「日曜小説」 マンホールの中で 第三章 3
「日曜小説」 マンホールの中で
第三章 3
次郎吉のまだ自分で気づいていない才能を紹介する。善之助はそのことに自分で興奮していた。何しろ目の見える人々には見えていない、目の見えない自分にしか見えない事をこれから話すのだ。普段であれば、他の人々に無視される。何らかの反応があっても、「はいはい」という感じで、少なくとも本気で聞いていないことなどはすぐにわかるというような状況なのである。どうせ目が見えないんだから、何も見えていないに違いない、そのような先入観から、相手にしてくれないにもかかわらず、このマンホールの中では自分の話を一人前に聞いてくれる。そして今まで見えていながら話さなかったことを話せる。内容よりもその環境に興奮していたのかもしれない。
「じゃあ、爺さん、聞こうか」
次郎吉は居住まいをただしたように、少し布がこすれる音がした。
「では」
善之助も居住まいをただした。ちょっと背中を伸ばし、胸を張った。何年振りであろうか。なんだか得意な気分だ。
「泥棒というのは、私の聞いているところ、かなり難しい仕事であると思う。もちろん簡単な仕事などはないということは十分に承知している。しかし、安易に仕事ができないからとか、むしゃくしゃしたからといって万引きするというような話とはわけが違うということがよくわかった。」
「ありがとう、といっていいのかよくわからないが、」
「泥棒というのは、一つにはまずは狙いを定めなければならない。つまり、物を見てその価値がわかるということと、その物を持っている人の身なりや言動からその人の生活や狙った物品をどこに置いているかなどを推しはからなければならない」
善之助は、自分ではやったことがないが、やはり目が見えない人特有の勘で、今までの次郎吉の言葉から泥棒の仕事というのが徐々に頭の中で描かれているようである。
「まあ、そんなに立派なものではないか、一応獲物を持っている人とかを見ないとならないね」
次郎吉は、今まで自分がやっていることをそのように分析されたりしたことがないので、ちょっと照れながら言った。
「要するに、人を見る能力が、君には備わっているという事だ。人を見るというのは泥棒でなくても生きていく上で重要なカなんだ。」
善之助の熱弁は止まらない。いや、善之助自身言葉を止める気はなかった。
「泥棒にも、レベルや階級があるかもしれない、もちろん個人差もある。しかし、次郎吉さん、あなたには間違いなくその能力があるだからしっかりとした泥棒ができているのではないか。」
「爺さん、しっかりした泥棒とか、良い泥棒とか、泥棒にそんなのはないから。」
照れくさそうに次郎吉は言うしかなった。どうも調子がくるってきた、今更になって、泥棒に関して話などするのではなかったと後悔しても遅い。
「いや、それだけではない。」
照れくさそうに語る次郎吉を、善之助は完全に無視して話をつづけた。
「泥棒には、観察眼に、見えないものを見通す力が必要だ。何しろ、その人の家に行って、どこに財宝があるかを見なければならないし、当然に家の中のことなどは見えないのに、その中のことを想像しなければならない。もちろん、観察の上で、そのようなことができているのであるが、しかし、世の中見えることばかりではない。予想できないことや見えないことをある程度の推定で物事を勧めなければならないことがある。その決断力と予想力がなければ、泥棒なんかはできやしない。」
「まあ、そうだが」
次郎吉は、善之助のことを止めても無駄と思ったのか、もう善之助の言葉を遮らなくなっていた。それだけ善之助の言葉は乗っていたし、また、その善之助の言葉の中には、何か熱いものが込められていた。
「そのうえ、計画性だ。今までは、泥棒などは衝撃的に出来心で行っていたと思っていた。これは私の思い違い、いや、差別的に見ていたのかもしれない。話を聞いてみると全く違うではないか。見えないものをみとおし、観察の中から予想を付けた後、しっかりと計画を立てる。当然にそれまでの人を見る能力や、その周辺の人々の能力、場合によっては警備システムなどの力も見なければならない。そのうえで、それらのことをすべて考え併せて計画を立てなければならない。計画というのは、単純に計画を立てているのではなく、失敗した時や、何か事情が変わった時、推測していたことが違った場合に備えて、いくつものストーリーを考えなければならないではないか。」
「まあ、そうだが」
「現代人などは。計画を一つ立てるのもかなり難しい。計画を立てることできないし、計画を書かせても今の若者などは、甘いものばかりだ。しかし次郎吉さん、あなたのような泥棒の場合計画にミスがあったり穴があったりしてしまえば、自分が捕まってしまうわけだ。つまり、その計画に関してはしっかりと穴がないように立てていなければならないし、その計画を何回も見ていかなければならない。もちろん、昔やシミュレーションなどもしていたと思うが、さすがにベテランになってくれば、そこまではしない。しかしそれは経験に基づくものであり、その経験が糧になっているということになるのだ。それはそれで、経験を課しているということでまた大きな力ではないか。」
善之助の泥棒分析はなかなか止まらない。次郎吉はさすがにあきれるしかなかった。このような時に、目が見えないというのは困ったものである。次郎吉がどんなに飽き飽きしたという退屈そうな表情をしても、全くその表情は通じないのである。まあ、表情が通じないとか、空気が読めないというのは、目が見えないということであるから仕方がない。しかし、そのことは、次郎吉にとって見れば、この自分のことを褒め殺しされているような、照れくさい会話をやめさせる有効な道具を一つ奪われたようなものである。
もしかしたら善之助は、このような表情に気がつかないどころか、表情が見えないことで、次郎吉が喜んでいる、今まで次郎吉自身が全く感じていなかった良さを発掘してもらって感謝しているというような、実際とは正反対の誤解をしている可能性もあるのだ。
「次郎吉さん、そして何よりも実行力だよ。実行力の中には、いくつかの要素がある。一つは、準備そしてシミュレーションの中から得られた情報からの準備段階での予備の準備だ。二つ目は予想外事態の対処能力、三つめは、時間通りに物事を行う時間に関する感覚、四つ目は、何か障害があった時にくじけない精神力。これがなければ、実行できないんだ。今の若者たちは、この実行力がない。そこが困りものだ。そもそも実行力は、計画性などで構成されているということがわかっていない。だから結局実行できないんだ。仕事をしていた時代はそんなことよくあったよ。そのうえ教えてやってもできやしない。偉そうな机上の空論ばかりで、何もできない奴らばかりになったんだ。日本の経済がおかしくなるのの無理はないよ。それに比べて、次郎吉さん。あなたはすごい。本当にいい泥棒はいい人なんだ、そういうことが……。」
「爺さん、褒めてくれてうれしいけど、泥棒は泥棒。人様の物を盗むのに、いいも悪いもないんだよ。」
もう、ここまでくると、照れるとかそういうものも何もない。もう他人のことを言っているとしか思えない。笑うしかない状態だ。次郎吉はあきれてしまって、たった一言そういった。
「いや、そんなことではない。いいものはいい。悪いものは悪い。たったそれだけのことではないか。職業に貴賤はない。それならば、いい泥棒というのがいてもおかしくはないではないか。そしてそのいい泥棒と悪い泥棒の違いは、もう一つあるんだ。」
「なんだい。爺さん」
「次郎吉さん、聞きたいか」
「ああ。教えてくれ。俺は、普通の泥棒と何が違う」
「正義感だよ」
次郎吉はとうとう我慢していた笑いが噴出した。単純に笑うしかない。もう反論も何もない。
「正義か」
「ああ、正義感だよ。そして次郎吉さん。君には哲学がある。まあ哲学というのは言い過ぎかもしれないが、基本的な姿勢というか。私に教えてくれたではないか。普通とは何か、常識とは何か。まさにそれだ。自分で普通ではないことを自覚し、そして、基本的な姿勢を持ち、そして正義感を持つ。」
「正義感も哲学もないよ。」
「いや、ある。正義感も哲学も、それがあるから自分の仕事にプライドが生まれる。人間というのはそういうものなんだ。自分なりの法則、自分なりの哲学、そして社会の中にある正義感。これが君のプライドの中に隠れているのだ。」
「なるほどね」
ここまで買いかぶられると、本当に自分のこととは思えない。しかし、ちょっと引っかかった。次郎吉は素直に、また聞いたのである。
「爺さん、ところで、正義、って何だい」
「正義」
「ああ、法律に違反している。法律が正義ならば泥棒という法律違反の正義などはない。では、爺さんが言っている正義とは一体何なんだ」
善之助はまた頭を抱えた。
0コメント