「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 やっと蔦重の心がわかった忘八
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 やっと蔦重の心がわかった忘八
毎週水曜日は、大河ドラマ「べらぼう」について好き勝手なことを書いている。。。
今回は瀬川(小芝風花さん)を将来見受けする鳥山検校(市原隼人さん)が出演する。この二人の物語は江戸時代にも大ききく話題になり『契情買虎之巻』(けいせい かいとら の まき)等にも書かれているのであるが、これは次回に大きく話が動きそうなので、鳥山検校に関しては次回ゆっくりと話をすることにしよう。
さて、今回は風間俊介さんが熱演する鶴屋喜右衛門についてみてみましょう。鶴屋喜右衛門は、もともと性は小林と証する京都の地本屋で鶴喜、遷鶴堂、仙鶴堂と号していた。喜右衛門が江戸に出てきたことから、寛文、延宝から明治期にわたって活動しており、菱川師宣の地誌、鳥居清倍、2代目鳥居清倍、鳥居清峰らの漆絵、紅摺絵に始まって浄瑠璃本、絵本、合巻などのほか、錦絵では勝川春潮、北尾政美、勝川春英、喜多川歌麿、栄松斎長喜、菊川英山、歌川広重、歌川国貞など代表的な浮世絵師の作品を多く出版している。天保4年(1833年)、歌川広重の『東海道五十三次』全55図を新興の版元保永堂とともに出版するが、同年12月に鶴屋主人が急死、天保5年(1834年)2月7日に日本橋周辺から起こった大火災によって瞬く間に店舗が延焼してしまい、これ以降、『東海道五十三次』シリーズは保永堂のみによる出版となったことで知られている。
ちなみに京都の方の本家の本屋も明治時代まで続いている本屋で老舗の中ではかなり大きな本屋ではなかったでしょうか。
この鶴屋さん、ドラマの中ではまだ先はわかりませんが、歴史で記録に残るところでは、最終的に蔦屋重三郎と組んで仕事をするような中になるということになる。最後まで蔦屋に対抗した西村屋(西村まさ彦さん)や鱗形屋(片岡愛之助さん)とは異なる立ち位置になっているところも気になるところだ。ある意味で「本屋と本の文化を守る」ということが、鶴屋の最も大きな目的であり、その内容は片方に肩入れするというのではない感じではなかったか。
<参考記事>
【べらぼう】駿河屋の“鶴屋階段落とし”を視聴者支持「スッキリした」「カッコイイ」
2/24(月) ENCOUNT
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee43ac1264ce25ab0ae401c065db4fb14e74a38c
<以上参考記事>
今回は、花ノ井が5代目瀬川を襲名した所からである。今の日本でも同じであるが、飛び切りの美人が出てきて話題になれば、当然に「一目見たい」と思う。江戸時代でも現代と同じであるが、基本的には男性の美男子も同じになる。あまり大河ドラマでは出てきていないが、歌舞伎俳優などがその立場にあった。現在でいうイケメンはやはり女性の任期が大きくなった。この少し前になるが江島事件などが起きるので、男女関係はかなり言われていた。
その意味で吉原はこの上なく人が来ていた。もちろん瀬川人気ということもあるが、改めて蔦屋重三郎の活躍によって人の任期が出てきたのであろう。ある意味で西村屋の「吉原細見」と蔦屋重三郎の『籬の花』の争う姿が江戸じゅうの話題になり、その内容を見て、吉原がより一人気になるのです。以前日本においても小泉内閣の「郵政選挙」で「刺客候補」があり、その対立がそのまま自民党人気になったのは、少し年が上の人間には記憶があるのではないか。
まさにそのような現象で吉原人気が高まったのではないか。そのために、今まで「暇」であった遊女も皆忙しくなってしまった。女性の中でいえば、そのような中でも瀬川にばかり人気があるのは嫉妬に似たような感情が出るのではないか。そのような場面があった。
その中で本屋の仲間に蔦屋が入るかどうかという場面になる。鱗形屋が戻ってきたことによって本屋仲間は蔦屋重三郎は地本問屋の仲間に加えてもらう約束を取り付けていたが、鶴屋から話は無かったことにと告げられる展開が描かれた。そして鶴屋をつまみ上げると会談から叩きおとした。鶴屋は吉原の親父衆を前に「吉原者はいやしい外道。市中に関わってほしくないと願う方々がいる…皆様、吉原の方々とは同じ座敷にもいたくないってな具合で」と言い放った。これを聞いた吉原の親父衆は怒りを爆発させ、これまで蔦重には厳しい面もあった駿河屋は鶴屋を階段から突き落としてしまった。他の親父衆も鶴屋らに対し吉原には出入り禁止だと言い、駿河屋は「覚悟しろや。この赤子面」と叫んだ。
このような内容がうまく書かれており、内心、蔦屋や瀬川を応援している視聴者には非常にすっきりした感覚ではないか。今までこわもてであった駿河屋のおやじが、蔦屋の側に立ったのである。
この他にはなかなか面白い描写が多く、なかなか面白い。この後も事件になるのであるが、その内容は現代の人の示唆に富んでいるのではないか。自分のことに重ねて見ている人多いのではないか。一生懸命やっていると、今まで敵対していた人々も皆、最後には味方になるそのような感覚がある。一生懸命、それもみんなのために頑張りぬくということがメッセージになっているのではないか。
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