「日曜小説」 マンホールの中で 2 第一章 3
「日曜小説」 マンホールの中で 2
第一章 3
あれから三日経った。いつもならば、老人会がある水曜日の前日である火曜日に善之助のところに来るはずの次郎吉が、三日も前の土曜日に入ってきたのである。
人間というものは面白いもので、毎週火曜日と決まっていれば、なんとなく体も覚悟できている。そのつもりで寝るからすっきりと起きることができるのであるが、今回のように突然であるとなかなか起きることができない。服も、いつもよりも乱れた感じで出てしまう。
「いつもと違う日に来ると、本物の泥棒ではないかと思ったぞ」
善之助はなんとなく不機嫌に言った。
「何言ってんだよ爺さん。こっちは本物の泥棒様だぞ」
次郎吉は笑いながら言った。実際に、次郎吉は泥棒なのである。しかし、ここ杉崎善之助の家に来る時は人助けできているのであって、なにも善之助の物を盗みに来ているわけではない。だから別段泥棒をするときのように、音を立てなかったり侵入がわからないように工作することはないのである。
次郎吉のように訓練された泥棒にとって、いつもと全く同じ条件下で、わざと音を立ててはいる方が難しい。しかし、音を立ててわかるように入ってこなければ、すでに年を取りなおかつ目が見えない善之助を起こすことができない。なるべく善之助のプライベートルームである寝室の中には入りたいとは思っていない。
とはいえオフィシャルな訪問でもないので、まさかチャイムを鳴らして入ってくるわけにもいかない。もちろんチャイムを鳴らして入っても構わないし、そのようにしても善之助は別段とがめだてをすることはないであろう。しかし、チャイムを鳴らして入るということになれば、善之助が真夜中に外部から訪問客があることになってしまう。そして、音を立てて気づかれたりしては、善之助の方が怪しまれてしまうことになるのである。それでは、善之助に申し訳ない。なるべく善之助は近所からは寝ているというような状態にしたままにして、極秘のうちに話をしたい。そうすることが善之助の御近所の目などを気にする必要はないし、また、それだけ長い時間話すことができるのだ。
そう思って、ここ善之助の家で話をするときは、電気もつけずお茶も出さず、なるべく音を立てないようにしていたのである。
「そうだ、泥棒様だ。それも私が今まで見た中では最も素晴らしい泥棒様だよ」
善之助は、そんな次郎吉の心遣いをわかってかわからないでか、なんとなく楽しそうに、そして納得したように言った。
「まあ、俺も爺さんの家に何か盗みに来たわけではないがな」
「逆に何か持ってゆきたいものはあるかな」
「まあ、ないことはない。でも別にそんなことをしようとは思っていないから安心していいよ」
泥棒特有の物言いである。盗みたいものがないといってしまえば、この家に価値のあるものはないということになってしまう。しかし、人間というものは、他人から見れば価値のないものでも、自分にとっては「思い出の品」のように、価値のあるものは少なくない。泥棒の何気ない一言というのは、そのような「思入れのある品物」の価値を無くしてしまうには十分すぎる言葉になってしまうのである。
逆に、泥棒が狙っている品があるということにあれば、それは、泥棒が逮捕されたり、場合によっては殺されてしまうようなリスクと天秤にかけても欲しいものということになり、その品物の価値が上がる。それはしいては善之助自身の価値にもつながるしまた、善之助の心そのものの満足にもつながるのである。
次郎吉はそのようなことは知りつくしていた。そして、このような場合は、どれがほしいとは一切言わず、「ないことはない」というようにしているのである。その瞬間、善之助にとっては自分の思っている品物が、たぶん泥棒から見てもリスクと天秤にかけても価値のあるものであると認識することになるのである。
そして同時に、次郎吉はわざとこのような会話をだらだらと続けた。これは、いつもの予定の曜日ではない時に突然に善之助のところに来てしまったお詫びである。つまり、突然来たということは善之助が、自分の依頼ごととはいえその結果や途中経過に関して話を聞く準備ができていないということである。そこで、わざとくだらない話を続けて、それに付き合い、そして善之助の眠った頭がさえわたるようになるのを待っているのである。
このようなやり取りをしているうちに、善之助が昔警察官であった時の勘が戻ってくることになり、鋭い話をするようになる。老人会の会話から、頭が切り替わるのを根気よく待つのも、次郎吉の役目ではないか。まあ、幸い夜は長い。
「ないことはない……か。そうだな、小林さんの家に比べたら豪華なものはないわ」
「まあ、あの家と比べるのは間違っているかもしれないね」
「ああ、個人宅ではこの町の中ではかなり上の方にいるはずだ。で、どうなった」
「やっと頭が冴えてきたかい」
善之助は、やっと自分がなぜ次郎吉と話をしなければならないのかを思い題してきた。失礼ながら自分が依頼していたにもかかわらず、そのことを一瞬忘れてしまうのである。年は取りたくないものだ。
そう、老人会の小林さんが幽霊が出るといっていた。そして、次郎吉に調べてもらったら盗聴器や盗撮カメラの電波が混線しているのではないかというようなことになっていたのである。
「ああ、思い出してきた。」
善之助は、茶棚から缶コーヒーとお煎餅を出した。チョコレートなどの洋菓子ではなく、コーヒーなのにお煎餅という取り合わせが、どうにも老人臭い。しかし、善之助にしてみれば、少し甘さがきつい缶コーヒーには、甘いチョコレートなどよりも醤油や塩が少し濃い味の煎餅の方が合うと思っていた。目は見えていないが、次郎吉がいると思う、声のする方にコーヒーとお煎餅の入った器を勧めた。そして自分もコーヒーを開けたのである。電気をつけなくてよいし、また、音が立つわけでもないので、次郎吉もありがたくコーヒーの缶に手をかけた。別段あったかくも冷たくもない。常温という名にふさわしい温度の缶コーヒーである。
「盗聴器か盗撮カメラがあるといっていたな」
「それではなく、こんなものが天井裏から見つかったよ」
次郎吉は、ジャンパーのポケットから黒いそれも小さなアンテナのついたようなものを取り出した。そして、目の見えない善之助のために、片手で善之助の右手をつかむと、その手の中にその小さな黒いものを握らせ、そしてゆっくりと指を動かすように誘導した。
「これは」
「電波発信機」
「少し熱いが」
「まだ電源は入っている」
「ということは、これが小林さんの補聴器の周波数と合っていて、その補聴器の中に何か声を出していたということか」
善之助は、一生懸命に言った。まあ、なんだか複雑な言い方をしているが、つまり、ここから発した電波が影響して、何らかの声が聞こえているということを言いたいのであろう。次郎吉は笑うしかない。まあ、まだ寝起きだし、そもそもデジタルに弱い爺さんなのである。
「ああ、たぶんそういうことだ」
「しかし、それは、何か危ないことをしそうになった時に警告するためのものではないのか」
今の世の中、一人暮らしの老人は少なくない。その老人が何かわからず、危険なことをしてしまう可能性もあるのだ。つまり、常に監視して、何か危険なことをするときには、そのようなことを耳の中に直接声で命令するような装置なのかもしれない。実際に老人になっている善之助にはそのように思えてならなかった。
「まあ、そうかもしれない。しかし、それならば小林っていう婆さんは幽霊なんて言うはずないし、また、何も補聴器の電波に合わせなくても、専用のスピーカーか何かをつけておけばよいだけの話であろう」
「確かにそうだ。」
「だいたい、補聴器の人だけがそんなサービスを受けるというのもおかしな話でしょう」
確かにそうだ。何も補聴器に直接声を入れる必要はないし、またその周波数に合わせる必要もない。そのような危険を知らせるならば、近くにいる人も聞けた方が良いしまた、すぐに助けてもらわなければならないので、本人にだけ聞こえる必要はないのである。
「うむ、つまり幽霊の正体がこれということか」
少しため息交じりに善之助は黒い電波発信機を次郎吉に戻した。固い天板の机の上をカランコロンと硬質な音が響く。
「たぶん」
「では、これをここにもってきて解決か」
「そうじゃないでしょう。誰がこれをやったのか、それがわかるまでは、もう少し調べないと。また同じように発信機を仕掛けられてまた幽霊が出てきてしまう。だからまずは根っこを絶たなきゃダメでしょう」
「ああ」
善之助は、腕を組んだ。確かにそうだ。そもそも本物の幽霊ではないということは、つまり首謀者や犯罪者がいるということである。それは紛れもなく幽霊ではなく人間であり、その人間がいる以上、当然に、また同じような、もしかしたらそれ以上に危険な行為を行いかねないのである。
「そこで、まずはこの発信機を元に戻さないと」
「なぜ。まだ小林さんを幽霊で悩ますつもりか」
「逆に、幽霊がいなくなったなんて言ったら、発信機がなくなったことがばれて大変になるでしょう」
「確かにそうだ」
「警察では、よく『泳がせる』なんて言うじゃないか。そういうやり方で、新犯人を突き止めなきゃならない。それをしますよ。今日はその許可を取りに来ただけ」
「では小林さんになんて言えばよい」
相談を受けた以上、なるべく早く安心させてあげたい。そのように思っている善之助は、困ったように次郎吉に行った。
「俺が動いていると知られると面倒で動きにくくなるから、いい霊媒師を探しているから、もう少し待ってくれと言っておいてください。」
「あ、ああ」
警察官だけに嘘をつくのは苦手な善之助である。
「頼みましたよ」
そういうと、また次郎吉は音もなく去っていった。
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