「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 明るい太田南畝の出現と「悪役」鶴屋の怪演の明暗の対比
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 明るい太田南畝の出現と「悪役」鶴屋の怪演の明暗の対比
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」に関して、本当に好き勝手に感想を書かせてもらっている。この内容に関しては来年の「豊臣兄弟」も、その次も続けてゆきたいと思っているのであるが、ある意味で歴史小説をかいていると、SNS等で見られる感想とは異なる感想を持つことがあり、それを記載してゆくということが一つの目的であったのだが、その内容は、皆さんにとっても興味深いものであると嬉しいのである。
さて、今回は太田南畝(桐谷健太さん)が出てくるので、そのことについて少し見てみよう。
太田南畝は、寛延2年(1749年)、江戸の牛込中御徒町(現在の東京都新宿区中町)で、御徒の大田正智(吉左衛門)、母利世の嫡男として生まれた。幼名は直次郎、のちに七左衛門と改める。下級武士の貧しい家だったが、幼少より学問や文筆に秀でたため、15歳で江戸六歌仙の1人でもあった内山椿軒に入門し、札差から借金をしつつ国学や漢学の他、漢詩、狂詩などを学んだ。狂歌三大家の1人、朱楽菅江とはここで同門になっている。17歳に父に倣い御徒見習いとして幕臣となるが学問を続け、18歳の頃には荻生徂徠派の漢学者松崎観海に師事した。
1 9歳の頃、それまでに書き溜めた狂歌が同門の平秩東作に見出され、明和4年(1767年)狂詩集『寝惚先生文集』として刊行。これが評判となっている。明和6年(1769年)頃より自身を「四方赤良」と号し、自身もそれまでは捨て歌であった狂歌を主とした狂歌会を開催し「四方連」と称し活動しはじめた。それまで主に上方が中心であった狂歌が江戸で大流行となる『天明狂歌』のきっかけを作り、自身も名声を得ることになった。
当時は田沼時代と言われ、潤沢な資金を背景に商人文化が花開いていた時代であり、南畝は時流に乗ったとも言えるが、南畝の作品は自らが学んだ国学や漢学の知識を背景にした作風であり、これが当時の知識人たちに受け、また交流を深めるきっかけにもなっていった。この頃から田沼政権下の勘定組頭土山宗次郎に経済的な援助を得るようになり、吉原にも通い出すようになった。土山は、後に誰袖(福原遥さん)を身請けする人物である。天明6年(1786年)ころには、吉原の松葉屋の遊女三保崎を身請けし妾とし自宅の離れに住まわせるなどしていた。
松平定信により、田沼政治の重商主義の否定と、緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化を目指し、天明7年(1787年)寛政の改革が始まると、田沼寄りの幕臣たちは「賄賂政治」の下手人として悉く粛清されていき、南畝の経済的支柱であった土山宗次郎も横領の罪で斬首されてしまう。さらに「処士横断の禁(処士は学があるのに官に仕えず民間にいる者。幕府批判を防ぐための策)」が発せられて風紀に関する取り締まりが厳しくなり、版元の重三郎や同僚の京伝も処罰を受けた。幸い南畝には咎めがなかったものの、周囲が断罪されていくなかで風評も絶えなかった。これを機に、南畝は狂歌の筆を置いてしまい、幕臣としての職務に励みながら、随筆などを執筆するように変わってしまった。 文政6年(1823年)、登城の道での転倒が元で死去。75歳。辞世の歌は「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」と伝わる。
<参考記事>
【べらぼう】鶴屋の笑顔が「怖すぎ」 風間俊介の演技にネット戦慄「圧力すごい」
5/26(月) ENCOUNT
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e64470fa27a77fb24138109ef58d7b00fe22254
<以上参考記事>
さて今回は、蔦屋重三郎(横浜流星さん)と、鶴屋(風間俊介さん)の「本屋の冷戦」があり、一方で、「11代将軍の座の冷戦」に関して、田安家と一橋家の冷戦に田馬意次(渡辺謙さん)が巻き込まれるということが話の軸になっている。
「11代将軍の座の冷戦」ということに関しては、一橋家から十一代将軍になるはずであった将軍家治(眞島秀和さん)の息子家基に輿入れウするはずであった種姫が、一橋家唐将軍に指名された後の家済の妻になるはずであったが、島津家の反対によってうまくゆかず、このことによって種姫は紀州家に輿入れすることになった。これは歴史上も同じことが起きているのであって、一橋家の当主一橋治済(生田斗真さん)の陰謀ぶりがよくわかる。一橋治済は、少なくともドラマの上で、今までに田安家の当主や将軍の息子である家基、そして老中松平武元等を暗殺しているような描写になっており、自らの野望のために、かなり様々なことを行っている。いや、陰謀で人を殺しているといってしまったほうが良いのかもしれない。この「11代将軍の座の冷戦」は、次回にもそのまま影響するが、このことによって、田安家は将軍争いから脱落し、御三卿といわれる中で一橋家が一気に優位に立つことになる。それにしても、生田斗真三の悪辣な演技が非常にうまく、「ここまで冷徹に自分の野望のために、幕府の要人や幕閣を殺すことができるのか」というような印象を受ける。特に平賀源内を殺した時などは、なかなかの悪人ぶりである。
一方「本屋の冷戦」も鶴屋の悪人ぶりが非常に面白い。ある意味で、「合戦がない」ドラマの場合、悪人の役の人の「悪」をうまく表現するところが非常にわかりやすくなるポイントであろう。人間は「勧善懲悪的な悪人」はあまりいないのであるが、ドラマの場合はわかりやすく表現し、なおかつその悪が「陰謀的で気持ちが悪い」とよりいっそうドラマが引きしまる。そして、悪はどこまでも悪でなければ、なかなかドラマが閉まらない。そのような意味でいえば風間俊介さんの演技は素晴らしいの一言である。風間俊介さん自身が悪人で何かかくしているのではないかというような感覚、そして蔦屋重三郎を上回る策謀がなかなか面白い。そして西村屋さん演じる西村まさ彦三の単純な悪とうまく対比して、蔦屋重三郎と対峙してゆく様は、戦国時代の軍師の戦いを見ているかのような内容になっている。
そして蔦屋重三郎のところに、まるで「水滸伝」のように様々な人物が集まってゆく。歌麿(染谷将太さん)、朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)、恋川春町(岡山天音さん)など、が集まってゆく。その中に上記に書いた太田南畝が極端に明るい人物として入ってくる。そして誰袖の運命を変える土山宗次郎もその中に入るのである。規制や今までの監修を打ち破って新しい「庶民の楽しみ」を作り出してゆくというような形になってゆく。まさに「水滸伝」や「七人の侍」にあるようなわかりやすい「権力に対抗するドラマ」になっており、そして、それが今の人々に何か生きる勇気を与えている。その「権力」を表しているのが風間俊介さんの怪演ということになる。
その対比が非常にうまく書かれている。ある意味でキャスティングも、そしてその台詞や演技も素晴らしい内容になっているのではないか。
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