「宇田川源流」【お盆特別:日本人と戦争】(5) 日本軍の失敗

「宇田川源流」【お盆特別:日本人と戦争】(5) 日本軍の失敗


 今年のお盆休みは、戦後80年ということで、日本人と戦争についてゆっくりと考えてみたいと思います。このお盆特別連載は、日曜日も土曜日もなくそのまま継続しようと思っていますので、よろしくお願いいたします。なお、「戦争」という特集をこの時期にしますが、大東亜戦争に関する内容は参考にしながらもその内容を書こうとは思っていないので、あくまでも現代人として戦争をどのように見るかということを考えましょう。

さて、個人的なことですが、今回の連載に関しては「生成型AI」を使ってみたいと思います。私としては初めての試みですが、「生成型AIによる下書きを、私が改定する」というやり方で実験的に使ってみたいと思っております。なお、生成型AIは本格的に使っているわけではないので無料で勝手に入ってきた(と言っては失礼ですが)Copilotを使ってみようと思っております。何か普段との違いがあると思った方は、そのような事情と拝察いただければありがたいです。

さて、5回目は「日本軍の失敗」として敗戦の原因を突き止めようと思います。この点において生成型AIは10の項目を挙げてくれましたが、私はその中で「資源制約と補給網の脆弱性」「戦略的選択の誤算」「暗号と情報戦争」「国民心理とプロパガンダ」という4つの内容を中心に見てゆきたいと思います。

★ 資源制約と補給網の脆弱性

 大東亜戦争における日本軍の戦力は、限られた国力のなかで盤石な補給網を構築できず、持続的な作戦遂行を阻まれました。資源の不足と海上補給線への脅威が連動し、戦局悪化の一因となった。

 日本は戦前、鉄鋼・石油といった基幹資源のほとんどを海外からの輸入に頼っていた。この点に関しては今も同じである。歴史を分析するときは当然に、現在とのっ比較をしなければならない。さて、当時特に東南アジアの油田やゴム生産地は、南方進出の主目的とも言えるほど戦略的価値が高かったといえる。石油に関しては理解できると思うがゴムは、タイヤなどに必要である。南方資源の確保で一時的に需給は緩和されたが、現地インフラ整備や現地住民との摩擦で想定以上のコストと時間を要している。事前に源氏の状況がどうであったかなどの調査が不足であったといえる。

・ 石油:スマトラやボルネオ島の油田開発には重装備輸送や施設建設が必要だった。

・ ゴム:天然ゴムの生産地は熱帯雨林地帯で、収穫から輸送まで労働力と時間を大量に消費。

・ 鉄鋼原料:資源地はほぼ皆無で、国内製鉄業は石炭・鉄鉱石共に輸入頼りだった。

 太平洋上での制海権を欠いたまま補給船団を運航したため、アメリカ潜水艦や連合国の通商破壊部隊による攻撃を受け続けた。給油艦や輸送船は度重なる被撃沈で枯渇し、前線部隊への燃料・弾薬配分は慢性的な不足に陥った。に恩の潜水艦は敵空母や選管など戦闘観を鎮めることを中心に作戦したが、日本以外の国、これはドイツのUボート等も含めて、「通商破壊戦」つまり、「輸送船の撃沈」による敵国への資源の輸送を漸減することを中心にしていた。

・ 潜水艦戦:アメリカ潜水艦の戦果は日本艦隊の損耗以上に商船隊を直撃した。

・ 航路長大化:満州や南方各地から本土への補給航路は数千海里に及び、護衛力不足が深刻。

・ 航空補給の限界:物資量が大きい重油や弾薬は空輸できず、多くは船舶輸送に頼らざるを得なかった。

 戦線拡大と激化に伴い、航空機・艦艇・車両が消費する石油量は急増した。一方で国内生産は微々たるもので、南方拠点の油田開発も連合軍の反攻で支障を来した。また国内の備蓄も少なかったということが言える。1944年以降、艦船の活動制限や飛行機の訓練削減が常態化し、ついには機動戦力そのものが機能不全に陥った。

・ 国内精製能力:石油化学プラントは老朽化し、技術的限界で生産量は低迷。

・ 油槽船撃沈:主要海路での撃沈数は数百隻に上り、備蓄も消耗戦に耐え切れず。

・ 戦術転換:燃料節約のために艦隊行動を抑制し、輸送船も夜間航行に限定されるなど行動半径を縮小。

 日本軍は補給鉄道の敷設や小型輸送艇の投入、さらには「竹コース」などと呼ばれる密航路で物資を届けようとした。しかし、連合軍の空襲や潜水艦待ち伏せを突破するには数が足りず、高コスト低効果に終わるケースが多発した。

・ 南方鉄道網:ビルマ・スマトラで敷設を急いだが、地形と疫病が工事を阻害。

・ 特殊船舶:小型高速艇は護衛無しでは長距離航行に耐えず、犠牲が増大。

o・ 密輸ルート:隠密輸送の成功例もあったが、量的補完は不可能だった。

 資源制約と海上補給網の脆弱性は、日本軍の戦術的・戦略的柔軟性を奪い、持久戦を不可能にした。局地的勝利を重ねても必須物資の欠乏は致命傷となり、最終的に作戦継続能力の限界を露呈したと言える。

★ 戦略的選択の誤算

 これに関しては、すでに様々なところで言われている。

日本軍は限られた国力のなかで勝利を模索し、南方資源地帯の確保や米英との短期決戦を志向した。しかし各種戦略には大きな前提誤りが潜み、徐々に泥沼化を招いた。本稿では主要な戦略的選択とその誤算を整理する。

 当初、日本海軍・陸軍間では「北進論」(ソ連侵攻)と「南進論」(東南アジアへの進出)が対立した。

・ 北進論…満州からシベリア鉄道を断つことでソ連を牽制し、アジア大陸での勢力拡大を図る

・ 南進論…原油・ゴムなど資源確保を優先し、英米との開戦必至と承知のうえで南方へ進出

 南進を選んだ結果、資源地帯の奪取に時間と兵力を浪費し、米英との戦闘を早期に激化させた。ソ連との中立条約は維持されたものの、南方戦域の拡大は補給線を伸ばしすぎる誤算を生むこととなった。

 1941年11月に突きつけられたハル・ノートは、満期回答を求める最後通牒的内容だった。

・ 要求内容は南方進出の即時凍結と中国撤兵など事実上の全面降伏

・ 政治と軍部の協議で返答を先延ばし、打開策を欠いたまま開戦決断へ

 外交的に孤立した日本は米英蘭三国に対して譲歩の余地を自ら失い、対話による和平の可能性を極度に狭めた。

 真珠湾攻撃は奇襲成功で米太平洋艦隊を一時無力化したが、以下の誤算を抱えていた。

1. 航空機修理施設や石油備蓄施設への攻撃を怠り、復帰の余地を残した

2. 米国の国民感情を戦意高揚から総力戦へと向かわせた

3. 短期決戦を想定する一方、長期戦への心構えや生産力比較の検証不足

 結果的に奇襲の「戦術的成功」は、戦略目標の達成にはつながらず、米国の反撃機会を拡大する誘因となった。

 1942年6月、ミッドウェー海戦は日本の戦略的転換点となった。

・ 暗号解読により米軍の反転計画を察知され、奇襲の優位性を失った

・ 連合艦隊は空母戦力を温存しすぎるあまり、決戦準備を過小評価

・ 艦母4隻を喪失し、戦力均衡は決定的に米側へ傾く

この敗北は日本が長期戦を避けるべきだったという前提に大きな疑問を投げかけた。

 日中戦争(1937年~)を戦い続けたことで、

・ 軍事・経済の多大なリソースが中国大陸に固定化

・ 国際的非難を堅持し、米英蘭との緊張を高める要因

・ 決定的勝利を得られないまま消耗戦に陥り、兵力・予備資源を枯渇

 太平洋戦争勃発時点での消耗を増幅させ、南方作戦に必要な機動戦力や資材をさらに圧迫した。

★ 暗号と情報戦争

 大東亜戦争において情報戦は戦局を左右する重要な要素となった。とくに暗号解読(cryptanalysis)は、相手の意思決定過程を先読みし、奇襲や大規模作戦の成否を決定づけた。本稿ではアメリカと日本の暗号解読体制・能力の違いを技術面、組織面、戦略的インパクトに分けて整理する。

 アメリカは開戦前から英国と連携し、暗号解読機関を強化していた。

・ 米海軍通信暗号部(OP-20-G)や陸軍暗号解読局(Signal Intelligence Service)が独立運営

・ 英国との情報共有(ULTRA/MAGIC)により、エニグマや日本軍暗号(JN-25、Purple)の復号を推進

・ 大量の専門人材(数学者、言語学者、暗号専門官)を動員し、電算装置の開発にも早期着手

 開発された暗号機"Purple"を用いた日本大使館通信の解読や、JN-25の漸進的ブレークスルーは、ミッドウェー海戦などの勝利に直結した。

一方、日本側は情報収集・分析能力の強化に消極的だった。

・ 陸海軍それぞれが独自に暗号部隊を運営し、統合的な対外情報機関を欠如

・ 電算技術や数学的暗号解読ノウハウの導入が遅れ、手作業による解析に依存

・ 重要な連合軍通信系統(英米軍のラジオ交信や航路暗号)への浸透度は低く、成果は限定的

 結果として、米軍の暗号解読を察知できず、情報優位を奪われ続けた。なお、一応当時の話を聞けば、「人の秘密を探るのは武士道精神として汚い」というような感覚も日本の軍の中にどこかにあったようである。日本人的場に学としては良いが、戦争に勝つという目的から考えれば、そのような戦争の美学だけで勝てるはずがなく、そのような意味で、情報戦争という意味では日本の当時の軍人に精神的な理解がたりなかったのかもしれない。そのような精神的な理解の不足が必要異常な精神主義に走ってしまったのではないかとも考えられる。

さて、このようなことから日米両国の内容はこのように見える。

日本・・・陸海軍別運営、中央統制の欠如・暗号専門要員は少数、数学的アプローチ希薄・手作業中心、電算装置の開発は限定的・同盟国ドイツとも情報共有は形式的で実効性薄

アメリカ・・・陸海軍連携+英米情報共有による一元管理・数学者・言語学者の大量動員・早期から専用機を開発し処理能力を飛躍的に向上・英国MI6/GC&CS(Bletchley Park)との協力体制

なお、日本のこれらの内容というか、情報に関する認識は現在も変わらない。情報にコストをかける企業が少ないのは、このような日本人的な感覚がいまだに捨てきれていない部分があるということになるのではないか。

いずれによ、この差が、暗号解読の速度・精度に大きな開きとなって表れた。

 アメリカの暗号解読成功は、以下のような戦略的優位を生んだ。

・ 真珠湾以降の日本海軍戦術を把握し、相手を翻弄する迎撃準備

・ ミッドウェー海戦での暗号情報活用による誘い込み戦術

・ 太平洋航路での補給船団を狙った通商破壊戦(コマンド・オブ・ザ・シー)の徹底

 逆に日本は情報欠如により奇襲失敗や被害軽減策の立案が困難となり、戦術的に後手を踏み続けた。

★ 国民心理とプロパガンダ

 大東亜戦争において、日本国内の人々は政府・軍部によるプロパガンダと厳格なメディア統制のもとで情報を受け取り、戦意を駆り立てられる一方、戦局の変化と共に信頼の揺らぎや不安を抱えるようになった。本稿では、戦前から終戦までの国民心理の推移と、それを形成・操作したプロパガンダ手法を概観する。

 戦争初期から日本政府は「大東亜共栄圏」という理想を掲げ、アジア解放の名の下に国民の愛国心を喚起した。新聞やラジオ、ポスターでは、進軍する将兵や協力する地元住民の笑顔が強調され、勝利は当然視された。こうした演出は国民の自己犠牲的精神を高め、戦地への志願や物資の献納運動を全国規模で活性化させた。

 政府は報道機関や出版物を厳しく管理し、事実報道を制限した。戦況の悪化や連合国の反攻は「戦況好転中」「小康状態」といった表現でぼかされ、逆境を国民に悟らせない仕組みが敷かれた。検閲官は出版・放送のすべてを目視し、不適切と判断した記事や映像は削除・差し替えられた。

 小学校から大学までの教育現場は、愛国心の涵養と軍事訓練を組み合わせた国防教育が導入された。朝礼の国旗礼や軍事教練、教科書での戦史学習により、若者は国家への忠誠心を刷り込まれた。特に学徒出陣が始まると、制服を着た生徒たちの「送り出し集会」は国民の連帯感を強めるイベントとなった。

 戦局が悪化すると、「一億玉砕」や「南の熱砂に散る英霊」といった極端なスローガンが用いられた。特攻隊はその象徴であり、出撃前の手紙や詩が新聞や冊子で大々的に紹介され、国民は自己犠牲の英姿に喝采を送った。しかしその一方で、最前線の犠牲を知るにつれ、家族や知人を失った悲嘆と恐怖が市井に広がっていった。

 1944年以降、空襲と食糧不足が日常化すると、国民の間に疲弊感と絶望が広がった。政府発表が事実を隠蔽し続けるほど、不信感は増大し、地下出版物や軍事ラジオの「闇聴」も横行した。多くの家庭では防空壕で耳をそばだて、真夜中の艦砲音に戦況を憶測するしかない状況となった。

 終戦直前の1945年夏には、紙不足で宣伝物そのものが激減し、国民は政府の情報発信が極度に衰弱していることを悟った。8月15日の玉音放送は、初めて本物の天皇の声として国民に戦争終結を告げ、長年のプロパガンダが崩壊した瞬間となった。敗戦の現実に直面した人々は、虚構の積み重ねによる疲弊と安堵が交錯する複雑な心理を抱えた。

★ まとめ

 この他にも複数の要因があると考えられる。現代戦は「国力の総合力による戦争」ということになっているので、当然に国力の比較なども必要であるが、とくに顕著なのがこの部分ではないか。なお、「国民心理とプロパガンダ」等に関しては生成型AIがこのように書いてきたのであるが私自身はあまり納得していない部分もある。しかし、情報戦争に関する内容などは、まさに当てはまる部分も多いのではないか。

日本は「敗戦」をしたことによって戦争を完全に「タブー視」してしまっている。しかし、そもそも人間は「失敗から学ぶ」ということをしなければならず、そのことをしっかりと分析して学ぶことがなければ、また同じ悲劇を繰り返すことになるのではないかと危惧している。

宇田川源流

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