「宇田川源流」」【日本報道検証】 中国における「対日戦勝記念軍事パレード」の意味
「宇田川源流」」【日本報道検証】 中国における「対日戦勝記念軍事パレード」の意味
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。
さて、今回は9月3日に行われた「中国における抗日戦勝記念軍事パレード」についてまずはさまざま考えてみたいと思う。
まずは「何故9月3日なのか」という事であろう。まずは大東亜戦争の終戦美ということを考えてみよう。日本ではアメリカが呼称している太平洋戦争という呼称を使うが、しかし、そもそも中国との間で太平洋で戦争などはしていない。同時に世界大戦という言葉は、ヨーロッパが狭い範囲で「ヨーロッパを世界」と言ってしまっていることがありその影響での植民地間の戦争なども含まれるという事であって、日本と中国との戦争には存在していない。そのような意味でまず日本の呼称である大東亜戦争ということになる。そしてその大東亜戦争は、ポツダム宣言の受託によって終了している。9月3日というのは、そののちにミズーリ号において降伏文書に調印したということンになるが、日本では、受託した日という8月15日である。戦争の終結又は契約ということで考えれば「意思表示をした日」ということにあるはずである。文書がなくても戦争終結ということの意思表示をし、当時は国家元首であった天皇陛下が戦争の終結を宣言したのだ。そのように考えればその時点で戦争は終結しているのであり、9月3日は単にその確認の文書にサインした日でしかないのである。
さて次に「なぜ中国なのか」である。単純に「対日戦争」をしていたのは中華民国であり、要するに中国国民党である。中国共産党は日本軍とはほとんど戦っていないし、場合によっては対国民党戦線で共闘していた同盟勢力になる。それが、なぜか戦争に勝ったことにして宣伝している。一応1972年に中華民国からその政権を引き継いだことにしている上に、一つの中国ということを主張して中華民国の内容もすべて引き継いだかのようにしているのだが、それがこの戦勝パーティーを行うことにつながるものではない。そもそも国民党が参加していないということ自体がおかしいのである。
そのようなことで日本及び国際法的に考えれば、9月3日の軍事パレードには、少なくとも歴史的な意味はあまり感じられない。
<参考記事>
軍事パレードに中露朝3首脳そろい踏み 金総書記を“特別扱い”も 内外に「壮大なショー」アピール
9/3(水) 日テレNEWS NNN
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4d1dc96930a33c28208022069297328d5b70552
<以上参考記事>
要するに歴史的な意味がないという事であれば、これは政治的に現在意味があるということになる。同時に、対日戦争勝利という事であれば、アメリカやイギリスと共同で行うべきであろう。当時「ABCD包囲」ということが日本に向けられた。ABCDとはアメリカ、イギリス(ブリティッシュ)、中国(チャイナ)、オランダ(ダッチ)の4か国が日本を包囲して戦うということになったのである。その中の中国だけが単独で行うこと自体がおかしいしまた、そこに日本と不可侵条約を結んでいたはずの旧ソ連(ロシア)が来ていること自体がおかしいのである。要するに、この内容をそのまま受け取れば「中華人民共和国(中国共産党)は歴史を改ざんし、そして、国際法を無視したことを称賛する態度を世界に示した」ということになるのである。
つまり「現在の国際法を無視し交際秩序を自分たちで作る」ということを意味している。逆に今の自分たちに有利な内容にする。その新秩序が素晴らしいものであるならば良いが、しかし、その内容は、もともと共産主義に従っていた内容になる。共産主義とは「国家の制度的に庶民から富を吸い上げるシステム」のことを言う。その「富」とは、単純に金や資産だけではない。そもそも「人権」という試算もすべて否定するのであるからなかなか大変なことになる。
同時にその人々が国家権力を使って軍事大国になっているということになるのである。ロシアとインドもその中に与しているということになり、反米同盟を組みつつある。1990年代までのように冷戦になった場合、それも中立ということが認められないような状況になった場合に、これらの国が本当に共産主義側に到達するのかということになればよくわからないが、武器及び経済的な枠組みでの詩派が続けばそのようにならざるを得ない状態になるのではないか。
そしてその中でロシア派「日本が軍国主義化している」としている。要するに「日露友好」「日中友好」などと八方美人外交をしていながら、日本の外交政治は全く意味を成しておらず、その内容がそのまま日本への敵対行動として降りかかってきているということになるのである。岸田・石破外交は、このような外交で問題はないのか日本国内で検証すべき時ではないか。
世界平和ということを言うのは問題ないし、また日本の軍備増強派も改憲派も戦争をぞ飲んでいるわけではない。。平和を乱す者に対して、そして、武力で威圧をするものに対してどのように対抗するかということを重視しなければならない。会見阻止派のような口だけで戦争が止まるならばウクライナもハマスも止めてきてくれればよい。現実を見ればそのようなことは不可能なのである。
まさにそのようなことを考えさせられるパレードではなかったか。
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