「宇田川源流」【お盆特別:日本人と戦争】(1) 戦争とは何か

「宇田川源流」【お盆特別:日本人と戦争】(1) 戦争とは何か


 今年のお盆休みは、戦後80年ということで、日本人と戦争についてゆっくりと考えてみたいと思います。このお盆特別連載は、日曜日も土曜日もなくそのまま継続しようと思っていますので、よろしくお願いいたします。なお、「戦争」という特集をこの時期にしますが、大東亜戦争に関する内容は参考にしながらもその内容を書こうとは思っていないので、あくまでも現代人として戦争をどのように見るかということを考えましょう。

さて、個人的なことですが、今回の連載に関しては「生成型AI」を使ってみたいと思います。私としては初めての試みですが、「生成型AIによる下書きを、私が改定する」というやり方で実験的に使ってみたいと思っております。なお、生成型AIは本格的に使っているわけではないので無料で勝手に入ってきた(と言っては失礼ですが)Copilotを使ってみようと思っております。何か普段との違いがあると思った方は、そのような事情と拝察いただければありがたいです。

さて、1回目の今日はその話題の中心になる「戦争」とは何かということを見てみたいと思います。

 戦争は歴史を通じて国家や集団が政治的目的を達成するための最終手段とされてきました。古代の戦争は、まさに国と国の喧嘩であり双方が思いつ機で感情的に動いた結果であるといえるのでしょう。当然に国際法などの取り決めもなかったので、裏切りも宣戦布告などの手続きも何もなく戦争がはじまり、相手が倒れるか降伏するまで続いていたのです。しかし二十一世紀の国際社会は地理的境界や物理的武力に依存しない手段を戦争の領域に組み込み、その概念を従来の枠組みから拡張せざるをえない局面に至っていると言えます。クラウゼヴィッツの「戦争論」の中には、「戦争は他の手段をもって行われる政治の延長」であるという古典的定義を出発点としつつ、経済戦争やサイバー戦争、情報戦争を含めた現代に即した「戦争」の定義を模索しなければならないのが現代の戦争であるということになります。過去の戦争の具体例を参照しながら、物理的武力行使と非物理的手段がどのように融合し、新たな紛争様式を形成してきたのかを考察してみましょう。

 十九世紀から第二次世界大戦にかけて、戦争は主として武力行使による領土獲得や政権交代を目的とした正規軍同士の衝突として認識されてきました。ちなみに十九世紀以前は、必ずしも領土獲得や政権交代を目的としていなかったということになります。実際に、宗教戦争や、封建領主による「メンツ」の為の戦争など、本当に感情的な内容であったり義理や人情で戦争が起きていたことがあったのです。1648年に終わったヨーロッパの30年戦争で、国際法や戦争に関する内容を決めなければならないという動きが大きくなり、その内容が様々な戦争を経験することによって、戦争そのものがメンツや、感情、場合によっては王妃を取られたとか、魔女が出たというような戦争もなくなってきたということになるのです。逆に、十九世紀から戦争は国と国の総力戦ということになってきたのです。

それまでは戦争というのは王侯貴族や王侯貴族に雇われた兵士によってのみ行われるもので、運が悪く流れ弾が飛んでこない限り、一般の民衆が死ぬことは少な勝ったということになります。しかし、十九世紀の戦いくらいから、国民が徴兵され、経済力も総動員して戦う国力と国力の戦いになってくるようになるのです。同時に破壊兵器は大砲など破壊範囲が拡大し、無差別に一般の国民も被害を受けるようになるのです。

普仏戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦のように、膨大な人員と物資が動員され、国家総力戦の様相を呈した例は枚挙にいとまがないと言えます。国力の総動員戦なのである意味で当然ですし、戦争に参加している当事国はそのようにしなければ敗戦してしまうということになったのです。これらの戦争では、戦場を明確に区分し、敵前線と自軍前線がはっきりと分かれるように国際法で決まっていたということになります。武器使用の法的根拠は国際法に基づき、宣戦布告と正規軍同士の交戦ルール(交戦規定)が存在するようになったのです。

 冷戦期以降、軍事力とは異なる経済的手段が対立関係において戦略的武器とみなされるようになりました。これが最も初めにお紺われたのが第二次世界大戦(大東亜戦争)における対日戦争であったということになります。日本が近代化を推し進める中で、すでに欧米各国がアフリカや東南アジア諸国の地に植民地が広がってしまっており、日本はそのままでは植民地を得ることができず永久に欧米列強に従えられ、いつかは日本も植民地化されるということになったのです。そのことから日本は朝鮮を併合しまた、満州国を建国したのですが、欧米はその満州国の建国を認めず、日本に対しては屑鉄や石油資源の禁輸を行うようになったのです。このことから日本は南部仏印や南方資源地帯を占領せざるを得なくなり、最終的には対米戦争になったということになります。

日本は真珠湾奇襲以降の対米戦そうばかり注目しますが、実際に戦争はそのようにして行われていったのです。そのような経済制裁そのものが、戦争の発端になるということになります。それは相手の国に対して、経済的または資源的に枯渇させ、国家運営を行わせなくなってしまうということで、その打破には幸福火尖鎗しかないということになってしまうのです。

第二次世界大戦後の米ソ対立では、軍事同盟に加えて経済ブロックの形成や技術封鎖が展開されました。この冷戦時に、経済戦争は顕在化したということになるのではないでしょうか。たとえばソ連圏への供給制限はただちに軍需産業を蝕み、軍事均衡に影響を及ぼしました。冷戦終結後も経済制裁はイランや北朝鮮に対する核開発抑止策として多用され、2003年のイラク戦争へと至る途上では石油輸入国への価格・量的制限が武力行使への大義名分づくりとして機能したのです。

 さらにグローバル化が進んだ二十一世紀に入り、国家間の経済摩擦は貿易戦争や技術覇権争いへと転じています。2018年以降の米中貿易摩擦では関税引き上げや輸出管理強化が相互に繰り返され、単なる経済政策ではなく「戦略的攻撃」の色彩を帯びていました。当時のトランプ大統領(第一次政権)が中国に意思欠けた経済政策で、「米中経済戦争」と言われていたのです。経済圧力が相手国の産業基盤や社会的安定を蝕む手段として確立されつつある状況は、もはや武力行使と同等の破壊力を持つ紛争形態と呼ぶにふさわしいと言えます。まさに戦争であり、なおかつ、武力戦争にならなければ解決できない状況になっているのです。

 インターネットの普及はサイバー空間を戦場の一翼へと変貌させました。2007年にエストニアで発生した大規模なDDoS攻撃は、政府機関や金融機関を数週間にわたって麻痺させ、その後の各国のサイバー防衛整備を加速させた事例として知られます。ある言いでこれがサイバー攻撃が実際に行われた初めの戦いではないかといわれています。さらに2010年に発覚したStuxnetはイランの核施設遠心分離機を物理的に破壊したマルウェアであり、物理的インフラに対するサイバー攻撃が従来の軍事攻撃と同等の効果を持つことを示しました。単純に、インターネットやコンピューターなどで様々ンことを制御し、その内容が軍やインフラに関してもまた宇宙政策に関してもコンピューターが使われるということで、兵器そのものを防御するよりは、コンピューターを使えなくする方が効果が高いということになるのです。日本であっても一〇式戦車などコンピューターによる制御ができるようになっており、その分広範な活躍ができますが、しかし、サイバー空間における攻撃に弱いという部分も出てくるのです。

 このことはロシアとウクライナの紛争過程においても、クリミア併合の際のDDoS攻撃や、東部ウクライナでの電力網を狙ったマルウェア投入など、サイバー攻撃が軍事行動と同時並行で展開されています。これらの事例は攻撃主体の匿名性と即時性を特徴とし、被害の帰属を曖昧化させることで国際社会の抑止メカニズムをかいくぐる戦術として機能しています。また、単純に軍隊に対する内容だけではなく、インフラの停止や公的機関の混乱など、様々な意味でその内容が出てくることになるのではないでしょうか。

 サイバー攻撃という事であれば、戦場は物理的施設に限らずメディア空間やソーシャルメディアにも広がっていると言えます。ナチス・ドイツ時代におけるプロパガンダや冷戦期の心理戦は古典的情報操作と位置づけられますが、インターネット時代のフェイクニュースや偽アカウントを用いた世論誘導は量的・質的に桁違いの影響力を持つことになります。これらの内容は情報戦・認知戦といわれ、そもそもはアルビン・トフラーが「情報の波」という本によってその危険性を世に知らしめるのと同時に、中国の参謀本部が「三戦」つまり「心理戦」「法律戦」「世論戦」という武力ン位頼らない戦いを提唱した事から戦争にこれらを使用数るということが出てきています。ちなみに輿論戦とは「国内外の世論に訴えかけ、自国の主張に有利なように世論を形成しようとする活動」心理戦とは「相手の心理に働きかけ、士気を低下させたり、混乱を引き起こしたりする活動」法律戦とは「国際法や国内法を駆使して、自国の行動の正当性を主張したり、相手の行動を制限したりする活動」と定義されています。そしてその後中国は「超限戦」という本を出版しこれらを混ぜたより広範なサイバー選挙や世論戦争を提唱し、そのことを受けてロシアのゲラシモフ参謀長(当時)がゲラシモフ・ドクトリンによって、それに似た戦争を行使し2014年のクリミア半島併合を成し遂げているのです。

この他にも2016年の米大統領選挙におけるロシア系のオンライン工作は民主的プロセスを揺るがし、情報が戦略的に武器化される時代の到来を強く印象づけていますし、2020年のアメリカ大統領選挙では、ブラック・ライブズ・マターなどでアメリカ国内が分裂を引き起こしているということになります。このように情報戦は敵対勢力の士気をそぎ、国内の信頼と統合を分断し、国際世論を誘導することによって国家の行動を制約することになります。認知領域をめぐる攻防は、物理的攻撃と同等の戦果をもたらすことがあり、現代戦の重要な柱として位置づけられるに至っています。

 近年の対立局面では、軍事行動、経済制裁、サイバー攻撃、情報操作が融合したハイブリッド戦争の手法が顕著になっています。たとえば2011年のリビア内戦では、NATO軍による軍事攻勢と並行して国連制裁、国際金融機関からの資金凍結、メディアを通じた情報統制が同時に用いられています。こうした多層的アプローチは、相手の抵抗力と意志を総合的に削ぎ落とす点で従来の単一領域に閉じた戦争とは本質的に異なるということになります。

 以上の議論を踏まえれば、現代世界における戦争とは、政治的目的を達成するために国家および非国家主体が動員するあらゆる手段の集合体と定義できます。当然に、今日本で議論されている「武力行使=戦争」というような単純なものではなく、情報戦争や心理戦争、サイバー戦争などもすべて「戦争のカテゴリー」に入るということになるのです。ここで言う手段には従来の物理的武力行使だけでなく、経済的制裁や通商制限による経済戦争、サイバー空間を舞台とする攻撃、メディアと社会心理を操る情報戦略が含まれます。戦争は複数の次元を横断し、互いに補完し合う形で遂行される総合的な政治的実践ということになります。二十一世紀の戦争はもはや戦場と後方支援の境界線を明確に区分することが困難となり、武器とシェアされるのは情報と経済的影響が重要ということになります。つまり情報と経済を扱っていればいつでも戦争を起こしうるということになりますし、そこに防御を作らなければならないということになるのです。過去の武力衝突の枠組みを土台にしつつ、非物理的手段を正面から包含することで、現代的戦争の実態を捉えることが必要になるということになるのです。国際法や安全保障政策はこの複合化に対応するため、従来の武力行使の規制を再考し、新たな紛争領域を法的に定義し直す必要があります。戦争の定義が拡張され続ける限り、我々は常にその振る舞いと影響を見極め、平和と安定を維持するための枠組みをアップデートし続けなければならな意のではないでしょうか。

ではそのようなアップデートは日本ができているのか。21世紀型の戦争に対応できる状態になっているのか。その内容を考えてみなければならないということになります。この連載はそのようなことを考えながら「日本が安全に発展を遂げるためにはどうしたらよいか」ということを見てゆく隊と思います。そしてそのように安全に発展することが、戦争で犠牲になった多くの英霊・日本人の願いであると信じています。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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