「宇田川源流」【日本報道検証】 パレスチナ国家承認ということの意味
「宇田川源流」【日本報道検証】 パレスチナ国家承認ということの意味
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。
さて、今回は、先週になってイギリスやフランス、カナダなどG7の主要国が「パレスチナ」の国家承認を行う意向を表明した。そもそもパレスチナは国家なのかということが言われている。実際にイスラエルのことはこのブログでもよくみられている。イスラエルの建国は、いわゆるイギリスの「三枚舌外交」によって、イスラエルがパレスチナの地に建国されたのはその地に聖地エルサレムがあったからであるがしかし、そのパレスチナがどうなったかということは今まであまり触れてこなかった。
1948年5月、イスラエルが独立を宣言すると、パレスチナ人にとっては大災厄(ナクバ)の始まりとなった。第一次中東戦争で約75万人のパレスチナ人が家を追われ、ヨルダン、レバノン、シリア、ガザに難民キャンプを形成した。1949年の休戦協定ではヨルダン川西岸がヨルダン領、ガザ地区がエジプト管理下となり、東エルサレムもヨルダン支配下に置かれたが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルがこれら地域を占領。以降、西岸と東エルサレムではユダヤ人入植地が拡大し、パレスチナ人の移動や経済活動を制限する壁や検問所が設置された。1964年にPLO(パレスチナ解放機構)が成立し、武装闘争と外交を併用して「土地の解放」と「難民の帰還」を掲げた。1987年の第一次インティファーダを経て、1993年にはオスロ合意でパレスチナ自治政府(PA)が発足し、西岸・ガザの一部で限定的な行政権を獲得したものの、入植地問題や治安上の不信、ハマスとファタハの対立により和平プロセスは頓挫した。2006年以降、ハマスはガザを掌握し、イスラエル・エジプトによる厳格な封鎖で深刻な人道危機が続く。2012年には国連総会でオブザーバー国家に格上げされたものの、安保理での正式承認は実現せず、難民帰還や国境確定の課題は未解決のままとなっている。現在、パレスチナ人は二国家解決の実現と国際的承認を目指しながら、分断された領域で困難な日常を送っている。
<参考記事>
カナダ、仏英に続きパレスチナ国家承認の意向 自治政府の改革前提に
7/31(木) 朝日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/265d0e7b63a5a0b382c06e32b76815764fff1e7d
<以上参考記事>
2025年、イギリスとフランスがパレスチナ国家の承認に踏み切る姿勢を示したことは、中東和平プロセスにおける重大な転換点であり、国際社会における外交的力学を揺るがす歴史的な出来事である。特にフランスは、G7諸国の中で初めて正式に承認を表明し、9月の国連総会で公式発表を予定している。イギリスもまた、イスラエルがガザ地区での停戦やヨルダン川西岸の併合停止など複数の条件を満たさなければ、承認に踏み切ると明言している。
この動きの歴史的意義は、まず欧州列強が長年にわたり中東政策において果たしてきた役割に照らして理解されるべきである。イギリスはかつて、1917年のバルフォア宣言により「ユダヤ人の民族的郷土」設立を支持したが、同時に「非ユダヤ人コミュニティの権利を損なわない」とも約束していた。この宣言は、パレスチナ問題の原点とも言えるものであり、現在の承認はその歴史的責任を再評価する動きとも言える。
また、フランスは1967年の第三次中東戦争以降、パレスチナ人への支持を強めてきた。今回の承認は、ガザ地区での人道危機が深刻化する中、国際社会に対して「二国家共存」という理念を再び強く打ち出す試みである。フランス国内には欧州最大規模のアラブ系移民を抱えており、国内政治との連動も見逃せない。
世界的な影響としては、まず国際法上の「国家承認」が持つ象徴的意味が挙げられる。パレスチナは現在、国連では「オブザーバー国家」としての地位にとどまっているが、正式な国家承認が広がれば、イスラエルによる軍事行動や入植政策が「他国への武力行使」としてより厳しく問われる可能性がある。これは、イスラエルの国際的孤立を招きかねない外交的圧力となる。
さらに、欧州諸国による承認が連鎖的に広がることで、国際社会におけるパレスチナの正統性が強化される。スペイン、アイルランド、ノルウェーなどはすでに承認を表明しており、今後ドイツやイタリアなどが追随する可能性もある。この流れは、イスラエルの安全保障政策に対する国際的な批判を強めると同時に、パレスチナ自治政府の外交的地位を高めることになる。
一方、アメリカとの関係は複雑である。アメリカは1990年代からパレスチナ自治政府を承認しているが、国家としての承認には至っていない。歴代政権は「二国家解決」を支持する姿勢を示してきたが、トランプ政権下ではイスラエル寄りの政策が強化され、パレスチナ国家承認には否定的な立場を取ってきた。現在もアメリカは、フランスやイギリスの動きに対して懐疑的であり、国務長官ルビオは「ハマスへの報酬だ」として強く反発している。
同時に、G7の中においては、これでアメリカと第二次世界大戦の敗戦国「日本」「ドイツ」「イタリア」が残されたことになる。この「旧日独伊三国同盟」がパレスチナの国家承認を表明していないことの意味もなかなか興味深い。ある意味でイスラエルというよりはユダヤやそれを取り巻く歴史的な権利が、第二次世界大戦時の枢軸国においては、他の国々と異なるということが見えてきているのではないか。少なく路も世界カッコ奥から日本はそのように言われかねないしまた、この三か国がそれだけアメリカの影響を強く受けているということも挙げられるのではないか。このパレスチナの国家承認という事だけでも、これだけの歴史帝な内容が詰まっている内容ということになるのである。
このように、イギリスとフランスによるパレスチナ国家承認は、単なる外交儀礼ではなく、歴史的責任の再評価、国際法上の正当性の再構築、そして中東和平への新たな圧力として機能する。アメリカとの関係においては、欧州と米国の外交姿勢の乖離が顕在化しつつあり、今後の国際秩序の再編にも影響を与える可能性がある。承認の象徴性は強力であり、現地の状況を即座に変えるものではないにせよ、国際社会における「正義」の定義を問い直す契機となるだろう。
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