「日曜小説」 マンホールの中で 3 第二章 8
「日曜小説」 マンホールの中で 3
第二章 8
「ところで、あのヨンという宝石のことだが」
次郎吉は口を開いた。
「何かあったのか」
「いや、何かあったのではなく、たぶんあったのだ」
次郎吉は何を言い出したのか全く分からなかった。何かあったのではなくたぶんあったとはどういうことなのであろうか。何しろ、ついさっきまで「△」の宝石の話をしていたのである。それも暴力団組織の運営している「ジュエリー・エス」の話をしていたのである。どのようにして暴力団の組織の中から宝石を取り出すかということが大きな問題になっているのに、突然「ヨン」という別な宝石の話をしていてもなんだかよくわからなくなってしまうのである。それも「あった」のか「手に入った」のか、あるいは「ある場所が分かった」のか、それすら全くわからない。
「何なのだ。その言い方は。なんだかわからないではないか」
別に怒っているわけではない。口調はかなり柔らかい、どちらかといえば笑い話口調である。しかし、実際に言葉として出てくるのは、厳しい言葉になってしまう。それだけ善之助はこの話に期待しているということなのであろう。
「ごめん、爺さん。いや、たぶんだから何とも言えないんだが、あの、幽霊騒ぎの時覚えているか」
「ああ、小林さんの話だろう。覚えているよ。」
「あの時、あの嫁さんがホストのために売ろうとしていた宝石、あれがどうもヨンという宝石ではないかと思うんだ」
次郎吉はなぜそのようなことが分かったのか。藪から棒にそんなことを言われてもなんだかよくわからない。
そういえば、あの時小林さんの金庫の中から宝石を取り出し、そして、それを売ろうとしたり、あるいはホストにくれてやろうとしているということがあった。次郎吉の機転により、その嫁さんのたくらみは頓挫し、宝石は無事に手元に残った。いや、その宝石は確か次郎吉がいただいて、現在小林さんのところにあるのはダミーの物でしかないのではないか。では、その宝石を持っているのは次郎吉のはずだが。
「いや、どうもあの小林の婆さんの旦那のお爺さん、もちろん小林というのであるが、どうも東山将軍の関係者であるというのだな。いや、関係者というのではなく、どうも部下というか、この地域の一つの指令だったみたいなんだ。東山将軍というのは、やはり将軍だけあって、国全体とまではいわないにしても、この地域全体の指揮権を持っていたみたいなんだ。そしてこの街は、その東山の指揮する地区の中心であったということなんだ。まあ、船で言えば、艦隊の旗艦みたいなもんだな。当然に、ほかの船もたくさんあって、その中で中心に旗艦がある。その旗艦には当然に、全体の司令官と船一つの艦長がいるということだ。その艦長に当たる人物が、小林さんの旦那の祖父ということになる。」
「なるほど、小林さんはそれでこの辺の名士だし、それにこの辺の土地にも詳しいということになるのだな」
「そうなるのかな。まあ、不動産をやっているというのは、様々なことを隠しているとか、あるいはこの土地のことを隠すために、いろいろと秘密があるのではないかと思う」
「また小林さんか」
「でも、あの家ではなく、今度は不動産屋、つまり息子の方の会社のところだな」
善之助は、大きく息を吸った。まさか小林さんの話がこんなところで出てくるとは思わなかった。今は小林の婆さんはなんでも協力してくれる感じになっているが、しかし、息子の会社のことまでは聞けるわけではない。そのうえ、小林の婆さんは他の町から嫁いできた女性であるから、当然に、この辺の土地のことに詳しいわけではない。もちろん、旦那の仕事を手伝っているのであるから、多少は詳しいに違いない。しかし、それでもそのような一族の昔のことなどはわからないであろう。
「あの息子は何か知っているのかな」
「まさか。何しろ宝石を嫁が盗もうとしているような状況でも、何も言わないということは、あの宝石に関しての逸話やいわれは全くわかっていないということだろう。たぶん、昔から伝わっているものだから持っているというのに過ぎないのではないか」
「なるほど。そういわれればそうだ」
「ということは、あの会社に忍び込んで様々なことを調べないとならない」
「次郎吉ならば簡単だろう」
「まさか、あの小林の家は、あのホスト狂いの嫁さんのおかげで、様々なことがあって、そのために警備を強くしているんだよ」
「なるほど」
「でも、表から入るわけにはいかないしな」
次郎吉は少し笑った。もちろん善之助には見えない。
「あの洞窟の中でそんなことが分かったのか」
「ああ、指揮系統の図があってな。それを見たら小林というのが出てきたから、その小林が誰かを調べてみたらそういうことだった。そして、その小林のところにもヨンと書いてあったよ」
「ならば△には郷田と書いてあるのか」
「いや、ほかの名前だった。その家はたぶん没落したかあるいは、何かほかの事情で宝石を郷田に売ったのか、あるいは、取られたのか、そういったところであろうな」
「マルは」
「それが、その図が破れていて見えなかった」
古い図である。当然に文字がかすれていたり、あるいは、破れていたり、そして洪水などで水に浸ってしまって何も見えなかったりしてしまっている可能性があり、70年以上たった現在読める状態で残っている方が奇跡なのである。逆に言えば、それがいままだ読めるということは、当時一億総特攻などといって日本本土での地上戦をしなかったということが、そのまま出ているのではないか。
「まあ、それだけ分かっただけいいじゃないか」
「だからマルのことを調べに行かないといけないんだ」
「なるほど、でもその前のヨンはどこにあるんだ」
「それは泥棒市場で売ってしまったよね」
「売ったって」
「ああ、売った。前の幽霊騒ぎの手数料」
堂々とそう言われると、なかなか反論もできない。そもそも次郎吉は泥棒なのである。
「で、元に戻るのか」
「泥棒市場から、どこかほかに売れたら、その売れた先で盗んでくる。」
「泥棒市場で返してもらうことはできないのか」
「そんなことはできないおきてになっているんだよね」
そりゃそうだ。泥棒の中、鼠の国にはその中で生活するためのしっかりとした掟がある。その掟を利用してホストなどをすべて見つけたのであるから、その掟の存在はよくわかっているはずである。
たぶん、泥棒市場の中では盗みはしないということになっているのであろう。いくら次郎吉といえども、その掟を犯すことはできない。
「まあ、それならばそれを待つしかないのか」
「ああ、悪いがそういうことになる」
「では次は、小林さんの息子の会社に忍び込むということになるな」
「ああ」
「あの家は息子が再婚して、その嫁さんが働き者だからなかなか大変だぞ」
「深夜まで電気がついているからな」
「ちょっと、小林さんに、それとなく聞いてみることにするよ」
そうだ、その本人に、店を空ける日を聞けばよいのである。
「ああ、たのむよ」
次郎吉は、そういうとまた姿を消した。
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