「宇田川源流」【日本報道検証】 「大連立」を報じているがまたマスコミのフェイクか?
「宇田川源流」【日本報道検証】 「大連立」を報じているがまたマスコミのフェイクか?
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。
さて、今回は「石破首相が正月に話した大連立の可能性」についてみてみたいと思います。
そもそも大連立とは、与党と野党第一党とが連立政権を組む、圧倒的多数を議会で維持するという政権形態になります。この政治形態は、基本的には「一党独裁」と基本的には同じような状況になってしまい、国家の意思決定は連立与党内の会議で決まるということになってしまいます。要するに連立与党内の会議ですから非公式なものなどもあり、また国民に公開する必要もない(少なくとも法的要請がないということになります)ので、密室で物事が決まってしまうということになります。また当然に国会の3分の2以上の議席を保有しているということになりますので、憲法改正も、少なくとも国民投票の前までできてしまうということになりますから、実質的に独裁的な政治ができてしまうということになるのです。
最も民主的といわれたワイマール憲法下のドイツ(一部ではワイマール共和国などと言ったりします)において、議会の過半数を得ることのできたナチスがどうして独裁国家を作り出すことができたのかということが、歴史上の疑問であるとされています。しかし、この疑問に対して、幕末の長州の志士高杉晋作は、坂本龍馬の示した船中八策にある議会政治について、「これは国民が馬鹿になれば国が亡ぶという制度じゃないか。とても賛成などできない。」といったとされています。まさにその結果をそのまま体現したのが、ドイツであるということになるのです。
では「大連立はありうるのか」今の政治状況を見てゆかなければなりません。
<参考記事>
石破首相、政権浮揚へ新味乏しく 「大連立」沈静化 年頭会見
1/7(火) 時事通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e9a2ee4ee1bdad1cb9d37e50c4ebcb88622950f9
<以上参考記事>
大連立というのは、ある意味で「国家が大きな岐路に差し掛かり、その選択を間違えれば、国が亡ぶくらいの国難を引き起こす」ような場合、その国家としての意思決定が過半数では足りないような場合に、緊急避難的に行われる。上記の例のナチスドイツの場合、第一次世界大戦に敗北したドイツが、賠償金などによって多額の負債を抱え、そのことから国内が超ハイパーインフレとなった。その内容は「カートいっぱいの札束パンが一つ買えるか変えないか」というような状態になっていて、国民の多くが貧困にあえいでいる状態であった。このままでは国民の多くが餓死するか反乱がおきるかというときに「アーリア人至上主義」を掲げ、国民の自分自身の肯定性を高め、誇りを持たせて産業を勃興した。アウトバーンなどはこの時の産物である。しかし、その状況では足りなくなり、ユダヤ人虐殺や海外へ侵略戦争が始まることになる。この戦争などになるときに、「授権法」を行い、議会はほとんどがナチスとなってしまっている。この二つがある意味で「大連立」というような形になっていた。
一方戦前の日本でいえば、戦争が近くなり、国際連盟(当時)を脱退した時に、戦争に向かって国家衰亡の危機となって政党や政治活動を制限し、大政翼賛会となった。この時も衰亡の危機になったのであるが、この政治が戦争に導いたとして日本では批判の的になっている。
さて、現在「大連立」ということを言えば、大政翼賛会と全く異なる感覚かもしれない。本来「何を目的にするのか」ということをしっかりと考えないといけない。単純に「政党や数の論理は『手段』であって『目的』ではない」ということが大原則である。では、石破首相が主張する「大連立」の目的は何か?ということが全く見えていないということになりかねないのである。「目的無き野合」は「大政翼賛会を招き、健全な政治議論を阻害する」ということになり、そのことは、石破首相が何かに着けて「真摯に意見を聞く」「議論をする」と異様なこととは相反する内容になってしまう。
さて、石破首相の本音はどちらにあるのか。
取材の範囲でいえば、石破首相は「自民党の安倍派を切り捨て、立憲民主党の保守派だけを分離させて連立を組む」という中道政権を望んでいるという。しかし、そもそも立っている政治的な立場も何もわかっていなし、その後ろには多くの有権者がいるということが全く見えていない発言(目論見)であることは間違いがない。このような内容がいつの間にか独り歩きし、自民党の幹部や政権の重鎮、果ては官邸職員などが思い思いに解釈して「大連立論」が出てくるものと思う。しかし、そもそも「中道」が政治として最も多いが、しかし、そこが最も「無党派層が多い」ということになる。残念ながら固定票を採れる部分ではなく、いつも揺れている浮動票を追いかけるということになる。つまり浮動票を誘導・扇動するネットやマスコミの言説に従うというような政治になってしまい、すぐに衆愚政治に陥る可能性を見せている問いことになるのではないか。
その意味では野田佳彦立憲民主党代表の方が政治が見えている。石破首相は、長きにわたる自民党の「非主流派時代」に何を学んでいたのであろうか。国民との間に親しくあるということもなく、ただの引きこもりであったとしか思えない状況であろう。まさに他人と付き合うことが極端に少ない石破首相ならではの大連立論である。
ちなみに、過去自民党の福田康夫内閣の時に、当時民主党の代表であった小沢一郎氏との間で、大連立論があり、その時は枝野幸男氏が反対して壊れることになる。当時は民主党のメリットとして「政権交代をするにあたり、政権の経験が少なすぎるので、大連立で政権交代の準備をする」ということが小沢一郎氏の意見であった。実際に、民主党内閣になってあまりにも政治がわかっていない、政権がわかっていない権力者然とした独裁的な政治をしてしまったがために、調整なども何もできず、結局はすぐに国民の信を失った。その意味では小沢一郎氏の当時の意見は的を得ていたということなのであろう。当時の民主党議員の意識過剰をしっかりととらえた内容であり、この時の大連立には野党であった民主党側にもメリットがあった。では、今立憲民主党側に大連立のメリットはあるのか。
このように様々なことから考えても、大連立のメリットはない。
最後に、ではなぜ、「大連立などありえないことをマスコミは報じているのであろうか」ということが問題である。はっきり言ってしまって、マスコミが「憶測で報じることは絶対にありえない極論」であり、マスコミは言説の責任は全く負わないので、無責任な報道を繰り返す。今まで「解散総選挙」などと報じて何度騙されたか。そして、そのようなことを言った政治評論家がいまだに政治評論家としてマスコミに出ているということが、今のマスコミの陳腐化につながっている。オールドメディアの敗北は、このような無責任な、そしてあり得ない論を報じることの多くの人からの怒りであり、また、自己責任を全く追及しない「言論の無責任」が最大の要因であろう。その様に考えれば、マスコミは、またも「大連立」などと言って、信用を失う結果になるということであり、一時の見出しの派手さを追い求めて、マスコミ全体の信用を失うということに他ならないのである。
取材をしていないで、現実を知らないマスコミが、現実や有権者の気持ち、発言の意味が全く分かっていない石破内閣の表面の取材だけで書いた、無責任記事で、より一層石破内閣とマスコミが信用を失うという事であろう。
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