「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 松平定信の失脚をどう描いたか
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 松平定信の失脚をどう描いたか
毎週水曜日はNHK大河ドラマ「べらぼう」について書いている。今回で42回ということは今回を含めてあと6回ということになる。なんとなくこの時期になるとドラマの先が見えてしまうのと同時にすでに来年の「豊臣兄弟」の話題が徐々に出てくるので、複雑な気分になる。
さて今回はロシア来航が話題になっている。ドラマ中は「オロシア」と言われており、これが江戸末期には「おそロシア」などと揶揄されることになるが、まあその辺は別にして、この寛政期に来航したのはロシアのラクスマンであろう。そこで今回はラクスマン来航に関してみてみよう。
1792年にロシアの使節アダム・ラクスマンが根室近海に来航し、漂流民の送還を主目的として日本側と接触すると同時に通商開放を求める意図を示しました。ラクスマンは漂流民や贈り物を引き渡しつつ、江戸幕府側と交渉の可能性を探る使節的な役割を果たしたと伝えられています。ラクスマン来航以降、ロシア船は北方海域へ継続的に接近するようになり、蝦夷地を舞台とする接近・交渉・時に衝突といった一連の関係が生じました。19世紀初頭には複数回の来航や軍船の活動が記録され、蝦夷地を巡る緊張と情報収集が繰り返されるなかで、幕府側は北方情勢の監視と対応を迫られる状況が続きました。
幕府は当初の慎重な外交姿勢を堅持しながら、沿岸防備の強化や蝦夷地周辺での測量・調査、港湾の監視体制整備など実務的な対応を進めました。長崎や奥州・蝦夷方面における対外方針は「例外的な入港を許すか否か」を巡る微妙な対応を含み、実務面では異国船への取扱い基準や補給の可否を巡る決定が繰り返されました。寛政の改革は幕政の立て直しと倹約・統制を軸にした国内改革であり、対外政策の根本方針そのものを根底から変えるものではありませんでしたが、幕府の統治能力や財政的余裕に影響を与えたため、結果的に沿岸警備や蝦夷地統治の実務的対応に影響を及ぼしました。財政と人員を節約しつつ警備をどう維持するかという制約が、幕府の対外的な硬直性と慎重な姿勢を助長した面があります。
1804年にロシア側の使節レザノフが長崎に来航して通商を求めましたが、幕府はこれを容易に認めず、入港や通商について強い警戒と制限的対応をとりました。レザノフ来航は、幕府が単に漂流民の送還に応じるだけでなく、恒常的な通商関係を結ぶことには消極的であったことを改めて示し、その後のロシアとの関係や蝦夷地政策の強化につながる重要な契機となりました。
さてこのことがドラマにはどのように書かれているのでしょうか。
<参考記事>
<べらぼう>蔦重、歌麿に文で謝罪も視聴者の感情逆撫で 「鈍感の定番の謝り方」「マジ最悪」と辛辣な言葉飛ぶ
11/9(日) 20:55配信 MANTANWEB
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1c876059ae3d3d7845bc7b6164777f8e6894406
<以上参考記事>
今回は大きく話が動いた回ではないか。蔦屋重三郎(横浜流星さん)にしてみれば、喜多川歌麿(染谷将太さん)がいつまでも自分と仕事をしてくれる存在ではなくなったということ、そしてその別れぎわのセリフが「ていさんを大事にしてやれよ」であったのに、そのてい(橋本愛さん)との子供は多分流産してしまったということになったのではないか。その詳細はよくわからないものの、やはり、無事ではなかったという気がするのである。
蔦屋重三郎にとっては、兄弟と思って一緒に将来を見ていた喜多川歌麿が自分の手元からいなくなり、そして、期待していた自分の息子も死産になってしまったということになる。
歌麿から「あの店(たな)、俺にくれよ」との要求に対して、「子供も生まれるし、それは無理だ」と告げたにもかかわらず、その自分の子供がいなくなってしまったのであるから、ショックはかなり大きなものではなかったか。蔦屋重三郎の周辺から一気に人が引いていったというような感じである。最後に、蔦屋重三郎が「無精ひげ」の顔を出すのであるが、その人相は歌麿が妻のきょ(藤間爽子さん)を失った時と同じ幹事になっていたのではないか。松平定信(井上裕貴さん)による寛政の改革が始まってから、蔦屋重三郎がそれまで培ってきたものがすべて失われてゆくことになってしまう。その中には、平賀源内(安田顕さん)や田沼意次(渡辺謙さん)など亡くなってしまった人もいるし、一方で、瀬以(小芝風花さん)や誰袖(福原遥さん)のように、蔦屋重三郎のもとを去っていった人もいる。しかし、いずれも蔦屋重三郎の手の届かないところに行ってしまったというような感じである。人生とは、何か歯車が狂ってしまうとそのように「二度と手に入らないものが失われてゆく」ということを教えてくれているのかもしれない。
そして、その蔦屋の運命を変えた松平定信も今回失脚する。
ドラマの中では、松平定信は大老を目指したことになっている。そのために、自分が辞めるとして希望を出し、そのうえで、将軍から大老を任せたいといわせるというようにしたのである。しかし、将軍、そして将軍の実父である一橋治済(生田斗真さん)及び他の老中などとに酔って、老中の辞任届だけを受け取られ、大老になってほしいという言葉はなく、定信自身の希望で辞任したということになったのである。一橋治済や他の老中にしてみれば、最も厄介なロシアのラクスマンの来訪や、尊号一件の事件など、様々な事件を処理させたうえで「厄介払い」するということに成功したことになる。
歌麿を演じている染谷将太さんの、どこか影のある笑顔の演技、そして、神経質で困っ確頑固者の松平定信役の井上裕貴さん、非常に適役と考えられる演技はドラマを盛り上げている感じである。その二人に翻弄されている蔦屋重三郎役の横浜流星さんの、「なんとかなる」「何とか目的を達成しようと考える」というような感覚は、今の人々に欲しい感覚なのではないか。
やはり、大河ドラマは今の人々に何かのメッセージになるのである。
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