「宇田川源流」【日本報道検証】 現代の世の中で「魔女狩り」がおこなわれているナイジェリア
「宇田川源流」【日本報道検証】 現代の世の中で「魔女狩り」がおこなわれているナイジェリア
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。
さて今回は、「非科学的なことが今もアフリカでは行われている」という現状を考えてみたいと思う。もちろん現場を私も見ているわけではないが、動画などで資料を見させていただいたり、現地の人々の話を聞いて今回は対応したいと思う。何しろテーマは「魔女狩り」である。現地も自分の村から魔女が出たなどということは恥になるので、あまり公にすることはない、つまり、「村の中の内部暴力」のような感じになっているということになる。
そういえば、背信で「ガンニバル」というドラマを見たことがあるのであるが、まさにその内容のように「あまり他の地域から人が来ない閉鎖的な村の中において、その村ぐるみで犯罪を犯した場合には、外にあまり秘密が出ない」というような感覚になる。同時に、閉鎖的な村であるということは、祖との情報が入らないということがあり、そのことから、古い因習や言い伝えが残る傾向にある。そのような古い内容が残ってしまう中に、非科学的な内容も残ってくるということになるのである。
さて、魔女とはいったい何なのか。
ナイジェリアにおける「魔女」とは、災厄や不幸をもたらす存在とされ、呪術・悪霊との関わりを持つと信じられている人々を指している。特に女性や子どもが「魔女」とされやすく、社会的・宗教的要因によって定義づけられている。
ナイジェリアでは、魔女の概念はヨーロッパ中世の「悪魔と契約した存在」という定義とは少し異なり、地域社会の不幸や病気、事故、貧困の原因を説明するための存在として位置づけられている。
古来より呪術や魔術への信仰が強く残っており、魔女は「超自然的な力で他者に害を与える者」とみなされている。これはヨーロッパの魔女像と共通する部分がこれになる。この共通点から魔女といわれるようである。近年では一部のキリスト教系宗教指導者が「悪霊祓い」や「魔女退治」を掲げ、魔女狩りを煽動するケースがある。彼らは魔女を「悪霊に取り憑かれた者」と定義し、社会的に危険視している。
特に南部のニジェールデルタなど貧困地域では、家族や地域社会の不幸の原因を「魔女」に求める傾向が強く、経済的困窮や社会不安が魔女狩りの温床となっているのだ。そして魔女とされるのは主に女性や子どもで、孤児や障害を持つ子どもが「魔女」とされることもある。社会的弱者がスケープゴートにされる構造が見られていることになるのである。
つまり、ナイジェリアにおける魔女の定義は、「呪術や悪霊と結びつき、社会に不幸をもたらすと信じられる存在」であり、これは教育不足や宗教的影響、社会不安が複合的に作用して形成されている。
<参考記事>
ナイジェリアで続く魔女狩り 子ども3万人が親から虐待、悪魔祓いの金づるにも
11/14(金) ロイター
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6c27b452f0db41882d15599f0e8c728944741c8
<以上参考記事>
ナイジェリアでは現代においても「魔女狩り」の風習が残存しており、特に子どもたちがその犠牲になる深刻な人権問題となっている。犠牲者の中心は子どもということになる。これは病気や事故、家庭内の不和など、不幸な出来事の原因を「魔術」や「悪霊」のせいにし、弱い立場にある子どもが「魔女(魔法使い)」の烙印を押されてしまうことになる。実際に大人になってしまえば、それまで何もなかったということ説明ができない。なおかつ、大人になってしまえば、家族以外のコミュニティが出てきてしまって、村の中に分裂が生まれてしまうということになってしまう。そのことから、あまり社会性のない子供が選ばれることになる。
「魔女」とされた子どもたちは、親や地域住民から激しい虐待を受けたり、家やコミュニティから追放されたりする。もともとあまりコミュニティに属していない孤独な子供が、ある意味でスケープゴートならぬ魔女になるということになるのである。その様に考えれば、村の大人が集団でいじめになっているのではないかということになるのである。一部のキリスト教ペンテコステ派などの新興宗教団体が悪魔払いの儀式を行い、親などから多額の報酬を要求するケースもある。悪魔祓いが行われるということがまさにその内容になるのである。
社会経済的背景としては、貧困、教育の欠如、伝統的な迷信に加え、一部の宗教指導者による扇動などが問題の背景にあるとされている。ある意味で「子供に対して村の矛盾を全て押し付けた排外主義的な内容」ということになるのではないか。特徴としては村で「魔女」とされてしまうと、その子供の親までも子供を忌避するということになる。
そのような魔女狩りの被害に遭ったこともは、推計で3万人もの子どもたちが親から虐待を受けているという報告や、20年間で3千人が殺害されたという報告もあり、被害は甚大である。こうした状況に対し、現地の人権団体や国際機関が保護活動や啓発活動を行っていますが、根深い問題として解決には至っていない。
ナイジェリアで魔女狩りが起こる理由は、魔女の存在が固く信じられていること、女性の迫害、金銭目的、社会的な災厄への反応など、複数の要因が絡み合っている。
魔女の存在を信じる文化的背景としては、多くの人が魔女や呪術の存在を固く信じており、病気や不幸などの説明がつかない出来事を魔女の仕業と結びつける考え方が根強い。また、女性の迫害ということもある。社会的に弱い立場にある女性、特に高齢の女性や独身の女性が魔女だとされ、スケープゴートにされることがある。
一方でビジネス的な金銭目的ということもあるのです。魔女狩りを主張する人物が、金銭や財産を得るために人を魔女だと告発するケースがある。同時に、社会的な災厄への反応ということがある。干ばつ、疫病、経済的困窮など、人的な内容によって力が及ばない社会に災厄が起きた際に、その原因を魔女のせいだと考え、魔女狩りで解消しようとする反応が起こることがあるのである。そして異教や呪術への弾圧があり、村の中における同調圧力が働いているということになる。キリスト教やイスラム教など、主流の宗教が伝統的な信仰や呪術を「魔術」として弾圧する背景がある場合もある。
実際に、今の医療がしっかりと行われることの少ない、薬などがないアフリカにおいては、まじないなどが、医療の代替となるケースがある。薬草やまじない、神頼みが衣料の代替となってしまうのである。ある意味で、日本の古代と同じである。その中で伝統的な医療では解決できない病気や不調を、魔女のせいだと考え、魔女狩りで解決しようとすることがあるのだ。
さて、実際にこの内容に関して、どの様に人権的にまたは、村の秩序ということも含めて行うべきなのであろうか。少なくとも昔の日本も同じであり、そのような非科学的なことがある。同時に、今の日本でも宗教的な問題があるのであるから、なんとも言いようがないのである。
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