「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 質素倹約ばかりでやっていられるかという蔦重の戦いの幕開け
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 質素倹約ばかりでやっていられるかという蔦重の戦いの幕開け
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」に関して本当に適当なことを書いている。一応私も歴史小説作家なので、「適当なこと」というようなことを言いながら、一部は歴史的な内容や記録に関する内容を見てみたい。その後、ドラマに関して書いてみたい。
今回は、松平定信が行った寛政の改革について少し歴史的にはどのようになっているのかを見てみよう。
寛政の改革(1787~1793年)は、松平定信が幕府財政の再建と民心の引き締めを目的に打ち出した一連の政策であり、質素倹約だけでなく文化面での統制も徹底された。特に庶民の娯楽や言論に結びつく出版物は、「風俗の乱れを助長するもの」とみなされ、厳しく規制された。ただ、これを見てもわかるように、実は寛政の改革というのは実質的に6年間しか行われていない。それでも多大な効果があったということは、それだけ取り締まりが厳しかったということに他ならない。
まず松平定信が行ったのは、質素倹約と文化的引き締めである。
衣服や装飾、遊興に対する倹約令を次々と発布し、絹織物や高価な髪飾り、豪奢な宴会を禁じた。同時に「浮世草子」「草双紙」「狂歌本」「春画」など、庶民の気を緩める娯楽色の強い出版ジャンルを標的とし、これらがやり玉にあがった。朱子学を背景とする道徳的統制を強化し、娯楽から教訓へと文化の在り方を転換しようとした点が特徴である。
この中でこのドラマに関係があるトロとしては、出版統制の具体的措置であろう。寛政2年(1790年)から3年(1791年)にかけて、以下のような規制が相次いで導入された。
町奉行所の許可なしに一切の出版を禁じる公武一体の統制令を発布。書名に加え作者名・版元名の明記を義務づける。出版前に地本問屋(地元の出版仲介業者)による審査・閲覧を必須とし、内容に「幕府批判」「世を惑わす」要素があれば即刻差し止める。
これにより、新刊の制作・流通には厳しいハードルが設けられ、従前の自由な出版活動は事実上停止された。
この出版物規制のジャンルとしては、浮世絵では、政治風刺や華やかな女性像を前面に出した「見せ物絵」が禁じられたほか、江戸の名だたる絵師による新版画も厳格に取り締まられた。草双紙や人形浄瑠璃戯作といった小説・劇本類、狂歌や黄表紙(戯画本)は「世間を乱す風俗書」とされ、出版差し止めや断裁の対象とされた。教訓書や儒学書、朱子学的な学問指南書以外の娯楽色を帯びた一切の印刷物に強い規制が加えられた。
これらの制度化された統制の裏には、「見せしめ」を狙った厳罰があった。著名な出版人・蔦屋重三郎は、春画・浮世絵の出版に関与したとして手鎖50日の刑を科せられた。他の版元も同様の刑罰や書籍没収を受け、版元の社会的信用は大きく損なわれた。禁止令違反が疑われると、町奉行所が抜き打ち検査を行い、違反者は金銭罰や流罪に準じる厳しい処分を受けた。
これらの結果、かつて街角で気軽に手に取れた娯楽書や新版画は激減し、版元側も自主規制を徹底。庶民は遊興色の薄い俳諧書や実用書に嗜好を移さざるを得ず、江戸の出版文化は一時的に硬直化した。一方で密かな私家版や草稿の流通も生まれ、完全な言論封殺には至らなかったものの、文化の多様性は大きく損なわれた。
さて、ドラマではこれからこの寛政の改革がどのように描かれるのであろうか。
<参考記事>
【べらぼう】なぜ松平定信の改革は失敗したのか…「女性がらみの風俗」を嫌う男が奪った"将軍の夜のお楽しみ"
9/7(日) プレジデントオンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/05f1104955d71087ba64f1f84f158e43fe970733
<以上参考記事>
今回は、質素倹約・公序良俗ということを訴える松平定信(井上祐貴さん)の寛政の改革に抵抗する蔦屋重三郎(横浜流星さん)が描かれている。
しかし、今回も何か風刺がたくさん聞いていてなかなか面白かった。例えば、松田定信による「田沼派」の処罰である。その中で松平定信は「田沼派を処罰すると市民の人気が上がる」というようなことを言っていた。この作品をこの部分を昨年の10月くらいに森下先生が書いていたとすれば、まさに「安倍派裏金議員」と「石破執行部」という構図がすぐに浮かび上がってきた。まさに、一度処分が終わっているにもかかわらず、国見抜け出必要以上に見せしめ的な処罰を与えるということが、その両者に共通しているものであり、その処分そのものが「恣意的な内容」というようになる。まさにそのことが寛政の改革の失敗につながるということが、今の世の中であるからわかるような気がするのである。米騒動の時から現代の政治をうまく取り込んでそのまま政治にしている。この放送日に石破首相の退陣記者会見があったばかりなので、なおさらその辺がしみてくるような気がするのは私ばかりではあるまい。
そして、その田沼意次(渡辺謙さん)の立場に立って、庶民なのに精いっぱい頑張っている、そして、国民の娯楽を守ろうとしたヒーローが蔦屋であるということになる。ある意味で政治的な争いに敗れてしまったのが、田沼であるが、しかし、その田沼を民衆の間で盛り上げていたのが、蔦屋重三郎というようなことで見ていれば、今のSNSの選挙屋政治における役割、今の若者の動きが見えてくるような気がする。現代の若者や一般の市民が、このようにして政治に関わってゆき、少しでも自分たちの生活を豊かにするために抗うということを、ドラマの中で蔦屋重三郎は教えてくれるのではないか。
もちろん、そのような蔦屋重三郎のやり方に、心配を示すてい(橋本愛さん)等も、最後には一緒に「へ」と言いながら踊りを踊る。要するに賞罰されるよりも庶民の戦いが必要であるということを理解したのである。
そしてドラマとしてはまた今回も、回想シーンの使い方が本当に秀逸であった。新之助(井之脇海さん)や平賀源内(安田顕さん)が出てきて、昔のシーンとのつながりをしっかりと意識させる。そしてその人々の「思いがつながっている」ということを強く意識させるのではないか。
田沼意次も今回で処分されてしまい、結局は当初の人々が皆いなくなってしまった。これからは、今まで多くの人に助けられてきた蔦屋重三郎が、一人で寛政の改革という魔物、質素倹約で「死ぬまで働けなんて言うことができるはずがない」という人間の余裕やゆとりを無視した「ふんどし老中だけが喜ぶ改革」と戦ってゆく。もちろん政府と戦うのであるから大変であろう。しかし、その戦いがどんなに国民にとって意味のある者なのか。そして今の若者に「戦わなくてよいのか」ということを教えてくれるのではないか
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