「宇田川源流」【日本報道検証】 日本の学校で起きている国語力の崩壊に見る日本文化の危機
「宇田川源流」【日本報道検証】 日本の学校で起きている国語力の崩壊に見る日本文化の危機
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。
さて、今回は「学校における国語の崩壊」ということを見てみようと思う。
まずは、国語問うことの重要性ということを見てみよう。あえて国語と言っているのは日本における日本語教育という意味ではなく、他の国にお手も「母国語」の教育というのは非常に重要なのであるという意味を込めてあえて言いたいのである。
そもそも、当たり前のことであるが、日本人は朝起きたら「おはよう」というように思う。何を言っているかと言えば「Good Morning」と考える人は、海外から買ってきた人なら別にして、または日本国内で何らかの事情(国際結婚など)で英語の生活を家庭内でしている人以外は、そのようになるのであろう。これは意識して日本語を使っているのではなく、無意識のうちに慣習的にこのように思うのである。
さて、突然何を言い始めたのかというように思うのかもしれない。私が言いたいのは、「日本人は、様々な現象、または自分が受けた内容に関して、日本における自分の生活環境を基準にして、減少に関して思考する」ということになるのである。
つまり、「国語」とは、単にコミュニケーションツールを習っているのではなく、日本人が日本人として施行するための基準を構成している大事な行為であり、またそのことが日本の文化田伝統を受け継ぐ力を作っているということになる。日本人が日本人足り得るための大事なものである。
しかし、中曽根康弘氏が総理大臣をやっていた時の中教審以降、「日本は国際化すべき」という不思議な号令によって国語や日本史の授業数が減りそして、外国語や世界史の授業数が増えてきているということになる。しかし、その行為は「志向の基準を全く失ってしまって、物事を学び、または道徳的に生きる力を失う」ということを意味しており、そのことが今の世の中を形作っているということになる。
<参考記事>
「死体を煮て溶かしている」『ごんぎつね』の読めない小学生たち…石井光太が明かす“いま学校で起こっている”国語力崩壊の惨状
2025年7月18日 11時0分 文春オンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/29191026/
<以上参考記事>
現在の学校教育では、「国語力」が崩壊しているという。詳細は、参考記事をしっかりと呼んでいただいたら良いのであるあが、実際に、子供にしっかりとした国語を教えることができなくなってきている部分もあるし、また、親が共働きになってしまって、しっかりと子供を育てていないということになってしまっているのではないか。
SNSやインターネットの世界は、基本的に私も利用しているしまた、便利でもある。しかし、性的な描写やだけではなくても、子供にとって良い影響があるとは思えない部分があることも事実である。実際に、現代のZ世代やα世代と言われる人々が使う「略語」に関しては私が全くわからないようなないようも少なくない。
先日ラジオを聴いていたら、あるミュージシャン(もちろん私より若い)が出演していて「タイパ」つまり「タイム・パフォーマンス」ということを略した単語について「そんなこと全くわからなかった。『タイタニック・パニック』の略語だと思った。あり得ないことが起きても堂々としているとか落ち着て対処するって意味かなと」と言って、笑いを取っていた。実際に笑いを取るだけかもしれないが、現代の略語は、「略語を使っている人同士の事前のコンセンサスがあり、そのうえで略語を使っている」ということであり、その内容が、そのままSNSなどで使われてしまうと意味が通じないっ人が出てくる。この傾向は今に始まったことではなく、やはりお笑い芸人が「もしドラ」つまり(もしも野球部のマネージャーがドラッガーの経済書を読んでいたら)という本の略語を、「もしもマネージャーがドラえもんだったら」というように勘違いしたネタを出していたが、まさにそのような感じで、そのままになってしまう。
略語を使ってよい場面と使っては良くない場面が全く区別がつか名用になってしまっているような気がする。昔は「タイパ、これはタイムパフォーマンスの略ですが」というように必ず正式名称を言った後で使っていたのであるがSNSの文字数制限の中ではそのようなことができないので、基本的には、略語を使ってしまうということになる。
単純に略語一つとってもこのようなもので、挿絵と文章の感覚や文字の意味するところなど、しっかりとした思考ができないうちにSNSで物事を行ってしまう危険性が言われている。SNSは、ある意味で成熟した大人の世界でありその中の内容でしかないのであるが、そのこともわからずに子供が国語的な理解もできないでSNSの世界に入り込んで、誤解や極端な解釈でおかしな行動を起こす。現在のSNSの炎上というのもまさにその内容である場合が少なくないのではないか。
これ等は歯科k理とした国語教育が全くできておらず、そのために思考の根幹や、またはしっかりとした思考、道徳の習得ができていないことに繋がっている。そのような道徳も国語も、そして国語ができていないことによるコミュニケーションも全くできていない子供たちが増えてしまっていれば、当然に日本は衰退してしまう。日本がいつまでも「失われた30年」から抜け出すことができないのは、このような思考の基本が、学校教育で失われているからに他ならない。
日本を壊して不景気にしているのは文部科学省なのではないか。国家100年の大計は教育にあり、シッカリしてもらいたいものである。
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