「宇田川源流 日本万歳!」 大戦当時に最先端の技術を持っていた日本をうかがわせる世界初のジェットエンジンの部品
「宇田川源流 日本万歳!」 大戦当時に最先端の技術を持っていた日本をうかがわせる世界初のジェットエンジンの部品
下撃つ曜日は「日本万歳!」をお届けしている。なんとなく、日本だけだめだというような報道をしているが、実際そんなことはない。日本の報道は「政権」を攻撃し、政局を作ること、まあ、彼らはそれを「批判精神」などと呼んでいるが、いつの間にかその「批判精神」が「日本国そのものを批判し、また誹謗中傷するしか能がない状態」になってしまっているのである。政権批判ならばまだわからないでもないが、同じ日本人が日本を誹謗中傷する行為そのものが何かおかしな話ではないか。日本人が自分御国を批判しているというのは、そのまま、「自分自身を辱めている」行為であるということが全くわかっていない。そしてあまり頭のよくない国民は、自分自身も批判している方が何かを知っているかのごときように見えるというような感覚でもいるのか、何事もわからずになんとなく批判を繰り返しているというような状況なのである。
日本人のおかしなところは、自分自身で批判していながら、自分自身がその言葉の呪縛というものにかかてしまうところではないか。「言霊」という言葉があるが、まさに、自分で吐いた言葉がそのまま自分の中に入ってきてしまい、いつの間にか「言葉」が正になり、真実が隠されてしまっている。
国連という言葉がある。本来は「第二次世界大戦」があり、その「連合国」と「枢軸国」という対立の「連合国」がそのまま同盟関係を維持して、二度と戦争を起こさないということから作られた国際団体だ。しかし、「連合国」としてしまうと、当時の日本軍人が「敵組織」と思ってしまうので、「国際連合」と翻訳したのだ。しかし、国連はあくまでも「連合国軍」であり、そのために安全保障理事会が最も重要な組織になっている。しかし、「国連」と翻訳してしまった日本は、いつの間にかその英文などの本名を失い、日本語の国連という言葉から尾イメージで「世界政府である」というようなことしか考えていないのである。
まあそのようにして「日本を批判する言霊」に蝕まれた日本人の心を開放したいと思い、日本の真の姿を見せようと努力している連載である。
「幻の戦闘機」秋水のエンジン部品公開 横須賀美術館
第二次世界大戦末期に旧日本陸海軍が共同開発したロケット戦闘機「秋水」のエンジン部品が、横須賀美術館(神奈川県横須賀市鴨居)で8日から始まる「横須賀海軍航空隊と秋水」で公開される。【岩崎信道】
秋水は、独空軍のロケット戦闘機メッサーシュミットMe163がモデルで、日本本土上空に飛来する米爆撃機の迎撃の切り札として期待された。だが、試作機の試験飛行が失敗に終わり、実戦で飛ぶことはなかったため、幻の戦闘機といわれる。米軍が終戦後接収した機体やロケットエンジン、関連資料などの一部が米国の博物館に残るほか、製作を担った三菱重工に復元された機体が展示されているものの、残存する資料は多くない。
今回展示される部品は、横須賀市内に住む平田直俊さん(68)が所有するロケットエンジンの燃料噴射弁(長さ約7・5センチ、最大直径約4・5センチ)。平田さんの父で陸軍技術将校だった啓助さん(故人)が保管していたもので、遺品として残された写真数点も展示される。ロケット噴射実験場だった長野県松本市の明道工業学校(現松商学園高)での開発スタッフの集合写真など、開発時の様子をうかがわせる貴重な資料だ。
平田さんが、今回の展示に調整役として関わった秋水研究家、佐久間則夫さん(65)に資料を提供し、一般公開が実現した。秋水研究の第一人者、柴田一哉さんは「ロケットエンジン試験前後に撮られた写真の解像度が高く、松本実験場の秋水を解明するうえで歴史的発見。部品については材質の分析や内部構造の確認などが期待される」としている。
企画展「ヒコーキと美術」の関連展示で、4月11日まで。問い合わせは同美術館(046・845・1211)。
2021年03月08日 14時30分 毎日新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12159-0308m040059/
ではその戦争の時代まで元に戻ろう。日本は、世界を相手に1376日間戦い続けた。当然に、その戦いの中では、長期間になり、「戦術」や「兵の精強さ」ではなく、「国力としての総合力」や「物資」の戦いになってしまい、そのことから、その敗色濃厚な局面を打開するだけの新兵器の開発が必要になった。
もちろん、このように書けば「被害が大きくなる前に降伏すればよい」というようなことを言うのであるが、では、現在の世の中で、倒産が近いとまではいわないまでも債務が徐々に増えてきてしまっている会社や企業、例を挙げれば、現在コロナウイルス禍の中で、何とか政府の援助をもらいながら頑張っている外食産業や観光産業に対して「どうせダメなんだから会社をつぶしてしまったら」というようなことを言うことはできない。まさに同様に、未来からであれば「早めにやめれば」ということを言えるが、結果を知らない当時の人にそのようなことを言えば、弱気であると言われ周辺から攻められることになる。そのような事を冷たく言える人は少ない。
そこで出てくるのが「画期的な新兵器」を作り、その新兵器によって局面を打開するということになる。日本とドイツは、潜水艦によって機密文書をやり取りしながらも、原子力爆弾などを作っていた。ドイツが1945年4月に敗戦し、その資料を奪われたことによってアメリカが先に原子力爆弾を作ったことになるが、日本もこれらの研究はしていたのである。
原子力爆弾だけではなく、戦争というのは、人を殺すとか街を壊すという悲惨な一面を持つのと同時に、一方で、技術が最も大きく進歩するということも言えるのである。例えば潜水艦やキャタピラ、缶詰、ペットボトルなど、様々なものが戦争同時に発展している。現在のカーナビゲーションシステムなども、誘導ミサイルの技術でしかない。
その中で、戦争中日本が開発していたのが「ジェット機」である。もちろん民間機ではなく、戦闘機としてつくられたものである。物資の不足や機関の不足によって実戦配備には至らなかったものの「秋水」というものが日本では作られていたのである。
秋水研究の第一人者、柴田一哉さんは「ロケットエンジン試験前後に撮られた写真の解像度が高く、松本実験場の秋水を解明するうえで歴史的発見。部品については材質の分析や内部構造の確認などが期待される」としている。<上記より抜粋>
まさに、これらの技術があり、それが「日本の技術力」として、様々な日本の戦後の技術開発につながってゆくことになる。もちろん、彼らは戦争という中であっても「日本の修礼の発展」と「日本の勝利」を信じていたに違いない。同時にその「日本のため」という考え方が、様々なことを、日本人の手で開発する原動力になっていたのである。
振り返って今、そのような技術開発はどうであろうか。「予算が」「働き方改革が」など様々な言い訳をしてしまっているような気がするのである。日本人は「やればできる」ということが、本来このような展示でわかるはずであるが、なかなかそのことが見えてこないのではないか。一人一人が自信を持ち、そして、誇りを持て、国の事を考えて全力を尽くせば、できないことはない。それは戦時中の日本が残してくれた教訓ではないか。
0コメント