「宇田川源流」【日本報道検証】 フィクションを信じてしまうアジアの人々と移民問題
「宇田川源流」【日本報道検証】 フィクションを信じてしまうアジアの人々と移民問題
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。
さて、今回は、先週話題になった「大災害の予告漫画で日本滅亡ということが海外でも報道され、インバウンド観光客の来日数が一部減少した」ということに関して見てみたいと思います。このように考えてみると実はこの話には二つのポイントがあるということに気が付くのではないか。その一つ目は「日本の漫画の影響力」ということであろう。そしてもう一つは「海外の日本の災害に対する関心の高さ」という事であろうか。
この二つのことを考えれば、日本の影響力というのは非常に世界の中でも高いということになる。何しろ、「漫画」の内容が信じられてしまうということが一つ目であろう。要するに、その漫画の描写などが非常に優れていて、現実の世界と同一視してしまうという人が少なくないという事であろう。よくゲームなどでその内容が作り物であるということがわからなくなってしまい、同じような犯罪を許されると思ってしまう子供がいるということで、ゲームなどが未成年の使用禁止になるということが話題になる。そのほかにも人殺しや、アダルトな内容など「悪影響を与える」ということも少なくない。いまはその悪影響とその使用(視聴)禁止ということに関して論じないが、作品としてはそれだけ現実に即した内容であるしまた、現実と混同してしまうようにうまく表現できているということになる。場合によっては、現実世界よりも現実らしいというようなことがありうるのではないか。
もう一つは、そのような「影響」が、広く、そして「日本に来なくなる」という実行行為につながるということである。つまりフィクションのはずが、フィクションと受け入れられなくなっているということなのであろう。
<参考記事>
「7・5大災害」説で「日本滅亡」Xトレンド入り「勘弁して」「怖い」…米CNNや英BBCも次々報道
7/4(金) 日刊スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8f6614329317303481e98ac92ff444a17a5b645
<以上参考記事>
実際に本日このように書いているので、当然ンい「日本滅亡」は「無かった」のであり、漫画による予言というか、その言説は間違えていたと正式に言えることになる。もちろんはずれてよかったといえるわけである。
実際に私の子供の時代から「ノストラダムスの大予言」や「富士山大噴火」など様々な災害予想があり、テレビなども大々的にそれを取り上げて番組を作って煽っていた。1999年には、ノストラダムスの大予言の滅亡の日という事であったが、日本ではなく韓国で、集団自殺のような話が出てたりしている。ある意味で、日本に限らず、世界的に「終末思想」的な予言というのは幾分存在し、そのように「終末思想」と「選民思想」を組み合わせたカルト教的な内容が蔓延る要因となっている。
ある意味で、日本人に限らず、人類には現在の宗教の影響と思うが「生存することが罪である」というような感覚が存在し、また他者の命を得ることによって自分が生存するということに関して罪の意識を持つ。それが「神」という超自然的存在の怒りに触れていつか滅亡するというような感覚がある。
一方で、人類は自分の生活の向上のために、非常に多くの科学技術を解明し、そしてその科学、特に地球上にある資源を使って自分たちの生活を便利ンいすることをしている。そしてまたその罪の意識を造愛させるということになっているのである。
さて、その「科学技術」が地震などの災害のメカニズムを改名し、そして「終末思想」や「選民思想」を組み合わせて「災害予想」というようになる。もちろん、完全に予想でしかなくその内容が正しいというようなことは全くないのであるが、しかしそのようにして注目を集めるということになる。
さて、この手の終末論には、1970年代の小松左京先生の日本沈没がもっとも代表的で、この作品は映画化・ドラマ化、そして21世紀になって作り直しというようなことができている。ある意味で「大災害パニック作品」の金字塔であろう。ここに選民思想が出るというのは、災害を事前に予見する人そして、その災害から助かる人と死んでしまう人の差が何かということが見えない事であろう。
今回の内容は、それだけ日本の漫画が「影響力がある」ということを示している。そしてこの影響が、日本人ではなく、つまり1970年代の「日本沈没」のように娯楽作品としてではなく、ふぃうしょんをフィクションと感じないような内容になってしまい、そして、外国人観光客の中にキャンセルが相次いだということであろう。それだけ日本の「災害」は信じられやすく、同時に、その影響ろくが国際的になっているということだ。一方で日本ではある意味で冷めた対応であろう。つまり、日本人は1970年代からすでに免疫があり、そのようなパ肉的な終末思想予言の書を「楽しむ」という文化ができている。その文化ができていない人々が、アジアには多くいるということが、また興味深い。
今回の内容で報道は「アジアには、フィクションをフィクションと受け取れない人が多い」ということをしっかりと報道しなければならない。実際に、映画などで「R-指定」などがあるのは青少年が映画などの作品を本物(実話)と勘違いしてしまい、そのことで犯罪が先導される可能性があるということから、このような視聴制限が出てきているのであるが、ある意味でアジアにはそのような「R-指定」に近い状況のフィクションに対する非耐性があるということになる。
さて、そのようなフィクションに対する耐性がない人々が日本に多く着たらどのようになるのであろうか。今の移民問題とはそのようなことである。今回の事件はそのように移民問題や文化性の違いということでしっかりと検証されるべきものではないか。
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