「宇田川源流」【日本報道検証】 テレビの陳腐化と制作会社の倒産報道

「宇田川源流」【日本報道検証】 テレビの陳腐化と制作会社の倒産報道



 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。

さて、今回は「テレビの陳腐化」ということを見てみたいと思います。

昨年の後半、特に、兵庫県知事の出直し選挙以降「オールドメディアの敗北」ということが話題になっていて、そのことに関する内容がかなり多くネット上や週刊誌などをにぎやかにしているのではないか。実際に、テレビや新聞などのメディアは、過去といっても昭和の時代に、権力と権威を持った人々をすべてこき落としてきていて、その権威を傷つけ地に落としてしまった。そのことが、日本国民の憧れをなくし、小学生のなりたい職業にキャバ嬢が出てくるような状況になってしまっているのである。「末は博士か大臣か」などという言葉はすでに死語となり、博士も大臣もいずれも権威も権力も奪い取られた状態になっている。そんなことはないなどと思う人は、STAP細胞の小保方さんしかり、まあ、大臣に関しては例を挙げるまでもない。大学教授であっても、テレビに出てきて適当なことを言う人に成り下がってしまっているということになる。

そして、「最後の権威」とされ「第四の権力」とされたメディアが、ネットの発達によってこき下ろされているということになる。ある意味でそのような流れを作ったということで、自業自得であったということになるが、一方で、他の権力や権威も同じようにある程度抵抗をしている。同時にその抵抗をすることは、内部の腐敗も同時に大きく見えてきているのではないか。

相次ぐ芸能人の下半身スキャンダルなどは、芸能人を特別扱いしすぎた報いであるし、メディアの共犯説もネット中には多数存在する。実際に故人なので名前を出すが、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏については、「性的虐待を行った部屋」をNHKは確保していたし、他のメディアもその内容を知りつつジャニーズ事務所を使い続けたということになる。その内部の腐敗に関しては、かなり深刻なものがあるのではないか。

<参考記事>

テレビにしがみつく「制作会社」の倒産加速へ…2025年は「経年劣化したTV業界が終了する」 古参プロデューサーが大胆予測

2025年1月2日 9時2分 弁護士ドットコム

https://news.livedoor.com/article/detail/27874668/

<以上参考記事>

 報道の分野だけではなく、実際にバラエティやドラマのところでもメディア、特にテレビの劣化は激しくなっているのではないか。「宇田川源流」でも毎週水曜日は大河ドラマに関して書いているが、民放のドラマなどはほとんどが漫画の原作の者ばかりであり、そこを芸能人のイメージ戦略で内容を変えたりキャラクターの性格付けを変えてしまっている。本来は「漫画などとは関係ないテレビのオリジナルの政策ドラマ」を見たいと思っている人は少なくない。いまだに水戸黄門などはBSで放送しているし、時代劇専門チャンネルもあるくらいであるが、時代劇の多くは、小説の原作はあっても、漫画の者はほとんどなかった。そのために、原作との差異が大きく問題になることはなかった。それでも原作者は非常に権限が強く、鬼平犯科帳などはオリジナルの物語は全くないという状態になっている。池波正太郎先生の威光が大きく働いた結果であることはよく知られているが、同時に、小説の鬼平犯科帳で、充分に面白いのではないか。逆に仕掛け人梅安に関しては、そこから必殺仕事人が始まり藤田まことさんの好演で話題になっている。このように原作通りに作っても問題はないし、また、オリジナルを作っても問題はなかった。漫画原作を、テレビ局が勝手に脚色するようになってからドラマは面白くなくなり、結局ドラマそのものが見られない内容になってしまっている。

同じことはコマーシャルにも言える。日本のコマーシャルはタレントの起用ばかりでストーリー性がない。外国のコマーシャルは小さなドラマのようになっており、また、そのドラマが非常によくできていて、そこに商品が組み込まれるというようなものが少なくない。ある意味で小さな映画を作るような感じでのあるから、コマーシャル出身のタレントも多いし、またストーリー性がしっかりとしているから、出てきている人々(必ずしもタレントとは限らない)が無名であっても、いや、無名であるからなおさら、商品の予算が伝わるようになっているのではないか。

さて、何が言いたいかといえば、「テレビ局や制作者が勝手に自分たちの作品と思い込んで、勝手なことをして、かえって見る人を失っている現状」なのである。もっと言えば「制作者は、本当に国民視聴者の心をわかっていない」ということが最も大きな「陳腐化の原因」であるうといえる。

同時に、昔はテレビ番組には風物詩があった。

例えば12月のクリスマスにはクリスマスの番組が、また、その前には忠臣蔵が必ず行われていた。見るか見ないではなく、テレビの番組表を見て季節を感じたものである。今はどのテレビを見ても同じ事しかしていない。ワイドショーもどのチャンネルも同じであるし、また、お笑い芸人が出てくる番組(私はあまり見ないのでよくわからないが)も、本当に陳腐化している。同時に芸能人の年齢層を見てみればわかるとおりに、「若手が出てきている」わけではないし、「いつまでも同じ人が何年もテレビに出続けていて、最も刷新患がなくマンネリ化しているのがテレビ」になってしまっているということになる。そしてそのようにして出てきた癒着が、上記のような性被害の実態を作り出すことになるのである。

私自身は、個人的には「芸能人は特別でよい」というように思っており、その代わり「芸能界にいる人は、皆、その世界の人というようにして一般の人々と相いれないっ常識を持っていると考えていた」というような、昭和期の芸能人的な考え方でよいと思っている。何も一般人と同じなどという必要はないし、また、一般人的な生活をしているなどとは思えない。そして芸能人にプライベートは、基本的にはあるとは思っていない。そんな感じがする。そしてその意識の人がいまだにテレビやメディア業界の中にいるので、おかしなことになっているのであろう。

テレビなどのメディアは、根本的なところから刷新しなければならないのではないか。実際にそのような時期に来ている。工夫するということもなければ、なんとなく売れている人を売れているように使っているだけというような感じで、そのようなものでは、ネットメディアやSNSに勝てるとは思えない。いや惨敗して滅びてゆくようになる。

現在、週刊誌などが次々と休刊している。もちろん「休み」という単語を使っているが、とても復活できるような体制ではない。まさに同じようにテレビが「休配信」する時代に来ているのではないか。

面白くなければテレビじゃない。昔のテレビ局のフレーズであったが、その心は完全に失われてしまったのではないか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000