「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 桜の花をうまく媒介にした演出が素晴らしい

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 桜の花をうまく媒介にした演出が素晴らしい


さて今回は「天明の打ちこわし」である。そもそも「打ちこわし」とは江戸時代の下層都市民や百姓による闘争形態のうち,最も激しいものの中の一つであり、飢饉などによる米価の騰貴が原因となり、米問屋の店や蔵などを壊して食料を奪う行為が広く行われることを言う。天明7年(1787年)5月、ほぼ同時期に江戸、大阪など当時の主要都市を中心に30か所あまりで発生し、翌6月には石巻、小田原、宇和島などへと波及した。天明期に幕政を主導していた田沼意次の政策によって銭の相場が高騰し、さらに天明期は天明の大飢饉をもたらした冷害、浅間山大噴火、関東地方の大洪水などの影響で米が不作となり価格が高騰し、商業の発展によって商人が米を投機の材料とする傾向が強まっていたこともあって、天明7年には全国的に米価が異常に高騰し、全国各都市の都市貧民層の生活は困窮のどん底に陥った。

これは、享保年間から、農民の都市への人口流出が相次ぎ、そのことによって都市の零細民が非常に増加する傾向にあった。都市貧民層の形成は都市のあり様を大きく変化させるものであった。例えば天明期になると大商人や武士への奉公人になろうとする人が激減し、奉公人の給与が高騰するといった事態が発生していた。幕府は田沼時代からたびたび奉公人の給料高騰を取り締まる法令を出すが全く効果が無かった。これは都市生活者が窮屈な奉公人生活を嫌い、都市の拡大によって発達した飲食業などのサービス業などに従事する方を選ぶという現象が発生していたためである。

この都市仮想民衆が、不作や浅間山の噴火の影響で米を変えなくなった。今のようにパンなどがないので、大きな事件になり、町奉行所が対処しきれない内容になったのである。、将軍のお膝元である江戸では激しい打ちこわしによって一時無政府状態に陥った事実は将軍の権威の低下を招き、当時幕府内で激しい政争を繰り広げていた田沼意次政権派と、松平定信を押し立てようとする譜代派との争いに決着がつき、田沼派が没落して松平定信が老中首座となり寛政の改革が始まることになった。

 さて、このような時代をドラマではどのように描いたのであろうか。

<参考記事>

「べらぼう」佐野のあまりにも哀しい人生…“鬼脚本”に悲鳴

7/13(日) シネマトゥデイ

https://news.yahoo.co.jp/articles/ba2b987b92f340cfe2fce7833b2be029e3056a1b

<以上参考記事>

 上記の「打ちこわし」は、基本的にはドラマの中には書かれていない。しかし、「一向に米の値段が下がらない」ということになるが、そのことで佐野政言(矢本悠馬さん)が田沼意知(宮沢氷魚さん)暗殺の決心をつけるということになっている。ある意味でこの歴史的な打ちこわしという社会風俗を横において、その代わり「田沼」と「佐野」をうまくつなぎ合わせたのが「桜」であった。

ある意味で「桜」とは「一度きれいに咲き誇って、すぐに散ってしまう」という事から、「潔さ」の象徴というように考えられているが、一方で、このドラマの中では「花の色のはかなさ」をうまく象徴的にとらえていることが非常に印象深い。そういえば第27回のタイトルは「願わくば花の下にて春死なん」であり、当然にこの狂歌の中の「花」も桜を示している。

そもそも「佐野の桜」という言い方をしながら、その桜が咲いていないということになる。彼が「父上、わたしが咲かしてご覧にいれましょう」と笑うシーンが思い出され、またうまく同じ角度からカメラがとらえているところが演出の妙だ。それが咲かなくなってしまったということが、佐野の家としては大きな失墜である。しかし、もう一つの「田沼の桜」が咲き誇っているということになる。まさに、この時の田沼家と佐野家の関係をうまく象徴しているという感じがする。このような「花にたとえた象徴性」がうまく表現されている。同時に、この時点でどちらの桜もまったく散っていないということが、演出としてよいのではないか。このことから佐野家は、ある意味で田沼家への恨みを募らせることになり、一方で、その感情的なことに付け入るスキを与えることになってしまうのである。もしかしたら、次回、田沼意知が死ぬ場面で、桜が散るというシーンが足されるのであろうかと、演出が気になるところだ。

もちろんその様に仕組んだ、つまり、佐野家の「付け入るスキ」に入り込んだのは、一橋治済(生田斗真さん)であるというような黒幕をうまく作り出しているところがなかなか面白い。今回の「べらぼう」で、暗殺や事件の裏にはすべて一橋家が絡んでいるということになってしまうのではないか。その一橋家が絡んでいるということが、そのまま「田沼意次(渡辺謙さん)や田沼意知の運命」が今まで死んでいった平賀源内(安田顕さん)や松平武元(石坂浩二さん)などと同じ運命をたどるのではないかというようなイメージを膨らませるようになっている。

そしてこの関係にもう一つのドラマを作り出したのが、今回の大河ドラマであろう。

上記の田沼、佐野、そして一橋家の関係でれば、武士の中の権力闘争に過ぎない。町人の話であったはずが、いつの間にか武士の話になってしまう。

しかし、その武士の話の中出てくるのが誰袖(福原遥さん)である。自分が恋焦がれてやっと身請けされ、そして、花見の約束をするという、その日に田沼意知が佐野政言に切られてしまう。もちろん斬られるのは次回なのであるが、しかし、まあ、今回の最後のシーンと、予告で斬られることは確実なのでちょっとネタバレでもよいであろう。要するに誰袖にとっての「桜」は、花を見る前に散ってしまうということになるのである。

まさに「桜」をうまく使った関係性の演出などが素晴らしい。よく、花に見立てて、花が散ったり、または花が落ちることなどで、人の死を表現する演出は少なくないが、しかし、その花が咲いているかどうか、そして台詞の中にも花の関係がすべて出てきているということは、なかなか良い演出であったと思う。本当に素晴らしい。そして、もう一つ、誰袖の花魁としての「花」も、ここで終わってしまう。まさに「花」を様々なことに見たてて咲き誇っているところから散るところまで、うまく使っているのは、本当に素晴らしい。

同時に「花」も影を落とす。その影の黒幕までうまく使っているのである。最後の花が田沼意次なのであろう。そしてその後松平定信の治世になり、そして蔦屋重三郎(横浜流星さん)も苦難の時代に入ってくるのである。

さて来週は参議院選挙でお休みということなので、何を書こうか、悩んでいるところである。

宇田川源流

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