「日曜小説」 マンホールの中で 第三章 2
「日曜小説」 マンホールの中で
第三章 2
「堅気と一緒に仕事なんかできるか」
びっくりするくらい大声が出た。もちろんこのようなことを言うのは次郎吉の方である。なぜこんなに激しく反応してしまったのか、次郎吉にはわからない。別に、堅気と組んで仕事をしている泥棒なんていくらでもいる。中には警察官と組んでいたりあるいは市役所の役人と組んでいるのもいる。警察官や市役所の役人は、怪しまれずに他人の家に入り、そして点検という名で、様々なところを見ていける。つまり、視察をするという点では彼らほど使い勝手の良い人はいないのである。
しかし次郎吉にとっては、堅気と組むなんてことは全く考えたことがなかった。いや、相棒が死んでからというもの、他の泥棒と組むというのも全く考えられなかった。ある意味で、自分と組んでしまった人はすべて不幸になり、そして全ておかしくなってしまうのではないか、場合によっては死んでしまうのではないか。そのようなことが先に考えてしまうのである。
「そんなに大声を出さなくてもよいではないか」
「ああ、悪い。」
「私のような、目の見えない人間は耳がすべてだ。耳と触った感触でしかものがわからない。急に大声を出されて耳が聞こえなくなってしまっては、本当に動けなくなってしまう」
「悪かったよ」
次郎吉は不貞腐れたように言った。
「何があったんだ」
「まあ、あまり組みたくないといったばかりだろ」
「元の相棒のことか」
次郎吉は何も言わなかった。目が見えない善之助であっても、次郎吉の表情が不貞腐れたような、それでいて悲しいような、そんな状況であることは理解できた。
「何も一緒に泥棒に入ろうといっているのではない。何か泥棒以外でできないかと思っただけだ」
善之助は、少し声を大きくしていった。別に声を大きくしないでも次郎吉には聞こえている。そもそも二人しかいないし、周囲にはネズミとかそういったものしかいない。マンホールの上はまだかなり大変なことになっているようであり、遠い雲の上、いやマンホールの上のこととして何か大きな音がたまにしている。しかし、ここはかすかに聞こえるだけで、それほど大きな音はしないのである。
「大声出さなくても聞こえてるよ。爺さん。」
「ああ、そうだろう」
「でもな、泥棒しかできない俺と何ができるというのだ。爺さん、何か盗んでほしいものでもあるのか」
「盗んでほしいものか。それはまあ、ないことはないが、そんなことではないんだよ。」
善之助は少し笑った。
「いいか、よく聞け。次郎吉さん。そもそも泥棒しかできないといえども、泥棒を立派にやってきているではないか。だいたい、泥棒に哲学があったり、こだわりがあったり、または普通ではないということを自覚しているなんて話は初めて聞いたよ。それだけで驚きだ。そのうえ、相棒に対する心や、殺しはしないという心意気。その辺のくそったれたサラリーマンに比べれば、はるかに高尚で素晴らしいではないか。」
「爺さん、そんなに褒めるな。だいたい、ダメな泥棒が自分なダメな理由をなんとなく理屈っぽく話しただけじゃないか。」
次郎吉は、なんとなく照れた笑いをした。いやそれしかできなかったのである。もちろん、照れた笑いを善之助が見ているはずはない。しかし、どうしても表情で物事を伝えようとしてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。
「いや、褒めていない。普通のことなんだよ。いや、普通ではないことなんだ。普通という言葉は使わないんだったな。つまり他の人が考えないことをしっかりと考えている。基本とか基礎とか、人間の根っことか、そういうものがしっかりとしていない人間は、その人の職業がどうであってもダメなものだ。次郎吉さんはそうではない。『職に貴賤はない』という。まさに泥棒でも立派なものではないか。」
「ああ、少なくとも俺はそう思ってるよ」
「だろ、だからその能力をうまく使いたいと思うのだ。」
「……」
何か口を開こうとした次郎吉を、大きく手を前に抱いて、「とまれ」というように手のひらを大きく広げ、善之助は次郎吉の言葉を遮った。
「泥棒というのは、私はやったことはないし、うまくできるとも思わないが、しかし、聞いてみるとなかなかすごいことになっている。つまり、まずは偵察だ。よく観察しないといけない。私のような目が見えない者にとっては見えないから観察などはしようがないのであるが、しかし、見えていても人は観察しているのではなく、なんとなく眼を開いているだけだ。私のような目が見えない人にとっては、目が開いている人の方が物事や社会が見えていないと思うことはよくあった。」
「昔、座頭市という映画を見たが、『眼明さんは目暗よりも何も見えてねえなあ』なんてセリフがあったな」
「そうだろ」
善之助の表情は、なんとなく自慢げである。
「目が見えている人というのは、なんとなく見えているから、そして毎日見えていることでしかないから、当然にその見えているものを一つ一つ意識しない。しかし私のような目が見えない人間は、自分の頭の中で像を結ぶのに、具体的にさまざまなことが耳で聞いて手で触って、つまり目で見ない状態で他の感覚で映像が描けなければ何も見えないんだ。その画像に何か違和感があれば、当然に、その違和感に気づく。なぜいつもと違うのか。小さいことが気になる。それが目が見えない人の特徴だ。ところが、あんたがた泥棒さんは、目が見えていながら他に人が見ていないところを見ている。つまりそれだけ観察眼が多く、そして我々目が見えない人よりも多くの感覚を使って、様々な映像を頭の中に描ける能力があるのだ。」
力説する善之助を、呆れた顔で次郎吉は見ていた。まあ、褒められているのであまり悪い気はしない。しかし、善之助が思うほど素晴らしいものではないし、そんなに完璧にできているわけではない。
もちろん、例えば金庫のおいてある部屋の話などは、実際にそのことを見なくても、会話などでなんとなく想像をつけなければならないし、また、その想像が違ってしまえば、当然に、泥棒は失敗する。捕まるか、何も取らずに帰らなければならなくなってしまうのである。
そのような意味で「会話から映像を紡ぐ」というのは、泥棒にとっては必要最低限の内容であろう。しかし、それだからといって、目が見えない人と同じようにされても困る。小さいことが違っても違和感などは感じないし、また、常にそんなことをしているのではないのである。
「爺さん、少し買いかぶりすぎじゃないか」
「いや、そんなことはない。私にはわかったんだよ。次郎吉さんの才能が」
「才能」
もう笑うしかない。
泥棒を捕まえて才能があるなどといわれても困るのである。そもそも、そんな才能があっても世の中では役に立たないし、役に立ったとしても、泥棒として捕まるしかないのである。
「まあ、他の才能も聞いてくれ。だいたい才能がある人は、自分ではその才能に気づかず、このように客観的に言われた場合も、自分では才能がないと謙遜するものなんだ。次郎吉さんも例外ではない。実際に泥棒稼業で儲けているんだから、そりゃ立派なもんだよ」
「まあ、そうかな」
次郎吉は、少なくとも善之助の話が一段落するまで黙っていることにした。黙っていなければならない気がしたし、また、何を急ぐわけでもないので、少し自分が褒められる内容を聞いてくすぐったい思いをするのもよいとあきらめたのである。
「では、見えないものを見えるようにする、それ以外の次郎吉さんの才能を紹介しようではないか。」
善之助は得意になった。
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