「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 自分の幸せを捨てて相手を思う検校と瀬川

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 自分の幸せを捨てて相手を思う検校と瀬川


 毎週水曜日はNHK大河ドラマ「べらぼう」に関して、様々なことを書かせてもらっている。私はこの時代のことを歴史小説で書いたことはないのであるが、しかし、毎週このブログで「土曜日のエロ」を連載(このエロの連載はすでに15年以上やっている)しているのであるから、吉原などに関してはかなり詳しいと自負している部分がある。

先日イベントで「遊女」ということをテーマであった内容に参加してきた。まさにNHKが遊女を正面からとらえたというのは、ある意味で非常に面白いところではないだろうか。

さてその物語の前に「ちょっとした知識」として、今回は「エレキテル」を見てみよう。

そもそも「エレキテル」とは「発電装置」と思っているのかもしれないが、実際は「摩擦起電器」というのが正確な内容の様だ。実際は、「摩擦で静電気を作る機械」であり、私たちの身近なところでは、下敷きで頭をこすって髪の毛が浮き上がる、あの現象の江戸時代版の事であると解釈して大きな間違いではないようである。

もともとはオランダで造られたもので、オランダでも宮廷に持ち込まれて「医療器具」として使われていたようである。1751年(宝暦元年)ごろオランダ人が幕府に献上したとの文献がある『紅毛談(おらんだばなし)』で紹介されされているものを読んだ平賀源内(安田顕さん)が長崎滞在中の1770年(明和7年)に破損したエレキテルを古道具屋あるいはオランダ通詞の西善三郎から入手し、工人の弥七(片桐仁さん)らとともに1776年(安永5年)に江戸深川で模造製作に成功した。残念ながら記録の中に、うつせみ(小野花梨さん)と駆け落ちした新之助(井之脇海さん)は記録には出てきていない。

構造は外部は木製の箱型、または白木作り。内部にライデン瓶(蓄電瓶)があり、外付けのハンドルを回すと内部でガラスが摩擦され、発生した電気が銅線へ伝わって放電する構造になっているものである。

源内は電気の発生する原理を陰陽論や仏教の火一元論などで説明し、見世物や医療器具として利用されたが、主に好奇による注目であったようである。摩擦電気なので、「病気が治る」などといってもそのような効果があるはずがなく、一部、「病になったような気がする人をショックで治す」くらいのことはあったのかもしれないが、残念ながら医療器具として普及することはなかったようだ。この後松平定信(寺田心さん)による寛政の改革による贅沢の禁止や出版統制などにより、電気に関する科学的理解・研究は後の開国以降や明治期まで停滞することとなったといわれ、命じになって電気が普及するまで約100年停滞することになるのである。

<参考記事>

【大河ドラマ べらぼう】瀬川役・小芝風花さんが語る蔦重との別れ「文を書くシーンはカットがかかっても涙が止まりませんでした」

20250406 美術館ナビ

https://artexhibition.jp/topics/news/20250403-AEJ2619530/

<以上参考記事>

 さて、今回は幕府による検校と当道座の一斉取り締まりである。当道座は、もともとは平安時代仁明天皇の子である人康親王が盲目で、山科に隠遁して盲人を集め、琵琶、管弦、詩歌を教えたことに始まる。鎌倉時代、『平家物語』が流行し、多くの場合、盲人がそれを演奏した。「耳なし芳一」に出る琵琶法師もそのような中の一人である。

徳川家康も、当道座を保護してきたが、その高利貸しが武士そのものの存続が危うくなるにつれ、幕府も取り締まらざるを得なくなったということになる。

瀬川(小芝風花さん)を身請けした鳥山検校(市原隼人さん)も例外ではなく、ドラマではその最終的な処分は出なかったが実際は私財一切の没収の上江戸や京都からの追放ということになっている。その後鳥山検校がどうなったかは不明。また瀬川も離縁されたということになっており、その後の記録はない。

ドラマでは、鳥山検校が瀬川の幸福のために身を引き離縁状を出している。自らが手を引くことが瀬川にとって最も良い洗濯であるということを鳥山検校自身が出した結論であろう。「幸せでした」という瀬川は、やはり本音であったのではないかと思わせるドラマのセリフは圧巻である。そして、その後離縁状を見て喜んだ蔦屋重三郎(横浜流星さん)の所にあって、自分が検校の金で不評であるということをしり、瀬川自身が身を引くのである。

相手の幸せのために身を引く、その時に一緒にし早生になるという選択肢があるにもかかわらず、相手の迷惑になるから、自分と一緒では夢を追えなくなるからとして、自ら身を引くというのは、「口でそのようなことを言っていても、なかなかできることではない」ということになる。ドラマであるから、そのようなことをうまく作った。瀬川にとっては、自分が身を引かれる立場と、自分から身を引く立場双方を体験することになるのであろう。その身を引き裂かれるような悲しみを、小芝風花さんは非常にうまく演じている。悲しいからなおさら明るくふるまう。歩くふるまうから、なおさら悲しみが強調されるというような、演出がされている。そしてその瀬川を探す蔦屋重三郎。しかし探しきれないということになる。

参考記事では『小芝さんは、蔦重に文を書くシーンを撮るとき、「カットがかかっても涙が止まらなかった」と語りました。』とあり、それだけ感情がうまく乗っているということになるのではないか。その熱演がテレビ画面を通じても伝わることになる。愛情表現が下手な鳥山検校、そして、どうしても女郎上がりであるというようなコンプレックスを捨てきれずに、蔦重と検校の間を揺れ動き、そして、最後には双方ともに失ってしまう瀬川、そして、幼馴染で同じ夢を見ていた同志であり、恋仲である瀬川をとり逃してしまった蔦屋重三郎。いずれも悲しい結末なのであろうが、それをその三人がうまく演じている。

このような三角関係は、現代の世の中でもたくさんあるのであろう。本当の幸せとはいったい何なのか。そのことを考えさせられる内容ではないか。

宇田川源流

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