではないか。デモをするよりも、AIより良い脚本を書くように研鑽を重ねるほうが、私自身は建設的なのではないかという気がしている。

問題は、飛脚や弁士の時と異なり、AIによる職業領域の侵犯は、頭脳労働者が多く、一つは、その人々の中に頭脳労働者であることのエリート意識があるということ、そしてその人々が発信力が強いということが大きな問題なのであり、職業領域の侵犯は向かいsも今も起こっていることであるから、仕方がないことである。

その一つの例として中国では人工知能のDeepSeek基盤を活用した70人の「AI職員」を正式に配属させたということがニュースになっている。

「参考記事」によれば、公文書の処理、民生関連サービスの管理、緊急事態への対応、投資の誘致など約240の業務が可能で、一瞬で行政文書を作成したり、市民の要望を即座に仕分けし対応したりすることができるという。さらに、公文書のフォーマット修正精度は95%を超え、審査時間は90%短縮できた。部署間の業務の振り分けの効率も80%向上した、という。

さて、人工知能によって効率化させることは可能である。しかし、同時にそのことはハリウッドのデモでもわかるように、多くの雇用を奪う結果になるということになるのである。現在の中国では、不景気で失業者が多くなっているばかりか、それ以前から大学を出ても就職がなく都会の片隅で地下などに居住する「蟻族」のような人々が話題になっていた。残念ながら、そのような「余った人材」は必ずしも優秀であるとは思えず、また社会の適合性がないという場合も少なくない。その中で、「日本に再留学して就職をする」というようなことが起きている。岸田内閣・石破内閣による「外国人材の登用」は必ずしも優秀な人材ではない人々が多く日本に詰めかけ、日本の文化を開始、なおかつ日本人の若者の雇用を奪ってゆくという結果につながっている。逆に、人材が少ない日本は、AIを公務員にするというようなことは遅れているという皮肉な結果になっており、日本政府のこれらの対応が、ここ数年おかしくなっている。つまり中国は効率的な行政になりそれについて行ける人が採用され、日本にはあまり優秀ではない中国人が詰めかける、少なくともAIの時代に採用されなかった人々を、岸田首相いわく「日本の宝」等と言っているということになるのである。

何かがおかしい。

単純に日本が時代の流れに追いついていけないだけということになるのだ。

このような隣国中国のニュースではあるが、ほかのニュースと考え合わせて読めば、何が起きているかがわかる。その問題は、中国よりも日本を衰退させる結果につながっているということになる。

もっと日本人は鋭敏にこのような「日本に関する不当な扱い」を考えるべきではないのか。

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 陰謀渦巻く「長きにわたる平和の世」


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について、普通に見た感想を書いている。一応歴史小説作家であるということから、もしかしたら他の人々と少し違う内容の感想かもしれないということかもしれないので、何か参考になることがあれば、皆さんお役に立つということではないかと思っている。

さて、今回もドラマの内容に入る前に、登場人物の内容を見てみよう。今回は徳川家基(奥智哉さん)について見てみたい。今回のドラマで急死してしまった悲劇の人である。役名よりも「西の丸様」と呼ばれていた人である。

徳川 家基は、江戸幕府第10代将軍・徳川家治の長男。将来の第11代将軍として期待されていたが、急死した。徳川宗家の歴史の中で唯一「家」の通字を授けられながらも将軍職に就けなかったため、「幻の第11代将軍」とも呼ばれる。

 田沼意次の推薦で側室となったお知保の方(蓮光院)と家治の間に生まれる。生後まもなく大奥女中の広橋の願いもあり、男子のいなかった家治の御台所・倫子の養子となって成長した。幼年期より聡明で文武両道の才能を見せる。成長するにつれ政治にも関心を持ち、参画する姿勢を表し、老中・田沼意次の政治を批判している。

 しかし安永8年(1779年)2月21日、鷹狩りの帰りに立ち寄った品川の東海寺で休息中に突然体の不調を訴え江戸城に急ぎ運ばれたが、3日後の2月24日に江戸城で死去した。享年18(満16歳没)。ちなみに、今回の役柄では鷹狩りの最中に突然死んでしまったという描写で、3日間苦しんでい辺り、寺で休憩中というような描写はなかった。

自らの後継ぎを失った父・家治は、食事も喉を通らなくなるほど嘆き悲しんだという。家基の死により、家治の子で存命の者はなくなり、家治はそれ以後、死去するまで子を儲けることはなかったため、家治の血筋は断絶することとなった。

 その突然の死は、家基の将軍就任によって失脚することを恐れた意次による毒殺説、嫡男・豊千代(後の徳川家斉)に将軍家を継がせたい一橋家・徳川治済による毒殺説など、多くの暗殺説を生んだ。家基に代わって第11代将軍となった家斉は、晩年になっても家基の命日には自ら墓所に参詣するか、若年寄を代参させていた。血縁関係の遠い先代将軍の子供にここまで敬意を払うのは異例である。

<参考記事>

「べらぼう」でホラー回!まさかのラストに戦慄

2025年4月13日 20時55分

シネマトゥデイ

https://www.cinematoday.jp/news/N0148362

<以上参考記事>

 今回のドラマは、幕府中枢が中心で、吉原はあまり舞台にならなかった印象である。

実は、「安永6年」(1779年)は、その年までの歴史の主人公の多くが死んでしまうという「魔の安永6年」と言われている一年であり、その「魔」が始まったというのが今回である。この年に徳川家基、松平武元(石坂浩二さん)、が亡くなりまたロシアは通称を求めて北海道にやってくるが松前藩が断る。そして、桜島が大噴火し、後桃園天皇が崩御、第119代天皇・光格天皇が即位するというような時代の変わり目の都市であるというような感じがする。

そのような中ドラマの冒頭、瀬川(小芝風花さん)と一緒に所帯を持った夢を見る蔦屋重三郎(横浜流星さん)が出てくる。その中で鱗形屋(片岡愛之助さん)が廃れてしまって、青本を出す力がなくなったので、蔦屋に青本を出すように勧める周辺の人々ということが出る。初めに来週以降の蔦屋重三郎の活躍を予感させる内容ではなかったか。

一方その途中で平賀源内(安田顕さん)が、エレキテルに関して癇癪を起して刀を振り上げるような状況が出る。まさに、この越智の平賀源内の没落の話が出てくる。この場面の「俺なにしてるんだろうな」といって、平賀源内が学者として世に広まった本を手にしている姿、そして冒頭杉田玄白が「当代一の蘭学医」として紹介われるのも、時代の移り変わりを強烈に印象付ける内容になっている。ちなみに鱗形屋もこのあたりで没落し、本当に安永6年に「新旧の入れ替わり」が起きるような印象が出てくるのであり、ドラマの中では非常に良く表現されている印象である。

徳川家基の死は、2月の鷹狩りの時である。これが冬の寒い日であるということはあまりうまく表現できていないが、そのような日であったので、寒暖差から心臓発作を起こしたという事であろう。しかし、それまでが健康であったので、何らかの形で「暗殺された」というように謂れ、当時もそのような噂が多く流れた。そしてその黒幕といわれたのが、一人が田沼意次、そしてもう一人が徳川治済(生田斗真さん)である。徳川治済に関しては、この後に自分の子供であり家斉を11代将軍にして、自分は権勢を誇る人物であるが、ドラマの中では寺田心さん演じる松平定信(まだ田安家にいた)の兄で田安家の当主である、兄の徳川治察が死んだときも浄瑠璃で遊びながら、暗殺したのではないかというような映像になったことを思い出す人もいるのではないか。まさにそのような「陰謀家」であるというような印象で、このドラマでは書かれている。

まったくその場面は書かれていないが、徳川家基も、そしてドラマの最後に出てくる松平武元の死も、いずれも徳川治済が暗殺した印象になっているところが、なかなか興味深い。暗殺や陰謀で将軍家を狙うという、このような感じが、ドラマの基軸になっていて、それが吉原をめぐる出版界でも、また将軍系や老中の権力の座の中にあっても行われたということなのであろう。

ある意味で、「長きにわたる平和は、陰謀などを産む」というようなことになっているのかもしれない。

いずれにせよ「陰謀」がドラマを面白くしている部分は間違いがなくあるので、その陰謀を楽しみにながらドラマが進んでゆくこと、そしてその時代の移り変わりをドラマを巳ながら感じてゆけば良いのではないか。そしてその時代の波を蔦屋重三郎がうまく泳いでゆくことの痛快さを感じるのではないか。