「宇田川源流」【日本万歳!】 【訃報】日本にはプロ野球人気を作った天才がいた

「宇田川源流」【日本万歳!】 【訃報】日本にはプロ野球人気を作った天才がいた


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。

 さて、「万歳!」としながら訃報をお届けするのは、かなりの不謹慎であると思うが、「万歳!」はコーナー名(連載名)であるので、外せないのでお許し願いたい。

以前にも大山のぶ代さんや渡辺恒雄さんの逝去の時には、その訃報をこのコーナーでお届けしたが、その人の功績が日本を大きく発展させたとか、日本の文化に寄与したというようなことの場合には、やはり訃報であっても扱ってゆきたいと思うのである。

 さて、今回の訃報はミスタープロ野球長嶋茂雄さんである。

 長嶋茂雄さんに関して言えば、私が成人してからは会ったことがない。何度かここにも書いているが、私が小さいころ、東京の杉並区に住んでいたころ、本当に「隣組」といわれるほどの近くに、田沼さんという方が住んでおられた。その家が、読売巨人軍が初めて雇った通訳といわれる田沼一郎さんの家である。

小さいころから野球が好きで、小学校の頃には帽子も自由であったので、巨人軍の野球帽をかぶって学校に通っていた私にとって、その近くにそのような方がいるのは非常に嬉しいことであった。何よりも、たまに「家族チケット」などで、野球観戦ができたのである。そのことは非常に楽しかった。

その田沼さんのおかげで見ていたことから、長嶋茂雄氏に関しては、私がかなり子供のころに「監督」として、ファン感謝デーに会ったことがある。子供の頃の私は今ほど大胆ではなかったので、長嶋監督を前に緊張してしまったが、長嶋監督は「君は、野球が好きか」と聞いてくれたのが印象的である。はっきり言ってしまって、テレビで見ているよりもはるかな大男が、ニコニコ笑いながら近寄ってきて、一人前の男として扱ってくれる。それは何か違った喜びがあった。もちろん、その時には王貞治さんや張本勲さんも痛し、高田繁さんはバットをくれた(ひびが入って仕えなくなったものであったが、子供にとってはかなりうれしかった)。

当時の宇田川敬介少年は、その一日で完全に巨人ファンになったのである。

<参考記事>

長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた「ミスタープロ野球」

2025年6月3日 8時43分 読売新聞オンライン

https://news.livedoor.com/article/detail/28881355/

<以上参考記事>

 私が初めて記憶にある野球のテレビ中継が、長嶋選手の引退試合だ。だから、今回長嶋茂雄氏の追悼番組でよく見た「巨人軍は永久に不滅です」は、少なくともテレビ中継で見ていた。確かこの日はダブルヘッダーの中日戦で、長嶋茂雄の最後の打席はダブルプレイであったはずだ。あとでものの本で読んだところ、その時のファーストのコーチボックスには、普段は絶対に立たない川上哲治監督がコーチボックスにはいっていたという。そこまで覚えていればかなり感動的であっただろう。

さて、私の思い出話はいい加減にして長嶋茂雄氏に集中しよう。

長嶋氏の本当のすばらしさは、その明るさと、ファンに対する思いであろう。ある意味でサービス精神といえば、それ迄であったが、その徹底した内容が素晴らしいということではないか。

そもそも「巨人ファン」どころか「野球ファン」であれば当然のこと、野球を知らない人でも、長嶋茂雄という人を知っている。どれがどのような印象を持っているかは別にして、しかし、マイナスのイメージを持っている人は少ないのではないか。もちろん阪神ファンなどの中には、長嶋茂雄を親の仇以上に嫌っている人もいると思うが、それは、野球の試合の事であり、それ以上の恨みなどを買う人物ではないのではないか。

今回の訃報を受けて、北野武さんは長嶋茂雄さんの事を「神」という表現をしたが、まさに、神であったのではないか。彼の経歴をここで改めて書く気は全くないが、それでもプロ野球に入り、そして王貞治選手と共に「ON時代」そして巨人の「V9時代」を築き、そしてプロ野球の人気を不動なものにした。昭和の高度経済成長には、子どもの好きなものとして「巨人・大鵬・卵焼き」というように言われており、その筆頭が巨人なのである。私の周辺には、中学時代も高校時代も、「巨人が勝てば起源が良く、巨人が負けた翌日は妙にイラついている」というような人は少なくなかった。そういえば、中学一年の時の担任の先生は体育の先生であったが、巨人が負けた日の翌日は、巨人に勝ったチームのファンを教卓の前に呼び出して、無条件で出席簿で叩いていた。今から考えれば理不尽な体罰で当然に問題になる内容であろうが、なぜかそのような巨人ファンがいてもなんとも思わないというような感じである。ある意味であの時に「理不尽」を学んだという感じがするので、今理不尽などというのは、それ以上のものを感じないのである。

まあ、理不尽がどうこうというようなものではなくそのような「巨人というブランド」「プロ野球観戦」という文化を作ったのは、ファンに対して一生懸命なプレイを見せた長嶋監督の功績ではないか。

私のスーツの内ポケットには、今でも、長嶋監督が最後に優勝した時の記念のボールペンがある。かなり古くなってしまっているので記念の文字などは消えてしまっているが、しかし、やはり何か思い出なのである。そのようなことを考えさせるのが、長嶋茂雄という人物ではなかったか。

最後に、さるやんごとなき人物から預かった写真で、長嶋茂雄さんと昭和天皇が映っている写真がある。私のところにはデジタルで記録が残っている。伝えられるところによると、長嶋茂雄選手の伝説の天覧ホーマーの翌日、昭和天皇が長嶋選手を招いて会食を行った時の写真であったという。かなり緊張した面持ちの長嶋茂雄さんと、心なしかうれしそうな昭和天皇の表情が印象的である。この写真に貸しては、私自身は公開するつもりはないので、私と直接会った時に見ていただきたいと思うが、その時のエピソードとして聞かれるとい伝説が非常に多くある。そのようなエピソードも笑って受け入れることができる。それが長嶋茂雄さんではなかったか。

今、巨人軍が少し弱くなっている。永久に不滅とした巨人軍は、少し強くなって野球を面白くしてもらいたい。中興の祖といわれる第二の長嶋が、様々なところで待たれているのではないか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000