「日曜小説」 マンホールの中で 2 第一章 2
「日曜小説」 マンホールの中で 2
第一章 2
夜中にガサガサと音がする。普通ならば不法侵入者であるから、警戒するかあるいは警察に通報するか、そのような状況である。しかし、善之助は逆に安心しきったような感じで、寝床を起きてきた。次郎吉である。
本来、次郎吉はかなり優秀な泥棒のはずである。つまり、他人の家に忍び込むときには物音をたてたり、あるいは、気付かれるようなことをしないのが普通だ。しかし、次郎吉はここに入ってくる時はしっかりと音を立てて、善之助がわかるような音を立てるのである。善之助は寝室で軽く寝巻を整えると、そのまま居間の方に出てゆくのであった。
「爺さん、ちゃんと寝てるか」
「ああ、いつも君が起こしてくれるから目が覚めるんだよ」
「そりゃ、俺たち泥棒は、玄関から入れてもらえるような御身分じゃないからな」
善之助は居間の電気をつけようと壁の方に歩み寄るが、次郎吉はすぐに立ち上がって善之助を座らせた。善之助にとっては目が見えないのであるから何も電気などは必要はないし、また、次郎吉にとっても普段はマンホールの中という真っ暗なところにいるのだから特に電気をつけて明るくする必要はないのである。そのように考えた場合、この二人が会うときには電気をつけて灯りをともすことは必要がない。
「そうか、電気はいらなかったな」
善之助は、納得するとそのまま座った。
「さて何かわかったかな。」
「幽霊かい」
次郎吉は、少し悪い声になっていた。やはり根は泥棒である。家業の話になれば、それなりに声が厳しくなるのは当然であるが、泥棒などの犯罪者の場合は、やはりそのような感じになって行くのが面白い。もともと警察官であった善之助にとっては、その声の変化は当然に気付いているのであるが、しかし、自分の方が依頼事をしているのであるから、その辺のところはあえて指摘はしなかった。
「ああ、小林さんは困っているんだ」
「まあ、あれは補聴器の混線だよね。たぶん」
「補聴器の……そうか」
「たぶんだよ。でもなあ」
小林さんという老人会のおばあさんは、愛用の補聴器をすでに十二年も使っているという。その補聴器の電池の入れ替えで、先日専門店にメンテナンスの意味もあって補聴器を預けたらしい。その戻ってきた補聴器をしていると、様々な声が聞こえるというのである。つまり、この幽霊の声に関しては、単純に補聴器の問題でしかないということである。
「補聴器の問題というものは何らかの問題があるのか。小林さんもバカではないし、少々間が抜けたところはあるがまだ完全にぼけたわけではない。」
「ああ、わかっている。ここ数日小林さんの家に忍び込んでみていたが、小林さんは外に出ているよりもかなりしっかりしていて驚いたよ。あれだけ家政婦でも何でもいるのに、自分で洗濯も掃除もしている。料理も簡単なものを自分で作っているしね」
「そうか。任せっきりで寝たままではないのか」
「ああ、一人暮らしではないが、何でも自分でやるということは健康も脳もどちらも悪くないというような感じだ」
次郎吉はかなり感心したように言っていた。逆に言えば、それだけ詳細に見ていたということになる。まあ、泥棒が何かを盗もうとして視察をするというのはそのようなものなのかもしれない。何日も忍び込んでずっと息を殺して様子をうかがっている次郎吉は、どのようなものなのであろうか。厳密に言えば、というか法律的には不法侵入であることは間違いがないし、そのようなことをしていてはプライベートなどあるはずがない。しかし、幽霊の声が聞こえるという小林さん自身の相談を解決するプロセスであれば、ある程度仕方がないのかもしれない。
まあ、善之助にしてみれば、この言葉だけでは、敷地内に忍び込んだのではなく、何か高台から見えてしまっただけかもしれないので、どうやってそれを確認したのかを細かく聞かない方が良いことは間違いがないようである。
「しかし、痴呆も始まっていない小林さんが、なんで幽霊なんて」
「そこだ。これが完全にぼけてしまった老人であれば、それで終わりだ。そもそも補聴器なんかしないでも、常に幽霊の声が聞こえるようになっているのかもしれないからな。しかし、かなり生活もしっかりしていて、幽霊の声が聞こえるというのは、おかしいんだ」
そうなのだ。
普通に、我々が電話などが混線してしまった場合、自分の言葉とは関係のない言葉が出てくるのであるから、聞こえてくる言葉が混線であるということが認識できるのである。つまり、正常な判断力のある人ならば、それが自分とは関係のないことを言っているということがよくわかるのであり、何らかの機械の故障または不調であると認識する。
小林さんが正常な判断力があるということであれば、当然に、単なる混線ならばそのように認識するに違いない。しかし、小林さんはそれが「幽霊の声である」というように判断しているのである。つまり、補聴器の混線であるというというように認識できない内容が耳の中に飛び込んでくるということになる。
「要するに、小林さんの補聴器からは、小林さんの気持ちや小林さんの会話などに関係がある、まさに小林さんのことを見ているかのような言葉が入ってくるということになるんだ」
次郎吉はそのように言った。
「それならば、次郎吉さんが小林さんを見ている間に何かを感じているはずじゃないのかな」
善之助は、あえて「感じている」と異様な言い方をした。本来ならば家の中に忍び込んでどこかから見ているのであるから、誰かが小林さんを見ているか、あるいは、何かを聞いているということに他ならない。つまり次郎吉を含めて小林さんを監視している人が二人以上いるということになるのである。それならば、ここ数日間で次郎吉がその観察者と鉢合わせしていてもおかしくはないのである。
「いやそんな人はいなかった。たぶん監視カメラか盗聴器だろう」
「カメラか」
「ああ、今はそういったものでどこか外で画像を見ることができるんだよ。まあ、爺さんにはあまり関係ないかもしれないけどね」
「目が見えないということか」
「爺さん、誤解しないでくれ。盗聴マイクならば目が見えなくても関係ないだろう。そうじゃない。何かを監視しなければならない状態にはないということだ」
「まあ、そうだな。目が見えなくなると、なんでもそのことにかこつけて言われているんじゃないかと思ってしまって、申し訳ない」
「爺さん、いいよ」
善之助は何となく自分の心の闇を見られてしまったかのようなことを考えた。しかし、次郎吉は初めからそのことを知っていて付き合っているのである。目が見えないということをことさらいうような人ではない。
それよりカメラや盗聴器である。
「ところで次郎吉さん、君がカメラに撮られているということはないか」
「あるかもしれない。まあ、泥棒の下見としか見られないと思うが」
「まあ、それならば本業だから仕方がないか」
「いや、泥棒だから、本当ならばそれらを調べなきゃならないのに、爺さんの依頼で泥棒ではないと思っているから、少し油断しちまったみたいだ」
「そうか」
「まあ、床を歩いていないから大丈夫だと思うが、盗聴マイクだと音が入ってしまっている可能性があるな」
次郎吉はなんとなくしくじったという表情をしたが、善之助にはそれを見ることはできない。
「ではまずはカメラや盗聴器の存在を調べないとならないということだな」
「ああ、昔その小林という家は、入ったことがある。たぶん泥棒除けの監視カメラがあると思う。しかし、警報装置とかはなかったよ。だから、誰か俺以外の誰かがあの家に入っているということになるのかもしれないな。」
「それに、最近では老人向けの監視カメラもある。私のような目が見えない老人や痴呆の老人なんかは、一人で事故を起こしてしまっている可能性もあるから、そういうときの警戒用にカメラがあるんだ」
「つまり、カメラが警備会社のカメラと、老人介護用の二つあるという可能性があるということだな」
次郎吉は、そのように確認した。
「私も、次の老人会の時に小林さん自身に聞いてみるよ」
「そうしてくれるとありがたいな。中の情報は多い方が良い。」
「わかった」
「じゃあ、爺さん、また何日かしたら来るよ」
次郎吉はそのまま消えていった。
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