「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 まるで今の問題の丸写しの米高騰問題
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 まるで今の問題の丸写しの米高騰問題
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」にかんして好き勝手に感想を書かせていただいている。私が評論などをできる立場でも大御所でもなんでもないことは当然に自覚しているので、本当にただの「感想」でしかない。そのうえで、ちょっと歴史的なうんちくも入れてみたら面白いと思っている。
さて、今っ回はそんな歴史上の人物紹介は高橋英樹さんの演じる徳川治貞である。
享保13年(1728年)2月16日、和歌山藩6代藩主・徳川宗直の次男として誕生した。寛保元年(1741年)に和歌山藩の支藩である西条藩4代藩主・松平頼邑の養子となり、名を松平頼淳と改める。宝暦3年(1753年)に藩主となる。紀州藩は、徳川吉宗が将軍になったことで、多少、嫡子などに変更があった。その内容がこの春貞の代まで及んでいたのである。はっきり言ってしまえば、紀州藩は他の御三家の二つとは異なり、自分の兄弟や従兄弟が将軍であるということになるのであるから、特別な家柄になり、幕府にも影響力が大きかったのである。
安永4年(1775年)2月3日、和歌山藩8代藩主となっていた甥の徳川重倫が隠居すると、5歳の岩千代(後の10代藩主・治宝)に代わって重倫の養子という形で藩主を継ぎ、西条藩主を同じく甥の松平頼謙(重倫の実弟)に譲った。10代将軍・徳川家治より偏諱を授かって諱を治貞(「貞」は2代藩主光貞に由来)と改める。
8代将軍・徳川吉宗の享保の改革にならって藩政改革を行ない、和歌山藩の財政再建に貢献している。主に倹約政策などを重視した。この政治は非常に高く評価され、名君の誉れ高い熊本藩8代藩主・細川重賢と並び「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と賞された名君で、紀麟公と呼ばれた。その内情はかなり財政が圧迫されており、和歌山藩の財政を再建するため、自ら綿服と粗食を望んだ。冬には火鉢の数を制限するまでして、死去するまでに10万両の蓄えを築いたという。このことから「倹約殿様」ともいわれる。
さて今回はその徳川治貞公が出てきて米の値上がりに関して意見を言うということになったのであるが、ドラマではどうなったのであろうか。
<参考記事>
「べらぼう」備蓄米、古古米…米騒動が恐ろしいほどに現代と酷似
2025年7月6日 シネマトゥデイ
https://www.cinematoday.jp/news/N0149685
<以上参考記事>
今回の大河ドラマは、まさか今の日本のニュース番組のドキュメントを見ているようであった。正直な感想でまさに、参議院選挙期間中のこの日曜日に、まさか今の米高騰のニュースと被った内容がドラマで出て来るなんて言うのは、何か仕組んでもうまくゆかないのではないか。実に面白かった。
天明の浅間山の噴火が、先週の放送で出てきた。そのことで米が高騰している。しかし、その米の高騰に対して幕府が喧々諤々やっている。紀州藩主徳川治貞(高橋英樹さん)が幕閣に諮問しており、その中に田沼意次(渡辺謙さん)が対策を命じられるということになる。
一方米の値上げは、日本橋に行った蔦屋重三郎(横浜流星さん)にも重圧として出てくる。しかし、蛇の道は蛇で、米や(林家たい平さん)から安く手に入る。まさにこの時に「古古米ならば」というようなことを言われるのである。まさに、古米、古古米という「備蓄米」を安く出している現在の政府と同じ内容になっているのではないか。いやいや、現代の人にメッセージを出すというのが歴史ドラマの宿命であるということであるが、まさかこんなに符合するとは思わなかった。
一方、そんな事とは全く関係ない蔦屋は、太田南畝(桐谷健太さん)とともに、「めでたい狂歌集を作る」ということで難局を乗り切ろうとするということである。その内容に関して喜多川歌麿(染谷将太さん)と妻貞(橋本愛さん)の間がうまくゆかなくなり、蔦屋の中も大きくなり人を使うということの難しさが出てくるということになってきているのではないか。まさにそのような現在の会社の中の問題や社会問題としてのコメ問題、そして政治の問題が出てくるということになっているのである。何か江戸時代のドラマを見ていながら、何か現代の劇を見ているような感じがする。はっきり言って吉原が出てこなければ、完全なドキュメンタリーであろう。
さて、今回は最後の部分が非常に気になる。
蔦屋の言葉から株仲間の解散を提案する田沼意次・意知(宮沢氷魚さん)を江戸城内で見た松前廣年(ひょうろくさん)と、佐野政言(矢本悠馬さん)の恨みのこもった目、そして最後に出てくる一橋治済(生田斗真さん)が、非常に金位なる。この一橋家が出てくると、誰かが死ぬという暗示があり、今までも平賀源内(安田顕さん)等多くが犠牲になっているが、まさに、そのような黒幕がまた登場したということになるのである。次の将軍が自分の息子になったことで、おとなしくなったかと思えば、そうではなかったということになるのである。
ある意味で、一つが終われまた一つという感じであろう。そして大きな社会的な問題と、個人的な恨みのような話がうまく重なり合っているということになるのではないか。その内容がまさに、大きな政治の問題には絡み合うのが現代の話である。蔦屋の中の人間関係はうまく処理できたが田沼意次はどうなのか。
次週以降の期待である。
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