「宇田川源流」【日本報道検証】 「備蓄米放出」の持つ意味は何か
「宇田川源流」【日本報道検証】 「備蓄米放出」の持つ意味は何か
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。
さて、今回は「農水省が米の高騰によって備蓄米の放出を決定した」ということに関して、本当に第っ丈夫かということを考えてみたいと思う。
そもそも備蓄米とはなにか。
緊急時に備え蓄えておく米。1994年制定の主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律で条項として定められ,政府米150万tを基本に,自主流通法人による民間備蓄 50万tが義務づけられるとともに,その目標数量や運営に関し毎年の基本計画で定めることが明示された。1993年の大凶作による供給不足の経験をふまえたものであると同時に,豊作時の供給過剰に対する調整保管の意味合いももっている。2011年から政府による買い入れ量を毎年 20万tとし,5年間程度の備蓄後に飼料用として販売されることになった。適正な備蓄量は100万トン程度とされ、近年は91万トンで推移している。
今回米の高騰を受けて、その備蓄米を放出するという。要するに、政府が保有している米を放出することによって米の高騰を抑え価格を安定させようとするということになる。
現在の米の価格は5キロで約5000円、1キロ1000円となっている。実際に、数年前までは若者の「コメ離れ」が深刻になっており、若者があまり米食を食べなくなった。ある意味でパンやパスタなど米以外でも主食となるものは少なくない。その様に考えれば「米」だけの価格を抑えてもあまり意味はないのであるが、現在の経済的な問題から「米も食べることができない」というような状況になっていた。
そもそも、米の高騰はコロナウイルス禍と、ロシアのウクライナ侵攻などによる小麦の高騰、そして南海トラフ地震のことでお米の買い占めがあったことから、昨年の8月に値段が高騰した。それ以降値段が下がっていない。当初は8月という米が最も少ない状態のことであるので、新米が出まわれば値段が下がるということになるのだが、昨年は値段が下がらなかった。要するに、市場原理がうまくゆかなくなったということになる。
<参考記事>
「備蓄米」を放出で「5キロ5000円」の緊急事態は解消されるか…農水省への風当たりが強まる一方、本当の問題は日本人の“貧困化”との声も
2025年2月14日 6時15分 デイリー新潮
https://news.livedoor.com/article/detail/28147377/
<以上参考記事>
新米が出回ったにもかかわらず、値段が下がらなかったので、市場の原理が全く機能していない。小売店からコメがなくなるというようなことはなかったがしかし、コネも値段は全く下がらなかった。要するに、米をどこかに買い占めて供給量を調整しているということになる。
米そのものは、あるにもかかわらず、市場価格は下がらない。実際に、米そのものは現在の日本の価格ではかなり安すぎるということもあるようであるが、しかし、それでも上がったまま下がらないということはおかしな話である。
さて、少し話題を変えて、安倍内閣の時の「アベノミクス」では2%のインフレターゲットを設定した。当然に2%値段を上げるということを考える。これはただ物価が上がるということはないのであり、当然に値段が上がったことによって、物の原価も挙げることができ、そのことによって、株価や給与が上がるという全体的な発展を企画しているのである。それが経済政策であり、全体の経済構造を考えるということが重要なのである。しかし、アベノミクスに関して、企業の内部留保などが行われることによって、給与に反映されるようなことがなく、そのことでアベノミクスが失敗したなどという人がいる。しかし、政府の以降で私企業が勝手に給与などを左右されてしまっては、共産主義の国と同じだ。その様にならないように企業の自主性に任せていた結果がこれだ。
それだけではなく、このような自主性が、「買い占め」や「転売」が流行し、そこにが外国人が多く入ってきてしまったために、日本人の共有の文化や助け合いの文化がうまくゆかなかったということになるのである。
要するに「買い占め」などを許さない、市場原理をしっかりとできるような経済を元に戻しなおかつ、現在の資金を使っても次が入ってくるというような希望を持てる社会を作ることが重要なのである。日本人の貧困化こそが最大の問題であるということは間違いがないのであるが、同時に、「貧困が解消するというような希望がある」ということになる。それだけの、経済政策がなければならない。単純に最低限の経済政策ができる、もっと農家が満足できる値段でしっかりと取引ができ、なおかつ、それで高騰したというようなイメージにならないような、そのような価格を享受できるような状況を作り出さなければならないということになるのである。そのような全体の経済構造や社会毛増を作るだけの経済政策が無ければ、小手先の政策をしても何の意味もないのではないか。
今回の内容は、結局「買い占めする業者を喜ばせるだけ」ということになる。そのようなこと政策を行うことがおかしな話ではないか。その様に社会全体を見ることができなければ、意味がないのである。
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