「宇田川源流」【日本報道検証】 ガザ停戦は「停戦でしかない」という事実の報道
「宇田川源流」【日本報道検証】 ガザ停戦は「停戦でしかない」という事実の報道
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。
さて、今回は「イスラエル・ハマス戦争の停戦合意」ということについてみてみたい。先に行っておくと、停戦は19日から6週間と限定的であり、停戦が合意しても19日までは戦闘行為は継続している。ガザは、その間に百人以上が犠牲になったということを主張しているが、実際に、当然に「停戦がまだ有効になっていない」のであるから、当たり前の話でしかない。
昭和20年8月15日、当時の日本はポツダム宣言の受託を決め、天皇陛下による玉音放送が行われた。「耐えがたきを耐え、忍び難きをしのび」という天皇陛下の言葉は、現代の皆さんも一度はテレビなどを通じて聞いたことがあるのではないか。しかし、実際の「終戦日」は「講和条約締結日」である9月3日である。この8月15日から9月3日までの間に、当時のソ連(現在のロシア)は、樺太と千島列島に攻め込んだのである。そのようにして北方領土問題が生まれているのであるが、それだけではなく樺太での民間人の犠牲などは筆舌に尽くしがたい内容ではないか。そのような話がしっかりと語り継がれていないばかりか、そのことから「国際法」という観点を無視して、いまだに8月15日を終戦記念日としている日本には、「合意」と「有効」の差が見えていないのではないか。
今回の「ガザで犠牲がある」という報道は、まさにそのような表現が出てきている。しかしそれらの報道が国際的には非常識であり、国際法上は、イスラエルの方が「正しい」とは言わないまでも、法的には問題がないということになるのではないか。あくまでも感情的な報道は、本来慎むべきであるが、日本の報道環境はそのようになっていない。
<参考記事>
ガザ停戦合意 今後の焦点は?
2025年01月16日 11時47分TBS NEWS DIG
https://news.nifty.com/article/world/worldall/12198-3737182/
<以上参考記事>
日本の報道で驚いたのは、「アメリカのバイデン大統領とトランプ次期大統領の合作による停戦」であり、この参考記事にもあるが「恒久的な停戦につながる」というような報道になっている。
このイスラエルとガザの話をここで書いている場合は、常に書いているが、国際法上は、2023年10月7日にハマスがイスラエルを予告または宣戦布告なしに襲撃し、国際音楽フェスにおける外国人も襲撃し、そのうえ生きのこった人々を人質として拉致したのである。明らかに国際法違反である。これに対してイスラエル政府は翌日にハマスに対して宣戦布告をする。ここでのポイントは「ハマス」に対してであり、「パレスチナ」に対してではないということであろう。パレスチナは、ヨルダン川周辺の「ファタハ」支配地域と、ガザ地区の「ハマス」支配地域に分かれ、この二つの地区の間にイスラエルが国土を持っている。つまり、パレスチナの国土がイスラエルによって分割されている。もう一つの特徴は、ファタハとハマスで民族が全く異なる。ファタハは基本的には「遊牧民族」であり、移動しながら生活している。基本的には定住者ではないのであるが、ハマスは、定住する商業民族である。いわゆる「アラブ商人」の一つであり、イスラエルの擁する「ユダヤ商人」とは対立構造にある。日本人のイメージというかシェークスピアの影響で「ユダヤの商人」と言えば金に汚い悪徳というようなイメージがあるが、アラブ商人はそれと同等かそれ以上というように周辺では言われている。
パレスチナは、ハマスの商業をファタハの遊牧民が利用したりまたは貿易の輸送を行うというような依存関係で成り立っていたと見られている。しかし、中東戦争では当然に武力を持つ(遊牧している最中の護衛という意味で先頭に慣れている)ファタハが中心になってPLO(パレスチナ解放機構)を構成していたのである。
しかし、そのファタハが1993年にオスロ合意をしてしまったために、ハマスが取り残される形で抵抗を続けていたということになる。ある意味でファタハは、パレスチナの代表として戦っていたのに、最終的に結論を出したらハマスがそれに従わなかったということになったのである。底からに政府状態のようになってしまい、そのままハマスが勝手に戦っているということになっている。
そのハマスだけに宣戦布告をしたということになる。
今回の停戦は2023年10月8日にイスラエルが宣戦布告をして始まった「戦争」の停戦であり、戦争である以上「講和条約」が存在しなければ終戦には至らない。そしてこの停戦は「ハマスが連れて行った拉致被害者(人質)」の開放である。戦争そのものの今回の目的は、イスラエルは「再発防止」「報復」と同時に「人質の解放」ということがあるので、その目的の一つが今回の停戦で実現することになる。
そのことは一歩前進であるということができるのであるが、残念ながら「再発防止」つまりイスラエルの求めている「武装解除」と「再武装の禁止」が実現できないということになるのである。当然にそのようにならなければ、「恒久的な停戦」または「終戦」はあり得ないであろう。
イスラエルからすれば、国際的な音楽フェスに来た外国人まで犠牲にした大事件である。それは評価から考えれば「イスラエルが守ることができなかった」ということに他ならない。その様に国際的な信用を失ったことであり、簡単に妥協できる話ではないということになるのではないか。要するに「信用」の回復と再発防止ということが重要になるのであり、その保証が得られない限りは戦争が終わることはないということになるのではないか。
単純に「かわいそう」(人道的見地)というような話ではないし、今回の内容がハマスが始めた内容であるということは間違いがない。
ではハマスはなぜ今まで抵抗し、尚かつなぜ今になって停戦に合意したのか。単純にそれはイランが支援をしなくなったということである。イランの支援が途切れたのはレバノンのヒズボラの壊滅やシリアのアサド政権の崩壊で、イランも孤立化しつつある。イランはそのような中でロシアとの軍事条約を再確認することによって相互の安全保障を行うようにしている。これは中国は宛にならないということを意味しているということもあろう。そして、イランが自分の国の事を考えたのでハマスなどを斬り捨てるような状況になってきたということになるのである。
そのような国際情勢の変化であって、アメリカが全ての作用をしたのではない。どちらかと言えば、シリア情勢など、「バイデン政権がかかわらな買ったところがうまくいった」ということであろう。
今回の停戦は、ある意味で「中東のアメリカ離れ」を示しているといっても過言ではないのかもしれない。
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