「日曜小説」 マンホールの中で 第三章 1

「日曜小説」 マンホールの中で

第三章 1

「これからどうするのかと聞かれてもねえ」

 次郎吉は、善之助の聞いた言葉に困ったような声で返した。

 善之助にしてみれば、自分の身近に普通とか責任とかということを深く考えている人がいない。ある意味で「当たり前」を「当たり前」ととらえていない人がいなかったのである。ある意味で常識人という名の「物事の定義をしっかりしていないで、なんとなくイメージだけを合わせて存在し、その存在の中で、物事を主観的に判断する免罪符を得ているような人々」しか存在していなかったのである。しかし、このような人間がまさか存在しているとは思えない場所で、人間の普通を全く共有していない人物が目の前に現れ、そして話をしているうちに「常識」という言葉でなんとなく流されるようなことを考えていない人間が目の前に現れたのである。このように考えれば、自分と会ったことを貴重な機会として、ぜひ自分の近くにいてもらって、もっともっと様々なことを教えてもらいたい。今まで善之助が生きてきた中で、全く気が付かなかった「普通」を、実は普通ではなかったというようなことで、気づかせてほしいというような感覚を持っていたのである。そのためにここから出たらどのようにするのかと何気なく聞いたのである。

 しかし、聞かれた次郎吉にしてみれば、全く異なる話になっている。次郎吉本人にしてみれば、そもそも常識であっても、また、普通であっても、責任であっても、普段から自分で考えていることであり、その考えている自分こそが「普通」なのである。つまり、善之助の方が自分からみれば異常であり、なおかつ、善之助のような感動はないのだ。次郎吉からすれば、もともと善之助のような人間の世界にいて、そして、その世界には次郎吉自身の居場所がなく、そして人も住まないようなマンホールの中で過ごし、泥棒などという他の人にははばかられて言えないような職しかなくなってしまっているのである。今回、たまたま善之助とこのようにして話しているが、それは、マンホールの外側で、何か見えない大きな事故があって、その事故の影響で善之助がここに来て、お互いに怪我をしていて動けなくなってしまったので、仕方なくここにこのようにしているのであるが、普段通常の泥棒活動と日常の中では絶対にこのような人と会ってゆっくり話すことなどはないのである。

 それなのに、そのような善之助から「これからどうする」といわれても困る。次郎吉からすれば「これからどうする」も何もなく、自分のテリトリーに入ってきたのが善之助であり、自分は何ら日常と変わりはない。早く善之助がここから出てゆけば、今までと同じ泥棒稼業が待っているだけなのである。これからどうすると聞かれても「泥棒を続ける」という答え以外はなく、また、それ以外の案も浮かぶはずはないのだ。善之助のような良い人とは根本的に違うのである。

「まあ、泥棒を続けるしかないよな」

 次郎吉は、少し小さめの声でそういうしかなかった。

「本当にそれでいいのか」

 善之助は、あえて次郎吉に聞いた。

「まあ、俺からすればな。爺さん。もともと俺の城であるマンホールの中に爺さんが入ってきただけで、それ以外は何も変わらないんだよ。だから、爺さんが出てゆけば、元に戻るだけ。そもそもここから出たらなんて言っていたが、俺は仕事をするとき、つまり、他人様から何か盗みに行くとき以外はここから出ないんだよ」

「それはわかるよ。泥棒稼業だし、あまり外で歩いているとどんな危険があるかわからないからな。でもそれでいいのか」

 善之助は繰り返した。いつになるかはわからないが、救助が来れば、ここを出てしまう。しかし、ここを出てしまうということは、今まであったことのない次郎吉という人物と、もう会えなくなるということになる。それはつまらない。

 そして次郎吉もつまらないと思っているに違いないのである。

「いいのかといわれても、それならば、爺さんの家に盗みに入れということか」

 次郎吉は皮肉交じりに行った。

「まあ、俺の家に来るならば、何も盗むようなものはないが、いつでも遊びに来たらいいじゃないか」

「しかし、下手に俺が行けば犯人隠避という罪になって……」

「いいじゃないか。別に、犯人隠避でも。そもそも盗みに来るんだから、犯人隠避ではなく、犯行がそこで行われているんだろ」

 次郎吉が面食らう晩であった。何しろ泥棒といえば、通常は、あまり歓迎される存在ではない。しかし、なぜかここにいる善之助と名乗る人物は自分の家に犯行に来いというのである。今まで普通とか常識ということを語ってきたが、この爺さんこそ、全く常識的な存在ではないし、普通ではないのである。

「爺さん、普通じゃないな」

「それは誉め言葉か」

 誉め言葉も何もない。しかし、なぜか誉め言葉に聞こえる。ここにいる善之助は何か楽しそうである。しかし、次郎吉のことをおちょくっているわけではない。本当に、心の底からこの言葉を楽しんでいるのである。

「まあ、負けたよ」

 次郎吉はそういうしかなかった。

「で、爺さん、ここを出て何かいい案でもあるのか」

「ない」

「ないって」

「そりゃ、次郎吉さんがどのような生活をしているのかわからないし、それに満足しているかどうかもわからないんだ。だからそれを超えるような話は全くないし、泥棒と一緒に目が見えないジジイが、何をしていいか全く見当もつかない」

 次郎吉は見当もつかない話をしているはずなのに本当に心の底から楽しんでいた。この瞬間が永遠に続き、救助などは来なくて、ずっと次郎吉と話をしていることが楽しいと思えていたのである。今まで自分が感じてきた何よりも面白く、そして自分が作り替わってゆくような革命的な変化が自分の中で音を立てて始まっていることを自覚していたのである。

「そんなに見当もつかないようなことを、なぜ俺に聞くんだい」

 困ったのは、次郎吉の方である。何しろどうこたえてよいのか全く分からない。

 まあ、このマンホールの中で、いきなりホームシックになられて泣かれたら面倒で仕方がないであろう。しかし、逆に笑っているというのも非常に怖い。それも心の底から楽しんでいるのが怖い。ちょうど幽霊が悲しそうな、恨めしそうな顔をしているのではなく、なぜか大笑いしてこちらを見ているようなそんな言いようのない気味の悪さを感じていたのである。

「いや、次郎吉さん。本当に君と話しているのは楽しい。そこで、君と長くいることはできないか。たまに泥棒の話を聞くことはできないか。そのように考えただけなんだよ」

「いや、そんなことを言われてもねえ」

 次郎吉は困り果てた。言うに事を欠いて、今度は泥棒の話を聞かせろと言い出したのである。警察の取り調べでもあるまいし、なぜ自分の泥棒の結果や失敗談を話さなければならないのか。そんなことができるはずがない。

 しかし、次郎吉自身も不思議と善之助には怒りなどは全く浮かばなかった。いつもならば、このようなことを聞かれれば、怒ってその場を離れてしまったり、あるいは相手を殴りつけていたのではないか。自分自身も何を見られているのか何を調べられているのか、非常に気になるところである。そもそも、泥棒稼業なんて言うのは、他人様に見られて、評価されたり、あるいは楽しんでもらうような仕事ではない。他人様に知られないようにして、全く秘密裏に行うものなのである。それを聞かせろとか見せろとか言うというのは、泥棒の手口を学びに来るのか警察のように、自分の罪を問いに来るかどちらかしかないのだ。それは、自分にとっては最も嫌なことでありなおかつ、もっとも面白くないことなのであるが、なぜか善之助にはその面白くないというような感情が浮かばず、今目の前にいる善之助と同じ笑顔が浮かび、仕方がないというような暖かい感情が出てくるだけなのである。

 そのような感情しか出てこない自分に面食らっている部分もある。しかしそれ以上に何と答えていいかわからないのである。

 「何か君と一緒に仕事ができるといいのであるが」

 善之助はとんでもないことを言い出したのである。


宇田川源流

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