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「宇田川源流」【現代陰謀説】 UFO議連の提言と日本の政治


 毎週金曜日は「現代陰謀説」をお届けしている。普段は世の中にある現代の陰謀を紹介してその内容を見ているのであるが、今回は少し違う。今回の内容は「陰謀」ではなく、UFOである。もちろん「UFO」つまり「未確認飛行物体」であるから言って、それが宇宙人とは限らなない。はっきり言って「新型のドローン」や「スパイ衛星」なども含めて未確認飛行物体である。その内容をしっかりと見てゆかなければならないであろう。

 さて、私が「エンカウンターズ」に出るにあたって、その内容に関して様々な内容を様々な話をしている。そのさまざまな話の中に、当然に未確認飛行物体の話が有った。未確認飛行物体には、すべて宇宙人が関係しているのかという問いに対して、映画関係で打ち合わせていたメンバーは、「実は未確認飛行物体(UFO)の定義にはいくつかある。我々が行っているUFOは、当然に宇宙人が関係しているものということになる。しかし、世の中では『未確認』ということでか、確認されていない内容が飛ぶということになる。この中には、『幻覚』『誤認』ということも入るし、様々定義が出てくるということになるのではないか。そのように『宇宙人』という定義と『地球上の今までっ確認されていない兵器を含む』ということと二つの定義があるんだ。」というような会話をした覚えがある。最終的に「人魂や、日本の幽霊、妖怪一反木綿」なども「未確認飛行物体」であるが、「鬼、怪談牡丹灯籠の下駄の音、妖怪ぬりかべ」は「未確認飛行物体には入らない」というような定義になったのである。まあ、「未確認飛行物体」を「なんだかわからないけれども空を飛んでいる物体(またはそのように見えるもの)」というようにした場合は、こののような定義になるらしい。そこで「天使は未確認飛行物体なのか」という問いかけに対しては、相手はかなり困っていた。「天使は空を飛ぶが、しかし、天使は天使であるから、未確認ではない」ということである。しかし「異教徒からすれば、未確認飛行物体なのかもしえない。」というように言い直した。つまりこの手の幽霊や妖怪に関する未確認飛行物体の定義には、宗教などの観点から異教徒または他の文化に生きている人などによって、定義や範囲が変わってくるもののようである。

さて今回はそのUFOが出た時の日本の対応です。

<参考記事>

未確認異常現象、内閣官房に司令塔機能を UFO議連が木原官房長官に提言

5/28(木) 21:10配信 カナロコ by 神奈川新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/c675f93fbb8cb285522f51776de332651b188956

<以上参考記事>

 今回の超党派議連「安全保障から考える未確認異常現象解明議員連盟」、いわゆる「UFO議連」が内閣官房への情報集約と司令塔機能の一元化を求めた背景には、日本におけるUFO・UAP問題が、かつての「オカルト」や「怪奇現象」の領域から、安全保障や領空監視の問題へと位置づけが変化してきた経緯があります。議連は2026年5月に木原官房長官へ提言書を提出し、UAPに関する情報収集機能や政府の指揮系統を内閣官房へ集中させること、さらに目撃者が不利益を恐れず報告できる制度整備を求めました。

 日本の国会でUFOが本格的に議論され始めたのは、冷戦期から断続的に行われてきた質疑にさかのぼります。ただし当時は「宇宙人が来るか」という話ではなく、「正体不明の飛行物体が日本領空に侵入した場合、政府はどう対応するのか」という主題でした。

 特に有名なのは2007年頃の国会論戦です。当時、防衛省や政府は「UFOの存在を確認していない」という立場を取りつつも、仮に領空侵犯や安全保障上の脅威が認められれば、自衛隊法や防衛出動に関する法体系の中で対応するという説明を行いました。この時期には当時の町村信孝官房長官が「個人的にはUFOの存在を絶対否定する材料を持っていない」と発言し話題になりましたが、政府見解そのものは「確認していない」というものでした。

 その後も散発的に国会質疑は続きましたが、大きな転換点となったのはアメリカです。2020年代に入り、アメリカ国防総省や議会がUFOという呼称を避けてUAP(未確認異常現象)という名称を用い、軍事的・情報的な観点から分析を始めました。米軍パイロットの目撃証言や映像公開が続き、「宇宙人かどうか」ではなく「正体不明の飛行体が軍事施設周辺に現れていること自体が問題だ」という考え方が主流になりました。

 日本政府もこれに影響を受けています。2020年には当時の河野太郎防衛大臣が、自衛隊員が遭遇した未確認飛行物体について報告手順を整備する方針を示しました。これが日本政府として初めてUFO・UAPを組織的な報告対象として扱った象徴的な出来事でした。

 もっとも、日本の対応体制には長らく弱点がありました。仮に日本上空や原子力発電所、自衛隊基地周辺で正体不明の飛行体が確認された場合、その情報は防衛省、警察庁、海上保安庁、気象庁、航空当局、内閣官房などに分散して入る可能性があります。しかし、それらを統合的に分析する恒常的な組織は存在していませんでした。

 今回の議連提言でも、2025年に佐賀県の玄海原子力発電所周辺で目撃された「三つの光」の事案において、情報が十分に一元化されなかったことが問題視されています。議連はその経験から、情報の集約先と意思決定の責任主体を明確にする必要があると主張しています。

 この発想は、近年の日本の安全保障体制の変化とも重なっています。政府は国家安全保障会議(NSC)の強化に加え、情報分析を一元化する「国家情報会議」構想を進めています。これは各省庁が保有する情報を内閣官房へ集約し、分析能力を高めることを目的としています。UFO議連の提言は、この新しい情報体制の枠組みにUAP問題も組み込もうという考え方に近いものです。

 実際にUFOやUAPが日本へ飛来した場合の政府対応を考えると、日本はまず「宇宙人かどうか」を判断するのではありません。レーダーや衛星、航空監視システムによって飛行体を探知し、それが民間航空機なのか、自衛隊機なのか、外国軍機なのか、ドローンなのかを確認します。その上で正体不明であれば、防空識別圏への侵入状況や領空侵犯の有無を判断し、航空自衛隊の緊急発進、いわゆるスクランブルが行われる可能性があります。

 現在の日本の法体系では、未確認飛行物体であっても「正体不明の航空目標」として扱われます。つまり対応の基本は宇宙人対策ではなく、防空・警戒監視活動です。もし通信もできず、国籍も不明で、高速飛行や異常な挙動を示した場合でも、まずは安全保障上の脅威として分析されることになります。

 今回の議連の提言が興味深いのは、「宇宙人の存在を認めろ」と言っているのではなく、「正体不明の現象を笑い話として扱うな」と主張している点です。提言の中には、目撃者が嘲笑や人事上の不利益を恐れず報告できる環境づくりも盛り込まれています。これはアメリカで軍人や情報機関関係者が証言しやすくする制度整備が進んだことを意識したものと考えられます。

 結局のところ、日本のUFO論議は昭和や平成の頃の「宇宙人はいるのか」という議論から、「未知の飛行現象を国家としてどう認識し、どう分析し、どう対処するのか」という安全保障問題へと変質しています。今回の内閣官房への一元化要求も、その延長線上にあります。政府や議連が重視しているのは宇宙人の存在証明ではなく、正体不明の現象が原発、防衛施設、重要インフラ周辺で発生した際に、情報を統合し迅速に判断できる国家的なインテリジェンス体制の構築であり、そこに現在の日本のUAP政策の本質があります。

 

「宇田川源流」【日本報道検証】 クアッドにおけるエネルギー安全保障の強化を中国が批判


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

さて今回は、あまり日本では報道されることはありませんでしたが、5月26日に行われたクワッドの外相会談についてみてみましょう。

日米豪印の4カ国による共同枠組みである通称「クワッド(Quad)」は、インド太平洋地域における自由で開かれた秩序を維持し、地域の安定と繁栄を確固たるものにすることを目的に設立されました。この構想の根底には、法の支配や航行の自由、民主主義といった共通の価値観を重んじる国々が手を取り合い、特定の国による一方的な現状変更の試みや強権的な影響力の拡大に対抗しようとする意図があります。当初は災害救助などの人道支援における連携から始まりましたが、時代の変化とともに、より包括的な安全保障と経済的な繁栄を目指す枠組みへと進化を遂げました。

 この枠組みの存在意義は、単なる軍事的な同盟にとどまらず、地域の課題に対して多角的な解決策を提示する外交のプラットフォームになっている点にあります。海洋安全保障での緊密な連携はもちろんのこと、クリーンエネルギーの普及やサイバーセキュリティの強化、さらには先端技術の標準化やサプライチェーン(部品の調達から消費者に届くまでの連鎖)の安定化にいたるまで、多岐にわたる分野で協調を進めています。地理的にインド太平洋の東西南北を囲むように位置する4カ国が強固に結びつくことで、力による支配ではなく、ルールに基づく国際秩序をこの地域に定着させるための強力な牽引役として機能しています。

<参考記事>

日米豪印の「クアッド」、エネルギー安全保障で協力強化…共同声明でホルムズ通航料に「反対」明記

5/26(火) 22:45配信 読売新聞オンライン

https://news.yahoo.co.jp/articles/959d854fc5aa4fab8935cfb18e30d87f25d49194

中国、日米豪印「クアッド」に反発「徒党を組み衝突あおる行為は嫌われる」

5/28(木) 10:01配信 AFP=時事

https://news.yahoo.co.jp/articles/642ca1807bfea2ff74a32d1449ad209ae5db5f07

<以上参考記事>

 2026年5月26日にインドのニューデリーで開催された日米豪印4か国によるクアッド(Quad)外相会談は、これまでの「価値観や理念を共有する枠組み」から一歩進み、具体的なインフラ整備や経済安全保障の分野で実務的な協力を進める方向性を明確にした会談となりました。参加したのは、日本の外務大臣、インドのS・ジャイシャンカル外相、オーストラリアのペニー・ウォン外相、そしてアメリカのマルコ・ルビオ国務長官です。

 今回の会談で最も注目されたのは、太平洋島嶼国フィジーにおける港湾整備協力です。クアッドはこれまで海洋安全保障や自由で開かれたインド太平洋構想を掲げてきましたが、共同で具体的なインフラ事業を実施することは初めてであり、港湾能力が不足する太平洋地域への支援を通じて地域の物流や経済発展を後押しすることになりました。これは単なる経済協力ではなく、中国が近年太平洋島嶼国への影響力を強めていることを念頭に置いた戦略的な意味合いも持っています。

 また、重要鉱物(クリティカル・ミネラル)に関する枠組みの創設も大きな成果でした。半導体、EV、人工知能関連機器、防衛産業などに不可欠なレアアースやリチウム、コバルトなどの供給網を強化するため、採掘から精製、リサイクルまで協力する方針が確認されました。現在、これらの資源では中国への依存度が高いため、クアッド各国は供給網を多角化し、経済的な圧力や輸出規制への耐性を高めようとしています。さらに会談に合わせてインドとアメリカの間でも重要鉱物供給に関する二国間協定が締結されました。

 海洋安全保障の分野では、新たな海洋監視協力が打ち出されました。各国の監視システムや情報共有能力を連携させ、インド太平洋の海域状況をより正確に把握する体制を構築することが確認されています。特に近年問題となっているAIS(船舶自動識別装置)を切ったまま活動する「ダークシップ」や、違法操業、密輸活動への対応強化が意識されています。クアッド側は軍事同盟化を否定していますが、実質的には海洋監視能力の向上によって地域の抑止力を高める狙いがあるとみられています。

 エネルギー安全保障も重要議題でした。中東情勢の緊迫化やホルムズ海峡をめぐる不安定化を受け、石油・天然ガス・燃料供給網の安定化について協力を進めることで一致しました。年内にはアメリカ主催で燃料安全保障に関するフォーラムも開催される予定であり、インド太平洋地域全体のエネルギー供給の安定確保を目指しています。

 政治・安全保障面では、「自由で開かれたインド太平洋」の維持を改めて確認し、法の支配、航行の自由、主権と領土保全の尊重という原則を再確認しました。共同声明では東シナ海・南シナ海情勢への懸念も示されており、力による現状変更や威圧的行動への反対姿勢が表明されています。名指しは避けながらも、中国の海洋進出や軍事活動を強く意識した内容になっています。

 興味深い点は、今回の会談が単なる安全保障会議ではなく、「港湾」「エネルギー」「重要鉱物」「サプライチェーン」「海洋監視」といった経済安全保障分野へ大きく重心を移したことです。従来のクアッドは「対中国包囲網」として語られることが多かったのですが、今回の会談ではむしろインド太平洋地域に具体的な利益を提供する枠組みとしての性格を強めています。中国側はこれに対して「排他的なブロック形成」への反対を表明しましたが、クアッド側は地域の平和と安定のための協力であることを強調しました。

 総じて今回の2026年5月のクアッド外相会談は、軍事同盟の形成ではなく、インフラ整備、重要資源確保、海洋監視、エネルギー安全保障という分野で「中国依存を減らしながらインド太平洋地域の秩序を維持するための実務協力体制」を具体化した会談だったと言えるでしょう。特にフィジー港湾計画と重要鉱物枠組みは、今後のクアッドが単なる外交対話から実際に地域へ影響を与える行動主体へ変化していることを示す象徴的な決定だったと考えられます。

 中国がクアッドに対して「排他的なブロック形成だ」と反発することは、近年繰り返し見られる中国外交の典型的な主張の一つです。しかし、その主張がどこまで妥当なのかを考える際には、まずクアッドという枠組みそのものの性格を見なければなりません。

 クアッドは日本、アメリカ、オーストラリア、インドによる協力枠組みですが、北大西洋条約機構(NATO)のような集団防衛条約ではありません。加盟国に相互防衛義務は存在せず、統合司令部もありません。共同声明でも、自由な航行、法の支配、災害対策、インフラ整備、サプライチェーン強化などが中心であり、特定の国を排除する制度にはなっていません。実際、今回の外相会談でも港湾整備や重要鉱物供給網の構築など、地域の公共財を提供することが主要議題となりました。

 中国が主張する「排他的ブロック」という言葉は、本来であれば特定の国家を経済的・政治的に締め出すための閉鎖的な同盟や経済圏を指します。しかしクアッドは加盟国以外の国との協力を排除しておらず、東南アジア諸国や太平洋島嶼国との連携も積極的に進めています。その意味では、中国の批判はクアッドの制度的な実態よりも、その戦略的な影響力を問題視した政治的な表現と見る方が実態に近いでしょう。

 もっとも、中国がそうした表現を使わざるを得ない背景も理解する必要があります。

 中国は改革開放以降、世界経済への統合によって発展してきました。ところが近年は、米中対立の激化、半導体規制、重要鉱物の供給網再編、安全保障と経済を一体化した経済安全保障政策の拡大によって、従来のような国際環境が変化しています。

 特にクアッドが重要鉱物供給網の多角化を進めることは、中国にとって決して小さな問題ではありません。現在、中国はレアアース精製や重要鉱物加工において大きな優位性を持っています。各国が供給源を分散し、中国依存を下げる方向に進めば、中国が持つ経済的な影響力の一部は弱まることになります。

 また、フィジーなど太平洋島嶼国への共同インフラ支援も、中国から見れば警戒対象です。中国は近年、太平洋島嶼国に対して港湾整備や融資を通じて影響力を拡大してきました。しかしクアッドが代替的な支援を提供できるようになれば、地域諸国は中国だけに依存しなくて済むようになります。これは各国に選択肢を増やすことになりますが、中国にとっては相対的な影響力低下を意味します。

 さらに海洋監視協力の強化も、中国が敏感になる理由の一つです。南シナ海や東シナ海では、中国海警局や漁船団、海上民兵などの活動が国際的な注目を集めています。クアッド諸国が監視能力を高め、情報共有を進めれば、これまで把握しにくかった海上活動も可視化されやすくなります。中国としては、自国の行動空間が狭まる可能性を意識せざるを得ません。

 したがって、中国が「排他的ブロック形成」と批判するのは、クアッドが本当に閉鎖的な同盟だからというよりも、自国の外交的・経済的・戦略的な影響力が制約されることへの警戒感を表現している面が強いと言えます。

 一方で、中国自身も過去には、上海協力機構 や BRICS などの多国間枠組みを積極的に構築してきました。また、巨大経済圏構想である 一帯一路 を推進し、自国中心の経済ネットワーク形成を進めてきた経緯があります。そのため、中国が他国の連携を「ブロック化」と批判する一方で、自らも国際的な枠組み形成を進めていることから、各国の外交関係者や研究者の中には「中国の批判は一貫性を欠く」と見る向きもあります。

 国際政治の観点から見ると、中国の発言はクアッドの法的性格に対する批判というより、「自国に不利な地域秩序が形成されることを防ぐための外交メッセージ」と理解する方が適切でしょう。中国としては、クアッドを「地域の公共財を提供する協力体制」ではなく、「中国を封じ込める枠組み」と位置付けることで、東南アジア諸国やグローバルサウス諸国の警戒感を喚起したいという意図もあると考えられます。

 つまり、中国の「排他的なブロック形成」という批判は、クアッドの制度設計そのものを正確に表現したものというよりも、中国が直面している戦略環境の変化に対する危機感と、自国の影響力低下を防ぎたいという外交的必要性から発せられている側面が大きいと見ることができるでしょう。

「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 因果応報とドラマにおける親子共演


 毎週水曜日はNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」について、視聴者の感想として好き勝手なことを書貸せてもらっています。基本的にまったくの他人事として、好き勝手に論評することの本当に面白いことと言ったらないのではないでしょうか。このような文章でも政策の本人が読めば様々なことを思うのであろうな、言いたいことがあるのだろうなと思いながら、好きなことを書かせていただいております。

さて今回は、秀吉が播磨平定を行っているところ、今回の主人公の小一郎が竹田城を攻めたということです。ちなみに竹田城といえば、数年前に携帯電話のコマーシャルで「日本のマチュピチュ」として人気が高まった山城です。とりあえず、その小一郎の活躍を見てみましょう。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で描かれる羽柴小一郎秀長の播磨・但馬攻めは、兄である秀吉の影に隠れがちだった彼の卓越した軍事・内政手腕が初めて天下に示される重要なターニングポイントです。この戦いは、織田信長の命を受けた羽柴軍が中国地方の毛利氏を攻略するための足がかりとして展開されました。

 播磨戦線において秀長は、兄の右腕として縦横無尽に活躍します。播磨国は多くの国人領主が割拠し、織田方に味方するか毛利方に付くかで激しく揺れ動く極めて不安定な地域でした。秀吉が三木城の別所長治の反乱、通称「三木合戦」の対応に追われる中、秀長は前線での実戦指揮だけでなく、敵の兵糧攻めを支えるための補給路の確保や、親織田派の国人たちとの緊密な交渉を任されました。秀長は持ち前の誠実さと粘り強さで地元の有力者たちを懐柔し、泥沼化した播磨戦線を後方と前線の両面から支え続けました。

 播磨の平定と並行して、秀長が独自の総大将としてその真価を発揮したのが但馬攻めです。秀吉の代理として但馬国へ侵攻した秀長は、毛利方の拠点であった竹田城や此隅山城を次々と攻略していきました。ここでの秀長の戦い方は、単に武力で敵を圧倒するだけのものではありませんでした。彼は城を落とした後、すぐに現地の鉱山経営を掌握し、生野銀山などの富を生み出す拠点を織田方の管理下に置くことで、軍事侵攻をそのまま経済的な支配へと直結させる鮮やかな手腕を見せました。また、降伏した現地の武士たちを過度に処刑することなく味方に引き入れることで、占領地の早期安定化に成功しています。

 このように、ドラマにおける播磨・但馬攻めは、秀長が単なる「秀吉の弟」という立場から脱却し、一国を任せるに足る名将へと成長していく姿を象徴しています。兄の天才的なひらめきを現実の戦略として落とし込み、過酷な二正面作戦を成功へと導いた秀長の調停能力と確実な軍事行動こそが、後の豊臣政権の強固な基盤を作ったと言えます。

<参考記事>

【大河ドラマ 豊臣兄弟!】第21回「風雲!竹田城」回想 小一郎が攻略した「天空の城」は対毛利の最前線 歴代の権力者を支えた生野銀山

2026年5月31日 美術展ナビ

https://artexhibition.jp/topics/news/20260531-AEJ2915722/

<以上参考記事>

 今回のテーマは何でしょうか。今回は「信頼」というか「因果応報」ということがテーマなのではないでしょうか。これはネタバレになるかもしれませんが、一つには、別所長治(下川恭平さん)との関係が、羽柴秀吉(池松壮亮さん)の態度によってうまくゆかなくなって行きます。一方羽柴小一郎(仲野太賀さん)が「血を一滴も流さない」として臨んだ竹田城攻めに関しては、多くの兵が攻略後に配下に入るということになります。

ある意味で、織田信長(小栗旬さん)の苛烈な攻略のやり方をまねてしまう秀吉と、直(白石聖さん)との約束を守りなるべく人を殺さないようにっしていた小一郎との違いがここに出てくるということになるのではないでしょうか。

一方、信頼も継続します。今まで軍師として全幅の信頼を置いていた竹中半兵衛(菅田将暉さん)と、もう一人今後の秀吉の軍師となる黒田官兵衛(倉悠貴さん)という二人の軍師が信頼を継続するということになります。そのような意味では二つの内容になります。この黒田官兵衛が後に秀吉に天下を取らせることになるのですから、非常に面白いでしょう。

さて、そして最後の因果応報は、今回の最後の場面「上月城」の攻略になります。竹田城は、水の手を切り、そのうえで水を飲ませて城内の兵を助ける代わりに幸福を進めるということにしたのです。しかし、上月城では中の兵や妻子も全て殺してしまっているということになります。そのことから上月城は、今後尼子勝久(渡邉蒼さん)や山中鹿之助幸盛(廣瀬友祐さん)が籠っていても後に大きな問題になってきます。単純に、秀吉の因果応報を尼子氏が受けてしまうということになるのです。

さて、この後に別所長治や、荒木村重(トータス松本さん)の謀反などがあり、そして有名な高松城の水攻め、その最中に本能寺の変ということになってゆきます。しかし、それらにはほとんどが「因果応報」があってその結果が出てくるということになります。それと同時に、今回の件で藤吉郎と小一郎の間にも心の隙間が出てきたのではないでしょうか。同時に、後に秀吉が、秀長の死後、甥の秀次の一族を全て殺してしまうなどの残虐性の伏線になっているのかもしれません。もちろん今回、その場面までドラマが続くのか、秀長がなくなるところで終わるのかはわかりませんが、ある意味で秀吉が残虐性があるということを、このようなところでだしたのでしょう。同時に、秀長がいなくなってから秀吉が変わってしまうということになるのではないでしょうか。

さて、今回のドラマの内容とは関係ないのですが、竹田城の城主太田垣輝延の役をやったのは、主役の小一郎役の仲野太賀さんの父である中野英雄さんでした。ドラマなので可能なのですが、大河ドラマで「実の親子の共演」ということになっています。今回の参考記事以外の記事では、中野英雄さんが非常に喜んでいたというようあ記事がたくさん出てきています。ドラマの中とは全く関係がないのかもしれませんが、数回前の奥田英二さんとナレーションの安藤サクラさんも親子共演です。今回は同じ画面の中に親子が一緒にあるということになります。

今回は小一郎が太田垣を殴りつけるという場面、そこで「血を一滴も流さない」を殴って鼻血を出してしまって、守れなかったという「オチ」をつける、ドラマとしては重要な役回りをしています。今回は演技やストーリーよりも、この親子共演の方が話題性があったのは、なかなか面白い感じです。

「宇田川源流」【日本報道検証】 イスラエルのレバノン作戦拡大は中国の弱体化を示す


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

 さて今回は、アメリカとイランが停戦合意の交渉がもうじきできるというような報道がある中で、イスラエルによるレバノン攻撃が拡大しており、レバノンの首都にまで攻撃が及んでいるということについて、その内容と「意味」を見てみましょう。

内容は、今までとあまり変わりがないという感じがします。そもそもアメリカのイラン攻撃は、一説にはイスラエルに引きずられたというような話もあり、その話に尾ひれがついて、「エプスタインの児童買春の件でアメリカはイスラエルに逆らえない」などというような話も出てきているようです。もちろんその信ぴょう性については我々にはわからないことですが、少なくとも、今アメリカは和平に動いているのに対して、イスラエルは戦線を拡大しているというように、その方向性はまったく正反対の方向に向かっているということではないでしょうか。

さて、アメリカと流れが違うというだけではなく、5月14日にイスラエルは独自の作戦を行っているということにないます。一方、その様にイスラエルがヒズボラやハマスに攻撃を拡大しているのは、間違いなくイランからの支援がなくなっているということがあげられると思います。これは、イランがアメリカとの戦争で弱体化したというだけではなく、中国・ロシア・イラン・北朝鮮というような反米反欧州の連合体のハマスやヒズボラの支援が少なくなってきていることを示しているのではないかと考えます。

その内容はどのように見るべきなのでしょうか。イスラエルの快進撃に関して、その「敵対する勢力」に関して考えてみましょう。

<参考記事>

イスラエル軍、レバノン南部の地上作戦拡大 「停戦ライン」越え進軍

5/27(水) 1:07配信 ロイター

https://news.yahoo.co.jp/articles/714a3a418448ea385ed70367742b9d5086b82300

<以上参考記事>

 現在起きている中東情勢を見ると、アメリカとイスラエルの間に「戦略目的の差」が出始めていることは確かです。特に、アメリカがホルムズ海峡の安定化とイランとの限定的妥協を優先し始めている一方で、イスラエルは依然としてハマスやヒズボラを「存在そのものが脅威」と見なして軍事圧力を継続している点は重要です。

 5月14日の米中首脳会談では、ホルムズ海峡の自由航行維持と「イランの核武装阻止」が主要議題として扱われ、中国側も海峡の非軍事化と開放に強い関心を示しました。中国は中東原油への依存度が高いため、エネルギー動脈であるホルムズ海峡の安定は国家経済に直結しています。

 その結果として、中国はこれまでのように「反米陣営としてのイラン全面支持」ではなく、「エネルギー供給維持を最優先にした現実主義」に傾き始めています。実際、アメリカ側高官は、中国がイランへの軍事支援を抑制する方向で動くとの認識を示しています。

 これは非常に大きな変化です。

 なぜなら、中国はこれまでイランを「アメリカの中東支配を削るための戦略的パートナー」として利用してきました。しかし現在の中国経済は、不動産危機、輸出停滞、若年失業、地方財政悪化などを抱え、以前ほど地政学的冒険を行う余力がありません。中東で大規模戦争が続き、原油価格が高騰すれば、中国自身の経済が大打撃を受けます。そのため、中国は「反米共闘」より「海峡安定」を優先せざるを得なくなっているのです。

 これはイランにとっては極めて苦しい状況です。

 イランの最大の強みは、単独軍事力そのものよりも、「代理勢力ネットワーク」を通じて地域全体を不安定化できることでした。レバノンのヒズボラ、ガザのハマス、イラクやシリアのシーア派民兵、イエメンのフーシ派などを用い、「直接戦争ではなく多正面圧力」を行うことがイラン革命防衛隊の基本戦略でした。

 しかし、そのネットワーク維持には資金、武器輸送、情報支援、外交的後ろ盾が必要です。ところが現在、中国はエネルギー安定を優先し、ロシアはウクライナ戦争の長期化で余力を失い、さらにイラン自身も経済制裁と戦争消耗で疲弊しています。加えて、アメリカによる海上封鎖や制裁強化も続いています。

 その結果、ヒズボラやハマスへの継続的支援能力が低下している可能性は高いと言えます。

 イスラエルがレバノンやガザへの攻撃を拡大している背景には、「今なら相手の補給能力が弱っている」という判断があるでしょう。つまりイスラエルは、単に報復しているのではなく、「イラン包囲網の隙」を見ている可能性があります。

 特にヒズボラは、以前であればイスラエル北部に対して大規模飽和攻撃を継続できると考えられていました。しかし現在は、イラン側が長期支援を継続できるのか不透明になっています。中国が慎重化し、ロシアも中東への投入余力を減らしているなら、イスラエルにとっては「今のうちに削る」という戦略的誘惑が生まれます。

 ただし、ここで重要なのは、「中国・ロシア・イランが完全に衰退した」というより、「三国の連携に構造的限界が露呈した」と見る方が正確だということです。

 この三国は、しばしば“反米陣営”として一括りに語られますが、実際には目的が一致していません。

 中国は経済と海上物流が最優先であり、長期戦争を嫌います。ロシアは欧州正面が最重要で、中東は副戦域です。イランは革命輸出と地域覇権が最優先です。つまり、共通の敵としてアメリカを見てはいても、「何を守るか」がそれぞれ異なります。

 そのため、圧力が強まると足並みが崩れやすいのです。

 今回のホルムズ海峡問題では、中国は「イラン支持」より「海峡開放」に回りました。これはイランにとって心理的にも戦略的にも大きな痛手です。

 また、ロシアもウクライナ戦争によって弾薬、生産力、外交余力を大量消耗しています。かつてのようにシリアへ大規模介入し、中東秩序全体を左右するほどの余裕はありません。結果として、イスラエルに対する抑止力が弱くなっています。

 現在の中東情勢は、「アメリカ一極支配への挑戦」が限界にぶつかり始めている局面とも言えます。特に中国は、地政学的対立より経済安定を優先せざるを得なくなり、ロシアは戦争疲弊、イランは代理戦争ネットワーク維持能力の低下という問題を抱えています。

 そしてイスラエルは、その“力の空白”を非常に敏感に察知している可能性があります。

「宇田川源流」【日本万歳!】 【訃報】コンビニエンスストアという日本の文化を作った鈴木敏文氏


 さて、「万歳!」としながら訃報をお届けするのは、かなりの不謹慎であると思うが、「万歳!」はコーナー名(連載名)であるので、外せないのでお許し願いたい。

 以前にも和泉雅子さん大山のぶ代さんの逝去の時には、その訃報をこのコーナーでお届けしたが、その人の功績が日本を大きく発展させたとか、日本の文化に寄与したというようなことの場合には、やはり訃報であっても扱ってゆきたいと思うのである。今までこのコーナーでは大山のぶ代さん、渡辺恒雄さん、そして長嶋茂雄さんと多くの皆さんが知っている人ではなかったかと思う。今回は、元セブン&アイホールディングスの名誉顧問であった鈴木敏文氏である。

鈴木敏文氏に関しては、小売業などに詳しい人は皆知っていると思うが、しかし、経営者であまり有名な人ではない。もちろん経営者だからあまり知られていないというものではない。経営者であっても、例えばソフトバンクの孫正義氏や、故人でいえば松下電器の松下幸之助氏、本田技研工業の本田宗一郎氏、小売業でいえば楽天の三木谷浩史氏など、有名な人は少なくない。しかし、鈴木敏文氏はあまりメディアなどに出ることはなく、それでありながら関係者の間では尊敬を集め、また、先進的な経営及び企業改革を成し遂げ、そのうえで、コンビニエンスストアという、現在では我々日本人だけではなく、韓国や台湾、シンガポールなどにおいて生活になくてはならない「文化を作った人物」ということができるのではないだろうか。

ちなみに、私からすれば中央大学の大先輩であり、また、何度か中央大学の駅伝を強くする会等、大学関係の会合でご一緒させていただいたことがある。もちろん、私のマイカル時代は、ライバル企業としてまた、大学の先輩として何回かお話をさせていただいたことがあるのだが、残念ながら私のような「ガサツな性格」はあまりお好みではなかったようで、大学の関係の方がざっくばらんにお話しいただけたような気がする。

さて、その鈴木敏文氏がお亡くなりになられた。まずはご冥福をお祈りするとともに、個人的には生前の失礼をお詫びするとともに、様々なご指導をいただいたことを深くお礼申し上げたい。

<参考記事>

セブン&アイ名誉顧問の鈴木敏文氏が死去、93歳…日本のコンビニ業態発展に大きく貢献

2026年5月25日 10時39分 読売新聞オンライン

> https://news.livedoor.com/article/detail/31363251/

<以上参考記事>

 鈴木敏文の功績は、単に一企業を成長させたというレベルを超えています。彼が作ったものは「コンビニエンスストア」という新しい生活文化そのものであり、さらに日本の小売業の構造そのものを変えてしまったと言ってよい存在でした。

 高度経済成長期の日本では、大型スーパーこそが時代の主役でした。広い売り場に大量の商品を並べ、多く売ることが合理的と考えられていた時代です。その中で鈴木氏は、むしろ「小さい店」に未来を見ました。アメリカのセブン-イレブンに着目し、日本の都市構造や生活様式に合わせて再構築し、日本型コンビニを誕生させました。1974年、東京都江東区豊洲に第1号店を開いた時、多くの流通関係者は「小型店は大型店に勝てない」と考えていました。しかし鈴木氏は、「人は必ずしも大量の商品を求めているのではなく、必要な時に必要なものをすぐ手に入れたいのだ」と考えていたのです。

 これは単なる店舗形態の違いではありませんでした。日本人の生活時間を変えたのです。24時間営業、年中無休、住宅地の近く、駅前、郊外ロードサイドなど、生活導線の中に店を埋め込むことで、コンビニは「買い物のために行く場所」ではなく、「生活そのものの一部」になっていきました。

 特に重要なのは、鈴木氏が「便利さ」を単なる営業時間の長さで終わらせなかったことです。おにぎり、弁当、総菜、ATM、公共料金支払い、宅配便、チケット発券など、本来は別々の場所に行かなければならなかった機能を一つの店舗に集約しました。つまりコンビニとは、小売店であると同時に、社会インフラでもあったのです。日本社会では、深夜でも明るく開いている店舗が「安心感」の象徴になりましたし、災害時には地域インフラとしても機能するようになりました。

 また、鈴木氏の真の革新性は、POSシステムと単品管理にありました。現在では当たり前になっていますが、当時の小売業は「何が売れたか」を正確に把握していないことが多かったのです。経験や勘、あるいは過去の慣習で商品を並べていました。

 しかし鈴木氏は、「売れた結果」ではなく、「なぜ売れたのか」を徹底的に分析しようとしました。POSレジによって、いつ、どこで、誰に、何が、どの天候で売れたのかを細かく収集し、その情報を商品開発や発注に反映させたのです。これは単なる機械化ではありませんでした。「勘と経験の商売」を「情報と仮説の商売」に変えた革命でした。

 さらに重要なのは、単品管理という思想です。それまでの小売業は「カテゴリー」で商品を見る傾向が強かったのですが、鈴木氏は「一つ一つの商品」を徹底的に見ました。例えば同じおにぎりでも、地域、曜日、時間帯、気温によって売れ筋が変わる。その変化をリアルタイムで読み取り、店ごとに最適化する。つまり全国チェーンでありながら、実際には地域密着型でもあったのです。

 これは現在のビッグデータ経営の原型とも言えます。今ではスーパー、ドラッグストア、百貨店、ECサイトまで、すべてがPOSデータ分析を行っていますが、その原点を日本で本格的に築いた人物の一人が鈴木敏文氏でした。現代の「データ駆動型経営」は、コンビニの現場から始まったと言っても過言ではありません。

 また、鈴木氏の特徴は「常識を疑う」ことにありました。例えば「おにぎりは家庭で作るもの」という時代に、コンビニで販売することを推進しました。当初は反対も強かったと言われます。しかし共働き世帯の増加や都市生活の変化を読み取り、「家庭の中の機能」が外部化される未来を見ていたのです。結果として、おにぎりはコンビニの象徴的商品となりました。

 彼の経営思想には、「お客様のために」ではなく「お客様の立場で考える」という有名な言葉があります。これは単なるサービス精神ではなく、「消費者本人すら気づいていない不便」を先回りして解決するという発想でした。だからこそコンビニは、時代の変化に合わせて次々と機能を増やしていったのです。

 現在、日本のコンビニは世界でも特殊な存在です。海外では「雑貨店」や「ガソリンスタンド併設店」に近いものも多いですが、日本のコンビニは食、金融、物流、行政サービスまで担っています。この「日本型コンビニ文化」を作り上げた中心人物が鈴木敏文氏でした。

 彼が亡くなったことで、一つの時代が終わったとも言えます。しかし実際には、私たちの日常の中に彼の思想は今も生き続けています。深夜に明るい店があり、ATMがあり、弁当があり、荷物を受け取り、公共料金を払い、必要なものがすぐ手に入る。その「当たり前」を作ったことこそ、鈴木敏文氏の最大の功績だったのです。

【有料メルマガのご案内】20260601  有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」

2026年21号 設立法案ができた国家情報会議とは何か


 皆さんおはようございます。 メールマガジン「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」主催の宇田川敬介です。

 このメールマガジンは、いつも目にするニュースなどとは少し違う観点から様々な内容を見てみたいと思います。

様々な今の話題や世界情勢を、なるべくわかりやすく、あまりニュースでは見ることのできない内容を見ながらその内容を見てゆきたいと思います。

さて今回は、国家情報会議について、その内容を見てみたいと思います。

★ 国家情報会議設置法案

 今回成立した「国家情報会議設置法」は、日本の安全保障・情報体制を戦後最大級に再編する法律として位置づけられています。

従来の日本は、情報収集機関が各省庁ごとに分散しており、アメリカのような強力な中央情報機関や統合的インテリジェンス機構を持たない国だと言われてきました。

そのため、外交・軍事・経済安全保障・サイバー・外国勢力による影響工作などの情報を、政府全体として統合分析する能力が弱いという指摘が長年ありました。・・・・・

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この続きは明日発行される有料メルマガに書いています。

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この文章は明日の先出です!!

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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 性交を教えなに日本の性教育で何が学べるのか?


 今週も土曜日のエロの日が来た。ちなみに今週はなんとなく忙しくあまり時間がない中でこの話を書いているのであるが、その中でも、やはりこの文章を書くということになると、なんとなく元気になってくる。。もちろん私自身がエロの話を好き名のもあるが、過去に何dも書いているように、実際にエロ、つまり本能に根差した部分はどうしても人間が必要なことでありまた欲望が出てしまうことなのである。ある意味で、食欲や睡眠などと同じように欲望のママに出てくることになり、そこは本性が出てしまう。また、その得論移管することだけではなく、そこにまつわる嫉妬などの感情も非常に興味深い。あるいみで人間の本性の見本市のようなところであり、その部分が非常に面白いのである。

さて、そのようなことばかり言っていないでまずは今週あった話を見てみよう。

今週のニュースの中で注目されるのは、やはり巨人の阿部前監督の逮捕の話であろうか。ある意味で、児童相談所は「マニュアル通り」にやったのであろうし、また警察も「マニュアル通り」にやったのであろう。しかし、国民の目はどうであろうか。

今回の件で、「児童相談所に連絡してしまうと、本人の確認も取らずに、警察沙汰になってしまう」ということを深く信用づけてしまったのではないか。また、警察もあくまでも現行犯逮捕という事であったが、しかし、その時に事情は聞いたのか。そのようなことが重要なのではないか。そもそも、このような児童相談所や警察の対応や、またはマスコミの対応で、家庭が崩壊してしまうのではないかということが心配なのである。

本来課程の事なのであるから、家庭裁判所のように、通常はマスメディアには非公開にすべきであるしまた、興味本位の話は控えるべきではなかったか。もちろん、世の中には家庭が崩壊している例は少なくないのであるが、一方で、普通の家庭に対して、「崩壊した家庭を前提にしたマニュアルを突きつけてよいのか」ということも大きな門だで派内かというような気がする。何か別な対応の方法があったのではないか。そんな気がしてならない。

さて、今日のエロの話も、「普通の家庭」を前提にしたものであることは言うまでもない。もちろん「普通の」というのは何を指して「普通」なのかは様々な定義があるのかもしれないが、しかし、ある意味で、「いきなり警察を呼ばれても不思議のない家庭」ではないことは間違いがないのではないか。

<参考記事>

「子供たちに必要な性の学びが制限されている」”性交”教えない日本の性教育 世界と何が違うのか 変化を求める大人たちの声を聞く

5/15(金) 20:00配信RKB毎日放送

https://news.yahoo.co.jp/articles/c9e5ac8cdc40718694bfd2ea7f92a1f6b04d27be

<以上参考記事>

 普通の家庭であれば、性教育などはしっかりと行わなければならないのですが、一方で性教育が非常に難しいということもあります。

この記事が扱っている問題の背景には、日本の性教育が長年「生殖の説明」と「性行動の抑制」の間で揺れ続けてきた歴史があります。特に日本では、「性教育をすると子どもが性的に早熟になるのではないか」という不安が根強く、教育現場が非常に慎重になってきました。そのため、海外では一般的に教えられている性交、避妊、同意、性的多様性、人間関係といった内容が、日本では十分に扱われないことが多いのです。

 戦後の日本では、かつては性教育そのものが比較的進歩的に行われていた時期もありました。高度経済成長期には人口問題や母体保護の観点から、避妊教育もある程度行われていました。しかし1990年代後半から2000年代にかけて、「過激な性教育批判」が政治問題化します。特に東京都の七生養護学校事件は象徴的でした。教材や授業内容が「行き過ぎ」と批判され、行政介入や教員処分にまで発展したことで、全国の教育現場に強い萎縮効果を与えました。ここから日本の学校現場では、「問題にならない範囲だけ教える」という空気が強くなっていきます。

 さらに日本の学習指導要領には、いわゆる「はどめ規定」が存在します。中学校では妊娠の経過は教えるが「受精に至る過程」は扱わないという考え方です。つまり性交そのものを直接説明しない傾向が制度として残っているのです。これは海外から見るとかなり特殊です。

 一方、欧州、とくに北欧諸国やオランダなどでは、性教育は単なる「性行為の知識」ではなく、「人間関係教育」「自己決定教育」「尊厳教育」として位置づけられています。たとえばオランダでは幼少期から、「嫌なことは嫌と言ってよい」「他人の身体には勝手に触れない」「自分の感情を言葉にする」といった教育が始まります。思春期になると避妊、性感染症、同意、恋愛関係、性的暴力の回避などを現実的に教えます。その結果、若年妊娠率や人工妊娠中絶率が低いことで知られています。

 つまり海外では、「知らないほうが危険」という発想が強いのです。対して日本は長く、「教えないほうが慎重」という発想が優勢でした。

 また日本社会には、性を「公に語りにくいもの」とする文化的背景もあります。日本は表面的には性表現が多い社会ですが、それと教育としての性の議論は別問題です。娯楽や消費の中では性が氾濫していても、家庭や学校で真面目に語る文化が弱い。親世代自身が体系的な性教育を受けていないため、家庭でも話題にしづらい。この構造が繰り返されています。

 さらに日本特有なのは、「純潔教育」と「自己責任論」が混ざりやすいことです。性被害や妊娠について、「なぜそうなったのか」と個人側に責任を求める空気がまだ残っています。そのため教育も、「危険だからやめましょう」という抑制型になりやすい。しかし現代はSNS、動画サイト、ポルノ、AI生成画像などを通じて、子どもたちは学校外から大量の性情報を得ています。もし学校が教えなければ、断片的で歪んだ情報だけが先に入ってしまう危険があるのです。

 本来の性教育は、「性交を教えるか否か」という単純な話ではありません。むしろ重要なのは、「人間の尊厳」「他者との関係」「自分の身体を守る力」をどう育てるかです。

 たとえば本来の性教育には、身体の発達や妊娠の仕組みだけでなく、同意とは何か、断る権利、境界線、デートDV、SNS上の性被害、性的搾取、AV出演強要、性暴力、ジェンダー、さらには「好きにならなくてもよい」「恋愛しなくてもよい」といった価値観まで含まれます。つまり「生き方の教育」に近いものです。

 特に現代日本では、少子化対策とも実は深く関係しています。恋愛や結婚、妊娠出産を「怖いもの」「失敗が許されないもの」としてしか学べない社会では、若者は対人関係そのものを避けやすくなります。性教育とは単なるリスク管理ではなく、人間関係を築く力や安心感を育てる側面も本来は持っているのです。

 もちろん、海外型をそのまま輸入すればよいわけでもありません。文化や宗教観、家庭観の違いがあります。日本では保護者の価値観の幅も大きく、急激な変更には反発も起きます。また「学校がどこまで介入するのか」という問題もあります。そのため必要なのは、単なるイデオロギー対立ではなく、「子どもを現実から守るには何が必要か」という視点でしょう。

 現在の日本では、性教育を巡って「教えすぎだ」という声と、「現実に追いついていない」という声が同時に存在しています。しかし少なくとも、インターネット以前の「知らなければ防げる」という時代ではなくなっています。だからこそ今後は、単なる禁止や曖昧化ではなく、「正確な知識を、年齢に応じて、尊厳と責任を含めて教える」という方向が求められているのだと思われます。

「宇田川源流」【現代陰謀説】 日韓首脳会談の雑談で「幽霊」の話


 毎週金曜日は「現代陰謀説」をお届けしている。この金曜日の連載は、普段は「ニュースの読み方によって全く違う側面を見せる世界情勢」を見ることができるということから、その中に潜む陰謀を皆さんに紹介しようという話をしている。もちろんその中には「陰謀」などとは関係ないことが書かれているし「陰謀である」などという記事は存在しない。しかし、その中には、完全に陰謀というような内容が見て取れるものがあり、それがそのまま何のチェックもなく報道されているのは、なかなか奇異なものに見えるのである。

 しかし、もう一つのこの連載の内容が有る。それは、「陰謀」でもなんでもなく「何か不可思議なもの」とか「人知を超えたもの」をここで紹介するということである。こちらは「陰謀である」とか「何かわからない」ということを報じているのであるが、しかし、同時に「不思議であるがゆえに、何かみんなで検証しましょう」というようなものであり、同時に、その内容が「フェイク」であるかあるいは「本物の不可思議なものであるか」ということをニュースとして検討し、そしてそれを政府がメンツをかけて解明してゆくというようなものである。

 さて、今回は日本人の文化性として「夏はなぜ怪談を話すのか」という事を見てみたい。実際に、夏になると、昔はテレビで「あなたの知らない世界」とか「幽霊・心霊」の特集などが様々に行われていたのを、私も楽しみに見ていた。稲川淳二氏の怪談噺の会も、その様に考えれば夏ばかりである。

 しかし、そもそも「日本以外」では夏に怪談話があるというようなことは存在しないし、また、日本の国内であっても、冬に出る「雪女」のような幽霊も存在する。実際に、幽霊に冬休みなどがあるはずはないし、そもそもお盆だけではなく、お彼岸など霊界と人間界が近づくというような場所は少なくないのである。その様に考えれば、「なぜ夏だけ怪談話がはやるのか」ということは、日本人特有の文化性として興味深いところである。当然にその文化性は、陰謀に使えるということになるのではないか。

<参考記事>

「私が住んでいる総理公邸には......」 高市首相、韓国大統領と「幽霊トーク」はずむ

2026年5月21日 13時0分 J-CASTニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/31333652/

<以上参考記事>

 さて、そろそろ暑くなってきたのでちょうど「幽霊」の話は良いのではないかという感じなのですが、そのような環境の中で、日韓首脳会談が発生したのですが、まさかその中で幽霊話が行われたとは思いませんでした。

参考記事の中から見ていると、李在明氏は「韓国ではちょうど今この季節が、山の景色も綺麗で最高なんです」と紹介。すると、美しい山々に囲まれた辺りを指し、「こういうところに、幽霊が出るんです」と明かした。それに応えて高市首相は「日本の首相官邸(公邸か?)にも幽霊が出る」という発言をしています。

さて、国会に関する幽霊話は実は非常に多くあり都市伝説化しているところがあります。あえて私が知っている内容の一部、それも有名なものをここに列記してみましょう。

首相官邸に5・15事件で殺された犬養毅首相の亡霊が出る。

首相公邸に軍靴の音が響き軍人が殺しに来る。

首相公邸に和服の女性が出てくる。

国会の中央7会ホールに、アメリカ軍人との失恋で自殺した女性の鳴き声が響く。

国会のごみ集積所に安保騒動の時の犠牲者の悲鳴や怒号が響く。

国会の衆議院別館(衆議院と参議院にそれぞれ別館があります)に黒い影があり落とし物がなぜかそこから出てくる。

まだたくさんあるのですが、これくらいにしておきましょう。実際に、この他にも「絵の目が動く」「銅像が動く」という、小学校の怪談に近い内容も少なくないのですが、そのへんは細かく書くのはやめておきましょう。私からすれば、権力欲や金銭欲がうずまき、人が人を陥れる最高峰のところですから、無念を感じてなくなった人が少なくありませんし、また、そもそも江戸時代から大名屋敷などがある場所ですから、様々な人が亡くなっている場所です。国会の中で亡くなった政治家なども少なくありませんし、国会を目指して亡くなった方も少なくないのですから、その意味での象徴性も高いのではないでしょうか。

ただ、大体の場合、この手の話を国会の関係者に聞くと、「幽霊の話はたくさんあるが、生きている人間、特に政治家のほうがずっと怖いよ」といいます。幽霊も政治家を魑魅魍魎の一部と考えて出てこないというような話もあるのです。

実際に、国会には、一般の人が知らないようなルールも少なくありませんし、また、細かく国会の敷地内をすべて歩いている人もほとんどいませんから、その中には、様々な伝説などが残っていてもおかしくないと言ううことになるのです。

さて、そのような事を日韓首脳会談で話すということはどのような意味があるのでしょうか。

一つには、「閑話休題」的な息抜き程度の話があると思います。今回の首脳会談の話はたぶんその意味合いが強かったのでしょう。しかし、それだけではなく、実際には、「伝統がある」「歴史がある」という意味合いが少なくないのです。ある意味で韓国よりも日本のほうが議会政治では歴史があり、また、それだけの権謀術数は少なくないということであり、その内容を無意識に高市首相は韓国に伝えていたのかもしれません。

何気ない会話の中に、実は、重要なヒントが残されている。陰謀ということでではないかもしれませんが、単に非科学的な話をしているだけではなく、その話の中に察マザマな意味合いがあるということになるのではないでしょうか。

ところで、アメリカのホワイトハウスやイギリスの議会、あるいはフランスなどにも同様の怪談話はあるのでしょうか?

「宇田川源流」【日本報道検証】 日本でのグテーレス事務総長が大国を非難


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

 さて今回は5月20日に来日した国連のグテーレス事務局長が、記者会見でロシアとアメリカを非難した内容に関して見てみたいと思います。

 さて、私の正直な国連に対するイメージですが、私は日本の長い歴史の中で、現在の国連は「戦国時代の室町幕府」と同じであると思っております。実際に、世の中は戦国時代と同じで、ウクライナとロシア、ハマスとイスラエル、イランとアメリカ、その様に戦争が多く起きていますしまた、アフリカでは内戦なども様々に起きています。そのような状況の中において、国連はそれなりの権威があるのですが、しかし、それらの戦争を止める力は全くないということになります。

当時の室町幕府も同じです。現在NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」で小栗旬さんが演じる織田信長が、様々大名と戦っても足利義昭はまったく止めることはできない状態ですし、室町幕府軍はありませんので、どこかの大きな大名に軍隊を持ってきてもらわなければなりません。今の国連と全く同じなのです。

足利義昭は、当時そのまま様々な所に手紙を書いて織田信長に対抗していたのですが、しかし、織田信長の方が強く、最終的には槙島城の戦いで織田信長に対抗するも敗北し追放されて室町幕府は滅亡します。

では国連はどのようになるのでしょうか。国連の改革に関して、グテーレス事務総長が来日していましいた。

<参考記事>

国連のグテーレス事務総長が都内で会見 「拒否権用いて免責…超大国の振る舞いこそが危機的」 ロシアやアメリカを非難

5/20(水) 20:48配信 FNNプライムオンライン(フジテレビ系)

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f8218a9c6be12961a8dee82da483bee0e2cf07e

天皇陛下、グテレス国連事務総長と会見…「日本人が国連の場で貢献していくことを願っています」

5/20(水) 22:09配信 読売新聞オンライン

https://news.yahoo.co.jp/articles/ff03eaed4a481d077c8a3ccd383ca0f63ce9797b

<以上参考記事>

 2026年5月20日に来日していた国連事務総長のアントニオ・グテーレスは、単なる表敬訪問ではなく、現在の国際秩序そのものに対する危機感を背景に、日本との連携強化を確認するための重要な外交日程を行いました。今回の訪日の中心となったのは、東京で開催された「国連システム事務局長調整委員会(CEB)」であり、これは国連諸機関のトップが集まる会議としてはアジア初開催となりました。

 この訪問にはいくつかの意味が重なっています。まず第一に、2026年は日本が国連加盟70周年を迎える年であり、国連側としても、日本を「多国間主義を支える主要国」として再確認する意図がありました。グテーレス事務総長は、日本を「平和の声」と表現し、日本が国際秩序維持に果たしてきた役割を高く評価しています。特に、ウクライナ戦争、中東危機、米中対立、気候変動問題などによって、戦後型の国際協調体制が揺らぐ中で、日本のような中堅先進国の存在感が国連にとって極めて重要になっているという認識が見えます。

 訪日中、グテーレス事務総長は高市早苗と会談しました。この会談では、日本側から「国連を中核とする多国間主義への支持は変わらない」という立場が示され、民主主義、法の支配、国連憲章の原則を維持していくことが確認されました。一方で、日本側は国連改革の必要性も強調しています。これは現在の安全保障理事会が、第二次世界大戦後の構造を引きずっており、現代世界の力関係を十分反映していないという問題意識に基づいています。

 特にグテーレス事務総長が強く訴えたのが、安全保障理事会改革でした。彼は東京での記者会見において、「危機にあるのは多国間主義そのものではなく、拒否権を用いて国際法違反の責任を免れる大国の振る舞いだ」と述べ、事実上、ロシアやアメリカ、中国などの常任理事国の行動を批判しました。現在の国連安保理では、常任理事国が拒否権を行使することで、重大な国際問題への対応が機能不全に陥る場面が続いています。ウクライナ問題やガザ問題でも、安保理が十分機能していないことに対する不満は世界的に高まっています。

 その中で、日本は長年、安保理常任理事国入りを目指してきました。今回グテーレス事務総長が「アジア人口は世界の半分以上を占めるのに、常任理事国は中国のみだ」と指摘したことは、日本やインドなどを含めた新たな常任理事国拡大論を後押しする意味合いがあります。つまり今回の訪日は、単なる記念行事ではなく、「国連改革の議論に日本をさらに深く組み込む」という外交的意味を持っていたと見ることができます。

 また、今回の来日は象徴的側面も大きく、今上陛下との面会も行われました。天皇陛下はグテーレス事務総長と皇居・御所で懇談し、長年にわたる国連活動への感謝を伝えられたとされています。グテーレス事務総長は今年末で任期満了を迎える予定であり、日本側としても、その功績に敬意を示す意味合いがありました。

 さらに、今回の訪日は現在の国際社会における「国連の限界」と「それでも必要とされる国連」という二重構造を浮き彫りにしました。国連はウクライナ戦争や中東問題で十分な停戦実現能力を持てず、常任理事国の対立によって麻痺している面があります。しかし一方で、気候変動、感染症、難民、AI規制、海洋問題など、一国だけでは対応できない問題が増えているため、国連そのものを否定することもできません。グテーレス事務総長はその危機感を日本で強く訴え、「多国間協調が崩壊すれば世界はより危険になる」というメッセージを発していたといえます。

「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 本物と偽物とは何かを問うドラマ


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」について、一人の戦国好きのオジサンとして、一応そのうえで戦国時代の本も少し書いているということから、好き勝手なっことを書かせていただいています。もちろん、単なる感想の域を出るものではありません。

そのうえで、今回は、松永久秀の、多分戦国一番の「ロックな死に方」である「爆死」について、まずは一応の史実とされているモノを見てみようと思います。

 戦国時代の人物の中でも、松永久秀ほど後世のイメージと史実の間に大きな隔たりを持つ人物は少ないです。特に近年では、爆薬を抱えて城ごと自爆した「爆死の武将」として知られ、その最期と名物茶器「平蜘蛛」が結びつけられて語られることが多いです。しかし、実際の史料を丹念に見ると、そこには戦国政治の複雑な権力構造と、織田政権成立期の人間関係が浮かび上がってきます。そしてその中には、後に天下人となる羽柴秀吉と、その補佐役として名高い羽柴秀長の存在も見えてきます。

 まず松永久秀という人物は、単なる「梟雄」や「悪人」ではありませんでした。久秀は大和を中心に勢力を持ち、三好長慶政権の中核として活動した武将です。戦国時代の畿内政治は、将軍家、公家、寺社、商人、国人勢力などが複雑に絡み合う世界であり、久秀はその中で極めて高い政治能力を発揮しました。彼は軍事だけではなく財政や都市支配にも優れており、奈良や堺との関係も深かったです。東大寺大仏殿焼失などから「極悪人」として語られることが多いですが、近年ではその責任について再検討も進んでいます。

 久秀と織田信長の関係は、単純な敵味方ではありません。むしろ両者は非常によく似た部分を持っていました。旧秩序を破壊し、新たな権力構造を作ろうとした点で、久秀は信長に先行する存在でもありました。信長が上洛して畿内へ勢力を広げると、久秀は当初これに従い、織田政権の有力大名として遇されます。信長は久秀の能力を高く評価していた節があり、何度も赦免を与えています。

 実際、久秀は一度ならず反乱を起こしています。それにもかかわらず、信長は完全には見捨てませんでした。これは信長が畿内統治において久秀を必要としていたことを示しています。当時の大和は寺社勢力や国人が入り乱れる難しい地域であり、現地事情に通じた久秀の価値は非常に高かったのです。

 しかし天正五年、久秀は再び信長に反旗を翻します。この時の籠城戦が、後世「平蜘蛛爆死伝説」と結びついていきます。久秀が立て籠もったのは信貴山城であり、織田軍による包囲を受けました。ここで重要なのが、信長が久秀に対して「平蜘蛛」を差し出せば命を助けるという条件を示したとされる点です。

 平蜘蛛とは、正式には「古天明平蜘蛛」と呼ばれる名物茶釜で、天下に名高い茶器でした。茶の湯が単なる趣味ではなく政治文化そのものだった戦国時代において、名物茶器は権威の象徴でした。信長は名物狩りを行い、天下統一の過程で権威を自らへ集中させようとしていました。その意味で平蜘蛛は単なる道具ではなく、文化的権力の象徴だったのです。

 久秀がこの平蜘蛛を拒否したことは、単なる意地ではありません。戦国武将にとって名物とは権威そのものであり、それを差し出すことは自己の歴史と格式を明け渡すことに等しかったのです。久秀は最後まで自らの象徴を手放しませんでした。

 ここから有名な「爆死」の話になります。一般には、久秀は平蜘蛛に火薬を詰め込み、自らもろとも爆破したと広く語られています。しかし、この話を同時代史料で確認すると、実はかなり曖昧です。信頼性の高い史料では、久秀が自害し、城が炎上したことは確認できますが、「火薬で爆発した」という描写は後世の軍記物で強調された可能性が高いです。

 戦国時代の城には火薬が存在していたため、炎上時に爆発が起きた可能性自体は否定できません。しかし、現代的な意味での「自爆テロ」のような壮絶な爆死が史実として確定しているわけではありません。むしろ後世の人々が、久秀という異端的な人物像にふさわしい劇的最期として物語化した面が強いです。

 また、「平蜘蛛もろとも粉砕した」という話も、完全に事実と断定はできません。信長がその破片を探させたという逸話も含め、戦国ロマンとして広まった可能性が高いです。ただし、信長が名物茶器への執着を持っていたこと自体は史実であり、だからこそこの逸話は強い説得力を持って後世に残ったのです。

 この信貴山城攻めには、羽柴秀吉や羽柴秀長も関わっていたと考えられています。秀吉は当時、織田家中で急速に台頭していた武将であり、中国方面だけではなく畿内でも活動していました。特に秀長は、大和経営との関係で極めて重要な位置にいました。

 後年、秀長は大和郡山城を本拠とし、大和統治を担うことになります。つまり、松永久秀が支配していた地域を、豊臣政権下では秀長が引き継ぐ形になったのです。この点は極めて象徴的です。久秀が戦国的な畿内支配者だったとすれば、秀長はそれをより安定的・官僚的に再編した存在だったといえます。

 秀吉自身もまた、信長の「天下統一」と「権威集中」の政治を受け継いだ人物であり、茶の湯を重視しました。千利休との関係に象徴されるように、秀吉は茶器を政治権力として利用しています。その意味で、久秀と平蜘蛛をめぐる物語は、単なる逸話ではなく、戦国時代における文化と権力の関係そのものを映しています。

 興味深いのは、久秀が単純な敗者として終わっていない点です。後世の創作では、むしろ信長や秀吉に匹敵する「異形の知将」として扱われることが多いです。これは、久秀が戦国時代の転換点を体現した人物だからでしょう。寺社勢力を抑え、都市経済を利用し、鉄砲や火薬を積極活用し、文化権威を政治に結びつける。その姿は、ある意味で信長や秀吉の先駆けでもありました。

 だからこそ、松永久秀の最期は単なる「悪人の滅亡」ではなく、一つの時代の終焉として語り継がれているのです。そして平蜘蛛伝説とは、武将が最後まで「権威」を手放さなかったという、戦国時代特有の美学を象徴する物語なのです。

<参考記事>

豊臣兄弟!:竹中直人の“怪演”光る! 「笑いながら爆死」「竹中直人劇場」 松永久秀の見事な散り様に視聴者“最敬礼”

2026年05月24日 20:45 MANTANWEB編集部

https://mantan-web.jp/article/20260524dog00m200026000a.html

<以上参考記事>

 今回の題名は「本物の平蜘蛛」となっていました。上記のように、史実かどうかわからないのですが、多くの人が知っている「平蜘蛛と共に爆死」という話が、「史実かどうかわからない」という点をうまく使ったドラマになっています。

前回の「北陸戦線からの離脱」から「処罰の話」になり、そのうえで織田信長(小栗旬さん)から、今回も謀反を起こした松永久秀(竹中直人さん)の説得をすれば許してやるという話になって、藤吉郎(池松壮亮さん)と小一郎(仲野太賀さん)が松永久秀を説得に行くということになります。

今回のテーマは「本物と偽物」という事でしょう。そして「人の在り方に本物や偽物があるのか」ということでhな愛でしょうか。ここで松永久秀役を演じた竹中直人さんの演技のすばらしさが響きます。まずは「大和国の領有」について話をしますが、それも真実を話しているのか、または財宝目当てなのかというような話をすることになります。この辺の真実なのか嘘なのかわからないというような「いい加減な話をさせる役」をさせたら、竹中直人さんの話は本当に素晴らしい。シリアスな状態なのに、なんとなく笑いを取る演技ができる。その笑いを得る演技がより一層シリアスな場面に見えるのです。大和国を欲しがる理由について、その後松永久秀は自分の生い立ちについて話をします。その話の中で、「自分は偽物」という話を松永久秀がするのです。それに対して小一郎は「人間に偽物などはない」ということを言います。そのあとの松永久秀役の竹中直人さんが、うっすらと涙を浮かべるのが非常に素晴らしいです。

ここからは私の推測というか、作家としてこうあってほしいという内容ですが、この時に、松永久秀は初めて自分が「本物」と言われて、かなりうれしかったのではないでしょうか。実際に、大和が自分の手に戻ることはないとわかっていて、なおかつ、その大和の国がなくても、自分を本物としてくれた小一郎に感謝を持っていたのではないでしょうか。その上で松永久秀は、わざと二つの平蜘蛛を出し、二人を試させるという「遊び」をしたのちに、爆死したのです。

なんと素晴らしい死に方でしょうか。

そしてその後のシーン。藤吉郎と小一郎が話しているシーンが印象的です。小一郎は信長は、松永久秀も藤吉郎も殺したくなかったということを言います。そのことが、わかっていることが藤吉郎は最後まで信長を裏切らなかったのに、同じように信長に仕えていた明智光秀(要潤さん)は、本能寺の変を起こすということになるのではないでしょうか。そのような違い、要するに信長に対する「理解」が、この世なところで次の伏線になるのではないでしょうか。

今回は史実が長くなったので少しがなくなってしまいましたが、そのような次の伏線まで入れた内容であったのが興味深いです。

「宇田川源流」【日本報道検証】 党首討論はすでに役目を終えたのか?


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

 さて今回は5月20日に開催された国会の党首討論についてみてみたいと思います。この党首討論に関しては、時間が短かったこともありますが、少なくとも「討論」というものではなかったということになります。党首討論はしっかりと討論になるような題材が必要ですが、そもそも日本の国会議員は討論に慣れていないということになります。

国会というのは、通常は、政府(内閣)に対して各委員会の委員(要するに国会議員ですが)が質問するということになります。その質問に内閣が答えるという形で物事が進んでいきます。国会の内容に関しては、そのような質疑しかできないだけではなく、野党側は「与党側からの内容に答える」ということもできないし、また、スキャンダルで批判することしかできないので結局はうまくゆかないということになるのです。

普段から政策論争をしていれば問題がないのですが、実際の国会は見ての通り、政策論争などはほとんど行っていません。その状態で「討論」をしても、結局は政策とは関係ない内容になるのです。

<参考記事>

格好の“追及の場”はなぜ“シャンシャン討論”で終わったのか? 今国会初の党首討論で高市首相が使い分けた「2つの顔」

5/21(木) 15:00配信 東洋経済オンライン

<以上参考記事>

 2026年5月20日に行われた与野党党首討論をめぐって、「実のある討論になっていない」「結局は通常の国会質疑の延長に過ぎない」という批判が広がっている背景には、日本の議会政治そのものが抱えている構造的問題があります。特に今回、多くの視聴者や政治記者が違和感を持ったのは、本来「党首討論」と呼ばれるべき場でありながら、実際には野党側が「それでは質問します」と切り出し、首相がそれに答えるという、一問一答型の委員会質疑に近い形式へと戻ってしまっていたことでした。

 本来、党首討論とは、政府与党のトップである首相と、野党第一党や主要野党の党首が、国家の方向性や理念、外交安全保障、経済政策などについて直接ぶつかり合う場です。日本で導入された当初は、イギリスの「Prime Minister's Questions(首相質問)」のような緊張感ある政治対決への期待がありました。単なる官僚答弁の確認ではなく、政治家同士がその場で反論し、再反論し、論理や理念を競い合うことで、有権者が「誰が国家をどう導こうとしているのか」を見極める機会になるはずでした。

 しかし、日本では次第にその性格が変質していきました。最大の理由は、日本の国会文化が「質問する側」と「答弁する側」に固定化されていることです。委員会制度では、野党は政府を追及する役割を担い、与党は防御側に立ちます。そのため、党首討論であっても、野党側は「相手を追及して失点を取る」ことを優先しやすくなり、政策論争よりも、過去発言の矛盾、失策、説明不足などを問い詰める方向へ流れていきます。

 今回も、その傾向が強く現れました。討論というより、「短時間版の予算委員会」に近い構図になってしまい、視聴者側からは「これなら通常国会と何が違うのか」という疑問が出たわけです。しかも党首討論は開催回数自体が減少しており、限られた機会であるにもかかわらず、政治的な理念対立や国家観の衝突がほとんど見えなかったため、「存在意義が薄れている」という声が強まっています。

 さらに、日本政治特有の「失言リスク回避」も大きな要因です。現在の政党党首は、テレビやSNSによって一言一句を切り取られます。少しでも不用意な発言をすれば、切り抜き動画やSNS拡散によって炎上し、支持率に直結します。そのため、与党側も野党側も、即興的な議論より、安全な原稿ベースの発言を優先するようになります。結果として、討論でありながら「準備されたコメント交換」になりやすいのです。

 加えて、日本では政党間のイデオロギー差がかつてより曖昧化していることも影響しています。冷戦時代には、自民党と社会党の間には、安全保障、憲法、経済体制などで根本的な違いがありました。しかし現在は、多くの政策で現実路線化が進み、大きな国家像の違いが見えにくくなっています。すると党首討論も、「国家の将来像をぶつけ合う場」ではなく、「政権運営の問題点を確認する場」へと変質していきます。

 その一方で、SNS時代の政治は「短く強い言葉」が優先される傾向があります。本来、党首討論は長い論理展開や複雑な政策比較に向いている制度ですが、現代の情報環境では、視聴者の多くが数十秒単位の切り抜きで内容を消費します。そのため、各党首も「政策論争で相手を説得する」より、「支持者向けに印象的なフレーズを残す」方向へ向かいやすいのです。これは世界各国でも起きていますが、日本では特に「空気を壊さない政治文化」と結びつき、結果として激しい討論にもなりにくいという特徴があります。

 こうした状況から、「党首討論不要論」が定期的に浮上するようになっています。つまり、「どうせ実質的議論にならないなら、予算委員会や記者会見で十分ではないか」という考え方です。特に若い世代ほど、「形式だけ残っている政治イベント」に厳しい視線を向ける傾向があります。テレビ向けの儀式に見えてしまえば、制度への不信にもつながります。

 ただし、一方で党首討論そのものを不要と断じることには慎重論もあります。なぜなら、国家の最高指導者同士が同じ空間で直接やり取りする機会自体は、民主政治において極めて重要だからです。仮に内容が不十分であっても、「討論の場」が存在していること自体に意味があるという考え方です。むしろ問題は制度そのものではなく、日本政治が「討論文化」を十分に育てられていない点にある、という指摘です。

 実際、欧米の党首討論では、相手の発言に即座に再反論し、数字や論理をその場でぶつけ合う訓練が政治家に求められます。しかし日本では、官僚作成答弁への依存や、事前調整文化が強く、即興的議論を避ける傾向があります。そのため、「討論」という形式だけ導入しても、中身が追いつかないという問題が起きるのです。

 今回の党首討論への失望感は、単に一回の討論内容への不満ではなく、日本政治全体に対する「なぜ国家の方向性を本気で議論しないのか」という国民側の苛立ちの表れとも言えます。特に安全保障、物価高、移民政策、少子化、エネルギー問題など、日本が長期的課題を抱える中で、有権者は「理念と覚悟を持った政治論争」を求めています。しかし現実には、失点回避型政治と短期的メディア対応が優先され、深い国家論が成立しにくくなっている。そのギャップが、「党首討論不要論」という形で噴き出しているのです。

「宇田川源流」【日本万歳!】 伝統を重視する皇室典範改正案作成に着手


 毎週月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいところや、日本が賞賛されている記事を参考記事として、その内容を分析し、日本の何が称賛されているのかということ、日本のどのようなところが、他の国とは異なるのかということを明らかにし、そのうえで、日本人が日常としてあまり考えていないすばらしさを再認識しようということである。

 毎週月曜日は、多くの人々が「マンデーブルー」ということを口にするくらい、土曜日と日曜日の休みと、月曜日からの働く毎日が辛いということもある。しかし、日本のすばらしさはそのように「特別ではない、毎日を働くすべての日本人」が、その素晴らしさを作っているということになるのです。そのようなことから、日本人の皆さんが自分自身に日本人としてのすばらしさを自覚し誇りを持てるということを期待して、この連載を行っている。

 さて、そうはいっても実は日本のすばらしさは「国民の象徴」である皇室の在り方に体現されていると言って過言ではない。以前森喜朗氏が首相であった時に「日本は神の国」といってマスコミが一斉に反発したが、実際に私自身は日本は神の国であると思っている。もちろんか身に守られているということではなく、神が存在していると考えている。他の国の宗教とは異なり、日本は「八百万の神々」の国であり、その神々がどこにでもいるということになる。もちろん日本的な考え方であるという事であろう。

 さて、その「神」の中の一柱が、天皇陛下である。そしてその天皇陛下を中心にした皇族と公家がその天皇の政治を支えるということになっている。現在の政治の混乱などは、昔の公家が見れどのように映るのであろうか。「公家」とは、当然に「自分よりも公を考える」ということであり、他の私人(庶民)は自分の生活のことを考えればよいが公家や皇族は国や公のことを考える。そのような気持ちが、現在の政治にどれくらい持っているのか。皇室のことを語れば、どうしても現代の不満が先に立って出てきてしまう。

その政治が試されているのが皇室典範の改正手続きであろう。

<参考記事>

「立法府の総意」受け政府が皇室典範改正案作成に着手 今国会成立への道のりは

5/15(金) 22:07配信 産経新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/16a505fdd9b6af2967787fa5ba36848f4139fb92

<以上参考記事>

 皇室は、少なくとも神話の中から数えれば皇紀2686年続いている王朝であり、それだけの歴史があるということになります。私の考えでは、今の世界で起きているほとんどのk十は、実は日本の歴史に非常に近しい内容があり、またその非常に近しい内容を参考にすれば、解決まではできなくても、少なくとも現状を正しく解釈するだけの事例があるということになります。

さて現在の皇室は、少なくとも古事記又は日本書紀によれば、天界から降りてきたイザナギノミコトとイザナギノミコトの関係からイザナギノミコトら出た三貴神の中野天照大御神の子孫、瓊瓊杵尊の子孫ということになります。もちろん神話ですから神の子孫であるということはその通りであるかどうかはわかりませんし、また、神話を科学的に信じるということは難しいかもしれません。しかし、神話のような内容があるということは、それに近い事実があるということになるでしょう。

さて、今回のように嫡流が少ないというのは過去にも何回かあります。第25代武烈天皇の後、その後継がないことから、応神天皇5世の来孫であり、『日本書紀』の記事では越前国、『古事記』の記事では近江国を治めていた。本来は皇位を継ぐ立場ではなかったが、四従兄弟にあたる第25代武烈天皇が後嗣を残さずして崩御したため、大伴金村や物部麁鹿火などの推戴を受けて即位したとしている。継体天皇は『日本書紀』によれば、450年頃[注 2]に近江国高島郷三尾野(現在の滋賀県高島市近辺)で誕生したが、幼い時に父の彦主人王を亡くしたため、母・振媛は、自分の故郷である越前国高向に連れ帰り、そこで育てられ、「男大迹王」として5世紀末の越前地方を統治していた男大迹王は越前にとどまっておらず、父親の彦主人王の故郷の近江にも行き来していたか、近江を拠点にしていた可能性もある。

このように、基本的には、皇室は間違いなく今回の件も全て「先例」があるのです。それを「現代の潮流」ということで変える必要があるのでしょうか。基本的には、現在の状況でよければ、または歴史的な状況が良ければ、その先例に従うのが最も良いということになります。

さて、このように主張すると「女性」というキーワードが出てきます。そもそも宗教的な内容は、基本的にはすべて男性ということになります。イスラム教は男性と女性がまったく違う役割になっていますし、キリスト教の枢機卿はすべて男性です。また、仏教も基本的には男性社会で尼寺は別組織になっています。その様に考えれば、宗教上のトップは基本的には男性優先になっています。日本の場合は、基本的には「国家神道」のトップであるということを考えれば、今まで女性天皇がいたこと自体が異例であり、基本的に男系男子ということになる方が正しいのではないでしょうか。

全てが科学や近代化するということではないということ、歴史に従うということが正しい場合があるということはよくわかる必要があるのではないでしょうか。

さて、その内容を国会ですべて考えるということになります。そのようにしてすべてが日本の国会で行うということが最も良いのではないでしょうか。その様に国権の移行期間が皇室のことを考える。そのことが最も日本の事ではないかということになります。そしてその中に歴史や宗教、日本の神道問いことをしっかりと考える結論が出ることが最も良いのではないでしょうか。

それが日本の最高の結論になるということを考えます。