「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 差別されているのは女郎ではなく吉原という現実
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 差別されているのは女郎ではなく吉原という現実
毎週水曜日はNHK大河ドラマ「べらぼう」に関して、なんとなく感想めいたことを書いている。一応歴史小説家っぽく、それっぽい内容にしているつもりだが、それでも感想であることは変わりがない。
先日、作家が集まる会合に出たのであるが、その中で「宇田川さんブログの中ではエロと大河ドラマが一番面白い。毎週呼んでいるよ」といわれた。何かとてもうれしかったので、この内容はそのまま続けることにしよう。さて、一応歴史小説家っぽくしているところが、誇示のブログの前半の人物伝や当時の文化の紹介であると思っている。今回は宮沢氷魚さんが演じている「色男」である田沼意知についてみてみよう。
田沼意知は、老中を務めた遠江国相良藩主・田沼意次の嫡男として誕生した。明和4年(1767年)、19歳にして従五位下・大和守に叙任する。松平輝高の没後の天明元年(1781年)12月15日には奏者番、天明3年(1783年)に意次の世子の身分のまま若年寄とな、意次が主導する一連の政治を支えた。
天明4年(1784年)3月24日正午頃、江戸城内の若年寄部屋から退出し、中之間に入ろうとしていたところ、桔梗の間に控えていた新番士の佐野政言に「御覚有るべし」と声をかけられて斬りつけられた。意知は初太刀で肩先を三寸ほど、深さは七分ほど斬られた。意知はよろけながらも桔梗の間に向けて逃走したが、佐野はそれを追い詰め、大廊下で転倒したところをその腹部めがけて突き刺そうとして、股を骨に達するほど深く刺した。
意知は重傷であったが存命であり、直ちに駕籠に乗せられて神田橋の意次邸に運ばれた。しかし、肩と股の傷は骨にまで達する深さで、治療のしようがなく、この傷がもとで4月2日未明に死去した。享年36。
父子ともに現役の幕閣であったため、意次と別居するために田沼家中屋敷または下屋敷へ移ったが、新たな屋敷を構えたのは暗殺の直前であった。江戸市民の間では、佐野を賞賛して田沼政治に対する批判が高まり、幕閣においても松平定信ら反田沼派が台頭することとなった。「斬られた馬鹿年寄と聞くとはや、山もお城もさわぐ新番(「馬鹿年寄」「山もお城」は山城守であった若年寄の意知、新番は佐野が新番士であったことにかけている)」、「山城の城の御小袖血に染ミて赤年寄と人はいふなる」といった落書や、「おらは田沼を憎むじやないが、ザンザ 独息子も殺された、オヨ佐野シンザ 血ばザンザ よい氣味じやエー」という戯れ歌(さんさ節)も広まった。
さて、この田沼意知の暗殺ということが、どの様に描かれるのか。特に矢本悠馬さん演じる佐野政言の不遇も今回出ているので、その伏線であろうと考えて楽しく拝見している。
<参考記事>
【大河ドラマ べらぼう】第23回「我こそは江戸一利者なり」回想 蔦重が10年かけて積み上げたブランディング 最後のピースが「日本橋」だった 背中を押す瀬川や源内の言葉 蔦重覚悟の「階段登り」
美術館ナビ 6月15日
https://artexhibition.jp/topics/news/20250615-AEJ2673245/
<以上参考記事>
さて、今回は蔦屋重三郎(横浜流星さん)が日本橋に出るということを決めるまでの逡巡している姿が描かれている。その中に「吉原者」の差別ということが書かれていることが興味深い。
現在でもそうであるが、「性風俗」を仕事にしていたり、またはそのことに関係しているような人々に対しての差別という感情は、現代に始まったことではなく、江戸時代には既に存在した。「吉原者」という言葉がその内容を表している。
そもそも遊郭は、江戸時代初期関ケ原の戦いあの影響で改易された大名が多く、そのことから多くの浪人が出てしまい、江戸の町に浪人が集まって喧嘩が絶えなかった。島原の乱などの騒乱につながることを恐れた幕府が「浪人の遊べる場所を作ることと、大名などの余分な金を吸い上げる」という二つの目的で作ったのが吉原遊郭である。その為に吉原の遊郭は幕府公認ということになっている。しかし、平和の時代が長く続くと、やはり「性風俗」に関して「そこが平和を維持している」というような感覚はなくなってくる。同時に、その場所が、今回のように抜け荷(違法貿易)の相談などが行われる場所であれば、なおさら、多くの人が「危ない場所」というような感覚になってしまうということになる。
そしてその場所の人々と「一緒にいることを嫌がる」というような差別が始まるのです。今回泉屋さんのお葬式の場面でそのにあ陽がうまく描かれていました。
そして、その「差別から抜け出る」という事に関して、蔦屋重三郎は「自分をなりあがらせる」ということで、世間の目を変えるということを主張するという感じでしょう。
ある意味で「セルフプロデュース」ということが今回のテーマになっていて、流行りに身を置くという意味では、長谷川平蔵(中村隼人さん)等も狂歌を学び、そして土山宗次郎(栁俊太郎さん)に会いに行くところで「350石でもこんなことができるようになるんだよ」というように話す場面などは、セルフプロデュースをする事が最も大きな内容ではないかということをうまく台詞の中にオリコンで伝えている。逆に、セルフプロデュースができなかった佐野政言は、紹介を受ける前に会場を後にしてしまい、徐々に自分を追い込んでいってしまうということになります。
このドラマの初回であったか、田沼意次(渡辺謙さん)が、吉原を盛り上げてほしいといった蔦屋重三郎に「その為にお前は何をやっているのだ」という言葉を言います。その言葉で奮起して蔦屋は代わり、大店になってゆくのであり、まったく努力もしないで大きくなったわけではない。しかし、廻りから見れば田沼意次の力や吉原の力を使ってなりあがったとしか見えていない。
今の世の中でもそうではないでしょうか。成功している人は、自分の成功についてあまり多くは語りませんが、その成功の陰には自分の長所を見つけそこをプロデュースして自分を売り込み、またそのような中にも様々な苦労を重ねて、自分を研鑽してそれで成功を掴んでいるのですが、佐野政言のように、自分の家柄や他人のコネだけを頼り、そして自分だけが不遇と思ってしまい、自分が変わろうとしない中で徐々に自分を追い込んでしまえば、結局は自分を滅ぼしてしまうということになる。まさにそのような強いメッセージがあるのではないでしょうか。
そしてやはりこのドラマの「上手」は、回想シーンの使い方。その回想シーンに、蔦屋重三郎が影響を受けた人々が出てきて、そのセリフが出てくる。「蔦重の使命は書を以て世を耕し、この日本をもっともっと豊かな国にすることだ」と語り、蔦重に明確な目標を与えてくれた源内。耕書堂の本を広く日本じゅうに届けるには、日本橋進出以外の方法はないということを思い立ち日本橋に出ることを決意する。
まさにセルフプロデュースの中に「日本橋に店を出した」ということを使うということである。しかし、やはり抵抗が大きい。それをどうするのかが今後の楽しみである。
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