「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(5) 庶民の味方である昭和のエンタメ

「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(5) 庶民の味方である昭和のエンタメ


 本日は憲法記念日ということで、1947年、つまり昭和22年5月3日に施行された日です。新憲法を重視し、その憲法と平和に通て考える日が、憲法記念日ということになっているようですが、残念ながらゴールデンウィークの中の一日、連休後半の初日であるということか、そのようなことを考えることはなく、単純に旅行などで遊びの日になってしまっているのではないだろうか。

それは昭和100年の今年についても同じではないかと思う。そこで、このブログくらいは、憲法の話も含めて、今回は「昭和100年」について話をしてみたいと思います。

 さて前回は、日本の「人権意識」についてお話をしてきたと思います。私の大学時代中央大学の法学部の教授であった渥美東洋先生は「日本で人権と声高に言っている人々は、そもそも権利と義務の話も知らなければ、人権ということに関しても全く何もわかっていない。あいつらが言っているのは『人絹』の繊維の事ではないかという冗談を言って、人権の定義とその内容を聞いてみたが、わかっていた人は全くいなかった。あいつら、人権を教える小学校からやり直したほうが良い。君たちは法学部に学生だからそのようにはならないように」というような講義(抗議?)をしていた。当時の渥美先生が、保守なのか革新なのかというような政治的な立場はわかりませんが、実際に、人権と主張している人々が本当に「人権」をよくわかっているのかと疑問を持たれてしまうというようなことは、今になってなんとなくよくわかるような気がします。

この「人権とその責任や義務」ということに関しては、また別な機会にしてみましょう。

さてゴールデンウィークも後半になって、あまり難しい話をしてもおもしろくないので、今回は「昭和のエンタメ史」を見てみたいと思います。私がエンタメを語るのは、なかなか機会がないので、ゴールデンウィークの後半は少し柔らかいネタでやってみたいと思います。

★ 昭和のエンタメ

 日本のエンタメは、いくつかのルートがある。一つは、伝統的な話芸と言われるものや踊り・芝居などがその中に入ります。日本のエンタメの内容に関しては、そもそも古事記の中で天の岩戸に隠れた天照大御神を引き出すために、天の岩戸の前で皆でお祭り騒ぎをしたということが記録に残っています。この内容が神々による宴会であるということが言われていますが、一方で、この「宴会の意味」がわからなければ、そもそも古事記に岸アを残すこともできないということになります。そのように考えれば、古事記の記載時である飛鳥時代にはすでに「宴会」があったということになるのではないでしょうか。もちろん古事記や日本書紀の記載内容を否定するというわけではないですが、何よりも神代の話なので、神様の宴会と人間の宴会が同じであるかどうかもわからないので、その内容はちょっと置いておくことにしましょう。

さて、日本の歌舞音曲のルーツは二つ。一つがこの神代から伝わるもの、そしてもう一つが「田楽踊り」と言われるものであるというように言われています。田楽踊りというのは、田植えなどの農作業の時にリズムよく行うことによる効率化を期待して、歌や踊りでリズムを着けるということになるのです。その「田楽踊り」から民間の踊りとなっ田のが「阿国歌舞伎」と言われるものになります。しかし風紀の乱れなどから、「若衆歌舞伎」になり、そして「野郎歌舞伎」になるのです。そしてその内容だけではなく、人形などを遣うのが「人形浄瑠璃」というような感じになります。またそれだけではなく鎌倉時代には「白拍子」というような

一方、貴族(公家)の内容から出てくるのが、和歌ということになります。また雅楽などもこの中に会うということになるのではないでしょうか。雅楽に合わせて和歌を詠むということから「歌」が「唱」という同じ訓読みになっているということになるのです。その若が前半と後半で分けてできるのが「連歌」と言われるもので、下の句が無くなったものが俳句ということになります。

このように拍子を付けて和歌などを語るということがおこなわれます。そのような拍子を着けるところから、漫談があり、また一人でその内容を語るのが落語ということになるのではないでしょうか。

昭和の初めには、一つには喜劇的に「漫談」「漫才」「落語」ということがあり、もう一つには「歌」ということが出てくることになるのでしょう。

さて、昭和の初めには、片方で演劇や漫談、漫才などがあり、もう一つは歌、もう一つは動画と演技を一緒に行った「映画」であるということになります。その「映画」も「国内映画」と「海外映画」ということになります。そしてその映画が昔は弁士がついていた映画であったのが「トーキー」と言われる音声付きの映画ということが出てくることになります。一方歌などは、フォークやロックということが出てきますが、歌に関してはそのまま存在するということになります。この流れは、間違いなく今も同じということになります。

★ 戦争をエンタメに変化する内容

 このエンタメというのは、政治の影響を大きく受けます。エンターテイメントを禁止するということは様々なところがあるということになるのではないでしょうか。戦前の政治ということになれば、当然に「仮想敵国の文化を日本国内に入れない」ということになっていました。戦中はジャズなども禁止されまた英語の歌なども禁止されてしまいます。戦前、戦中のエンタメに関しては、そのような状況であったということになります。江戸時代と同様に日本国内の文化とエンタメで純粋培養されていたということになります。

私の祖父の話ですが、「軍隊に入ってよいこと」として「高峰三枝子(当時のアイドル)が、平民出身の軍人である私の部屋に来て、歌を歌ってくれた。私だけのために目の前で歌を歌ってくれたのは感激した。そして軍人さんありがとうございます。などと言ってくれたのは軍人でよかった。戦後になって、そのようなことは全くないからな」と言っていたのはなかなか興味深いところです。

さて、戦中までのエンタメは別にして、その後、映画の世界では、戦後の絵以外に一つの特徴が出ている。

戦後、軍隊に言っていた世代、そして、本土などにいて幼少期を過ごし空襲などを体験した世代、そして戦後、戦争を知らない世代ということで愚来る映画が変わってくるのです。

軍隊世代のは、「○○愚連隊」など、軍隊の中にいながら、何となく軍人生活を楽しむというような、かなりの不謹慎な映画を作っています。勝慎太郎さんや、芦田伸介さんなどがその役者をしていたのではないでしょうか。もちろん軍隊物をやらなかった世代で、笑いを執る人々として森繁久彌さんや植木等さんの「社長シリーズ」などもその中の一つになります。

しかし、空襲体験世代(これを本人たちは戦争を体験したといっていますが)この人々の内容は、この人々の体験として、自分たちは何の悪いこともしていないのに突然爆弾が降ってきて、身近ない人や友人たちを殺し、町を破壊したということになります。そのような「一方夷的な被害者意識」と「そのようになって食料も何もなくなった時に、おおkの大人たちが生き残るために弱者を虐げた」ということから、「反戦映画」というよりは「日本人は醜い」という映画ができるようになります。「はだしのゲン」や「ガラスのうさぎ」「火垂るの墓」などがその代表的な内容ではないかと思います。特徴として、敵であるはずのアメリカ人【他の外国人でもよいのですが】が全く出てこないで、同じ日本人が敵であるというようなことが多く書かれているのです。

そして「戦争を知らない世代」になると「自分たちを間折るための戦いは必要」というような感覚になるのではないでしょうか。「エバンゲリオン」などはまさにそのようなもので、「戦う必要がなければ戦わない」というコンセプトで、普段は戦いなどはしない人が、戦いに駆り出されてヒーローになるというような形になってくるのです。「機動戦士ガンダム」もそのような内容で、同時に戦争を体験したことがないので、アニメーションによる表現が大きくなってくるということになります。

★ 輸入エンタメとボーダレス

 一方で国内の映画や歌はそのようになっていますが(歌に関してはあまり書いていないのですが、歌に関しても空襲体験世代が反戦フォークなどを歌っていたということになり、映画と同じような歩みになっています)一方で海外からの内容が映画や歌が入ってきます。

昭和の戦前の音楽の代表がジャズであるとすれば、戦後の代表はロックということになるでしょう。ビートルズなどがそのまま入ってくるということになるので、日本では多くの影響を受けることになります。またサイエンスフィクションも同じで「未知との遭遇」「スターウォーズ」「ジュラシックパーク」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など日本人に影響を与えた海外からの内容は少なくないのではないかと思います。

そしてそのような海外の刺激を受けた日本作品が出てくるということになるのです。また海外も日本の映画をリスペクトしている部分は少なくなく、黒沢明監督や、音楽ではYMOなどが海外では非常に大きな影響力を与えているという結果になっているということになります。

インターネットなどが、発達したことで、これ等の音楽が徐々にボーダレスになっていっているのが、平成や令和の「ポスト昭和」の特徴ではないでしょうか。

ただし、私には最近のK-POPと言われる人々が徐々にすべて同じに見えてしまい、区別がつかなくなってきているので、そろそろ「私の脳年齢も古くなってきたのか」というような感じがあります。あまり魅力がわからなくなってきているのですし、人の名前も覚えられなくなってきているのが、大きな問題のようで、最近では、エンタメを語らないようにしているのです。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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