「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 写楽ブームと大きな陰謀という設定の妙

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 写楽ブームと大きな陰謀という設定の妙


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について書いている。今回を含めて残り3回。ただこの最後の場面になって一気に面白い展開になってきたという感じがするのは私だけではない。もちろん史実ではない状態であろうが、なかなか面白い。

その前にまたいつものように歴史上の人物についてみてみたいと思う。今夏はくっきー!さんの演じている、少し気持ち悪い演技がイメージぴったりの葛飾北斎んついてみてみましょう。

葛飾北斎は1760年、江戸本所に生まれた。幼少期から絵に親しみ、19歳頃には勝川春章に入門し「勝川春朗」と号して役者絵を描き始める。この勝川派での修業期に、北斎は江戸出版界の中心人物であった蔦屋重三郎と間接的に接点を持つようになる。春章が手掛けた『青楼美人合姿鏡』(1776年)の出版を蔦屋が企画していたことから、師を通じて北斎は蔦屋の存在を知ることになった。

 蔦屋重三郎は江戸日本橋で「耕書堂」を営み、喜多川歌麿の美人画や東洲斎写楽の役者絵を世に送り出した出版界の名プロデューサーであった。彼は単なる版元ではなく、芸術家の才能を見抜き、作品を企画・流通させる「仕掛け人」として江戸文化を牽引した。北斎もまた、蔦屋の鋭い目利きによって早くから才能を見出され、黄表紙や狂歌絵本の挿絵を依頼されるようになる。代表的なものに『実語教幼稚講釈』(1792年、京伝作・春朗画)や『柳の糸』などがあり、これらは北斎が浮世絵師として出版界に足を踏み入れる契機となった。

 さらに重要なのは、蔦屋が北斎と戯作者・曲亭馬琴(津田健次郎さん)を結びつけた点ところである。1792年、馬琴が蔦屋の番頭として働き始めたことを契機に、北斎と馬琴は出版の場で出会った。両者は後に『椿説弓張月』などで協働し、読本の挿絵と本文を通じて江戸文学と絵画の融合を実現する。この縁を用意したのが蔦屋であり、北斎の画業の幅を広げる大きなきっかけとなった。

 しかし、蔦屋重三郎は1797年に早逝してしまう。この辺からはまだドラマに書かれていないところである。北斎はまだ30代半ばであり、画業の本格的な展開はこれからであった。蔦屋の死後、北斎は西村屋与八や永楽屋東四郎といった他の版元と組み、『冨嶽三十六景』(1830年代)や『北斎漫画』(1814年以降)を出版し、世界的に知られる画狂人としての名声を確立する。つまり、蔦屋との関わりは北斎の初期に限定されますが、その後の大成に向けた基盤を築いた点で決定的な意味を持った。

 従来の通説では「限定的な関係」とされてきましたが、近年の研究では蔦屋が北斎の才能を早くから見抜き、出版界における人脈や場を提供したことが強調されている。直接的な師弟関係ではなくとも、北斎が江戸出版文化の中で生き残り、後に世界的な浮世絵師となるための「初期の舞台」を蔦屋が整えたことは疑いない。

<参考記事>

べらぼう:“同じ顔”登場の衝撃ラストに視聴者混乱!? 「全てに疑心暗鬼」「この先の展開がまったく読めない」(ネタバレあり)

2025年11月30日 20:45

MANTANWEB編集部

https://mantan-web.jp/article/20251130dog00m200035000c.html

<以上参考記事>

 平賀源内(安田顕さん)が生きているとなってから、多分残り二回を含めた最終回に向けて、作家の森下佳子先生はかなり悩んだのであろうという気がするのである。普通に史実を書いてしまえば、蔦屋重三郎(横浜流星さん)が何の盛り上がりもなく、寛政の改革の痛手をそのままにして、将来の江戸の文化の発展を考えながら、葛飾北斎や滝沢馬琴を育てながら病気に苦しんで死んでゆくという物語になる。しかし、其れでは全く面白くない。ではどうすべきか。

当然に、作家は史実はすべて知っているし、NHKの大河ドラマのスタッフもその辺は熟知しているであろう。その上で、そのラインを超えるような変質のさせ方はしない。しかし、盛り上げるために、そしてドラマとして最終回まで視聴者を飽きさせないために、わざと史実を曲げることがある。それは歴史小説作家でも同じである。ただ、まったく知らないでそのまま変えてしまい想像で書くのと、そうでななくすべてを知った上で、わざと面白くするために結論を変えずに、その内容を変えるのとでは全く異なるのである。

今回の内容は、「平賀源内生存説」というのは、実際に現在の静岡県牧之原市、当時に田沼意次の収めた相良城周辺では当然に存在していた噂話であり、そのうわさ話を使って、「東洲斎写楽=平賀源内」とし、その説を松平定信(井上裕貴さん)や長谷川平蔵(中村隼人さん)が利用して、一橋治済(生田斗真さん)を暗殺しようとしたということになっているのである。

実際に、元老中首座の松平定信と、将軍家斉の実父である一橋治済が、江戸市中でニアミスし、そのうえ殺し合うなどということがあるはずがない。いやあれば必ず江戸の噂になっていたであろうし、現代のそのことは大きく伝わるであろう。多分「由井正雪の乱」や「天一坊事件」のような扱いになり、少し名前を変えて間違いなく歌舞伎の演目になって伍はずだ。それも浄瑠璃や芝居の盛んな土地でそのことが行われたならばなおさらの事であろう。「人の口には戸が立てられない」というが、まさに噂などはすぐに広まったのに違いないのである。

しかし、残念ながらそのような史実はない。しかし、最後に盛り上げるために「蔦屋重三郎という平民が、田沼意次や平賀源内などの復讐の為に全ての黒幕である一橋治済の仇討ちをする」というストーリーを作り出し、その様に仕上げたのは、本当に素晴らしい。史実とは全く異なるが、しかし、あり得ない話ではないし、また、その内容が当時の時代背景や今までのドラマの仕立てにまったく無理なく仕上がっているところが、森下先生の腕のすばらしさであろう。

このままでは「このドラマの中の蔦屋重三郎の死因は何か?」ということが気になるが、その部分はあと2回、待つしかないのであろう。しかし、最終的には将軍の実父まで仇討ちを仕掛けるというような、そしてその内容を一部とはいえプロデュースし、そして江戸市中を巻き込む手腕が蔦屋重三郎にはあったというこのような人物の見せ方は、非常に面白いし、素晴らしい。そのために写楽を集合体にしてしまい、また、歌麿(染谷将太さん)に写楽の絵を描かせる。もともと歌麿は「似せ絵」の達人であった。その様に考えれば、その似せ絵の達人ということが、写楽のところで伏線を回収できているということになるのであるから、かなり練りこまれた話ということになるのであろう。そのようなところまで細かくキャラクターができていることが、このドラマの面白いところなのであろう。

最終回まで目が離せなくなった。

宇田川源流

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