「宇田川源流」【お盆特別:日本人と戦争】(6) 現代日本は「戦時中」である
「宇田川源流」【お盆特別:日本人と戦争】(6) 現代日本は「戦時中」である
今年のお盆休みは、戦後80年ということで、日本人と戦争についてゆっくりと考えてみたいと思います。このお盆特別連載は、日曜日も土曜日もなくそのまま継続しようと思っていますので、よろしくお願いいたします。なお、「戦争」という特集をこの時期にしますが、大東亜戦争に関する内容は参考にしながらもその内容を書こうとは思っていないので、あくまでも現代人として戦争をどのように見るかということを考えましょう。
さて、個人的なことですが、今回の連載に関しては「生成型AI」を使ってみたいと思います。私としては初めての試みですが、「生成型AIによる下書きを、私が改定する」というやり方で実験的に使ってみたいと思っております。なお、生成型AIは本格的に使っているわけではないので無料で勝手に入ってきた(と言っては失礼ですが)Copilotを使ってみようと思っております。何か普段との違いがあると思った方は、そのような事情と拝察いただければありがたいです。
さて、6回目は「現代日本は『戦時中』である」として、現在の日本に、大東亜戦争の時の教訓を踏まえてあてはめてみることにしましょう。そのうえで、今「日本と平和」ということがどんなに難しいことなのか、その内容を見てみることにしたいと思います。
★ 「すでに日本は戦争の中にある」という説
まずは、すでに日本は「戦時中である」というかんがえかたが、SNSの中で言われているということに関してみてみることにしましょう。これは、私の考えるところ、「戦争」というもののとらえ方や定義の仕方の中に入るということになります。実際に「武力紛争が日本の領土周辺で行われている」という事実はありません。しかし、すでに領土をめぐる不法占拠の問題や領海への不法侵入の問題は、数多くありまた北方領土も竹島もまったく解決していないのです。そのようなことから、この内容を見てみることにしましょう。
2025年の日本が「すでに戦争の中にある」とする説は、従来の戦争観を根本的に問い直すものであり、軍事的衝突が起きていないにもかかわらず、国家が多層的な脅威に晒されている現状を「戦争状態」とみなす視点に基づいています。この考え方は、ロシアのウクライナ侵攻以降に再注目された「グレーゾーン戦争」や「ハイブリッド戦争」の概念と深く関係しています。
まず、戦争の定義が変化しています。かつては戦争といえば、宣戦布告があり、軍隊同士が交戦し、終戦条約で終わるという明確な枠組みがありました。しかし現代では、戦争は「状態」であり、「出来事」ではないとする見方が広がっています。つまり、軍事衝突がなくとも、国家の主権や安全保障が継続的に脅かされているならば、それはすでに戦争の一形態であるという認識です。
この視点から見ると、日本はすでに複数の戦争的状況に直面しています。たとえば、中国による尖閣諸島周辺での海警船の常態的な領海侵犯は、物理的な衝突こそ起きていないものの、主権の侵害が日常化しているという意味で「低強度の戦争」と言えます。北朝鮮による弾道ミサイルの発射も同様で、日本の領空を通過するミサイルが複数回確認され、Jアラートが発令されるなど、国民の安全が直接脅かされています。
このように、すでに隣国(海を挟んでの隣国ですが)との間に武力行使(武力的な威圧を伴ったという意味です)の伴った直接的な「威圧」があるとしています。国連憲章第2条4項で、すべての加盟国は、国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全や政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならないと規定されています。また、1986年のニカラグア事件国際司法裁判所判決では、この原則が国連憲章上の原則であるだけでなく、慣習国際法としても確立していることが確認されました。当然に武力を伴う威嚇は、戦争につながるという事でありまた戦力の誇示ということになると解釈されるのです。そのことはすでに「何かあれば戦争をする」という意思表示でありまた、「戦争状態」の一形態であると考えられます。
さらに、情報戦や認知戦の領域では、SNSやメディアを通じた偽情報の拡散、世論操作が進行しており、国民の意識や政策決定に影響を与える「非物理的な戦闘」がすでに始まっています。これは、戦争がもはや兵器だけでなく、言語・映像・感情をも武器として用いる時代に突入したことを示しています。認知戦とは、人々の認識や判断に影響を与えることを目的とした戦略的な情報操作であり、情報戦はその手段として、偽情報・プロパガンダ・サイバー攻撃などを駆使します。以下に、現在の日本が戦争状態にあるとされる具体的な事例を示します。
まず、2025年の参院選を前に、日本国内では海外からの認知戦が活発化しています。ロシアは「反射的統制(Reflexive Control)」という理論に基づき、日本の有権者に特定の情報を流すことで、自発的にロシアに有利な判断を下すよう誘導する戦術を展開しています。これは、民主主義制度への不信感を煽り、選挙結果の正統性を毀損し、社会的分断を深めることを目的としています。
また、ロシア政府系メディアの日本語SNSアカウントの拡散数は、2024年から2025年にかけて3倍以上に増加しており、動物や文化など親しみやすいコンテンツに紛れて、ロシアに有利なナラティブが巧妙に挿入されています。これにより、一般市民の認識が徐々に誘導され、国家の意思決定に影響を与える可能性が高まっています。
さらに、笹川平和財団が発行する「情報戦・認知戦ニュースレター」では、台湾周辺での中国の軍事演習に伴うプロパガンダ動画や、偽装サイトを通じた米台関係に関する誤報の拡散事例が紹介されています。これらは日本にも波及し、アジア地域全体の認知空間を揺るがす要因となっています。
災害時にも認知戦のリスクは高まります。たとえば、地震や台風などの災害発生時には、SNS上で「人工地震」や「政府による人口削減計画」といった陰謀論が拡散され、社会不安を煽る動きが確認されています。こうした情報は、感情的な反応を引き起こし、冷静な判断を妨げることで、国家の統治能力を間接的に弱体化させる効果を持ちます。
このように、日本はすでに認知戦と情報戦の標的となっており、国民の認識・判断・行動に影響を与える戦略的な攻撃が日常的に行われています。これは、戦争がもはや兵器による破壊だけでなく、情報による支配と誘導の時代に突入したことを示しており、日本はその最前線に立たされているのです。
★ 経済戦争とサイバー戦争
経済面でも、日本は経済安全保障法を施行し、技術流出やサプライチェーンの防衛に力を入れています。これは、経済が戦略的資源と化し、国家間の競争が「経済戦争」として展開されている証左です。加えて、官公庁や企業へのサイバー攻撃が頻発しており、防衛省も対策を強化しています。これらは、目に見えない戦場での戦闘行為であり、国家の機能そのものが標的となっています。
Cybereason Japanのレポートによれば、2025年には国家間の利害衝突を深刻化させる非軍事的手段――経済制裁、輸出規制、サプライチェーン切り崩し――が明確に「戦争」の様相を帯びていると分析されています。
具体的には、中国政府がレアアースや半導体製造装置の輸出手続きを厳格化し、日本企業は製造ラインの稼働遅延やコスト高騰という深刻なダメージを受けています。これに対応して日本政府は、米国・台湾との経済安全保障連携を急速に強化せざるを得ない状況です。
帝国データバンクの調査では、2025年時点で国内企業の32.0%が何らかのサイバー攻撃を経験しており、とりわけ中小企業への攻撃増加が目立っています。
損保ジャパンは2025年4月、不正アクセスにより最大1,740万件の顧客情報が漏洩した可能性を金融庁に報告。顧客信頼の毀損はもとより、保険業界全体に甚大な影響を与えました。
近鉄エクスプレスではランサムウェア攻撃により全国の物流システムが停止し、日本航空をはじめとするサプライチェーン全体が麻痺。物的損失のみならず、国内外の貨物輸送網に取り返しのつかない打撃を受けました。
東海大学では7キャンパスと附属病院を結ぶネットワークが遮断され、教育・医療機能が一時停止。国内の社会インフラを標的にした攻撃は、もはや戦時中のインフラ爆撃に匹敵する破壊力を伴っています。
経済戦争とサイバー戦争は、認知戦・情報戦と連動しながら日本の国家基盤を持続的に侵食しています。武器弾薬による破壊以上に、経済活動の停滞や社会秩序の崩壊をもたらすこれらの攻撃は、まさに「戦争状態」と呼ぶべき現実です。日本は既に非軍事的戦場の最前線に立たされていると言えるでしょう。
★ 平和の再定義
世界的には、冷戦終結以降「戦争の不在(ネガティブ・ピース)」から「積極的な平和(ポジティブ・ピース)」へと平和概念が大きく転換しています。ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトンは、対立の「相違」「矛盾」「両極化」「暴力」「戦争」「停戦」「合意」「正常化」「和解」という九段階モデルを提示し、単なる武力衝突の停止を超えた社会構造や心的態度の変革が平和構築には不可欠だと論じました。こうした「平和=暴力の消滅ではなく、持続的な社会的調整と人間安全保障を重視する」動きは、国連の人間安全保障アプローチや紛争後の復興・和解プロセス、気候変動による紛争予防など政策面にも波及しつつあります。
日本では、2012年刊行の日本平和学会『平和研究』第39号が「平和を再定義する」をテーマに掲げ、平和とは誰にとって、どのような状態であるのかを根本から問い直す機運を生み出しました。また政策研究や大学研究では、「平和の概念再考:平和学における和解の位置付け」と題した論考が示すように、和解(Reconciliation)を平和の核心に据え、人道支援や市民社会の参与を通じた“重層的・多元的な平和”を構築すべきだとする見解が強調されています。こうして日本でも、平和は単なる武力衝突の停止ではなく、市民の安全保障や生活の質、社会的正義を包含する広義の概念として再解釈されています。
日本は物理的な戦闘こそ経験していないものの、領土・領空・情報・経済・認知といった複数の領域で、すでに戦争的状況に置かれていると見ることができます。つまり、「戦争は始まっていない」のではなく、「すでに始まっている」のです。この認識は、戦争を単なる爆弾や銃弾の応酬ではなく、国家の存立を脅かす持続的な圧力として捉える現代的な視座を提供しています。
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