「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 自由人平賀源内という生き方を教えてくれる
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 自由人平賀源内という生き方を教えてくれる
毎週水曜日は、大河ドラマ「べらぼう」について、感想というか見た感じのことを書いている。あくまでも「歴史を扱ったドラマ」であり、もちろんそこにあるセリフのほとんどは、間違いなくフィクションなのであろう。しかし、やはり歴史を扱っているので、それなりに歴史的な内容も少なくないのである。
今回は「秩父」について書かれていたので、その内容を見てみよう。平賀源内という人よりも先にその開発をした歴史を見るのも面白いかもしれない。
さて秩父が歴史に最も早く出てくるのは、『旧事本紀』に納められている『国造本紀』であるとされている。「知知夫国造、瑞籬朝の御世に八意思兼命の十世の孫、知知夫彦命国造に定め賜ふ。」とあり、秩父地方が東国にあっていち早く国造が任命されたとある。それ以前には、『続日本紀』和銅元年(708年)戊申正月条によれば、秩父郡より自然銅が献上され、年号が慶雲から和銅に改元され、武蔵野国の庸調が免じられた。その自然銅が産出された場所は不明であるが、秩父市黒谷地区が有力候補地といわれている。中世は武蔵七党といわれる豪族の支配下にあり、丹党中村氏の居城が今の中村町辺りにあったとされる。戦国時代は北条氏の領土で鉢形城の配下であった。武田との戦争で南海か巻き込まれたという記録が残る。
もともと、あまり平地が少なくまた土地がやせていたので米などが育たない秩父に、このような歴史から北条氏の遺臣、特に鉢形城に出仕していた元武士の階級が多く住んでいて、常に秩父は貧困であったとある。しかし、一方で金鉱山で人やっ待当てようとした人が少なくなく、江戸時代になって秩父に来る人は少なくなかった。平賀源内(安田顕さん)もその中の一人であったが源内は金が出ないとなると、そのまますぐ鉄に切り替えているという変わり身の早さが平賀源内の頭の良いところでしょう。ドラマの中で出てきた船の頭(佐々木健介さん)も、その様に秩父に一獲千金を夢見て投資してきた一人であろうと思います。
平賀源内は現在の秩父の中津川辺りを拠点にしていたようで、源内が設計した源内居という建物が現在も残る。今の秩父森林科学館の近くである。
あえて言えば、田沼意次と平賀源内は「だれも見向きもしない、山師的なところに目をつけて、そこを開発することによる経済的な利益を得ようとしていた」ということであり、まさに現代の資本主義的な内容になってくるのではないか。表面的にはいい加減でもなかにそのような「筋の通った考え方」があることが資本主義の妙であるということが見えてくるのではないか。
<参考記事>
「べらぼう」のんきな次郎兵衛が癒やしに 蔦重がサラッと言った一言に爆笑
2025年2月2日 21時52分 シネマトゥディ
https://www.cinematoday.jp/news/N0147256#google_vignette
<以上参考記事>
今回は、本の版元になることができなかったというような経験と持つ蔦屋重三郎(横浜流星さん)と、秩父で金が出ると言って投資を募ったにもかかわらず金がでなかったということで追い詰められてしまった平賀源内の二人の困った状況から話がスタートする。今回は、幕府の物語がなかったのが、なかなか面白い部分ではないか。
さて、この二人の最大の共通点というか、田沼意次を含めた「蔦屋重三郎の時代に羽ばたいた人々」の共通点は、「資本主義と自由競争」という事であろう。「株仲間」というような自由競争を阻む集団と、自由競争をするということによる経済的な利益、その内容を今回田沼意次(渡辺謙さん)と平賀源内の会話の中でものの見事に出している。いっそ国を開いたらどうか、伝統とか文化とか、どの様な家柄とか、そんなことは異国の人と商売する時には全く意味がない。話が通じる人、しっかりと売るものがある人しか残らなくなる。この平賀源内の言葉に、田沼意次は、今までの幕府の矛盾に気づくのである。
米本位制の封建的幕藩政治にある江戸幕府は、その封建的な地位と家柄が支配層を形作っている。しかし、田沼意次のような「なりあがり」には、そのような岩盤的になった支配層が、既得権益で動いているという「停滞感」が幕府の財政もそして世の中も面白くなくしているということに気づくのであろう。
なお、歴史を知っているというまでもなく、日本が開国するのは、この100年位後の話。田沼意次が排除され、松平定信(ドラマでは今のところの田沼賢丸の寺田心さん)が寛政の改革を行い、一度大きく時代を戻してしまう。本人は正義であるということになるし、儒教的にも正しいが経済の流れからすれば、時代を逆行した改革があり、その後、徐々に南蛮船が日本に迫ってくることになるのである。
その株仲間ということを外してしまえば、非常に楽に仕事ができる。その非常に楽な仕事というのは、「アイデアと実力で仕事ができる」という事であろう。
しかし、その「実力があっても、過去に囚われると足をお引っ張られる」ということを唐丸(渡邉斗翔さん)が事件に巻き込まれることになる。「実力がある」だけではうまくゆかないということがこの唐丸の事件で浮き彫りになり、そして、その内容が「必ずしも資本主義・自由主義だけでよいのか」というようなことになってしまうのである。
この二つをうまく折衷的にやるということを判断した蔦屋重三郎は、鱗形屋長兵衛(片岡愛之助さん)に奉公するということになるのである。
ある意味で現代の「資本主義」「大企業主義」「新資本主義」というような経済的な問題をそのまま時代劇の中でわかりやすく解説してしまっている。まさに、そのような現代をわかりやすくするということが今のドラマのNHKらしさなのかもしれない。そのようなことがしっかりと見えてきていることは、見ている人をなんとなく「自分の事」のように見えているのではないか。
もう一つが、「資本主義において使えない人はいない」という事であろう。
蔦屋重三郎の兄蔦屋次郎兵衛(中村蒼さん)は、基本的には役立たず(中村さんがではなく、あくまでも役柄)というようになっている。蔦屋重三郎が頑張っているのに、一方で治郎兵衛は「生きているだけで丸儲け」という感じであろう。しかし、そのような人が「余裕があるから見えていること」が、実は次の行動の大きなきっかけにになることがある。今回は「欲が出てきたって話かい? てめぇが骨を折ってつくったもんをただでやるのは合点がいかねえって」という言葉が、以外にも重三郎のすべてを見透かしているし、平賀源内にも見えてくるのではないか。「欲」が「事件を起こす」という形は、今も昔も変わらない。この二郎兵衛の言葉が身に染みる人も少なくないのではないか。
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