「宇田川源流」 マナーという言葉の意味が分からない中国が世界で最も無礼な韓国に対して怒りをあらわにする「人の振り見て我が振り直せ」
「宇田川源流」 マナーという言葉の意味が分からない中国が世界で最も無礼な韓国に対して怒りをあらわにする「人の振り見て我が振り直せ」
いきなり汚い言葉からスタートする。「目糞鼻糞を笑う」という言葉がある。「汚い目やにが、鼻くそを汚いと言って笑う。自分の欠点には気がつかないで、他人のことをあざ笑うたとえ。」と大辞林第三版には書いてあるのであるが、まあ、なんというか、そんな感じの事件が起きた。
ちなみに「人の振り見て我が振り直せ」ということわざもある。「他人の姿、やっていることを見て、自分自身を改めよう」という意味である。このことわざは英語にもあるようで「Look at people's swings」というらしい。ついでに言えば、ネット上を調べれば中国語にも韓国語にもこのような話があるらしい。まあ、他人の振りを見て自分の行いを改めるということはあるのだが、日本の場合は、「恥ずかしい」ということとか、あるいは、人の和を崩すような話が多くあるのであるが、残念ながら、中国や韓国では「人が良い思いをしていればそれをまねして自分もよい立場になる」というようなことで、経済的なことや政治的な立ち回りの部分を言っているように使う。これは、日本人の場合は、このことわざをマイナスになるような状況を避けるということで使うのであるが、中国人や韓国人は「他人の失敗から学ぶ」というだけではなく「他人の良いところを盗む」とか「他人のおいしいところを奪う」というような感覚で使っていることが少なくないのである。まあ、韓国では「他山之石」という中国の詩教の話をそのまま韓国語にしているだけで「他所の山から出る悪い石でも、宝石の玉を磨くときの砥石に使うことができるという意味で、自分より劣っている人の言動を見て、自分の修養の役に立てる」という意味にしている、つまり「自分に役に立てる」ということが主眼で、日本のように「正常に戻す」というような感覚ではないことが挙げられるのではないか。
さて、この「他山之石」という言葉を使った二つの国がそのままおかしな話になっているのである。
<サッカー>中国の大会で優勝した韓国、選手が優勝カップ踏みつける!全選手が頭下げ謝罪する事態に=中国ネットは怒りとあきれ
中国四川省成都市で開催されたサッカーのパンダカップ2019で、最終節の中国戦に3-0で勝利したU-18(18歳以下)韓国代表の選手一人が、優勝カップを踏みつけて記念撮影をした。現場にいた記者によると、カップに向かって用を足すようなしぐさもしたという。29日付で複数の中国メディアが報じ、ネットでは炎上状態となっている。
韓国選手の不適切な行為を受け、大会組織委員会と成都市サッカー協会は韓国側に厳しく抗議。これを受け、韓国代表の監督と選手らは日付が変わった30日に宿泊先のホテルで謝罪会見を行った。金正秀(キム・ジョンス)監督は「このようなことが起こったことについて、まず謝罪します。これは完全に私の過ちでした。我々の選手は二度とこのようなことを起こしません。中国の方の感情を傷つけてしまったことを改めてお詫びします」と語った。問題行為を行った選手も「中国のすべてのサッカーファン、選手、国民の皆さんに心から謝罪します」などと述べ、選手全員で頭を下げた。
中国版ツイッター・微博(ウェイボー)の検索キーワードランキングでは、29~30日にかけて「韓国が中国に勝利した後、カップを踏みつける」「韓国チームが公開謝罪」など関連ワードがトップ10に3つ入り、大きな注目を集めた。
ネットユーザーの反発の声は大きく、「試合には勝ったが、人としては負けだな」「お里が知れるってもんだ」「批判されたから謝っただけ。心の中では中国を見下しているのだろう」「中国人を傷つけた?いや違う。自分たちで韓国のイメージを傷つけただけさ」「韓国にスポーツマンシップが無いことは周知の事実」「本当にこの国は救いようがない」「相手をリスペクトしない者は、他者からリスペクトを受けるに値しない」「こんなことができるのは世界中見渡しても韓国だけ」「スポーツ道徳に反する行為。何かペナルティーがあってしかるべきでは?」など、辛らつな言葉が並んだ。(翻訳・編集/北田)
2019年05月30日 09時40分 Record China
https://news.nifty.com/article/world/china/12181-716288/
さて、日本から見て、韓国や中国というのはマナーがないということがはっきりと見て取れる。これは日本人が特別にマナーが高いのではなく、その二つの国がマナーがないということが、他の国でも話題になっており、ヨーロッパでは中国人や韓国人の出入り禁止にするホテルなども少なくないのである。
なぜマナーがないのか。
そのことを真剣に考えたことがあるだろうか。まあ、大概の日本人が韓国のマナーなどは考えたこともないし、日本に対する数々の無礼から、そもそも韓国のような国家を相手にすること自体が恥ずかしい問うような感覚になっているのではないか。しかし、まさに「人の振り見て我が振り直せ」という感覚からすれば、「なぜそのようになってしまったのか」という原因と因果関係をしっかりと学ぶべきである。そして日本人にその傾向があるのであれば、しっかりとその慎みを持つべきではないか。
そのように考えて、あえて、その原因を考えてみる。
韓国の場合、基本的にあまりにも長い間他国(主に中国であるが)の権力の下に入り込み、その庇護を受けることによって国家の形を作ってきた。つまり、半島国家政府のトップといえども、中国に何か言われれば朝貢しなければならないし、また、戦争では兵を出さなければならなかった。元寇などで主に朝鮮が船を作り減のために日本を攻めたのはそのような事情であろう。つまり、「完全な独立国家」として、存在したことがないのである。
そのうえで、虐げられていた国が、急に主権を手にするとどのようなことになるか。単純に「自分の勝手なことがなんでも通る」というような感覚になってしまい、暴君の絶対君主のような恣意的で身勝手な状況を「権利」であると勘違いをしてしまうのである。単純に、権利というものの使い方がわからない。義務や秩序ということが全くわからないし、他人の気持ちなども全くわからない対応をしてしまうのである。
そのうえで、中国や韓国はある程度の「史的唯物性」を持っている。韓国は共産主義ではないが、しかし、韓国は歴史を大事にしない国家であり、自分たちが使っていた漢文ですら自分たちで読めなくなってしまっている状態にある。そのように考えた場合、やはり歴史的なものに興味や価値を感じない。これはソウルの町中を見てもわかるように、古いものに価値を感じないために歴史的な価値のある建物を統べて壊してしまうのである。
このことは「物に対する象徴性」が全く見えていない。例えば「社長のいす」といえば「単なる椅子」ではなく「社長ということを象徴している椅子」ということになってしまい、普通の人ならばその地位やその内容に見合った状況でなければ誰でも座ることはできないのであるが、史的唯物性を持っている人々は、そのような象徴性、つまり心因的な目に見えないものの価値を全く感じないということになってしまう。
そのことが、「優勝者」ということと、「トロフィーの象徴性を感じない」という史的唯物性が相まって「自分たちが勝ったのであるからトロフィーに足をかけてもよい」というような話になるのである。
北京オリンピック以来、マナーの向上を求めている中国の方が、共産主義国家であるにもかかわらず、その辺が上であるということがなかなかの皮肉になている。
さて、日本の皆さんは、このことをもって「韓国だから」と見限ってはいないか。まさに自分たちがそのようになっていたり、あるいは、日本国内にもそのような象徴性や物事の価値、権利の使い方がわからない人々がいるということを忘れてはならないのではないか。「人の振り見て我が振り直せ」まさに、そのようなことを日本人自身が日本国内で行わなければならないのではないかという気がしてならないのである。
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