「宇田川源流」 「即位礼正殿の儀」と「憲法改正」と野党の二重基準
「宇田川源流」 「即位礼正殿の儀」と「憲法改正」と野党の二重基準
10月22日、今上陛下の「即位礼正殿の儀」が行われる。
天皇が自らの即位を国の内外に宣明する儀式であり、諸外国のいわゆる「戴冠式」や「即位式」に当たる。このため国内外から賓客が招かれ、特に国外においては国家元首あるいは首脳が参列する。
古来、大内裏内の大極殿、大内裏が廃絶して以降は京都御所内の紫宸殿で行われた。明治2年(1869年)の東京奠都を経た後も、1889年(明治22年)公布の旧皇室典範で『「即位の礼」と「大嘗祭」は京都で行う』との規定により、大正天皇および昭和天皇の即位礼は京都行幸の上で「即位礼紫宸殿の儀(そくいれいししんでんのぎ)」として行われた。1947年の皇室典範改正では第二十四条に「皇位の継承があつたときは即位の礼を行う。」とあるのみでその斎行場所についての記述がなくなった。平成2年(1990年)11月12日の125代天皇・明仁の即位礼は東京・皇居で行われることになり、名称も「即位礼正殿の儀」と改められた。
今回の儀式では、ローマ法王フランシスコをはじめ、各国元首、または各国元首の代理が来訪する。さすがにアメリカ大統領は、すでに昨年今年と何回も日本に来ていることから、代理がくることになっており、また、中国や韓国も、習近平国家主席や文在寅大統領が来訪するのではないらしい。まあ、各国には各国の事情があるのであるから、それはそれでよいものとする。
さて、当然に日本における統治機構の皆さんも来ることになる。「三権の長」といわれる、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官は当然のこと、各省庁の大臣、および国会における各委員会の委員長、そして各会派の会長そのほかの議員も招待されることになり、また、都道県知事も呼ばれることになる。
この時に「誰がくるのか」ということというよりは「誰が来ないのか」ということが非常に興味深い。日本国内において、天皇陛下がどのようにみられているのかということが大きな問題となるのではないか。
共産党が天皇陛下ご即位の儀式に欠席表明
共産党の小池晃書記局長は9日の記者会見で、22日に行われる「即位礼正殿の儀」など天皇陛下のご即位に関する儀式に欠席すると表明した。「現行憲法の国民主権、政教分離の原則とは両立しない」と述べた。
共産党はかねて即位の儀式について「現行憲法のもとで廃止・失効した旧皇室典範と登極令を踏襲したもので、国民主権と政教分離という憲法の原則に反する」と主張。平成30年3月には憲法の精神に即して全体として見直すよう政府に求めていたが、応じられなかったと判断した。
2019年10月09日 17時34分 産経新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12274-430822/
首相意欲、野党は冷ややか=憲法改正、自民援護も奏功せず
8日の衆参両院代表質問で、立憲民主党など主要野党は安倍晋三首相による憲法改正論議の呼び掛けを「無視」し、冷ややかな姿勢に終始した。自民党は野党側に根強い「安倍改憲」への警戒感を解こうと努めたが、改憲論議の行方は見通せないまま。与野党の溝が改めて浮き彫りになった。
「先の参院選や最近の世論調査で示された国民の声は、憲法改正の議論を行うべきだというものだ。野党もそれぞれの案を持ち寄り、活発な議論を行ってほしい」。首相は参院本会議で、国会で足踏みを続ける改憲論議の進展に期待を示した。
一方、国民民主党の泉健太政調会長は衆院代表質問で、憲法改正国民投票のCM規制強化をめぐり、同党の対案の審議を求めたものの、憲法改正への言及はこれ以外になかった。参院本会議で質問した立憲の長浜博行参院議員会長は、憲法改正には一切触れなかった。
7日の代表質問でも、立憲の枝野幸男代表は首相の呼び掛けに全く応ぜずじまい。さらに、自民党の下村博文選対委員長が「同性婚も改憲議論のテーマになる」と発言したことに触れ、「同性婚の議論の場は憲法審査会ではなく法務委員会だ」と断じ、自民党の秋波を一蹴した。
こうした事態を打開しようと、自民党の世耕弘成参院幹事長は8日の本会議で「憲法改正は安倍政権のレガシー(政治的遺産)づくりではない。審議を進める責任は国会にこそある」と訴えた。
背景には、首相側の野党への挑発がかえって改憲議論にブレーキをかけてきたとの読みがある。自民幹部は「首相を前面に出さない方がいい」と指摘。国会主導を印象付けることで、野党を議論の場に誘う狙いがある。7日の衆院本会議では、自民党の林幹雄幹事長代理が「憲法議論は自民案を押しつけることや、数の力で押し切ることはしない」と強調していた。
立憲の安住淳国対委員長は自民党から衆院憲法審査会の開催を繰り返し求められているが、拒否の立場を崩していない。こうした中、野党内の一部には首相が事態打開のために衆院解散に踏み切るのではないかとの観測が出ており、立憲幹部は所属議員に「11月衆院選もあり得る」との見方を示した。
時事通信2019年10月08日20時17分
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-191008X193
日本の場合、面白いのは「護憲」といっている政党ほど「天皇陛下を崇拝する」という気持ちがないことである。このことが「矛盾」していることに、このブログの読者ならばおわかりであろう。
第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第2条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
これが日本国憲法の条文である。
ここに書いていある通り天皇な日本国の象徴でありなおかつ日本国民の象徴であって「日本国民の総意」に基づくとされているのである。しかし、日本共産党の人々は、「現行憲法のもとで廃止・失効した旧皇室典範と登極令を踏襲したもので、国民主権と政教分離という憲法の原則に反する」<上記より抜粋>ということを主張する。つまり、日本国憲法そのものに「日本国民の総意」と書いているにもかかわらず、なぜか「昔の憲法を持ち出して反対する」ということになっており、なおかつ、そのことが政教分離というようなことを言っている。単純に言えば、日本国民の「心」や「総意」を否定するということをしていて、全く自分たちは悪くないということを言い出しているのである。
もしも、日本共産党の主張が正しいのであれば、憲法1条が間違えているということになり、当然い「憲法改正」が必要なはずである。しかし、共産党は憲法改正に動かないばかりか、見勝手な憲法解釈を繰り返す。それも体系的なものは何もなく、単純に批判をするだけである。
多くの人が知らないかもしれないが、戦後日本国憲法の文案を出した時に、「憲法9条」に反対したのは日本共産党である。「自主防衛権を失う」として反対したのである。それが、今になると嘘を繰り返し「憲法改正に反対したのは共産党だけ」だそうだ。どの口が言っているのかよくわからない。
さて憲法改正に、野党各党は消極的であるという。しかし、野党各党が主張していることはすべて憲法改正につながるものばかりであり、話にならないものばかりである。そしてそのことが「理論になっていない」ことがわかっているので「憲法の審議に入ることができない」ということになる。
政治というのは、基本的には「根本的なイデオロギーや政治原理、政治哲学」があり、その基本に忠実にすべての物事を解釈し、そしてその解釈に従って政策を作ることになる。どこかの国に吸収合併されること、隷属することを目指すような人々以外、日本の発展の目的は「何を先にやるか」「どのようなやり方をするか」という方法論や道具論に近いもの以外は、同じになるはずだ。共産主義者というのは、そもそも国家を解体するということが目的であるが、日本の共産主義者は、日本という国家を解体することばかりに専念し、他の共産主義的な内容を考えない。そして、そのことが「日本国のためになる政策の全否定」ということにつながるのである。
そのうえ、「そのような哲学のない政治をしていることがばれないようにするため」に憲法改正に議論には消極的にならざるを得ないのだ。このような人々が存在すること自体が「日本の害悪」ではないのか。害悪といわれたくないならば、日本の将来の国家像を示し、そして世界の中の日本という国際的な関係を示し、そのうえで、その具体的な政策を示し、そして憲法や法案としてきっちりと国会という場の中で審議をすればよい。単に否定するだけで政治などはできないのである。
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