「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 氷河期みたいな城勤めの旗本の姿に同情
毎週水曜日は大河ドラマ「べらぼう」について、好き勝手話をさせていただいている。見た感想といえば面白いのかもしれないが、まあ、私の感想でよければ、お付き合いしてもらいたい。
さて今回は、検校からの借金で旗本が家を持ち崩しているということになり、また、鱗形屋(片岡愛之助さん)も検校からの借金がもとでまた偽版を出して逮捕されることになったのである。
さて、その捜査を行ったのが長谷川平蔵(中村隼人さん)である。
今回は、「鬼平犯科帳」(池波正太郎先生著)で有名であるが、「鬼平」こと長谷川平蔵に関して見てみよう。
長谷川宣以。これで「のぶため」とよむ。延享3年(1746年)、400石の旗本である長谷川平蔵宣雄の長男として生まれる。幼名は銕三郎(てつさぶろう)。青年時代は放蕩無頼の風来坊だったようで、「本所の銕」などと呼ばれて恐れられたと記録にある。安永3年(1774年)には400石取りの旗本が幕府の役職に初めて就く場合の一般的なコースである両番(書院番・小姓組)への番入りを果たし、西丸書院番(将軍世子の居住する江戸城西ノ丸御殿に配置された書院番)の番士に任ぜられた。翌年には儀礼の場での贈答品を周旋する進物番への出役を命ぜられる。ドラマはちょうどこの時代の頃のことである。天明4年(1784年)、39歳で徒歩組の指揮官である西丸徒頭、天明6年(1786年)、41歳で番方(武官)の要職である先手弓頭に任ぜられた。天明7年(1787年)9月9日、42歳の時に宣以は老中・松平定信の人事で先手頭の中から冬期に限って兼務を命じられる火付盗賊改方の当分加役となり、翌年8年(1788年)4月に加役を免じられた後、同年10月、先手頭1名が通年で兼務する本役の火付盗賊改方加役となった。この火付盗賊改の時の話が「鬼平犯科帳」になる。
寛政元年(1789年)、松平定信に人足寄場設置を建言し認められ寄場建設運営の指揮を執り、江戸石川島に収容所を設け、無宿人、刑期を終えた浮浪人などに大工、建具、塗物などの技術を修得させ、その更生をはかった。
ある意味で、田沼意次(渡辺謙さん)時代と松平定信(寺田心さん)の時代とうまく渡った現場の人であり、庶民に愛された人であった。その「本所の銕」の時代が、この「べらぼう」で書かれているのである。
<参考記事>
大河「べらぼう」20年昇給なし…「氷河期世代みたいで切ない」「失われた20年」 江戸城勤めの武家の意外な懐事情に驚きの声
2025/3/30 イザ!編集部
https://www.iza.ne.jp/article/20250330-EKW6WPGI7FA6DPDYM3TRLE2MZA/
<以上参考記事>
さて、今回は検校の高利貸しの問題になる。この高利貸しの問題で鳥山検校(市原隼人さん)は資産没収となるがそれは来週の話になる。その前の段階として、鳥山検校の性格の横暴さが出てきていたのではないか。市原隼人さんの演技が非常に素晴らしいので、不気味なくらいの人物像になっているのではないか。その人物像とは、若いころからあまり苦労を知らず、また政府の保護によって金に不自由もしていない。そしてその幕府の力を利用して、より一層乱暴に、そして脅迫という手段を用いて高利貸しをしていた。
その悪逆な内容が、妻である瀬以(元の瀬川:小芝風花さん)に向けられたということになる。
現在の若者の中には、「自分のわがままがすべて実現しなければ、周囲に敵意を向け、そしてその責任を誰かに転嫁してしまう」というような人が少なくない。また、政府の保護を受けて、生活保護などを得ながら、高級外車を乗り回すような人々が現代でもいることが多い。まさにそのような現代の状況をなんとなく風刺しているところが面白い。高利貸しをしているという人が、脅迫を使って取り立てているなどということをしているのは、なんとなく、少し前の商業ファンドの事件などで「腎臓売れ」などという話があったことを思い出す。そのような社会的な事件が風刺されていると思うと、なかなか興味深いところがある。そして、そこに無垢な人が言ってしまうと、瀬以のような状況になってくる。
ある意味で「不自由を知らない人」が「わがまま」になるということとあまり変わらない。そしてそのような人は「独占欲」が強い。自分の好きな人が他の人と話しているのを見ると極度の嫉妬をしてしまう。まさにその嫉妬が、今回のドラマでも出てきている。またその内容は「ドメスティック・バイオレンス」というような内容の風刺にもなっていたのかもしれない。そのように見ていると、現代の社会の問題点が、様々な意味で風刺の中に入っていることが見えてくるのではないか。
さて、その現代問題という意味では、あえて「参考記事」の内容を出したのであるが、西の丸勤めの旗本の内容である。
20年昇給無し、子供のために借金をするということになれば、現代とあまり変わらない。子供の学費で借金を抱えてしまっている人は少なくないのである。そのような状態で高利貸しに金を借りて、身動きが取れなくなっている人もいるのである。そのような事件が、そのまま社会的に広がり、政府が動くということもあるのである。このドラマでも同じで、その現状を見て、田沼意次が将軍の意向を受け、検校を一斉に検査するということになる。その結果が、次回につながるということになる。
このように現代の内容をそのままドラマにしている。ある意味で社会問題に対する対処の仕方が、ここに出されているのではないか。もちろん、ドラマのようにうまくゆくとは思えないし、また、歴史が本当にそのようになっているとも思えない。しかし、その内容は、今を生きる人々の一つの方向性につながっているのかもしれない。