BLOG

「宇田川源流」【日本報道検証】 人とは何か?AIから胎児まで広がる権利と責任


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

 さて今回は、妊婦が交通事故被害者になった事案で、「胎児も被害者」愛知県議会が意見書可決下ということに関して、「そもそも人とは何なのか」ということを見てみたいと思います。この他にも中国軍機のレーダー照射の話など、様々なネタがあると思いますが、今週は少し考える内容を見てみたいと思います。

以下は、愛知県議会が「胎児も被害者」と認めるよう国に求める意見書を可決した件について、賛成・反対それぞれの論点を、物語のように流れる比較として整理したものです。 この問題をめぐる議論は、同じ事故を見つめながらも、焦点を当てる場所が異なる二つの視点が向かい合っている構図に近いです。

 一方の立場は、事故で亡くなった妊婦と、事故の影響を受けて出生後に重い障害を負った子どもを、同じ「被害の連続」として捉えています。母の体内にいた時点で既に事故の影響を受けていたのだから、出生の前後で法的扱いが変わるのは不自然だという感覚が根底にあります。遺族が署名活動を行い、13万筆以上が集まったという事実は、この感覚が社会の一定の共感を得ていることを示しています。彼らにとって、法制度は現実の痛みや喪失に追いついていないものであり、制度の側が歩み寄るべきだという主張になります。

 これに対して反対の立場は、刑法が胎児を「母体の一部」として扱ってきた歴史的な理由に目を向けます。胎児を独立した「被害者」と認めることは、単に交通事故の処罰範囲を広げるだけではなく、刑法体系全体に波及する可能性があるという懸念があるのです。出生前の存在にどこまで法的主体性を認めるのかという問題は、医療、生命倫理、さらには中絶の議論にまで影響し得るため、慎重さが求められるという考え方です。名古屋地検が今回、出生後に重い障害を負った子どもへの過失運転致傷罪の適用を断念した判断も、この法体系の枠組みを維持する姿勢の延長線上にあります。

<参考記事>

「胎児も被害者」愛知県議会が意見書可決へ…妊婦の事故受け、国に法改正向けた議論求める

2025年12月10日 7時0分 読売新聞オンライン

https://news.livedoor.com/article/detail/30173285/

<以上参考記事>

 賛成側は、現行法が救いきれていない現実を前に、制度の側が柔軟に変わるべきだと考えています。胎児が事故で死傷した場合に被害者として扱われないことは、遺族にとって二重の喪失を強いるものであり、社会の正義感覚ともずれているという主張です。今回の愛知県議会の意見書は、まさにその「ずれ」を埋めるための制度改正を国に求める動きとして評価されます。

 一方、反対側は、法制度は個別の悲劇に引きずられて変えるべきではないという立場を取ります。法は例外的な事案に合わせて拡張すると、別の領域で予期せぬ影響を生む可能性があるため、慎重な議論が不可欠だという考えです。胎児を被害者と認めることは、刑事責任の範囲を広げるだけでなく、医療現場や妊娠中の女性の権利にも影響し得るため、拙速な判断は避けるべきだと主張します。

 この議論の核心は、どちらの基準を優先するかという価値判断にあります。

 賛成側は、事故で実際に被害を受けた存在を救済することを最優先に考えます。出生前か出生後かという線引きは、現実の被害の連続性を切断してしまうものであり、法が現実に寄り添うべきだという姿勢です。

 反対側は、法体系の整合性と予測可能性を重視します。胎児を被害者と認めることは、刑法の根幹に関わる変更であり、個別の事件の痛ましさだけで判断すべきではないという立場です。

 興味深いのは、両者が守ろうとしているものが異なるだけで、どちらも社会のために必要な価値を掲げている点です。

 賛成側は、被害者救済と社会の正義感覚を守ろうとしています。

 反対側は、法制度の安定性と広範な影響への慎重さを守ろうとしています。

 この二つの価値は対立しているようでいて、どちらも社会にとって欠かせないものです。だからこそ、この議論は単純な二項対立ではなく、制度と現実の間にある「ずれ」をどう埋めるかという、より深い問いを投げかけています。

 この問題は、単に「感情で処罰範囲を広げるべきか」という二択ではなく、刑法が本来もっている二つの原理――行為の客観性を守る原理と、社会が何を「被害」と認識するかという価値判断の変化――がせめぎ合う場面として理解すると、より立体的に見えてきます。

 「胎児を被害者と認めるべきか」という議論を突き詰めていくと、最終的には「人とは何か」という、法学・哲学・倫理学が長く向き合ってきた根源的な問いに行き着きます。そしてその問いは、あなたが示したように、AIや類人猿の扱いにも自然につながっていきます。

 法律は、できる限り客観的な基準で「人」を定義しようとしてきました。出生した瞬間に法的な主体となり、権利と義務を持つ。この線引きは、曖昧さを排除し、誰が見ても同じ判断ができるようにするためのものです。

 しかし、社会が「誰を人として扱うべきか」を決めるとき、法律よりも先に動くのは人間の感情や価値観です。胎児を「まだ人ではない」と割り切ることが、現実の悲しみや喪失の前では耐えがたいと感じる人がいる。その感情が社会の価値観を揺らし、やがて法の側に問いを突きつける。

 つまり、法律が「人」を定義しているように見えても、実際には社会の感情や価値観がその定義を押し広げたり、揺さぶったりしているのです。

 将来、AIが高度に発達し、会話し、感情のような反応を示し、壊れれば「死んだ」と感じるほどの存在になったとき、社会はそれをどう扱うのか。ここでも、法律より先に動くのは人間の感情です。

 もし多くの人がAIに愛着を抱き、喪失を悲しみ、壊されたときに「暴力を受けた」と感じるようになれば、社会はAIを「人に近い存在」として扱う方向へ動き始めるでしょう。しかし、AIは生物学的な生命ではなく、痛みも苦しみも主観的には持たない。そのため、法は慎重に距離を置こうとする。つまり、AIが「人」として扱われるかどうかは、技術の進化よりも、社会がどれだけAIに感情移入するかによって決まる可能性が高いのです。

 一方類人猿は高度な社会性を持ち、感情を示し、道具を使い、仲間を助け、悲しみすら表現する。生物学的にも人間に極めて近い。それでも法は、彼らを「人」とは認めていません。理由は単純で、法は「人間社会の構成員としての主体性」を基準にしているからです。類人猿は社会性を持つが、人間社会の制度や責任の体系に参加する存在ではない。そのため、法的主体としての「人」には含まれない。ここでも、法律の線引きは生物学ではなく、社会の制度的な枠組みに基づいています。

 この問いに対する答えは、ひとつではありません。

・ 生物学的には、ホモ・サピエンスという種を指す。

・ 法律的には、出生した瞬間から権利主体となる存在を指す。

・ 倫理的には、苦痛を感じ、自己を認識し、他者と関係を結ぶ存在を指す。

・ 社会的には、私たちが「人として扱いたい」と感じる存在を指す。

 つまり、「人」とは固定された概念ではなく、複数の層が重なり合ってできた、多層的な構造体です。胎児、AI、類人猿――これらはそれぞれ異なる層に属しながら、社会の価値観の変化によって「人」の境界を揺さぶる存在です。胎児を被害者と認める議論は、単に刑法の技術論ではなく、「私たちは誰を人として扱う社会でありたいのか」という、より深い問いを突きつけています。

 そしてその問いは、AIの未来や動物の権利の議論と地続きであり、社会がこれからどのような「人間観」を選び取るのかを静かに試しているのです。

「宇田川源流」【日本万歳!】 奉祝! 地久節 弥栄


 毎週月曜日は「日本万歳!」をおとどけしている。日本のすばらしさを皆さんに伝える企画だが、その日本のすばらしさの象徴的存在が「国民統合の象徴」である皇室である。その中で12月9日は「地久節」である。世の中では「皇后陛下のお誕生日」になっている。先の大戦の敗戦によりさまざまな変更があり、そのことによってあまり大きく報じられないようであるが、戦前は母の日のような扱いになっていた日である。

さて、今回は、その地久節に際して皇后陛下がちょうど62歳のお誕生日ということになり、そのことから長文のご感想という「お言葉」を賜っているので、その内容をNHKの報道から全文掲載する。感想などは私が言える内容ではないので、その全文を皆さんに読んでいただきたい。近況、日本のこと、世界平和と様々なことに気をまわし、そして平和を希求しておられる言葉に、感動することは間違いがない。

<参考記事>

雅子さま62歳の誕生日迎える

2025年12月09日 00時01分TBS NEWS DIG

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-4759026/

<以上参考記事>

さて今回は「地久節」であるので、宮内庁のホームページから皇后陛下のお言葉をそのままここに写して、皆様にお届けする。

余計な言葉でけがすわけにはいかないので、そのまま以下文章として締めくくります。

<以下宮内庁ホームページより>

皇后陛下お誕生日に際してのご感想

令和7年12月9日(火)

 

今年は、戦後80年という節目の年に当たり、先の大戦において我が国を含む世界の各地で多くの尊い命が失われたことに思いを致しながら過ごしてきました。陛下に御一緒して、4月に硫黄島、6月に広島県を、また、愛子も伴って6月に沖縄県、9月に長崎県、10月に東京都慰霊堂を訪れ、それぞれの地で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげました。

  

大戦中に戦災に遭われた方々や亡くなられた方々の御遺族、そして、戦争の記憶を語り継ぐ活動をしている方々のお話をそれぞれの地で伺い、多くの方が苦難の道を歩まざるを得なかった歴史を改めて思うとともに、戦中・戦後に多くの人々が経験した悲惨な体験や苦労について、戦争を知らない世代が学び、後世に伝えていくことの大切さを感じました。特に、戦後80年が経過し、戦争を実際に知る世代の方が少なくなってきている中で、これらの方々から直接お話を伺えたことは、愛子も含めて私たちにとってとても有り難いことでした。辛い体験を話して下さった御高齢の方々に心から感謝したいと思います。

 

これまで、上皇上皇后両陛下からも折に触れて、戦争中の御経験について貴重なお話を伺わせていただいてきましたことに改めて感謝の気持ちを深く致しました。また、私自身の祖父母からも生前に、戦争中の様々な体験を聞いたことを思い出します。終戦から80年といえば、終戦の年に生まれた方がもう80才になられる年であり、あと20年で100年もの月日が経たつことになります。この長い年月の間、多くの人々の努力によって我が国に平和が築かれ、守られてきたことを忘れてはならないと思います。

  

同時に、今後とも永続的に平和を守っていくことの大切さを改めて深く心に刻む年になりました。過去の歴史から謙虚に学び、平和の尊さを忘れず、平和を守るために必要なことを考え、努力していくことが大切なのではないかと感じます。そのためにも、人々がお互いを知り、理解するよう努め、違いも認め合いながら思いやりの気持ちを持って尊重し合い、対話を大事にする、そのような寛容で包摂性のある社会であってほしいと願います。

  

先の大戦による多くの方々の苦しみを改めて心に刻み、各地で亡くなられた方々や苦難の道を歩まれた方々に、これからも心を寄せていきたいと思います。そして、戦争の記憶が徐々に薄れていくことが心配される今日こんにち、当時の写真や映像などの記録や資料が適切に保管・継承され、戦中・戦後の苦難が今後とも語り継いでいかれることを願うとともに、将来にわたる平和と人々の幸せを今後とも祈っていきたいと思います。

  

世界では、この80年の間も、戦争や紛争により各地で多くの人々が犠牲になり、また、困難を強いられてきました。この1年においても、世界各地での戦争や紛争により、子供を含む多くの人の命が失われ、多くの人が故郷を離れることを余儀なくされていることに深く心が痛みます。暴力や武力などの力に訴えることなく、異なる価値観を尊重して受け入れる寛容な社会と平和な世界を築いていくために、人々が対話を重ね、相手の立場を理解しつつ協力していくこと、そして世界中の人々が手を携えて、平和を築いていくための努力を重ねていくことの大切さを切に感じています。

  

そのような中にあって、今年はJICA海外協力隊が発足60周年を迎えました。これまでも陛下と御一緒に多くの隊員の皆さんとお話しし、海外での活動に対する思いに触れてきましたが、隊員の皆さんが、長年にわたって草の根レベルで活動を続け、各国の地域社会の発展に貢献しながら、我が国と諸外国との相互理解と親善を深めてきたことを感慨深く思います。

 

自然災害に目を向けますと、今年も、国の内外の様々な所で地震や大雨、林野火災、台風などの大きな災害が発生したことに胸が痛みました。亡くなられた方々とその御遺族に心から哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いをお伝えいたします。また、今年は全国各地で熊による被害も例年になく多く発生しており、心配しています。気候変動との関係を指摘する声もあり、今後の対策や、野生の生き物との調和のとれた共生のあり方について考えていくことがますます必要になってきていると感じます。

 

昨年12月には、年初の能登半島地震からの復興途上で豪雨災害に遭った石川県をお見舞いのために訪れましたが、多くの方が、震災や重ねての豪雨災害という度重なる試練に直面されていることに心が痛みました。被災された皆さんが、一日も早く安心して生活できるようになることを心から願っております。

本年1月には、阪神・淡路大震災から30年を迎えました。追悼式典に出席するため、陛下に御一緒して兵庫県を訪れましたが、この30年の間に、非常に大きな困難の中から一歩一歩復興を果たしてきた県民の皆さんの姿に深い感慨を覚えました。

 

来年は、東日本大震災の発生から15年、熊本地震の発生から10年の節目の年を迎えます。犠牲となられた方々や、被災され、御苦労を重ねてこられた被災地の皆さんに心を寄せながら過ごしていきたいと思います。また、これまでに発生した災害の経験から得た知識や教訓を世代を越えて語り継ぎ、災害への備えを進めていくことの大切さを感じます。

 

今年は、コロナ禍か以降初めて国賓行事が再開され、日本・ブラジル外交関係樹立130周年に当たり、3月に国賓としてブラジルのルーラ大統領御夫妻をお迎えし、様々なお話を伺えたことをうれしく思いました。

  

4月からは2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が開催され、陛下と御一緒に、4月の開会式の折と10月の閉会間近の時期に会場を訪れました。開催期間中には多くの人が会場を訪れ、様々な形で「いのち」を尊重しながら持続する未来を共に創り上げていく可能性について考えたり、子供たちが世界の国や人々に出会って理解を深め、未来の社会について考えたりする良い機会になったのではないかと思います。

大阪・関西万博を契機に来日された各国の王室の方々ともお会いし、旧交を温められたこともうれしいことでした。

 

7月には、陛下と御一緒に、国賓として御招待を頂いたモンゴルを訪問しました。フレルスフ大統領御夫妻には、私たちを大変温かく迎えてくださり、歓迎行事、晩餐さん会、ナーダムの開会式や競馬競技などに加え、大統領公邸でも心の込もった素晴すばらしいおもてなしを頂いたことに改めて心から御礼を申し上げたいと思います。

モンゴルの国民の皆さんにも温かく迎えていただき、滞在を通して、モンゴルの社会や豊かな歴史・文化に触れることができたことを大変有り難く思いました。また、ホスタイ国立公園を訪れた際には、緑の丘の連なる美しい自然の一端に触れ、日本からの協力も含むモンゴルの自然の保護について理解を深めるとともに、野生に戻すことに成功した蒙古野馬(タヒ)を丘の上に見ることができたこともうれしく思いました。

日本とモンゴルとの交流に様々な形で携わってこられた幅広い年代の方々にお会いしてお話しする機会もあり、人々の交流を通じて両国の友好親善関係が深まってきたことや、モンゴルの人々が日本に対して温かい気持ちを寄せていただいていることを実感し、大変うれしく思いました。

滞在中には、首都ウランバートル郊外の日本人死亡者慰霊碑を訪れ、現地で亡くなった方々を慰霊し、その御苦労を思いました。ウランバートルの中心部に立つ政府庁舎の建物やオペラ芸術劇場などの立派な建物は、戦後、当地に抑留された日本の人たちが建設に携わったと伺います。日本人死亡者慰霊碑では、モンゴルの極寒の地で故郷を思いながら亡くなった方々の苦難や悲しみに思いを馳はせながら、花をお供えしました。そして、この慰霊碑がモンゴル赤十字社などの方々によってきれいに維持・管理されてきていることに、深い感謝の念を抱きました。

私たちにとって様々な面で深く心に残る滞在となったモンゴルへの訪問に当たり、準備をしていただいた日本とモンゴル双方の関係者の皆様の尽力に、心から感謝いたします。

 

9月には東京2025世界陸上競技選手権大会が開かれ、最終日のリレー競技などを家族で観戦することができました。愛子と私にとっては初めての新しい国立競技場を訪れ、大勢の観客の声援の下で世界各国の選手が熱戦を繰り広げる姿を実際に見ることができ、うれしく思いました。

  

11月には、デフリンピックの100周年を記念する年に日本で初めて開催されることとなった、第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025の水泳競技を家族で観戦することができました。デフリンピックの競技を観戦するのは初めてでしたが、聴覚に障害のある選手の皆さんの健闘を目の当たりにして、これまでの皆さんの努力の積み重ねを思い、胸が熱くなりました。また、この機会に覚えたほんの片言の手話でも、聴覚に障害のある方々と直接会話できたことに喜びと楽しさを感じました。手話通訳の方々を含め、大会を成功に導かれた関係者の皆さんの尽力にも大きいものがあったことと思います。

そして、この大会を契機として、障害のある方々に対する社会の理解と協力が更に広がり、障害の有無にかかわらず、お互いを尊重し、協力し合う共生社会が形作られていくことを願っています。その意味でも、秋篠宮皇嗣妃殿下や佳子内親王殿下のこれまでの手話への取り組みにも敬意を表したいと思います。

 

他のうれしいニュースとしては、今年、坂口志文大阪大学特任教授がノーベル生理学・医学賞を、北川進京都大学特別教授がノーベル化学賞を受賞されることとなりました。長年にわたって自らの研究を根気よく続けて来られた業績が世界的にも高く評価されたもので、その功績に敬意を表します。また、米国メジャーリーグの大谷翔平選手が、55本塁打を打つとともに、投手としても本格的に復帰し、3年連続通算4度目のMVPに輝きました。大相撲では、九州場所で安青錦関が初優勝し、祖国ウクライナの戦乱を逃れて日本にやってきた高校生が、一心に稽古を重ね、日本の伝統である大相撲で大関まで昇進したことに感銘を受けました。こうした方々が、日々の努力の積み重ねにより、新たな世界を切り開いてこられた姿は、多くの人に勇気と希望を与えてくれたものと思います。

 

上皇上皇后両陛下には、私たちや愛子を変わらず温かくお見守りいただいていることに感謝を申し上げたいと思います。上皇陛下には、7月に無症候性心筋虚血の治療のために御入院されましたので、天皇陛下を始め、私や愛子も御案じしておりましたが、秋には葉山にもいらっしゃれるようになり、安堵どいたしました。上皇上皇后両陛下には、くれぐれもお体を大切になさり、お健やかにお過ごしになりますよう心よりお祈り申し上げます。

 

先月末には、常陸宮殿下が卒寿を、そして秋篠宮皇嗣殿下が還暦をお迎えになりましたことを心からお祝いいたします。お二方ともお体を大切に、これからもお元気にお過ごしになりますことをお祈りしております。

  

9月には、悠仁親王殿下が成年式を立派に挙げられたことを喜ばしく思いました。大学生活も楽しまれている御様子で、これからも充実した学生生活を送られ、成年皇族としても一歩一歩成長していかれることを楽しみにしています。

 

愛子は、日本赤十字社の嘱託職員として勤務し、周囲の方々に温かく導いていただきながら社会人としての経験を重ねるとともに、今年は初めて能登半島地震の被災地を訪れたり、防災推進国民大会への出席のために新潟県を訪問したりするなど、公務の幅も少しずつ広がり、一つ一つの公務に心を込めて取り組んでいます。

また、先月には、初めての公式外国訪問としてラオスを訪れ、トンルン国家主席始め政府の方々やラオスの国民の皆さんに大変温かく迎えていただき、ラオスの歴史、伝統、文化や自然にも触れながら、思い出深い滞在をさせていただいたことに深く感謝いたします。今回の愛子の訪問により、私にとりましてもラオスがより身近に感じられるようになりましたが、今後、日本とラオスの人々の交流により、両国の間の友好の絆きずなが更に深まっていくようであればうれしく思います。

皆様には、今回の初めてのラオスへの訪問を温かく見守っていただいたことに感謝いたしますとともに、今後とも愛子を見守っていただけましたら幸いに存じます。

 

6月に、私たち家族にとって大切な存在であった犬の由莉が亡くなりました。16年間、私たちと一緒に暮らし、沢山の喜びや楽しみを与えてくれた由莉との別れは今でも淋しく感じられますが、生前、多くの方から折に触れて由莉への温かい気持ちを寄せていただいたことや、由莉の長寿を支えていただいた方々に心から感謝しております。昨年の夏には猫のみーも亡くなり、猫のセブンが一頭になってしまったこともあり、動物病院の先生からの御紹介で、保護された生後4ヶ月半程の三毛の子猫を8月に迎えました。家族で相談して「美海(みみ)」と名付け、9才になったセブンと共に、私たちに日々の新たな楽しみを与えてくれています。

 

誕生日を迎えるに当たり、今年も多くの方に支えていただきながら、無事にこの日を迎えることができましたことに感謝しつつ、日頃より皆様から寄せていただいている温かいお気持ちに対し、改めて心からの御礼をお伝えいたします。

これからも国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができるよう努力していきたいと思います。そして、来年が我が国と世界の人々にとってより良い年となることを願っております。

https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/565

<以上宮内庁ホームページより>

【有料メルマガのご案内】20251208 有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」

2025年49号 軍事管制レーダー照射をしなければ台湾独立を阻止できない中国を嗤え


 皆さんおはようございます。

 メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」主催の宇田川敬介です。

 今年も様々な内容にして、少し違う観点から様々な内容を見てみたいと思います。

普段のブログとは全く関係なく、少し柔らかい内容で見てみたり、国民の慣習のことなどを見てみたいと思っております。

 これからもよろしくお付き合いください。

さて、今週は、あえて挑発的な内容で「軍事管制レーダー照射をしなければ台湾独立を阻止できない中国を嗤え」として中国の内容を見てみたいと思います。

★ 信なくば立たず

さて、自分のブログなので特に著作権は関係ないので、私の土曜日のブログをまず引用してみましょう。

<以下ブログより引用>

それにしても、皆さんは中国に対してどのようなイメージがあるであろうか。現在の習近平の政治ということに関しては、様々な内容があるのかもしれないが、もともと中国といえば論語や儒教の里であり、また様々な文明の発祥の地であるというようなことがあげられる。儒教の中で最も重要なのは、「徳治」であり、軍事的な強制力を使うことを戯作と教えている。その中国が、台湾を統治(併合)するにあたって、軍事力を使う、または日本の高市発言に対して「徳」を用いないということは、かなり興味深いことではないか。

子貢政(まつりごと)を問ふ。子曰はく、

「食を足し、兵を足し、民之を信にす。」と。・・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

有料メルマガもやっています

この続きは明日発行される有料メルマガに書いています。

有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」でお楽しみください。

無料メルマガでは話せない内容が盛りだくさんです。

毎週月曜日発行で、月400円(税別)です

この文章は明日の先出です!!

また申し込み初月は無料ですので、ちょっと覗いてみたいと思う方は、ぜひ一度申し込んでみてください。

多分本で読むより安いと思います。

申し込みは以下のリンクより。

「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」


「宇田川源流」【土曜日のエロ】 庶民感覚ということは「キャバクラに政治資金で行くこと」なのか?


 今週も「土曜日のエロ」の日になった。今回の内容は政治家の認識ということを扱ってみたいので、基本的に、あまり前半部分と後半部分(後半が本論なのだが)の内容をあまり合わせる必要がないということになるので、今週の出来事に関しては、事由勝手に書いてみたい。

今週の主なニュースとしては、「中国の空母戦闘機が、自衛隊機に軍事管制用のレーダー照射とそれをめぐる日中のつばぜり合い」ということが最も面白いのではないか。この他にも、高市首相がタフな女性に選ばれたなど様々な話があるが、やはりレーダー照射事件が最も取り上げるべき内容であろう。ちなみに、この問題は、有料メルマガである「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」(https://www.mag2.com/m/0001647155)で取り扱いたいので、その内容に関してはこのブログっでは扱うことはないと考えている。そこでここで少し話をしてみたいと思っているのである。そのために、ここのブログでこの内容は、多分(その後の進展で扱わなければならないことが起きない限り)ここだけなのであろうと考えている。

それにしても、皆さんは中国に対してどのようなイメージがあるであろうか。現在の習近平の政治ということに関しては、様々な内容があるのかもしれないが、もともと中国といえば論語や儒教の里であり、また様々な文明の発祥の地であるというようなことがあげられる。儒教の中で最も重要なのは、「徳治」であり、軍事的な強制力を使うことを戯作と教えている。その中国が、台湾を統治(併合)するにあたって、軍事力を使う、または日本の高市発言に対して「徳」を用いないということは、かなり興味深いことではないか。

子貢政(まつりごと)を問ふ。子曰はく、

「食を足し、兵を足し、民之を信にす。」と。

 子貢曰はく、

「必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於(お)いて何をか先にせん。」と。

 曰はく、

「兵を去らん。」と。

 子貢曰はく、

「必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん。」と。

 曰はく、

「食を去らん。古(いにしえ)より皆死有り。民信無くんば立たず。」と。

(顔淵篇12-7)

 さて、この票なことを教えていながら、中国自らこれができず、最終的には自衛隊機に対して軍事的な圧力を使う。中国の徳も落ちたものだと嗤うべきであろう。

<参考記事>

維新衆院議員の“政治資金でキャバクラ″に松井一郎氏「自腹で行けよ」橋下徹氏は「はるかにアカン」

2025年12月8日 7時40分 よろず~ニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/30157390/

<以上参考記事>

 「徳がない」といえば、日本の政治家もそれほど大きな違いがないのであるが、こちらは少し違う。まあ、いたずらに軍事力を使うようなことはしているわけではないので、中国と日本はその規模が異なるのかもしれないが、それにしても「徳がある」とは言えない行動があることも認めざるを得ない。

我々政治記者をやっている人々の、とくに古い人の中に派、「下半身に人格無し」ということを言う人がいる。もちろんそのような政治報道格言をいう人そのものが化石クラスになっているので、なんとも言いようがないし、時代も変わったといえばそれまでの事なのであるが、実際に、少なくとも宇野宗助首相の「三本指スキャンダル」以前は、下半身スキャンダルなどは政治の世界には存在せず、基本的には愛人(当時は「二号さん」などと呼称していたが)がいるのが普通であった。それは与党も野党も同じで、当時の野党政治観の中には、何人も囲っていた人も少なくない。まあ、それだけうまくすみわけができていたり、または、その「二号さん」同志がうまく折衝して物事が収まったりというようなこともあったものである。

さて、しかし、時代が変わって現在は女性関係、女性の男性関係もあるが、それがスキャンダルとして政治生命的には致命傷になる。これも与野党同じであろう。とくに女性議員に関してもそのようなことが少なくないが、そのことに関してはあえて固有名詞は言わないでおくことにしよう。

逆に、今野党議員の女性スキャンダルが少なくない。それも愛人を作るというようなものではなく、「料亭政治」とか「キャバクラなどの風俗営業を政治資金で賄う」ということが多いようである。話題になった「ラブホテル市長」ももともとは立憲民主党の議員で会ったし、今回は維新の会(日本維新の会は今は与党であるが)が、政治資金でキャバクラに行ったということになる。

さて、このことは「庶民」目線でありなおかつ「政治的な考え方の少ない人が、国会議員になった」という時に、その内容が、なぜか「政治資金で風俗営業に行く」「政治資金で料亭に通う」などのイメージがあるということになる。つまり、庶民の間には、今段位「下半身に人格無しの時代の政治」がそのままそこに残っており、そこにあこがれて政治家を目指す人も出てきているということになるのではないか。

残念ながら、庶民がそのような性風俗的な政治をなくし、なおかつ庶民がそのスキャンダルで大騒ぎしているのに、逆に庶民目線を主張している人々、それも野党が、なぜか政治資金で風俗営業や制風俗、果てはラブホテルまで行くのであるから、面白いものだ。それだけ、実は「スキャンダル」が「嫉妬」であるということを意味しているのであろう。

さて、本件に関しては、キャバクラに行っただけであり、まあ、その後「同伴」や「アフター」があったかどうかは不明であるが、はっきり言って、それくらいは自費で行けという松井一郎氏の言葉はまさにそのものであろう。しかし、一方で昔のような「下半身に人格無し」の時代の政治そのものの「効果を見直す」必要もあるのかもしれない。政治家と言えど「聖人君主」ではない。その様に考えた場合、どこまで許容するのか、そのことは一度国民全体が考えるべきなのかもしれない。

「宇田川源流」【現代陰謀説】 中国のスパイの親玉に会いに行く日本の政治家の残念さ


 毎週金曜日は陰謀説の日である。毎週現在進んでいると思われる陰謀に関して、その陰謀の内容をしっかりと解説している。逆に、世の中で「陰謀論」といわれることの中で、まあ、どうにもならないような内容をすべて排除するということを目標としている。何でもかんでもどこかの団体やユダヤ人の陰謀というような話をしていても、あまり大きな意味はない。そのような陰謀論を語ることそのものが陰謀論であるというようなことになっているのであるが、本人たちは「自分こそ陰謀を暴いた」として、大きな陰謀を仕掛けている人の「駒」となってガセネタを吹聴しているということになる。まあ、どうにもならないとしか言いようがない。

 さて、陰謀の主役といえば、様々な団体や国家などが存在するのであるが、実際にはその実行犯が存在するのが普通である。その実行犯というのは、工作員とかスパイと言われる人々の事を言う。スパイというと日本では、娯楽映画の007シリーズをイメージする人が多い。それだけ日本人というのは映画なごの作品に影響されやすいということであり、マスコミ等に感化されやすいのであるが、当然それらは作品、つまり作り物でしかなく、本物とは似ていても、全く違うという場合が少なくない。実際に、イギリスで007の映画を見た情報部MI6の職員は、映画はあくまでも娯楽作品であり、映画のように街中でカーチェイスや、銃撃戦をやり、基地らしい所で大爆発をおこせば、翌日の新聞のトップになりすぐに懲戒であると笑つていたと、BBCが報じている。逆に言えば、それほど繊細で厳しい仕事であり、陰謀論者が言うような計画的なものではないのである。他人の心を動かすのは、それほど難しい事であり、例えば身近な異性の心もままならないので恋愛小説という分野が成立するのだが、敵国のそれも見ず知らずの集団を動かす事が、そんなに簡単にできるはずがない。陰謀論は、そのような失敗まで計算しているかのごときありえない話をまことしやかに言うのである。

<参考記事>

「スパイの親玉」と平気で会談する日本の政治家の残念さ…習近平が「魔法の武器」と呼ぶ工作組織の中身

12/4(木) プレジデントオンライン

https://news.yahoo.co.jp/articles/e5c6663f7c29ad90b8e2e53c6354f70bedc500aa

<以上参考記事>

 まず今回の「参考記事」の内容が正しいかどうかは別である。そもそもこの記事に書かれた人物が、本当に中国のスパイであるのかどうかは不明であろう。

しかし、一方で日本の政治家が中国のスパイに甘すぎるくらい甘いということは間違いがない事実である。中国はすでに「三戦」という「法律戦」「世論戦」「心理戦」を言う段階を超えて「認知戦」という戦争を行っている。この「認知戦」を受けて例えば今回の高市首相による国会の発言で、「中国の言うとおりに撤回すべき」「もしも中国が怒ったら異本はすぐに占領されてしまう」などということを、日本のSNSの投稿が日本人の間(とくに日本の政治家がそのようなことを真剣に訴えていたりジャーナリストという人が、テレビなどを通じてコメントしているのを見ると、本当にぞっとする。中国の認知戦がここまで来ているのかとか、経済関係で中国との間の安全保障をゆがめるというような。まさに「金で国を売る」ような話をするということ自体がおかしな話なのであるが、全く見えていないということになるのである。

それだけではなく、そもそも日本の政治家には「日本という国家の政治家であって、国家機密がある」というようなことを全く考えていない。電車の中で政治の話を大声で話しているとか、喫茶店や居酒屋で、同僚政治家の悪口を言うなど、まったく何を考えているのかわからないのである。このままでは、スパイ防止法等を作ってしまえば、本物のスパイの前に、日本の政治家が半分以下になるということになるのではないか。

さて、過去に徳川家康は、天守閣の最上階に人を招き、天井板をすべて外し、ふすまもすべて外して、秘密の話をしたという逸話がある。もちろん逸話でしかないので本当かどうかは不明だ。しかし、このようにしていれば、近くに人がいればすべて見えてくる。そのためにそこで話をすれば、聞こえる人は見えているということになるのである。この逸話は、「そのようにして話す」のではなく「天下人はここまで気を遣う」ということである。その認識があまりにも日本の政治家にはなさすぎるということになるのであろう。

一方、現代であれば、当然に「壁に耳あり・障子に目あり」という言葉があるがそれくらいの内容が必要である。実際に、「外国人と会ったら、その人はスパイまたは敵と思え」というのは普通であるが、残念ながら、日本人は、まったく逆に「相手を信用する」ということに美徳を感じているので、全く話にならないのである。そのうえ、政治的な立場や国家間、愛国心が全くなくそのうえで、経済的な内容や、自分の欲望だけで動く人が多いので、本当に困ったものなのである。

さてそのような日本人の性質をうまく使ったのが「人民解放軍総参謀本部対日工作処」である。「参考記事」を無視して言えば、これらの工作要因は、少なくとも1990年代、江沢民の時代からあり、その時の話では毛沢東の時代からあるという。日本の工作は、改革開放以来行われており、日本人の基本的な性格などをまずは基本的に分析したうえで、その内容を見てゆくということになるのである。

さて、話はすっかりと変わって、赤沢大臣による「トランプ関税交渉」の時に、最もアメリカに言われたのが、「石破内閣にいる親中派を処分せよ」ということは何度も言われたのである。その中で言われたのはH・I・M(あえてイニシャル)である。ちなみにAに関しては、「馬鹿すぎる」ということで、アメリカでは鳩山に継いで「ルーピー」といわれていたのである。その中のMは、恥も外聞もなく、自分から中国に行って「パンダ外交」を求めるということになっているのである。実際にそのニュースを見た時、石破内閣はダメだと思ったが、まさにそのパンダ外交をそのまま行い、万博でもパンダの話をする上に肉の輸入という経済的な話で国を売るということになったのである。そのことから石破内閣は完全にアメリカからの信用を失ったのであり、そのうえで、「余人に代えがたき」などという発言をその人に対してしたので、アメリカは、石破首相が継続しようとしたときに一切手を貸さなかったのである。

さて、中国のスパイと一緒にいて、情報を流していれば、当然にアメリカ唐制裁を加えられる。そのこともよくわかっているべきではないか。スパイがいるのは中国だけではないのである。

「宇田川源流」【日本報道検証】 新語・流行語大賞は本当に必要なのか?


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

 さて今回は、年末恒例となる「現代用語の基礎知識選 2025 T&D保険グループ新語・流行語大賞」の内容に関して、少し見てみよう。さて、そもそもこの内容は「現代用語の基礎知識」という自由国民社が出している出版物を中心にした内容であり、その内容が現代用語の内容として敬刺される中で、流行語、新語として認知されているということを見ているということになるのである。

さて、まずは何よ李も自由国民社という会社を調べてみよう。

自由国民社は1928年であるから、昭和3年であろうか、長谷川国雄がサラリーマン社として立ち上げた出版社である。口語六法など私もいくつか使っている書籍が存在したのでなんとなく覚えている。

さて、この「新語・流行語大賞」について、「反日である」などとSNS上では出されているので、一応調べてみると、とりあえず左翼団体などとの直接的な関係は、少なくとも調べる限りにおいてはない。ただし、出版社として左翼思想の書籍を出版している場合や、出版物で左翼的な視点から論評している場合があることは間違いがない。

新語流行語大賞に関しては、1984年から行っており、一応流行語などに大賞を出していたのであるが、近年は、ノミネートされる流行語のなかには、選考委員の恣意的な判断で選ばれた文言(例:2019年)、2014年の選定を筆頭に、時の選考委員の思想や嗜好などの偏見が反映されたことを示唆する言葉(政権批判や選考委員の思想に基づいた政治的プロパガンダなど)、世論の流行語と選考された流行語の乖離(例:2015年)など、選考方法や中立性について問われることや「新語・流行語大賞」という目的との乖離が起きたと思われる年(例:2016年)は激しい批判にさらされることも少なくない。

ちなみに、選考委員は現在では、神田伯山(講談師)・辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)・パトリック・ハーラン(お笑い芸人、「パックンマックン」メンバー)・室井滋(女優・エッセイスト・富山県立高志の国文学館館長)・やくみつる(漫画家)・大塚陽子(『現代用語の基礎知識』編集長)である。中には明らかに、テレビなどのコメンテーターとして左翼的な発言をする日値が含まれていることはこれらの批判になんとなく合致するところがあるのは間違いがない。

<参考記事>

「新語・流行語大賞」に「忖度?」「流行してない」の声 ありがたがるのはオールドメディアだけの皮肉

2025年12月02日 12時00分リアルライブ

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12184-4739111/

<以上参考記事>

 さて、今年の内容は以下のとおりである。

大賞・働いて働いて働いて働いて働いてまいります/女性首相[19] 高市早苗(第104代内閣総理大臣)

ベストテン(順不同)

・エッホエッホ うじたまい(マルチアーティスト)、うお座(X(旧Twitter)ユーザー)

・オールドメディア 青山繁晴(環境副大臣・参議院議員・作家)

・緊急銃猟/クマ被害 田澤道広(羅臼町職員・ガバメントハンター)

・国宝(観た) 映画『国宝』製作委員会

・古古古米 一般財団法人日本米穀商連合会

・戦後80年/昭和100年 保阪正康(ノンフィクション作家)

・トランプ関税 赤澤亮正(第33代経済産業大臣)

・二季 立花義裕(三重大学大学院教授)、滝川真央(同大学大学院博士前期課程 大学院生)

・ミャクミャク ミャクミャク(大阪・関西万博公式キャラクター)

選考委員特別賞 ミスタープロ野球 長嶋茂雄

 正直に言って「本当に流行していたのか?」というような言葉ばかりである。私からすれば、はっきり言ってどれもあまりなじみがない。このようにして聞いてみて「そういえばそんな言葉が言われていたことがあったなあ」というような程度であり、それ以上の話ではないのである。

これは、実はNHKの紅白歌合戦にも言えることであり、「言葉や歌が消耗品になってしまっていて、その内容があまり定着しないうちに通り過ぎてしまう」という事でありまた、本当に流行しているのは、上記の言葉を使えば「オールドメディア」の中ではなく「SNS」の中で使われていることがほとんどであり、そのことから、その中までしっかりと見てゆかなければ「本当の新語や流行語はわからない」という現実がある。選考委員がそのようなことまで全く見えていない、マスメディアの中でしか物事を見ていないので、本当の流行語になっていないということになってしまうのである。

実際に、今年の対象である「働いて・・・」を世の中で使っている人を見たことがある人はいるであろうか。このような疑問を街中ですれば「しょせんオールドメディアのやることっだから」などとあきれて言われるのが落ちである。

流行語大賞は、その年に流行った言葉などから選ばれるが、世間を騒がせた事件・事故などの事案や著名人の不祥事・スキャンダルに絡んだ言葉が選ばれることもあり、マイナス面で流行った言葉を選定・受賞対象にすることは不適切であるとする批判が在る(後述の例のように、除外される場合も多い)。ただし、今年の漢字でも2007年の『偽』のような縁起の悪い言葉が選ばれたり、トップ20という全体で見れば、マイナス面のある言葉も候補入りするため、流行語大賞特有の問題というわけではない。ただ、今年の漢字や東洋大学現代学生百人一首などは、一般公募なため、広く意見が集まることや候補の漢字が得票数に左右されるという要因がある。実際に、2024年度に年間大賞を受賞した「ふてほど」も聞いたことがない、Googleトレンドにおいても流行語大賞発表までに流行った形跡がないといったデータが示され、『不適切にもほどがある!』の主演を務めた阿部サダヲも授賞式で「自分たちでは一度も言ったことがない。周りからも聞いたことはない」とコメントしている。

また、選考委員の一人であるやくみつるは、2019年のノミネートが発表された際に、惑星探査機はやぶさ2が小惑星リュウグウに作った「おむすびころりんクレーター」を「はやぶさ2の話題は偉業としてもてはやされたが、その後の言葉が定着してない。ここに入れることによって、そういう言葉もあったんだねと認知してもらう効果もある」と、流行した言葉でないのを分かった上で「新語」として自らが候補に「ねじこんだ」ことを明かしている。つまり「大賞という仕組みを使って新語を作った」ということなのであり、本当に流行しているようなものではないのである。

これ、本当に必要なのであろうか。

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 まさかの一人二役で将軍の父の誘拐を演じる


 毎週水曜日はNHK大河ドラマ「べらぼう」について、好き勝手書いてきたのだが、それも今週と来週で終わりになってしまう。なんとなく悲しい感じがする。これが「○○ロス」というものであろう。それにしても最後になっての「創作」がなかなか面白い。何しろ将軍がグルになって自分の父の一橋治済を拉致して城から追い出し、瓜二つの人物と入れ替えてしまうであるから、なかなか面白いということになる。

さて、今回はその重要な役割を果たす城桧吏さん演じる11代将軍徳川家斉について少し見てみよう。とりあえずドラマとは関係なく史実を見てみましょう。

徳川家斉と一橋治済の関係は、単なる「父と子」という枠を超え、江戸幕府後期の政治構造そのものを形づくった、きわめて特異で濃密な結びつきでした。史料から浮かび上がるのは、治済が自らの血統を将軍家の中心に据えるために周到な戦略を張り巡らせ、その結果として家斉の長い治世が生まれたという構図です。

 一橋治済は、八代将軍吉宗の孫として御三卿の一橋家を継ぎ、将軍家に次ぐ家格と政治的影響力を持つ立場にありました。彼は早くから「自分の子を将軍にする」という野心を抱き、そのために幕府内の勢力図を読み、田沼意次政権の崩壊や松平定信の登用にも影響を与えたとされています。その治済の長男として生まれたのが家斉で、幼い頃から政治的な駒として扱われ、やがて十代将軍家治の後継候補に押し上げられていきました。

 家斉が十一代将軍に就任した背景には、治済の強力な後押しがありました。治済は「将軍の実父」という、幕府内で誰も逆らえない立場を得ることで、表に出ずとも政治の中枢に影響を及ぼすことができました。そのため家斉の初期政権は、しばしば「治済の影響下にある将軍」として語られます。尊号一件など、朝廷との関係を揺るがす事件にも治済が深く関わったとされ、家斉の治世は父の影が常に差し込むものでした。

 しかし、家斉自身の人生は、父の存在を超えて独自の色合いを帯びていきます。彼は歴代将軍の中でも最長となる約50年の治世を持ち、将軍職を息子の家慶に譲った後も「大御所」として実権を握り続けました。その長い治世は、政治の停滞と財政悪化を招いた一方で、文化面では化政文化が花開く時代でもありました。家斉はまた、非常に多くの子をもうけたことで知られ、その数は53人とも55人とも言われています。この「子沢山」は、御三家・御三卿・旗本への養子縁組を通じて幕府の人事構造を変質させ、後の幕府の弱体化につながったと指摘されています。

 晩年の家斉は、政治の実務からは距離を置きつつも、幕府の象徴としての存在感を保ち続けました。彼の治世は、江戸幕府がまだ「将軍が将軍らしく振る舞えた最後の時代」とも評されます。父・治済の野心によって将軍となり、長い年月を権力の中心で過ごした家斉の生涯は、江戸後期の政治と文化の両面を映し出す鏡のような存在でした。

<参考記事>

「べらぼう」生田斗真、一人二役の理由 制作統括が明かす

2025年12月7日 シネマトゥデイ

https://www.cinematoday.jp/news/N0152273

<以上参考記事>

 さて今回は、喜多川歌麿(染谷将太さん)等は一回お休みで、松平定信(井上裕貴さん)と一橋治済(生田斗真さん)の対決ということになった。ある意味で騙し合い、平和の時代の「陰謀の掛け合い」という感じがあるのは、現代の世の中に伝わる部分があるということになるのではないか。

何しろ一橋治済は、このドラマの中では(史実は違うと思いますが、確たる証拠はないのでなんとも言えません)自身は手を下さずして、平賀源内(安田顕さん)将軍候補だった徳川家基(奥智哉さん)、老中首座・松平武元(石坂浩二さん)、老中・田沼意次(渡辺謙さん)の嫡男・田沼意知(宮沢氷魚さん)、家治ら多くの命を奪い、人を意のままに操る傀儡師のような恐ろしい人物というか黒幕として描かれていましたから、視聴者の多くは一橋治済を嫌っていたのではないかと思う。

そして前回うまく芝居祭りの中で一橋治済を暗殺できると考えていたところ、逆に独まんじゅうを食わされてしまうということになったのである。このことは松平定信を不名誉を与えただけではなく、大崎(映美くららさん)等の協力者を多く失ったということになったのである。

そこで、もう一度蔦屋重三郎(横浜流星さん)と松平定信が手を組み、そして、蔦屋の発案で、将軍を巻き込んで一橋治済の影響力を排除するということになったのである。

そこで出てくるのが「斎藤十郎兵衛」である。本来史実ではこの人物こそが「東洲斎写楽」であるとされているのであるが、ドラマの中では、一橋治済にそっくりな人物である。そのために、斎藤十郎兵衛は生田斗真さんの一人二役になったのである。

それにしても、本当にこのようなことがあったら、かなり大きな事件であろう。また、父を煙たがっていた徳川家斉は、全く変わっていたのではないか。

いずれにせよ、疑り深い一橋治済をうまく騙して、そのまま安房に追放したということは、なかなか面白かった。まったくその史実とは関係ないが、それでもドラマとしては、視聴者の多くがスカッとするドラマになっていたではなかったか。

そのうえで、最後のシーンである。

松平定信と蔦屋重三郎が語り合うシーン。

「なんでまたうちの店に?」と不審な表情を浮かべた蔦重に対し、定信は唐言(からことば)という、これまでも「べらぼう」で何度か登場した言葉遊びで応じます。音節の間に別の音節を入れ、他人に発言の内容を分からなくするもの。吉原などの遊郭でよく使われていた。

「いキちキどコきキてケみキたカかカったカのコだカ」⇒「いちど来てみたかったのだ」

この内容からなかなか面白い会話が続く。ある意味で「長年の二人の間の氷のような関係が解けてゆく」ということが目に見える形で出てきたのではないか。

 定信が「金々先生以来、黄表紙はすべて読んでいる」と触れた春町の代表作、『金々先生栄花夢』を手にしながら、「春町は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集う社であった。あのことは我が政、唯一の不覚である。揚がった凧を許し、笑う事ができれば、すべてが違った」と「凧」とは春町が命を落とすきっかけになった『鸚鵡返文武二道』の中の重要なモチーフを使って答えた。この会話だけで、定信が、恋川春町(岡山天音さん)の作品を読んでいたことや、黄表紙が好きであったことなど、全てが氷解し、そして故意かは春町が死んだときに布団部屋で泣いていたことも、全て伏線を回収したということになるのである。

ある意味で、田沼意次と蔦屋の関係のように、松平定信と蔦屋の間も、分かり合える関係になっていたのかもしれない。何かそんな感じを受ける内容ではなかったか。

 当て次回は最終回。どんな最終回になるのか。

「宇田川源流」【日本報道検証】 台湾問題でアメリカが台湾関係強化


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

 さて今回は高市首相の存立危機事態発言から大金門ぢ案位なり現在の日中関係の悪化をまねているということから、連日日中関係のニュースばかりではっきり言って食傷気味である。日本の報道の場合は、基本的には「日本国内での憶測」ばかりで、しっかりとした取材などを行った内容ではないので、まあ、まったく当てにならない言説ばかりである。日本のマスメディアは、自分たちの勝手な憶測しか流せなくなってしまい、しっかりとした取材に基づいた内容を報道する姿勢を完全に放棄してしまった内容ばかりであり、本当に困ったものである。これは、高市首相を批判する側も、また、擁護する側も、いずれもそのような感じになっているのは残念であろう。

さて、中国、というか特に共産党の内部はどのようになっているのであろうか。単純にメンツの国であるという中国は、当然に「韓国でAPECのとくに習近平と高市が首脳会談を押し、そのことによって習近平の威光で高市が中国の威光に従うようになった」というようなイメージでいたのである。その翌日に高市首相が台湾の代表と写した写真を投稿しても、あまり大きな反応をしなかったのは、「大きな中国」を見せるという意味で、威厳を示したということになるのであろう。

しかし、その後10日もしないうちに、今度は国会の存立危機事態発言であった。

なお、この存立危機事態発言に関しては、中国共産党本部もよく聞いている。日本の国会はしっかりと向こうで分析しているのであるが、その分析によれば、「アメリカが参戦して新しい戦争が始まった場合」と限定していたので、何もしない予定であった。しかし、大阪総領事の薛剣が、「汚い首を斬ってやるやる」と投稿し、そのうえ日本の「親中派議員」と「朝日新聞」が「高市台湾戦争参戦」と書いてしまったので、中国の本国も引き下がるわけには行かなかった。

当然に「撤回せよ」と言っても高市首相にしてみれば、「何を撤回する」のかまったく理解できていない。当然に日米同盟である以上、アメリカが参戦すれば、日本が存立危機事態になるのは当たり前なのであろう。

つまり中国共産党政府は「高市内閣は台湾に参戦しないと明言せよ」ということまたは「中国共産党を尊重すると言え」という事でありまた「謝罪してその後中国に無条件で従え」と実質的な降伏を言ってきているのである。もちろん、そのようなことを高市内閣がのむはずがない。

<参考記事>

米、台湾関係強化の法成立 トランプ大統領署名、中国反発

12/4(木) 共同通信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c8bca37fb252d3123222f9b0925cc655f80d9fa0

マクロン大統領が“友好関係”掲げ中国訪問…大統領夫人の赤いコートとバッグが話題に

12/4(木)中央日報日本語版

https://news.yahoo.co.jp/articles/b0f9e2c01ab8bedd770e8de9501f5035b0e46d96

【高市自民】ネット荒れる「本当に大使館か?」「公式に墓穴」「台湾が日本領土になるぞw」高市批判の在東京の中国大使館→サンフランシスコ平和条約を「不法かつ無効」と言い出す 千件コメ殺到「ドン引きした」「勝手に歴史修正するな」

12/3(水) デイリースポーツ

https://news.yahoo.co.jp/articles/7108a223b24ce05b5f56736f2ff80ea2276c5d33

<以上参考記事>

 暫く、この二つの国の内容を見ていた。日本は、G20でも多数派工作を行わなかったのだが、中国の王毅は、頭が悪いのですぐにイギリスやフランス、南アフリカなどに出てゆくことになる。

日本の場合は「何もしなかった」のではなく「何をしてよいのかわからなかった」という方が正しいのであろう。正直なところ、このような常用になるとは全く予想していなかったのであろうし、また、日本国内の言説を落ち着かせるので精いっぱいであったのであろう。同時に日本の外務省は、あまりにも不勉強で、台湾関係がどのようになっているのか、その歴史がどのようになっているのか、また、そのことに関してヨーロッパや中東やアフリカ、アメリカがどのような政治的なスタンスになっているのかも全くわかっていない。それどころか、現在の中国と各国の関係もろくに見えていないということになる。残念ながら、今の日本の外務省は、日本と自分の担当国というような二か国関係の外交しかできない状態にあり、そのことから、多国間外交であるとか、または日本を除いた中国と他の国、アメリカと他の国、またはロシアやウクライナと他の国の関係などは全く見えていない。日本を中心にした二か国関係しか見えていない上に、相手の国の教育や教科書などは全く研究していないのであるから、彼らに情報がわかるはずがないのであろう。

なお、以前TICADの記事の時にも言ったが、残念ながら日本の外務省は英語も話すことができない人が少なくない。残念ながら現在の外務省の入省試験には英語又は外国語というような試験はない。そのような人々に、その国のことなどは全くわかるはずがないのであるから、残念ながら、その内容が見えることはないので会うr。

さて、しかし、「何をしてよいかわからなかったから何もしなかった」ということが「ケガの功名」で、アメリカやフランスが動き始めることになった。アメリカは、従来の政策通りに、台湾関係法をより一層強化する法を大統領がサインするに至った。一方フランスは、アメリカとあまり仲が良くないということから、突然中国に行って、日中関係の悪化では中国の主張を支持すると言い始めた。このことでアメリカとフランスは、急激に対立関係になる。

なお、フランスはすでに志願兵を求めているということになっているのであるが、そのフランスの志願兵は対ロシア戦争を行うということになる。ウクライナ和平ということでフランスは、ロシアを極東からけん制することを中国に依頼しに行った。その前提として台湾を一つの中国と認めざるを得なかったということになるのであろう。

そのうえで、中国は「サンフランシスコ講和条約」を「違法で不平等で無効」と言い始めたのである。これは「サンフランシスコ平和条約で我が国は台湾に関する全ての権利権限を放棄しておりますので、台湾の法的地位や認定をする立場にはございません」と述べた高市発言を否定したものであるが、要するに、1945年以降の世界秩序がすべて違法であるという事を言っているのである。この内容を否定するということになれば台湾はいまだに日本の領土ということになるのである。中国はとうとうくるってしまったというか、まあ、アメリカやイギリスの作った国際秩序を破壊しようとしているということが明らかになったという事であろう。

まあ、今後中国は「このサンフランシスコ講和条約否定発言」の上で、外交をしなければならないということになる。もちろんロシアもその条約に調印していないのであるが、さて、今後どのようになるのか。世界秩序を完全に書き換えようとした中国の今後の運命は?

「宇田川源流」【日本万歳!】 奉祝 敬宮愛子内親王殿下24回目のお誕生日


 毎週月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいところや、日本が賞賛されている記事を参考記事として、その内容を分析し、日本の何が称賛されているのかということ、日本のどのようなところが、他の国とは異なるのかということを明らかにし、そのうえで、日本人が日常としてあまり考えていないすばらしさを再認識しようということである。

 毎週月曜日は、多くの人々が「マンデーブルー」ということを口にするくらい、土曜日と日曜日の休みと、月曜日からの働く毎日が辛いということもある。しかし、日本のすばらしさはそのように「特別ではない、毎日を働くすべての日本人」が、その素晴らしさを作っているということになるのです。そのようなことから、日本人の皆さんが自分自身に日本人としてのすばらしさを自覚し誇りを持てるということを期待して、この連載を行っている。

 さて、そうはいっても実は日本のすばらしさは1月には正月の様々な行事に結集しているといって過言ではない。以前森喜朗氏が首相であった時に「日本は神の国」といってマスコミが一斉に反発したが、実際に私自身は日本は神の国であると思っている。もちろんか身に守られているということではなく、神が存在していると考えている。他の国の宗教とは異なり、日本は「八百万の神々」の国であり、その神々がどこにでもいるということになる。もちろん日本的な考え方であるという事であろう。

 さて、その「神」の中の一柱が、天皇陛下である。そしてその天皇陛下を中心にした皇族と公家がその天皇の政治を支えるということになっている。現在の政治の混乱などは、昔の公家が見れどのように映るのであろうか。「公家」とは、当然に「自分よりも公を考える」ということであり、他の私人(庶民)は自分の生活のことを考えればよいが公家や皇族は国や公のことを考える。そのような気持ちが、現在の政治簡易どれくらい持っているのか。皇室のことを語れば、どうしても現代の不満が先に立って出てきてしまう。

<参考記事>

《24才のお誕生日》愛子さまの「皇族としてのご覚悟」と「両陛下との絆」を振り返る 大学卒業からご公務での活躍ぶり

12/3(水) 7:00配信 NEWSポストセブン

https://news.yahoo.co.jp/articles/53edfb6fae5a0ade6fa3052bc4d296d47ecb4064

<以上参考記事>

 12月1日に敬宮愛子内親王殿下の24回目のお誕生日を迎えられた。弥栄。

さて、愛子内親王殿下に関しては、最近になって単独で海外の公務にご出席されることも行われ、世界に羽ばたくような状況になってきている。昭和100年といわれるこの一年に、さっまざまなことを行われ、学業から様々なことをご経験されているということに非常に国民は喜び、そして将来の明るさを感じているということになるのではないか。

私自身は愛子内親王殿下とご一緒したことはないのであるが、非常に優しく、また慈愛に満ち溢れた方であるということが伝わってくる。この愛子内親王殿下に置いて、天皇にお迎えすべきというような声が出てくるのも、そのような声を上げる人々の心情は何となく察するところがある。もちろん、本来、日本の皇室に関しては男系男子の系列による継承が当然であり、なおかつ、その男系男子に関してはそれが伝統であるということになる。

過去の日本の歴史からすれば、女性の天皇陛下に関しては、7代の女性天皇を輩出しており、その後、男系男子に戻しているので「女系」の天皇ということは日本には存在しない。またその天皇を一般の人が簒奪しようとしたというのは、奈良時代に弓削道鏡が宇佐八幡神託事件によって、その事件が明るみに出たのであるが、それ以外には天皇は犯すことはできない家系であるというように考えられている。

日本の将来において、秋篠宮悠仁殿下が現在の皇嗣殿下の次に天皇になられるというように考えられているが、それを支える存在としていらっしゃっていただければよいのではないか。

 もちろん愛子内親王殿下に天皇の資質がないとかそういう話ではなく、やはり、今の制度を守るという意味では、そのことは重要なのではないかと考えるのである。

さて、いずれにせよ愛子内親王殿下に関しては、非常に良い日である。そして皇室の慶賀は日本の慶賀である。

日本に皇室があることを、やはり誇りに思うべきではないか。


 毎週月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいところや、日本が賞賛されている記事を参考記事として、その内容を分析し、日本の何が称賛されているのかということ、日本のどのようなところが、他の国とは異なるのかということを明らかにし、そのうえで、日本人が日常としてあまり考えていないすばらしさを再認識しようということである。

 毎週月曜日は、多くの人々が「マンデーブルー」ということを口にするくらい、土曜日と日曜日の休みと、月曜日からの働く毎日が辛いということもある。しかし、日本のすばらしさはそのように「特別ではない、毎日を働くすべての日本人」が、その素晴らしさを作っているということになるのです。そのようなことから、日本人の皆さんが自分自身に日本人としてのすばらしさを自覚し誇りを持てるということを期待して、この連載を行っている。

 さて、そうはいっても実は日本のすばらしさは1月には正月の様々な行事に結集しているといって過言ではない。以前森喜朗氏が首相であった時に「日本は神の国」といってマスコミが一斉に反発したが、実際に私自身は日本は神の国であると思っている。もちろんか身に守られているということではなく、神が存在していると考えている。他の国の宗教とは異なり、日本は「八百万の神々」の国であり、その神々がどこにでもいるということになる。もちろん日本的な考え方であるという事であろう。

 さて、その「神」の中の一柱が、天皇陛下である。そしてその天皇陛下を中心にした皇族と公家がその天皇の政治を支えるということになっている。現在の政治の混乱などは、昔の公家が見れどのように映るのであろうか。「公家」とは、当然に「自分よりも公を考える」ということであり、他の私人(庶民)は自分の生活のことを考えればよいが公家や皇族は国や公のことを考える。そのような気持ちが、現在の政治簡易どれくらい持っているのか。皇室のことを語れば、どうしても現代の不満が先に立って出てきてしまう。

<参考記事>

《24才のお誕生日》愛子さまの「皇族としてのご覚悟」と「両陛下との絆」を振り返る 大学卒業からご公務での活躍ぶり

12/3(水) 7:00配信 NEWSポストセブン

https://news.yahoo.co.jp/articles/53edfb6fae5a0ade6fa3052bc4d296d47ecb4064

<以上参考記事>

 12月1日に敬宮愛子内親王殿下の24回目のお誕生日を迎えられた。弥栄。

さて、愛子内親王殿下に関しては、最近になって単独で海外の公務にご出席されることも行われ、世界に羽ばたくような状況になってきている。昭和100年といわれるこの一年に、さっまざまなことを行われ、学業から様々なことをご経験されているということに非常に国民は喜び、そして将来の明るさを感じているということになるのではないか。

私自身は愛子内親王殿下とご一緒したことはないのであるが、非常に優しく、また慈愛に満ち溢れた方であるということが伝わってくる。この愛子内親王殿下に置いて、天皇にお迎えすべきというような声が出てくるのも、そのような声を上げる人々の心情は何となく察するところがある。もちろん、本来、日本の皇室に関しては男系男子の系列による継承が当然であり、なおかつ、その男系男子に関してはそれが伝統であるということになる。

過去の日本の歴史からすれば、女性の天皇陛下に関しては、7代の女性天皇を輩出しており、その後、男系男子に戻しているので「女系」の天皇ということは日本には存在しない。またその天皇を一般の人が簒奪しようとしたというのは、奈良時代に弓削道鏡が宇佐八幡神託事件によって、その事件が明るみに出たのであるが、それ以外には天皇は犯すことはできない家系であるというように考えられている。

日本の将来において、秋篠宮悠仁殿下が現在の皇嗣殿下の次に天皇になられるというように考えられているが、それを支える存在としていらっしゃっていただければよいのではないか。

 もちろん愛子内親王殿下に天皇の資質がないとかそういう話ではなく、やはり、今の制度を守るという意味では、そのことは重要なのではないかと考えるのである。

さて、いずれにせよ愛子内親王殿下に関しては、非常に良い日である。そして皇室の慶賀は日本の慶賀である。

日本に皇室があることを、やはり誇りに思うべきではないか。

【有料メルマガのご案内】20251208 有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」

2025年48号 安倍晋三暗殺事件の山上被告の裁判の違和感


 皆さんおはようございます。

 メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」主催の宇田川敬介です。

 今年も様々な内容にして、少し違う観点から様々な内容を見てみたいと思います。

普段のブログとは全く関係なく、少し柔らかい内容で見てみたり、国民の慣習のことなどを見てみたいと思っております。

 これからもよろしくお付き合いください。

さて、今週は「安倍晋三暗殺事件の山上被告の裁判の違和感」として、この殺人犯を擁護する一部の人々やマスメディアの報道に関して、少し考えてみたいと思います。

2022年7月、参議院選挙の最中に、・・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

有料メルマガもやっています

この続きは明日発行される有料メルマガに書いています。

有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」でお楽しみください。

無料メルマガでは話せない内容が盛りだくさんです。

毎週月曜日発行で、月400円(税別)です

この文章は明日の先出です!!

また申し込み初月は無料ですので、ちょっと覗いてみたいと思う方は、ぜひ一度申し込んでみてください。

多分本で読むより安いと思います。

申し込みは以下のリンクより。

「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 同性婚を認めないのは「合憲」


 今週も「土曜日のエロ」の日になった。まずはエロの話をしてみたいと思うが、今週は内容がかなりまともなので、少し別な話題から見てみよう。

さて今週は、少し手抜きをさせていただいて、というのも、なぜか左手を「リウマチ」が襲ってきたので、少し慣れるまで文字数をあまり打ちたくないということもあるので、今週は、手抜きをさせていただいてAIに変な質問をしてみたので、その内容をそのままここに出してみたい。

質問「安倍晋三元首相を殺害した山上被告の裁判で、なぜ殺人犯なのに擁護する声が出ているのか?その違和感に関して詳細を表やグラフや箇条書きを使わずに教えてください。」

<Copilotの回答>

こうした「擁護の声」が生まれる理由を丁寧にたどっていくと、単純に“犯人を支持している”という話ではなく、日本社会の深層にある複数の感情や構造が絡み合っていることが見えてきます。むしろ、その複雑さこそが多くの人に違和感をもたらしているのだと思います。

まず、裁判で明らかになっている事実として、山上被告の動機には旧統一教会による家庭崩壊への怒りや、経済的困窮、兄の死への罪悪感などが重なっていたことが指摘されています。彼自身が「絶望と危機感」と語っているように、個人的な破綻と社会的な問題が結びついた形で事件が起きたわけです。

この背景が公になったことで、一部の人々は“彼の行動そのもの”ではなく、“彼が置かれていた状況”に共感を寄せているのです。つまり、擁護というより「理解できてしまう」という反応に近い。旧統一教会の問題が長年放置されてきたこと、政治との関係が曖昧に扱われてきたことが、社会の側にも責任があるのではないかという感覚が、彼への同情を呼び込んでいます。

しかし、ここに大きなねじれがあります。

人々が共感しているのは「背景」であって、「殺人」という行為ではない。けれど、背景への共感がそのまま“行為の正当化”に見えてしまう瞬間がある。そこにあなたが感じている違和感が生まれるのだと思います。

さらに、事件後のネット空間では、山上被告が「巨大な悪に立ち向かった個人」として語られることがありました。これは、社会問題を“個人の英雄物語”に変換してしまうネット文化の影響が大きい。実際には、彼の犯行は計画的で冷徹であり、銃を自作し、標的を選び、試射を繰り返したという事実が裁判で明らかになっています。にもかかわらず、ネット上ではその冷徹さが“覚悟”として美化されることがある。ここにも強い違和感が生まれます。

そしてもう一つ重要なのは、日本社会が「暴力による政治的行為」をどう扱ってきたかという歴史的な文脈です。戦後日本は、政治的暴力を徹底的に否定することで民主主義を守ってきた国です。だからこそ、今回のように暴力が“理解可能なもの”として語られる状況は、社会の規範そのものを揺るがす。

「理解はできるが、肯定はできない」

「背景は深刻だが、行為は許されない」

この二つの感情が同時に存在することで、社会全体がざらついた感覚を抱えているのです。

あなたが感じている違和感は、まさにこの“二重の揺れ”から生まれています。

背景への共感と、行為への拒絶。

個人の悲劇と、社会の問題。

ネットの物語化と、現実の冷徹さ。

そのどれもが切り離せず、絡み合ったまま語られているからこそ、私たちはこの事件を前にして、どこか落ち着かない気持ちを抱き続けているのだと思います。

もし、あなたがこの違和感の正体をさらに深く掘り下げたいなら、社会のどの部分に“揺れ”を感じているのか、一緒に言語化していくこともできます。

さて、皆さんはこの答えをどのように感じるであろうか。

この山上被告に関する内容は、私個人の意見は有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」(https://www.mag2.com/m/00016471)の中に記載したいと思う。ここでは長くなるので、AIの回答をそのまま記載して終わりにしよう。

<参考記事>

【速報】同性婚認めないのは「合憲」同性カップルらの訴え退ける判決 東京高裁

2025年11月28日 11時16分 日テレNEWS NNN

https://news.livedoor.com/article/detail/30090027/

<以上参考記事>

 さて、今回は先週は傑が出た同性婚を認めないことは合憲という判決が東京高裁で出たことについてみてみよう。

東京高裁は、現行の婚姻制度が直ちに憲法に反するとは言えないと判断し、婚姻の法的枠組みを維持することに合理性があると結論づけた。

 東京高裁は憲法24条の文言と歴史的解釈を踏まえ、婚姻は伝統的に異性間の制度を想定していると解した。この解釈に基づき、婚姻制度が「夫婦とその子」を基本的な家族像として設計されていることに合理性があるとした。

 裁判所はまた、子の出生と養育環境の保護を重視し、現行制度が生まれてくる子の利益を整えるために有用である点を根拠に挙げた。判決は、夫婦間で生まれ育つ子が多数を占める現状を指摘し、これを制度設計の合理的根拠とした。

 さらに、憲法上の制度設計は第一次的に国会の裁量に委ねられるとの立場を示し、立法府による議論と制度構築を優先すべきだと述べた。現時点では国会での審議が尽くされるべきであり、司法が直ちに立法の役割を代替するべきではないという点が強調された。

 加えて、同性カップルが受ける不利益の一部は契約や自治体のパートナーシップ制度、企業の対応で代替可能であると評価し、これが「直ちに違憲と断じるには至らない」理由の一つとされた。

 最後に、東京高裁は今回の判断が最終的結論ではなく、将来的な社会状況や国会の対応次第で法的評価が変わり得ることを示唆し、最高裁での統一判断や立法の役割を促す姿勢を示した。

 さて、私がSNSなどを見ていると『「同性婚を認める」というのは個人の権利、「同性婚を認めない」のは将来の日本に対する責任という意見』が存在した。なかなか興味深い。はっきり言って、以前移動の権利と一票の格差ということで、憲法上の人権を二つ並べてどちらを優先するかということになってしまっているということを言ったが、この内容も同じである。社会の変化が、憲法上の人権を二つ並列にしてしまいその競合をどのように解決するかということにつながるのである。

この主張は二つの価値観を対立させている。すなわち「同性婚を認めることは個人の自由と平等の保障」であり、「認めないことは国家の将来(特に出生や社会の持続)への配慮である」という立場だ。どちらも法的・政治的に根拠を持つが、重視する価値と政策手段が異なる。

 まず「個人の権利」側の論理は、個人の尊厳・自己決定・法の下の平等を重視する。婚姻は私的な結合であり、性的指向を理由に法的保護を排除することは差別に当たるという主張が中心で、国際的にも人権団体や一部の裁判例がこの観点を支持してきた。この立場からは、婚姻の法的地位を与えることで当事者の生活保障や社会参加が改善されると論じられる。

 一方で「将来の日本に対する責任」を強調する立場は、出生・子育ての安定や社会の世代継承を国家の重要な目的と見なし、伝統的な異性婚制度がそのために合理的な役割を果たしてきたと主張する。東京高裁の判断も、憲法解釈や子の出生環境の保護を理由に、まずは国会での議論を優先すべきだと述べている点がある。この見方では、婚姻制度の変更は社会全体の構造に影響するため慎重な立法プロセスが必要だとされる。

では少子化の観点から見てみるとどうであろうか。

結論としては、少子化対策の観点から同性婚を認めないことが出生率の大幅な改善につながるとは考えにくく、むしろ家族形成の選択肢を広げる方向の方が長期的な効果を期待できる可能性が高い。

 まず、同性カップルは人口全体に占める割合が小さいため、婚姻制度の有無が国全体の出生率に与える直接的な影響は限定的である。国内外の議論や報道では、同性婚を先に認めた国々でも出生率の長期的なトレンドは社会全体の晩婚化や経済・雇用環境に左右されることが指摘されている。一方で、同性婚の法制化は養子縁組や共同での子育て、代理出産や里親制度の利用といった家族形成の選択肢を制度的に安定させるため、個々のカップルが子どもを持ちやすくなる効果は期待できる。

 国内の議論では、パートナーシップ制度の限界や市民の理解の広がりが報じられており、法的婚姻と同等の保護がないことが当事者の生活設計に影響を与えているとの指摘がある。裁判所の判断や立法の役割も注目されており、司法判断が示す法解釈と国会での制度設計の両面から議論を進める必要があると報じられている。

 結論としては、どちらの立場も法的根拠と政策的懸念を持つため、司法判断だけで決着するよりも、社会的合意と立法的検討を通じてバランスを取ることが現実的だという理解が広く示されている。

「宇田川源流」【現代陰謀説】 大使館という名で作る敵国の中の基地


 毎週金曜日は「現代陰謀説」をお届けしている。現在このように普通に生きている中で、今まさに動いている陰謀ということを、現在公開されているニュースの中からその内容が見いだせるニュースをピックアップし、そしてその中にある「陰謀」を暴きだしてみたい、という内容である。もちろんニュースだけでは完全に不足していることから、それ以上の知識などが総動員されなければならないが、このブログではそこまでしようとは思っていない。それよりも「このような読み方をすれば、陰謀を読み分けることができる」ということをこの場で示したいと思っている。実際に、完全に見分けることは難しくても、ニュースの読み方を見てゆけばよいのではないかということとを考えている連載である。

 さて、陰謀というのは基本的には「戦争」に直結することが少なくない。結果論ではそのように物事がみえる。実際は「相手の国を、自国の思い通りにコントロールする」ということがあり、その場合、相手の国の事を考えて行うのではなく、自国の利益のために相手の国を使う、場合によっては相手国の政権を崩壊させるというようなことにつながるので、そのことが露見した場合に両国の関係は悪化し、その結果、「戦争」に繋がってしまうということがある。

 もちろん、善意による他国の介入というものがあるが、だいたいの場合、国の価値観が異なるのであるから、その価値観そのものを押し付けた結果を求められた場合、その内容が大きな問題として出てくることになるのではないか。またそのように外部からコントロールされていたことが明らかになれば、その外部勢力は当然に反発を覚えるということになる。

 そしてそのような陰謀の前には、相手国を観察するということが必要になる。その上で「戦争を覚悟した観察」を最後に行う必要がある。秘密兵器や、隠れた何かがあった場合は、戦争になって被害を被る可能性があるからだ。そのように考えれば、「陰謀を仕掛ける前」と「陰謀の終盤」には、よく相手国を観察する必要があることは間違いがない。

<参考記事>

イギリスで住民が警戒する、中国の「スーパー大使館」計画

11/26(水) 文化放送

https://article.yahoo.co.jp/detail/0a1223c2874d71afeeb972d0cbe4728d94e695c2

<以上参考記事>

 ロンドンの旧ロイヤル・ミント跡地に計画されている中国の「スーパー大使館」は地元住民や人権団体の強い反対を招いており、政府の最終判断を巡る論争が続いている。

 計画の中心は、ロイヤル・ミント・コートを含む大規模な敷地に中国が欧州最大級の大使館を建設する案で、申請は政府の審査が何度も延期されるなど長期化してきました。反対派はこの規模と立地の象徴性を問題視し、地域での抗議行動や公開の議論を引き起こしている。

 地元住民や人権活動家が挙げる主な懸念は、監視や政治的弾圧の拠点化、周辺住民や亡命者への嫌がらせ、地域の安全保障リスクです。実際に数百人規模のデモが行われ、「ここに巨大な外交拠点は不要だ」といった声が上がっており、抗議は人権問題と安全保障の両面を含んでいる。

 一部の批判者はさらに踏み込み、地下室の改造や通信ケーブルへの接近を通じた諜報活動の懸念、あるいは有事に備えた拠点化の可能性を指摘しており、これが法的手続きや政治的対立を激化させる要因になっている。

中国はロンドンの「スーパー大使館」計画について公式に手続きに従うと述べつつ、計画の差し戻しや赤acted(黒塗り)部分の説明要求を受けており、ロシアからの目立った公開擁護は限定的です。地元の懸念は諜報や監視の可能性に集中し、同時に英国国内では極右的な反移民・反中国の感情が強まっている。

 ロンドン中心部の旧ロイヤル・ミント跡地に関する計画は大規模な外交施設として地元の抗議と政治的論争を引き起こしており、住民や議員らの反対運動が続いている。政府は審査を何度も延期し、議論が長期化している。

 中国側は公式に「適切な手続きで判断されるべきだ」と述べ、計画の一部が黒塗りになっている点について説明を求められたことに応答する姿勢を示している。一方で、英国側が差し止めを検討すれば「結果がある」といった強い表現が報じられ、外交的緊張の火種にもなっている。

 「戦争準備」や軍事拠点化という主張は、現時点では具体的な証拠よりも懸念と推測に基づく声が中心である。批判者は地下施設や通信ケーブルへの接近といった技術的リスクを指摘しますが、政府の安全保障機関は緩和策を条件に審査を進める姿勢を見せている。

 国内政治面では、近年の事件や情報操作を通じて極右的な勢力が反移民・反異文化の感情を拡大させ、デマや暴力に結びつく事例が増えています。学術・監視団体はオンラインの過激化と社会的分断が暴力や排外主義を助長していると分析しています。

さて、この件を陰謀説的に見てみよう。

ある種の陰謀論は、この「スーパー大使館」を単なる外交施設ではなく、表向きの機能を隠した多目的拠点だと描きます。物語の中心は「二重用途」という考え方で、外から見えるのは大使館や文化交流のための建物だが、内部には秘密の通信設備、地下の保全区域、外国人工作員のための安全な待避所、そして現地での影響工作を統括する指令室があるとされる。こうした拠点は、平時には情報収集やプロパガンダ、ターゲットとなるコミュニティへの接近に使われ、有事には迅速な人員移動や機材の展開、あるいは重要インフラへのアクセスを助ける「前線基地」になる、という筋書きとなっている。

 この筋書きでは、施設は複数の役割を同時に果たすとされている。外交特権を盾にして機密機器や専門人材を常駐させ、現地の情報網を構築する。文化・商業活動を通じて影響力を拡大し、地元の政治家や企業との接点を増やす。通信やケーブルの近接を理由に信号傍受やサイバー作戦の拠点化が可能だと主張する。さらに、緊急時には国外からの支援や撤収を容易にするためのロジスティクス拠点になる、といった筋立てが語られる。

 陰謀論はしばしば複数国の協力を仮定します。例えば、同盟関係にある国が情報共有や技術支援を行い、拠点の能力を高めるという筋書きになる。ロシアや他の国家が裏で通信技術や諜報ノウハウを提供し、互恵的に拠点を利用する、といった連携像が描かれることがあります。こうした描写は、国際的な戦略同盟や軍事協力の実態を単純化して結びつける傾向がある。もちろん逆にロシアが中心で中国がこの大使館を通じて協力しているというような見方もあるのだ。

 陰謀論は不安や不信、情報の不足を背景に生まれやすい。大規模な外交施設という目に見える変化は、地域住民の生活や安全に対する漠然とした恐れを刺激します。加えて、政治的緊張や経済的依存関係があると、単純な説明では納得できない人々が「裏の目的」を想像しやすくなる。メディアやSNS上で断片的な情報が拡散されると、事実確認が追いつかないまま物語が膨らむことがよくあるのではないか。

 陰謀論的な筋書きには魅力的なドラマ性がある一方で、現実には法的・外交的制約、監視や審査の存在、物理的・技術的な限界が働く。大使館は受け入れ国の許可や規制、セキュリティ審査の対象となり、極端な軍事化や公開されない大規模な軍事準備を隠し通すのは難しいという指摘がある。また、具体的な証拠が示されないまま疑念だけが広がると、誤情報や偏見が強化されるリスクがある。しかし、中国の場合、例えばファーウェイ出の通人傍受など、様々なことを今までしているので、このような反論の方が根拠が薄く、反駁されることも少なくないということになってしまうのである。

 陰謀論が広まると、地域社会の分断や外国人コミュニティへの不信、政治的極端化を助長する可能性がある。こうした物語はしばしば感情に訴え、検証よりも共有を優先するため、冷静な議論を難しくする。情報を受け取る際は、出所の信頼性、一次情報の有無、専門家の分析を確認することが重要である。