「宇田川源流」【日本万歳!】 本屋大賞で「食を通した絆」
「宇田川源流」【日本万歳!】 本屋大賞で「食を通した絆」
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさや日本の良い所を記載し、またはそのような記事を紹介し、その内容を私なりに分析をしたうえで、その内容が、その人やその書かれている対象のモノだけではなく、日本の国民性や日本人の全てが持ている魂のような「何か」が重要であり日本の称賛されているモノであるということがわかるようにしている。つまり、それが日本人全体が持っているものであったり、日本人の国民性のようなモノ出会った場合、称賛されている記事はそのまま日本人全体を称賛しているということに他ならないのではないか。
毎週月曜日になると、日本人のほとんどは、働きに出る。日曜日などでせっかく休み、自分の世界に入っていた李、家庭に入っていたにもかかわらず、また働かなければならないという「マンデー・ブルー」な状態になる人が少なくない。もちろん仕事が趣味という人も少なくないのだが、そのような人は少数派であることは間違いがないようである。その為に、そのような「ブルー」な人々であっても、日本人一人一人全員が、日本人としての誇りと、世界から称賛されている日本人の国民性などを武器に、より一層仕事が頑張れるようにしてみたらどうかと思うのである。
さてその国民性の中で、最も世界の強みは「ソフト」ではないかと思う。そのソフトの話をすれば、いつもアニメや漫画の話になってしまうのであるが、本当は「書籍」が最も素晴らしいのではないかと私はいつも思っている。実際に「漫画=2次元」というようなことを言うのであるが、本来、「文章=1次元」という考え方がありその1次元で書かれた内容を、頭の中で自分の経験やそのほかの内容をすべて動員して文章の中の世界観を身近な内容として、その中で書かれた主人公や登場人物ンい共感しながら内容を疑似体験してゆく。この「疑似体験による経験」ということが、日本人は素晴らしき、一つの本でも多くの想像力が生まれ股解釈がうまくできる。小説などを書いていると「幕末」の世界などは、一つの減少やその内容に関する解釈の多様性が、徐々に「尊王」「攘夷」というような(もちろん佐幕派もいるが)思想に集約されてゆく。それまでの多くの人々が、擬制になったのであろうが、一方でその内容に関して、集約する中で大きな国内の動きになる。そのような歴史を日本はしっかりと踏まえてきているのである。
<参考記事>
本屋大賞に「カフネ」 阿部暁子さん「頂いた大きな贈り物に報えるように」【発表会詳報】
2025年4月9日 14時42分 好書好日
https://news.livedoor.com/article/detail/28521370/
<以上参考記事>
日本の中には「本屋がなくなってゆく」ということで「活字離れ」などといわれているが、実際はどうであろうか。この「活字離れ」という内容に関しては、実は「新聞や雑誌の販売数が急激に落ち込んで、なおかつ廃刊や休刊が多くなっている」ということが、言われている。実際に「本が読まれなくなった」とか「活字を書かなくなった」のではなく、新聞や雑誌などの媒体が勢いがなくなったということに過ぎないのである。
私の個人的な感想ではあるが、「活字」は「本」「紙」ということを離れて、SNSやネットでの表現において非常に多く使われている。もちろん日本語の今までと同じように、日本語そのものが変質しまたは、その言葉そのものも、大きく意味が変わってきているということになるのであるが、それでも「活字」がなくなったのではなく「活字の使い方が変容した」ということでしかない。紙に書くという事や、誰が決めたかわからない「正しい日本語」なるものを使う人が少なくなっただけで、リアルのコミュニケーションが少なくなれば、それだけ活字は多く使われるようになるということになるのである。
さて、活字の問題は「同一性が少ない」という事であろう。例えば、「黒髪の美しい女性」と書いた場合、情報は「髪が黒い」「美しい」「女性」という事しかないので、その時に想像する女性像は読んだ人によって異なるということになる。しかし、それは「美しい」とか「髪が黒い人」のイメージが大きく異なるのであり、また、その女性のイメージを統一する必要はない。そのイメージの違いを楽しむということが読書の大事な一つである。
さて、そのようなことを繰り返してきた人、つまり本を多く読んでいる人は、相手の理解が進みそしてうまく「利己主義ではない自分を表現できる」「相手と共感を多く生むことのできる」人物になる近道を歩いているということになるのではないか。
そのような本の中で、「本屋大賞」がえらばれた。本屋の店員が最も売りたいと思う本を選ぶ本である。
本の紹介に関しては「参考記事」の中身をそのまま引用する。
阿部暁子さんの『カフネ』は弟を亡くした野宮薫子が、弟の元恋人・小野寺せつなが勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝いながら、「食」を通じてせつならとの絆を深めていく物語。
要するに、「人のやさしさや」「食を通じて(つまりネット等ではなくリアルに一緒にいるという人間関係からくる)の絆」が大きなテーマになっており、そして、そのテーマに共感する人が最も多かったということになるのである。逆に言えば「それだけ人と人の絆を欲しいと思っている人が多い」ということである。活字を通してその世界を見ることができる。そして若者が、多くの読書家が、「自分に必要なことを見出すことができる」という事こそ、日本のすばらしさなのかもしれない。
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