「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(6) 情報と昭和の関係

「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(6) 情報と昭和の関係


 今年のゴールデンウィークは「昭和100年」ということを見てみようというように思ってその内容に関して考えているということになります。世の中には「昭和100年」という人と「戦後80年」というような人がいることがある。終戦が昭和20年であるので、昭和100年は、当然に戦後80年になるのです。戦争ばかりに注目する人は、「昭和80年」というような言い方をする。戦前と戦中の歴史を消してしまうというような人ではないかというような感じになってしまいます。

しかし、そもそも歴史というのは、消すことができないということになります。どんなにひどい歴史であっても、また、その歴史があることによって、現代が現代の形であるということになるのですが、そのような歴史を消そうとする人は、そのよな歴史を見ないようにすることで何とかなると思っている自己満足であると言ことになるのではないでしょうか。

さて、前回から今年のゴールデンウィーク後半は「やわらかいネタ」を書いてみたいと思っているので、前回は昭和のエンターテイメントの内容を見てきました。戦前戦中は、上記に歴史を見ないようにしている人々を批判したばかりですが、その期間だけは全く別物という感じではないかと思います。実際に、戦中まではある意味で文化的な鎖国をしていたような感じになっていたという感じではないでしょうか。そのような意味では、徐々に情報が開示されること、移動時間が早くなることによって、海外の文化が入ってきたということになるのではないかと思います。

そこで、今回は「情報と昭和」として見てみたいと思います。

★ 昭和半ばまでの情報

情報というのは、徐々に発展して言っているということになります。元々は「自分で歩いて行って話をする」ということから「召使などに頼んで言伝る」というようなことになり、その後、文字と筆記用具が一般に普及することによって、「手紙を召使などに持ってゆかせる」ということになるのです。平安時代から戦国時代までにそのような感じになっているということになるのではないでしょうか。このほかにも戦場等では弓矢の矢に紙を付けて飛ばす「矢文」というようなこともあるということになります。

情報の伝達ということに関しては、一つは、文章を出す側と受け取る側が双方同じ言語同じ文章をもつことが重要であるということになります。単純に、言語が通じなければコミュニケ―ションが成立しないので、手紙などは出てこないことになります。そしてもう一つは「召使など」という「伝える人」への信用がなければならないのです。

そのように考えれば、情報を伝えるということの「信用」が得られるようになり、そのことによって、「飛脚」制度ができるようになります。当然に「油紙」等で包むという雨の日に字がにじまないような工夫もあったと思います。引き役だけではなく馬で運ぶということで「早馬」などもその通信手段です。

明治以降になって、前島密が郵便制度を作り、そして大正時代にラジオ、そして電話というように徐々に電気信号を音声にするということができるようになってくるのです。しかし、昭和中期に「ファックス」ができることによって文字を瞬時に遠く離れた人に伝えるということになります。そして、1980年代にパソコン通信というような形ができることになるのです。

あくまでも「IT」いわゆる「インフォメーション・テクノロジー」ということがいわれ、1990年代の森喜朗首相によって「イット革命」といったということで話題になりましたが、通信技術の進歩というのは、このようにして、かなり昔から進んでいたということになったのですが、インターネットが発展していった時に初めていわれるような感じになっていたのです。

1980年代、パソコン通信というようにパソコンと媒体ににした通信手段ができるようになったのです。当初のパソコン通信は、文字情報だけで、それも色も何もなかったということになるのです。それが徐々に大きなデータが出るようになり、現在は動画情報を気軽に流せるようになったのです。これが情報通信の昭和史というか、かなり雑ですが、日本の情報の歴史ということになるのではないでしょうか。

★ 情報の発展と共に変わってきた昭和の日本人

さて、情報に関しての歴史は見ての通りです。当然にこの前提は全て「情報が徐々に早くなる」ということになるのではないかということになります。ある意味でバーチャル世界というような感じになってしまいますので、そのままバーチャルということが大きな内容になるのではないかと思うのです。

しかし、情報というものは「自分の都合の良いものをアップする」ということであり、一方で、「マスコミのようなスキャンダルを出すところは、人の都合の悪い所を晒す」ということになるのです。それがインターネットとしてホームページが出てくるようになった場合は、それでもよかったのでしょうが、SNSの時代になって、多くの人が多くの内容を出すということになるのではないでしょうか。一般の人々が、情報を情報の専門家などから得るという時代から、全ての一般人が自分の情報を出す時代になったのです。要するに、「自分の都合の良い情報をアップする」という人が多くなってゆくということになったのです。

日本人の多くは「他人のプライバシーを覗き見る」ということが好きな「スキャンダル好き」で「噂話好き」な性質があり、そのことからSNSはかなり大きな役割を果たすことになります。多くの人が、SNSを通じて「自分のプライバシー」を世界に向けて「自分の都合の良い情報だけを出している」ということになるのです。そしてSNSを通じて日本人於プライバシーを覗き見る性質がより悪化しているということになるのです。

しかし、SNSの情報は、良いところ、今の言い方で言えば「キラキラした部分」ばかりが並んでいるということになり、それを見ている人は、皆「自分の生活と比較して劣等感を感じる」ということになったのです。本来は、SNSは様々な情報が入るところであり、SNSなどは見なければよいのですが、しかし、どうしても見てしまうということになってしまっています。

そのうえ、そのようなネットの社会の中には、フェイクニュースもあるのではないでしょうか。フェイクニュースを悪ふざけやいたずら心で作ってしまうような人もいるということになります。現在の状況は「SNSで注目されたい」という「承認欲求」で、物事の関係などが話がなくそのまま行ってしまうということになるのです。

同時に核家族化ということがありまた一人っ子が多くなってしまって、リアルのコミュニケーションをしなくなり、SNSばかりを見ているということになるのです。いわゆるZ世代の特徴ということになってしまいますが、まさに、そのようなことが徐々に日本全体に蔓延しているということになるのです。

いつの間にか日本人は、「情報を使う」立場から「情報に支配される」立場になてしまい「情報によって振り回される」ということになるのです。この情報の改革は、そのように日本人を変えてしまったということになるのです。この事こそ、日本人の情報の変化によって変わるということになるのです。

情報に卑屈になってしまったことから、「闇バイト」のようなことも出てきてしまうし、また、SNSを中心にした大きな問題が出てくるということになったのです。そして日本人が日本人をマイナスに導いているのではないでしょうか。

日本人は再度「情報を使う」立場になるということを心掛けるべきではないかということを提案したいと思います。そうすることが、最も日本が復興する近道ではないでしょうか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000