「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 吉原を去る瀬川と蔦屋重三郎のすれ違い
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 吉原を去る瀬川と蔦屋重三郎のすれ違い
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」を見ての感想をお話ししている。もちろんNHKの制作の人々や演技をする人々のすばらしさがあるのではないか。強引に自分の「歴史小説家」としての感覚から、歴史を扱うドラマを見て、その内容を歴史的にはどのような感覚になるのかということを感想として書いてみたいと思っているのである。
さて、今回は種姫について少し見てみましょう。
種姫(明和2年7月5日(1765年8月21日) - 寛政6年1月8日(1794年2月7日))は、江戸時代後期の女性。紀州藩主徳川治宝の正室。田安徳川家当主徳川宗武の七女で、将軍徳川家治の養女である。
江戸の田安屋敷にて誕生した。生母は香詮院殿(山村氏)。明和8年(1771年)、父・宗武が死去する。安永4年(1775年)11月、第10代将軍家治の養女となり、江戸城大奥に入る。今回、このシーンが出てきたのはドラマを見ている人は見ているのではないでしょうか。11歳で将軍家養女となった種姫であるが、しばらく縁組の形跡がなく、3歳年上の将軍世子・家基の正室にと意図されていたのではないかともされている。
天明2年(1782年)2月7日、18歳で紀州藩主嗣子の岩千代(治宝)と縁組する。岩千代は種姫の6歳下の12歳で、翌3月に元服した。天明3年(1783年)4月15日、結納を交わす。
ちなみに、安永8年(1779年)2月に家基は死去してしまうので、家基の性質になることはできなかったという事にもなる。天明5年(1785年)、養父・家治が死去し、家治の養嗣子で義弟の家斉が第11代将軍となる。また、天明7年(1787年)、実兄(同母兄)である松平定信が老中となる。
天明7年(1787年)11月27日、23歳で紀州藩赤坂上屋敷の御守殿に入輿し、17歳の治宝と結婚した。将軍家姫君の入輿は、第8代将軍吉宗養女・利根姫以来50年ぶりで、豪華な婚礼行列の様子は狩野養和筆の婚礼行列図(東京国立博物館蔵)に描かれている。しかし、この婚礼に当たって、紀州藩士は6年間の半知(俸禄の半減)を申し渡されて生活に瀕した。その上、種姫に付き従って大奥から来た女中たちは紀州藩邸内での生活に不満を漏らし、藩士の反感を買ったようである。
この種姫が、ドラマでどこまで出て来るかはわからないが、家基の死迄は何かと出てくるのかもしれない。
寛政6年(1794年)1月に死去した。享年30。法名は貞恭院。
<参考記事>
小芝風花:すれ違う蔦重の目が「見られなかった」ワケ 吉原を去る瀬川の思いに共鳴? 「べらぼう」“最後の道中”語る
2025年03月09日MANTANWEB編集部
https://mantan-web.jp/article/20250309dog00m200016000c.html
<以上参考記事>
ネット上では、今回が最終回ではないかというようなことが書かれていることも興味深い。その内容は少し後に出すとして、まずは今回は、松平定信(田安賢丸:寺田心さん)が白河藩にゆかないようにというように考えていたのに、そうならないので、結局は自分が将来戻ってこれるように、自分の妹である種姫(小田愛結さん)を、将軍徳川家治(眞島秀和さん)の世継ぎである徳川家基(奥智哉さん)に輿入れをするということから、とりあえず将軍の容姿になるということを画策したのである。この辺のいきさつは上記のとおりである。
これに対し田沼意次(渡辺謙さん)はかなり危機感を感じることになる。これが第一シーンである。
瀬川の身請けの最後の花魁行列において、そこを利用して錦絵を作るということを吉原で企画し、その「拍付け」に、将軍に献上するということを思い立った蔦屋重三郎(横浜流星さん)は、平賀源内(安田顕さん)を通して田沼意次に依頼する。田沼意次は、ちょうど自分が負い込められていることや、日光への参集に関する内容などで、うまく使おうとこの錦絵を本当に将軍に献上するということになる。
そして、瀬川は身請けの場面になる。
その身請けの前に、蔦屋が瀬川に錦絵を届ける。その時の会話が非常に印象的だ。ここで改めて「二人の夢」そして「夢の中を走り続ける」という言葉が非常に良いのではないか。ある意味で「何のために本を作ったのか」「何のために蔦屋は頑張っているのか」ということが見えてくる。そして、その映像の中で、いままで吉原を負われた朝顔さんやうつせみさんというような女性たちが、吉原という場所の厳しさや辛さが映像で見せてくれた。そしてそのような女性たち(女郎)がいなくなることということを二人が願ったのである。
単純に「職に貴賤はない」という言葉がある。つまり、女郎であっても、それが身体を売っているというような話であっても、その女性たちが幸せを願ってはならないということではないということである。逆に、蔦屋重三郎と瀬川は、特別ではない吉原の女性たちも、笑って暮らせる、そして自信をもって吉原の仕事をできるということを目指していたのではないか。それは現在も同じように職に貴賤はないということを自信をもって得る人、それを目指す人がいればよいのではないか。実際に、現在もそのような業界で商売をしている女性も男性もいる。しかし、そのような人々を差別するような人もいるでしょう。まさにそのようなことを、メッセージで出しているのではないか。
その「幼馴染」というよりは、多分吉原をよくするために「戦友」というようなかんけいであり、最も信頼をしている。そしてその信頼が恋心であるということをお互いが認識してしまった二人において、身請けのための花魁行列は二人にとって最もつらい話ではないか。そしてその二人の関係が、大門の前ですれ違うということですごくうまく表現されていた。
「他の男に奪われる」ということ。これは映画「卒業」等では、最後に奪いに来るという言うような話になるが、江戸時代にはそのようにはならない。まさにその「心のすれ違い」が一つの大きな物語の軸になる気がする。
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