「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 回想シーンで区切りあらたな幕が開いた印象をつける手法に感服
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 回想シーンで区切りあらたな幕が開いた印象をつける手法に感服
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について、歴史小説作家として好き勝手に感想を書かせていただいております。実際に、この歴史小説を自分でストーリーを組んでプロットなどを作っていた場合、その手法を頭に置きながらドラマを見ていると、ドラマのストーリーと言うことと、歴史的な記録上の事実という二つの側面から見えてくるために、何か違う感想になるのかもしれないと思っています。
さて、今回は「誰袖」についてみてみよう。ドラマの中では、以前は「かをり」と言って稲垣来泉さんが演じていましたが今回から福原遥さんが演じている。
誰袖に関しては、なぜ吉原に売られてきたのかなどは全くわかっていません。しかし、大文字屋の遊女で記録に残るところでは「呼出」という地位でした。これは、お客さんから呼び出しが来るまで自室で待っていることのできるほどの売れっ子で、自分から客を探して歩いたり表に出たりというようなことをする必要がないということを意味しています。要するにそれだけ売れっ子であったということです。
この「誰袖」という源氏名は、古今和歌集巻一詠のみ人知らずの和歌色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰袖ふれし宿の梅ぞも(意味:単に「誰袖」と云へば、袖形に作られた匂袋の事で、後世かけ香がすたれてからは、楊枝入れに転化したものと云ふ。)という和歌より取ったものです。「誰が袖」とは匂い袋の一種で、小袖の袖形をしていたことから古今集の歌にちなんで呼ばれたという。平安時代の貴族たちはあまり身体を洗えなかったため、衣服に香を薫いて体臭を隠す文化がありました。この和歌が詠まれた場所には、きっと梅の花が咲いていなかったのでしょう。梅の花がないのに香りがすれば、誰かが薫きしめたからに違いありません。露骨に自身の存在を主張するのではなく、立ち去った後の残り香からそっと感じてもらう、実に奥ゆかしい人物像が思い浮かびます。鎌倉頃に匂い袋として出現し、部屋にかける掛香へも発展した。室町・桃山期に大きく発達し、誰袖、匂玉、花袋、香包、香嚢、花世界、兵部卿など異名が多い。のちに様々な物を入れ、袂落としとして用いたという。元禄の末期には小型化し楊枝入れとしても使われたという。
そんな誰袖は天明4年(1784年)ごろ、旗本の土山宗次郎(つちやま そうじろう)に、1,200両という巨額で身請けされました。かつて、五代目瀬川が鳥山検校に身請けされた1,400両には一歩譲りますが、それでも現代の貨幣価値で約1億2,000万円(※1両≒10万円として)という金額は、彼女がそれだけの存在であったことを示しています。ちなみに土山宗次郎は田沼意次の側近であり、勘定組頭を勤める能吏でした。この身請けは江戸市中でも話題となり、誰袖は当代一の花魁としてその名を知らしめることとなります。
こののちの運命はまたその時に書くようにしましょう。
<参考記事>
「べらぼう」福原遥、初大河で当代一の花魁に 「苦労を乗り越えた強さを大事に」
5/4(日) シネマトゥデイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a56d9cad480f7ea80f261980e2005f8ce6da0f51
<以上参考記事>
今回のドラマは、第二章の様々な伏線を埋め込んだ内容ではなかったか。同時に、今までの回想を行い、第一章と第二章のつなぎをするというような念の入れようである。今回の大河ドラマは、第一篇・第二編というような感じで分けてはいないのであるが、しかし、物語の性質上、やはり節目はある。物語の制作者、今回でいえば森下佳子先生の一つの節目を感じる。
森下先生は、なにかがあったときに「回想シーン」をうまく使って、一つの区切りをつけるようである。朋誠堂喜三二(尾身としのりさん)が出てきた時や平賀源内(安田顕さん)のなくなるシーンなどで、うまく回想シーンを使って、それまでの内容を紹介し、「こんなことがあった」というような評価をしている部分がある。今回も、第一章の内容である。今まで蔦屋重三郎(横浜流星さん)が「今まで協力してくれた人に何も帰せていない」というシーンで、回想シーンをうまく使って瀬川(小芝風花さん)や平賀源内などをうまく出してきている。この中で須原屋市兵衛役の里見浩太朗さんは別にして、他の人々は詣でてこないという前提の役ばかりである。その様に考えれば「一つの区切りに回想シーンを使った」ということは明らかであり、その内容がうまく本編に溶け込んでいた。
一方これからの第二章の「伏線」がちりばめられた内容でもあったのではないか。
まずは11代将軍。現在の徳川家治(眞島秀和さん)の子供であった家基(奥智哉さん)が早くなくなってしまった、これが毒殺ではないかという疑惑のまま終わらせていることになるのであり、一橋治斉(生田斗真さん)が黒幕であるかのように見せてきましたが、この後継問題が非常に大きくクローズアップされる。
また、佐野家の家系図の問題があり、田沼家ではだれも気にしていないのに、佐野家は自分のプライドを傷つけられたというような感じで、後に史実では田沼意知(宮沢氷魚さん)が殺されることになる事件の内容も出てきている。
吉原の方では、瀬川がいなくなり、上記に解説をした誰袖(福原遥さん)が花魁となって登場してきている。相変わらず蔦屋重三郎への片思いというか、ある意味で親愛の情が深く、そしてこの花魁がまた瀬川と同じように大きな事件に巻き込まれてしまうことになるのである。そのことは上に書いたとおりであるが、その土山という侍も、田沼家の家臣であるということから、老中の田沼家と、蔦屋重三郎の周辺の人脈がかなりリンクしていたことがわかる。
これらを、うまくすべてを関わりあるようにしながら、40分の時間の中で、回想シーンを入れながら表現するのであるからなかなか面白い。特にその性格などがまだ見えてくるわけではないが、しかし、福原遥さんのインタビュー記事などを見れば、誰袖という花魁はただかわいいだけの女性ではないというようなことも書いてあり、大河ドラマの制作陣が、この花魁をうまく動かして、蔦屋重三郎や田沼意次の他の事件と結びつけてゆくということが非常に面白いということになるのであろう。
大河ドラマは民放のドラマのように一話完結でもなければ、1クール13週で終わってしまうものではなく、1年間約50週継続して一人の歴史上の人物の一生を書いてゆく。その人の成長や基地の変化、逆境へのアクセスの仕方などが、現代の人々にうまく教訓的になるように造られている。そのメッセージの中に「様々な伏線があり、その原因は、その複線を見ていれば見えてくる」ということがわかるのではないか。
そのような意味で、この5月に第二章の始まりがあったのは、なかなか興味深かった。
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