「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 花魁花の井の心意気が教えてくれるもの
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 花魁花の井の心意気が教えてくれるもの
毎週水曜日は、NHK大河ドラマの「べらぼう」について、昨年同様完全に勝手なことを書いている。正直な話、江戸時代のこの辺の時代に関しては私が詳しいことはない。もちろん歴史は好きであるから、一通りの知識はあるのだが、しかし、騙れるほど詳しくはない。ましてやドラマを評論できるわけではないので、まあ、ファンの戯言である。
さて、今回のべらぼうの部隊は「吉原」である。では吉原とはどのような場所であったのか。実は、私の先祖は「現在の渋谷の宇田川町」の主であったといわれている。宇田川町は、今戸は違ってもう少し広く裏渋谷といわれる方まであった。今も井の頭線の役に「神泉」という駅があるが、その神泉とは、あの場所に温泉が出ていた。当時は風営法も無いので、当然に女性が世話をしていた。食事やマッサージだけではなく、当然に床の世話までしていたのである。それが徳川家康の入府によって風紀の問題から排除され、その後幕府公認の風俗営業ができた。それが吉原である。
吉原はもともとは日本橋人形町当たりにあったが、明暦の大火で移転している。
今回の「べらぼう」の吉原の描写は非常によくできており、吉原は「大門」というところで、勘合札を渡されその札がなければ出ることができないとされている。そしてその札所で荷物なども預けるのである。大門から見えるメインどおりは、普通のとおりであり、そこから横に入る道が、昔吉原を扱う映画などにある格子づくりで赤く塗られており、そこに女性が座っている。通る人はそこで女性を見ながら、引き屋といわれるところで「あの女性」というように指名し、その引き屋で食事をしたり酒を飲みながら待つということになっている。荷物を預かるのは、素面の間に預かっておかないと大きな問題になるし、また刀などを持ってはいれば喧嘩になってしまう。そして喧嘩になれば、吉原の自警団が自分たちで解決するというようなことになっていた。
日本にも昭和33年3月31日まであった風習であり、昭和一桁生まれの人々はその風習に関しては詳しかった。当時は赤線などといわれていた場所である。もちろん大門などはなくなっていたが、そのお茶屋のシステムは同じであったという。
私などは、個人的に「体験してみたかった」などと思うが、やはり時代に取り残されているのであろうか。もちろん、そんなに簡単なものではないし、どの時代でも苦労の絶えない場所であることは間違いがない。
そんな苦労の絶えない場所の物語である、
<参考記事>
【べらぼう】「男一筋」告白の平賀源内に迫られる蔦重救出の花の井・小芝風花に「風花ちゃん超カッコいい!」の声
2025年1月12日 20時45分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20250112-OHT1T51195.html?page=1
<以上参考記事>
今回は、「吉原細見」の序文を平賀源内(安田顕さん)に書いてもらう為に、蔦屋重三郎(横浜流星さん)が奔走するというドラマである。しかし、もう一つの物語が始まる。田沼意次(渡辺謙さん)を中心にした時の将軍の徳川家治(西島秀俊さん)と御三卿の人々の間の見えない権力争いである。歴史を知っているというか、小学校で習う日本史の中であれば、汚職塗れで経済的に悪くなったので、その綱紀粛正のために松平定信(寺田心さん)が老中になり不正のないきれいな世の中にしたということである。しかし、その内容があまりにもキレになりすぎて窮屈になったということである「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」という狂歌は少なくとも私が小学校の時には普通にテストに出ていた内容である。最近では、その田沼意次が見直されてきていて、もう少し田沼意次が続いていたら、またはその意が正確に後継されていれば、日本の資本主義はもっと早かったし、幕末にもっと時代遅れな状態にはならなかったのではないかというような最新の結果もある。
さて歴史の話は別にして、吉原細見は、今でいうガイドブック。そのガイドブックにの序文を書いてもらうというのは、現在の「本の帯」と同じである。その帯によく知られている人が書けば、多くの人が手にするし魅力的な本に見える。
まさに、蔦屋重三郎が考えたのはその事であろう。その平賀源内が、「男色」でありながら、吉原に来るということになる。平賀源内は、吉原の今の現状を見て、そのうえで内容を核ということになるのであろう。
その時に「瀬川」を探すが、瀬川という人物(花魁)はいない。そこで、花ノ井(小芝風花さん)が代わりに接待して気に入られるということになる。そのことで平賀源内が序文を書くという流れである。
さて、今回のドラマは、花魁花ノ井の心意気と、その花ノ井を助けるつもりで逆に助けられてしまった蔦屋重三郎ではないか。そんなに一人で頑張っている蔦屋に花ノ井は「あんたは一人じゃない」という言葉をいう。現代の世の中も同じであるが、「○○のために」といって頑張っている人というのは、何か自分一人で背負い込んでしまう場合がある。しかし、その時に同じ共通の目的を持っている人がいれば、それでかなり気分が楽になる。重三郎にとっては、その前に「樽に閉じ込められる刑罰」にあり、そのことから、吉原全体が敵に見えていた。いや吉原の衰亡に無関心であり問題を共有していないと思っていた。しかし、そうではないということを花ノ井が自分の身をもって教えてくれたのである。蔦屋重三郎にとって、これほど嬉しいことはないであろう。孤独な戦いであると思っていたものが、実はそうではない。理解者がいるということである。
何度も言っているようにドラマは、現代の視聴者に対するメッセージである。その様に考えれば、今、周囲のために、または社会のために頑張っている人に「決してあなた一人ではない」ということをメッセージとして伝えているのではないか。
今回の内容は「メディア」の重要性や効果をしっかりと伝えることになるのではないか。そしてその先駆者である重三郎を中心にその協力者たちやその内容を見てゆく。しかし、ある意味で「みんなのために頑張る」「多くの人に、本当に良いものを広める」ということをやっているのは、多くの人々の協力で行うということになるのである。劇中で、花ノ井だけではなく、平賀源内や田沼意次といったところがつながっているということになるのである。そしてそれが大きな社会の仕組みになっているのである。まさにそのような現代社会をしっかりと描いているドラマであるといえる。
ある意味で非常に面白いとも思うが、別に身につまされる部分も出てくるのではないか。そんな予感がする。
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