「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(4) 行き過ぎた人権の障害が出た昭和
「宇田川源流」【GW特別連載:昭和100年雑感】(4) 行き過ぎた人権の障害が出た昭和
毎年ゴールデンウィークとお盆休みは、ニュース解説の性格上、ニュースがほとんどないので、何かのネタで一つの連載を汲んでいる。酷いときは「ゴールデンウィークのエロ」等、土曜日のエロの拡大版をやってみたりしていたのであるが、それはそれなりに評判が良かったのである。
しかし、毎年必ず言われるのは、「ゴールデンウィークの間に憲法記念日があるのに、憲法の話がないのは何故だ」と言われることがあります。もちろん、間に、こどもの日(菖蒲の節句)がありますので、その内容はオンラインサロン等で話をしているのですが、たしかにあまり憲法に関して話をしたことがないような気がします。
その憲法に関して言えば、1947年、つまり昭和22年5月3日に施行されています。ある意味で、これも「昭和の話」です。そこで憲法の話も含めて、今回は「昭和100年」について話をしてみたいと思います。
さて前回は、と言っても間に昨日の誕生日を挟んでしまったので、連載の割には一昨日ということになりますが、その中では「政治」ということを見てきました。実際に政治ということで政局や政党史などを書くことが多いような気がします。しかし、実際は政治史というのは、民主主義の場合、政治と国民(有権者)の関係と、それによる国政の変化ということが本来の「政治史」ということになります。日本の場合は、なぜか政局を語ることや派閥を語ることが政治であるかのようで「政策などは二の次」というようになってしまっているので、これでは本当の政治の事はよくわからないということになります。政治ジャーナリストの中でもそのような現象が起きており、政局や政治家個人の行動を追うことが仕事のようになっていて、政策について聞いても全くわからないような人がいるのには驚かされることがあります。このジャーナリストなどの考え違いは、日本人の有権者が政治に関して考える機械を奪っているという感じになるのではないでしょうか。
前回の政治に関して書いた最後に「国民の権利と義務や責任のバランスが崩れている」という趣旨の事を書きました。今回はその内容に関してみてみたいと思います。
★ 人権と責任
ある意味で「人権」ということを日本人が初めて学んだのも昭和の事ではないかと思います。それまでは、基本的には「人権」という言葉はあっても、その内容がしっかりと認識されていなかったということになります。一方、戦後は「人権」という言葉が出てきますが、しかし、人権に関しての本当の意味が解っていない状態のまま現代に来ています。
それも、日本人の価値観は、歴史上、何か大きな失敗をすると、その逆に大きく振れてしまうという特徴があります。最近の話ばかりではなく、それが日本人の特性であるということになるのではないかと思います。実際に、平安時代に中国をすべてまねた「天平文化」がありましたが、しかし、菅原道真が遣唐使を無駄と判断し、そのうえで「国風文化」が大きくなります。この時も全て唐(当時の中国)の文化をすべて排除してしまうということになります。また、幕末から明治維新になった時も「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」などの都都逸があるくらい、江戸時代の内容を全て排除し、また、欧米の文化を入れるための鹿鳴館外交を行うというような反動が出てきてしまうということになるのです。江戸時代に培ってきた文化をすべて否定してしまい、外国をすべて受け入れて、全て反動で極端に反対側、つまり「攘夷」と言っていた人々が「欧米のそのままの生活を真似する」ということになるのです。
そのような感覚の「反動で極端に反対側に振れた状態」で「人権」ということを吹き込んだのであるから、必要以上に権利を増大化した内容になってしまうのです。人権というのは、「人の生まれながらに有する権利」ということが言われますが、実際には、その権利というのは、誰かに守ってもらわなければならないということになります。そして人権を守るのは国家であり、政府であるということになるのですが、その国家を守らなければ、人権などは守られなくなるということになります。北朝鮮の現状を見てればわかるように、国家がしっかりしていても、その国家が全く人権を守らないということがあります。言論の自由ということになれば、中華人民共和国においても同じように、言論の自由は守られないのです。
本来、「権利」というものには「義務」が存在します。その大きさはほぼ同じであるということになるのであろうということになります。その考え方からすれば、当然に「人権」という権利にもその権利に比例した「義務」や「責任」が存在するということになるのです。その義務とは、本来は「国家や政府を守る義務」ということになります。もちろんその時の政権の政党などを守るということではなく、国家そのものを守るということになるのではないかと思います。そしてもう一つは「寿命まで生きる事」が責任となるのでしょう。少しの例外を除いて、生きていなければ人権は存在しないのです。そのように考えた場合は、しっかりと生きることまたはほかの人を生きるように導くことが人権に伴った責任ということになるのではないかということになります。
しかし、戦後の人権教育は全くそのようなことを教えなかったということになるのです。
★ 人権の是正ができないことの反動
人権教育が「責任」や「義務」を全く教えないということになってしまったことから何が起きたのでしょうか。
一つは、徴兵などがおこなわれないということになりますし、また、言論の自由や職業選択の自由、住居の自由なども守られることになるのです。しかし、それが守られているのは、日本国憲法に記載されているからであり、日本が無くなってしまえば、憲法が無くなってしまいますので、当然に、人権が守られることはなくなるということになるのです。そのようになれば、日本を占領した国と同様になってしまうということになるのです。もしも北朝鮮に日本が占領されれば、当然に、日本全土が北朝鮮と同じようになってしまい、人権はすべて否定されてしまうということになるのです。そのようにならないためには、人権を主張するよりも、国を守る義務や責任を重視しなければならないということになるのです。
では、その国を守る義務や責任を失った場合にはどのようになるのでしょうか。
例えば権利を大きくすると、企業に御家「給与を上げろ」「福利厚生を充実させろ」というようなことが起きます。しかし、そのことによって企業が徐々に弱体化してしまうということになるのです。
国際的な事情などがありますが、しかし、その様な企業や経済的な危機の状態であるにもかかわらず、権利ばかりを主張してしまうということになれば、企業が復活するどころか、企業そのものがなくなってしまうということになります。その結果が、バブル崩壊後に行われた「リストラ」ということになるのです。残った従業員の権利のために多くの人が解雇されるということになってしまうのです。本来は「リストラ」とは「リコンストラクション」であり、会社の再建ということなのですが、権利を強く主張し、なおかつ会社(所属する団体)に対する義務や責任を行わないことが普通にな言ってしまうことによって、一部の人しか雇用できなくなてしまい、そのことから解雇する以外にはないということになってしまうということになるのです。そして、福利厚生などを行わなくてよいような覇権従業員を増やすということになります。本来は、会社や団体も「権利」を主張し始めるようになるのです。
大学の法学部で一番初めに習うのは、近代法学とは何かということであり、その中にイギリスの思想家ホッブスが書いた「リバイアサン」という書物の中で「法がない場合は、万人の番人による闘争状態」になるということが言われています。要するに一人の権利を充足させてしまうと、他の人が権利を実行できなくなってしまうということになるのです。まさに今の日本はどのような状態になりつつあるということになり、団結どころではなくなってしまっているということになるのです。
まさに、そのことによって、日本はいつまでたっても景気が回復しないということになるのです。失われた30年というのは、このような権利を充足することによってより一層深く抜け出せなくなってしまうということになるのです。
昭和、初めは「国家に対する忠誠の義務」ということばかりになってしまうのでしょうが、しかし、戦後はその反対に触れて「国家に反対しても、個人の権利を充足する」というように反対側に振れてしまったということにあります。そしてそれが「人権だ」というような教育を受けていたということになるのです。そしてその人権がおかしいといいながらも、「○○ハラスメント」のように主観で犯罪者を作り出してしまうような状況が生まれてきているのです。
ある意味で、そのような国民の意識が変わらなければならないということなのかもしれませんが、それがわかったのが昭和の戦後ということなのかもしれません。日本と宇野は、鹿鳴館外交などもそうで菅、一度やってみて、ダメであったら日本に適合する形に変得てきているということになります。そのようにして日本を復興さえなければならないのではないかと思います。
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