「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 恋川春町の切腹への伏線と松平定信の涙の意味

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 恋川春町の切腹への伏線と松平定信の涙の意味


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」に関して、見た感想を書かせていただいている。もちろん勝手に書いているので対したことを書いているとは思えない。それで、ブログの前半には、その登場人物や出来事が歴史の中でどのように伝えられているのか、いわゆる「史実」というものを見てみようと思う。

今回は、柴野栗山という儒学者についてみてみましょう。なおドラマの中では嶋田久作さんが、なかなか渋い演技を見せていますので、その演技も注目しますが、まずは史実といわれる内容を見てみましょう。

柴野栗山(元文元年〈1736年〉~文化4年〈1807年〉)は讃岐国三木郡牟礼村(現在の香川県高松市牟礼町)に生まれた。幼少より父・忠久のもとで学問に親しみ、1748年に後藤茂山に師事して朱子学を学び始めた。1753年には江戸の湯島聖堂に入り、中村文鳳らと共に研鑽を積んだ。以後、高松藩や徳島藩で儒学教授や侍講を務める一方、詩文や漢詩の制作にも優れた才能を発揮し、藩内外で名声を高めていった。1787年には老中・松平定信に招かれて江戸幕府に出仕し、その学識と人望が幕閣でも重用されることとなった。

 栗山は松平定信が主導した寛政の改革において、学問政策の中核を担った。朱子学以外の講義を禁じる「寛政異学の禁」を指導し、幕府の学術基準を厳格に統一することで、徳川体制下の思想統制を強化した。さらに1790年には湯島聖堂の最高責任者に任命され、全国から集まる幕府直轄の学官を統括し、教育制度の刷新と運営管理に尽力した。この一連の功績により、栗山は「寛政の三博士」の一人として知られ、改革の精神的支柱として高く評価された。

 寛政改革後も栗山は江戸を拠点に詩文活動を続け、文化4年(1807年)に没するまで精力的に後進の指導に当たった。没後は漢詩集や詩集の編纂が進められ、その学問的成果は幕末の儒学や教育制度にも大きな影響を残した。栗山が築いた学制の枠組みと思想統制の仕組みは、その後の明治維新期に至るまで、日本の近世後期における知的基盤を形づくる一端を担ったと言える。

さて、ここで書いたように「寛政異学の禁」が、この後に幕末の様々なこと頃に出てくることになる。ある意味で、この寛政の改革が幕府の寿命を短くしたといっても過言ではない。そして「小学校の学級委員長的な性格の人物」である柴野栗山と松平定信(井上祐貴さん)が、庶民や割球節のことをあまり考えずに建前的な理想論で物事を進めてしまった「しわ寄せ」が幕末の混乱ではないかと、私は思っているのである。

<参考記事>

「べらぼう」恋川春町が涙を誘ったいくつもの理由

9/21(日) 21:51配信シネマトゥデイ

https://news.yahoo.co.jp/articles/1dc7d0b1e55457d39f1c2bb9ad436f9ca8da7da5

<以上参考記事>

 今回は、松平定信(井上裕貴さん)の葛藤が書かれているという感じではないか。本人は黄表紙が好きで、なおかつそれほど倹約などよりも、文学などが好きな人物である。そのために、前回の「鸚鵡返文武二道」「天下一面鏡梅鉢」の二つの作品に関しては、とくに何もおとがめをしなかった。それどころか、本人も楽しんでいたのだ。

しかし、時代が大きく変わる。一つは蝦夷の乱である。これによって松前道廣(えなりかずきさん)から蝦夷地を天領として召し上げるということが出てくるのである。そのことから一橋治済(生田斗真さん)に「田沼病」と煽られてしまい、そのことから、「田沼意次(渡辺謙さん)とは全て逆の方向を行わなければならない」と異様な強迫観念になってしまうのである、

さて、私は政治に関して言えば、「正義に基づいた政治」ではなく「誰かのアンチで、全てを反対側にする」という政治は、必ず失敗するということが言える。2008年の民主党政権がまさにそのことで「アンチ自民党」で政権を取得したのであるから、ということで、自民党の行ってきた政治をすべて否定するということから政治を行っていた。その結果が、「様々な点で矛盾や極端な政治」が始まってしまい、徐々に支持がなくなってしまう。そしていつのまにか「悪夢の民主党政権」といわれるようになったのである。

ある意味で、期待が高かったということもあるが、しかし、一方で「理想論や、反対論だけで政治などを行っても意味がない」ということになってしまうのだ。今回老中本多忠籌(矢島健一さん)が賄賂をもらっていたことに関して「そうでなければ魅力がなく役職辞退者も多くなっている」という現実論を言う。まさにそれが世の中なのである。そのようなこともあることから、より一層自分を信じて「極端な改革」が進むことになるのである。ドラマではお茶菓子の羊羹も倹約せよというようにいう極端な例で見えやすくしているのである。

そしてそのことが、出版にも響くことになる。そのことから朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)は筆を折ってしまい、そして恋川春町(岡山天音さん)は、追い詰められて切腹してしまうということになってる。

ここまでにこの切腹に至る伏線が非常によく書かれている。そもそも神経質で、なおかつまじめ、そして頭が良いということから、何でも大きく受け止めてしまうというような性格があり、狂歌が流行った時には一度筆を折ると言っている。そのような性格唐「思いつめる」というようなことをしてしまったのではないか。

そしてその逃げ道を欲しさに蔦屋の耕書堂に来るが、その時には喜三二の送別会をしていて蔦屋重三郎(横浜流星さん)は不在、妻のてい(橋本愛さん)のみがいて、恋川を心配する声をかける。。思いつめる時にこようなすれ違いがあり、なおかつ、自分の身を案じられるということが、どれほどつらいか。そのような細かい描写やすれ違いを丁寧に書いているところがこのドラマの素晴らしいところであろう。

そしてその死に方である。

恋川春町が切腹してから豆腐の入った桶に顔を突っ込み、“豆腐の角に頭をぶつけて死んだ”ということになっている。もちろんこれは「史実」ではない。そのような記録は残っていないので森下佳子さんの創作である。そしてこの内容を受けて恋川春町の上司である藩主松平信義(林家正蔵さん)が、自ら1万石の小大名で恋川春町をかばい、そして最後まで逃がそうとしてくれた苦しさ迄吐露させながら、松平定信の前で「御公儀を謀ったことに倉橋格としては腹を切って詫びるべきと。恋川春町としては死してなお世を笑わせるべきと考えたのではないかと版元の蔦屋重三郎は申しておりました」と報告。そして「一人の至極真面目な男が武家として戯作者としての『分』をそれぞれわきまえまっとうしたのではないかと越中守さまにお伝えいただきたい。そして戯ければ腹を切られねばならぬ世とは一体誰を幸せにするのか。学もない本屋風情にはわかりかねるとそう申しておりました」という名台詞を残すのである。

本心から改革をしたのではなく「田沼病」と揶揄されたことなどから、「自らやりすぎた」というような反省になる、最後の松平定信の涙は、そのほかにも様々な意味があるのではないか。いずれにせよ、松平定信も時代の流れや社会の雰囲気、そして一橋治済の陰謀の犠牲者であるというような描き方が秀逸ではないか。

宇田川源流

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