「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 一橋治済が黒幕だと分かった田沼意次

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 一橋治済が黒幕だと分かった田沼意次

 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について好き勝手なことを書かせていただいております。もちろん単なる感想文でしかないということで、全く関係ないのであるが、それでもなかなか面白事を自分では書いているつもりになっている。

さて、今回は矢本悠馬さん演じる佐野政言について、少し記録に残っているものの中から少し深堀してみましょう。

佐野氏は、足利氏といっても、将軍になった源氏流の足利氏ではなく、下野国安蘇郡佐野庄に土着した藤原秀郷の流れをくむ足利氏の末裔になる。源平合戦でも承久の乱でも源氏に味方して勢力を伸ばした。織田家の滝川一益が上州入りを果たすと一族の佐野房綱がその側近となり、小田原征伐後大名に成が、一族の富田信高が改易されるにしたがって、連座することになり、のちに、許され、嫡子・久綱の子孫が江戸幕府旗本寄合3千500石として幕末に至った。なお田沼家は佐野荘の田沼城の領主。田沼重綱が祖。分家した時期に諸説ある。

綱吉治世の1698年(元禄11年)より番町に屋敷を構えた。政之の孫政矩は廩米200俵の加増を受け、宝永6年の致仕とともに下野国都賀郡のうちに500石の采地を賜った。政矩の孫であり、政言の父に当たる伝右衛門政豊も大番や西丸や本丸の新番を務め、1773年(安永2年)に致仕し、代わって政言が同年8月22日に17歳で家督を相続した。1777年(安永6年)に大番士、翌1778年(安永7年)に新番士となる。

なお、この綱吉の治世で屋敷を構えた時に、綱吉から賜った桜の木が、前回話題になった桜である。

天明4年(1784年)3月24日、江戸城中之間において、退出しようとしていた若年寄・田沼意知に切りつけ、初太刀で肩口、さらに手と腹部と下腿部を負傷させた。政言は大目付松平対馬守忠郷に取り押さえられ、目付の柳生主膳正久通によって脇差を取り上げられた。意知は手当の遅れもあり、その8日後の4月2日に絶命すると、先例に従って4月3日に政言は揚座敷にて切腹を命じられた。数えの28歳。政言の葬儀は4月5日に菩提寺の台東区西浅草の徳本寺で行われ、葬儀には見物人が大勢詰めかけ、寺の門扉に「佐野大明神」と書かれた紙が貼り付けられるなどの騒ぎとなり、寺社奉行や同心が寺の玄関で待機する事態となった。

なお、事件は「乱心」としかなく記録上は何もない。しかし、家系図をなくした話や鷹狩で獲物を隠されたことで褒章を得られなかったことなどが上げられている。コレラはドラマの中でしっかりと書かれている。

佐野家は改易となり、家屋敷は召し上げられた。しかし闕所とはされなかったため、遺産は遺族に譲ることが認められたが、政言に子供はなくそのまま家は絶えた。

<参考記事>

「べらぼう」意次がついに黒幕と対峙!一瞬の“殺意”話題

7/27(日) シネマトゥデイ

https://news.yahoo.co.jp/articles/9e000de76918ebdd600c17687babe45b080e8bef

<以上参考記事>

 田沼意知(宮沢氷魚さん)が佐野政言(矢本悠馬さん)に殺されるところから物語がスタートする。何しろ先週は参議院選挙で無かったが、前々回は、斬りかかるところで終わっているので、視聴者はその続きを見たくて仕方がなかったということになるのであろう。

それにしても、あのような場面で廻りが何人いても、なかなか守ってもらえない。そのことは3年前の選挙期間中に安倍晋三元首相がなくなった時も同じで、日本の場合「こんなところでこんな事件が起きるはずがない」というように思ってしまうので、事件が起きてもなかなか瞬間で対処できないということが、ものの見事に書かれている。

その後、田沼意知が死ぬ間際に誰袖(福原遥さん)のことを気にかけながら、佐野政言の事を恨み言を言うでもなく、そのまま死んでいった。この物語としては、土山ではなく、誰袖の身請け先は田沼意知であるということで最後まで通してしまい、その誰袖を引くけるはずの土山はいなくなっていた。

この一連の黒幕が一橋治済(生田斗真さん)である。そしてその一橋に復讐しようと考えるのが、誰袖、そして誰袖に頼られて仇討ちをしてほしいと頼まれる蔦屋重三郎(横浜流星さん)そして、意知の父田沼意次(渡辺謙さん)である。物語としてうまく造られた「田沼騒動物」と合わせてうまく物語を進めている。事この「田沼騒動物」というのは、件後まもない同年8月に,大坂中の芝居で《稲光田毎月》(奈河七五三助作)が上演され,〈曾我〉の世界に仮託し,際物として脚色されたり、寛政1年8月大坂此太夫座の浄瑠璃《有職鎌倉山(9段,菅専助ら作)は〈鉢の木〉の世界にしたてて上演,大当りであったなど様々な物語となって出てきているが、その内容を合わせた物語にうまく出してうまく合わせているのである。

そしてその中に陰謀物として、今く物語を仕上げているところが面白い。蔦屋重三郎は「丈右衛門だった男」を見つけることによって、その内容をっ見つけだす。要するに、蔦屋が普段作家などを見ている「観察眼」と、様々な作家によってつくられている「物語」を考えて、その先を見ることで、見ることのできない陰謀を見つけ出すことができたということになる。この辺は、西洋の推理小説で「推理小説作家が、自分が斧語りを書くとすればどうするかということを想像して、事件を解決する」ということと同じ内容になってきているのである。この辺は、物語を作る人ならばなかなか面白い作り方である。ある意味で、物語の上に物語を重ねて、そのストーリーをうまく作ってゆくということになっているのであるから、優秀なストーリーがデイ上がるということになるのであろう。

そして、その「陰謀が露見した」ということを最後に、田沼意次と一橋治済の直接の会話で表現したのである。

治済が「強がらずともよい。掌中の珠のような子息を失い、さぞ…」と言いかけると、意次はさえぎって「何も失うてはございませぬ」とピシャリ。「もう二度と毒にも刃にも倒せぬ者となったのでございます。志という名のもとに」「志は無敵にございます。己が体を失うても生き続ける。今は私の中に。私が体を失うても誰かの中で生き続ける」と言い、去るそぶりを見せるとおもむろに治済に近づき「それがしには“やらなければならぬこと”が山のようにございますゆえ」とささやいた。

 まさに、このセリフは、間違いなく、田沼意次が今までのすべての「暗殺」の首謀者を知ったということに他ならないのであろう。そのことを示すために、田沼意次と将軍家治(眞島秀和さん)との会話のシーンを入れたのであろう。西ノ丸様徳川家基、松平武元、そして平賀源内、全ての恨みを背負ったということなのであろう。

ある意味で「死を賭して復讐する」という田沼意次の動きが、次回以降見えるということになる。

宇田川源流

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