「宇田川源流」【日本報道検証】 中国共産党に不満を持つ人々の行動
「宇田川源流」【日本報道検証】 中国共産党に不満を持つ人々の行動
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたします。
さて本日は「中国の無敵の人」といわれている、中国共産党の政治に不満を持つ人々について書いてみようと思います。
今年の9月に中国の深セン市で日本人の小学生が、中国人の男性に襲われて死亡するという事件があり、その後、日本人の犠牲は出ていないものの、中国においては「通り魔的犯罪」というよりは「自分の不幸を見える人を道ずれにする」というような犯罪、ある意味で「自爆的テロ的な通り魔犯罪」が多く出てきている。車で人の列に突っ込んでしまったり、まったく知らない人を刺すというようなことがある。
。11月11日には広東省で、運動中の人々に車が突っ込み35人が死亡する大惨事が起き、16日には江蘇省の職業学校で死者8人の通り魔事件も起こった。
これらの人々の心理を見てみよう。中国の場合は、中国共産党が絶対的な権力を持っており、個人などが対抗してもなかなか対抗しきれるものではない。また中国には言論の自由もないし、またまともな選挙制度がない。日本の場合は言論の自由があるので、何らかの不満をSNS等に書き込むということがあるし、また居酒屋政談や床屋政談といわれるような、無責任であるものの、適当な政治的な不満を、いや身近な不満や生活の苦しい差を政治への不満という形で吐き出すことができるのであるが、中国の場合は、そのようなことも許されないということになる。
その様に不満の吐き出し口がなくなってしまうと、最終的にはそれが個人の中で暴発し、その時に「世間一般全体に不満をぶつける」問いことになる。まさに、その「世間一般」が通り魔の対象となる。本人にしてみれば「自分は不幸なのに、なぜおまえらは幸せそうに歩いているのだ」というような、八つ当たり的な内容になるし、また狂暴性も高まることになる。単なる「妬み」であるが、逆にそのことが「全く関係のない人に対する妬みが、そのまま政府に対する不満」担っているし、またそのままでいても自分の生活はよくならないということになるのである。
<参考記事>
中国で不満を溜めた「20万人」が自転車で爆走…「監視社会」に絶望する中国人が増えている理由
12/19(木) 7:04配信 現代ビジネス
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c4960e678a7b2aff626788fd5c9c62cee63e4ea
<以上参考記事>
紀元前209年、秦の始皇帝による国内外の改革に人々が不満を抱き、始皇帝の死後に軍に徴用された陳勝と呉広がこのままでは集合に遅れて罰せられてしまう兵士たちに呼びかけて、反乱を起こした。いわゆる「陳勝呉広の乱」である。陳勝と呉広は、昔の仲間を無視するような態度をとったために、仲間に殺されてしまい反乱そのものは縮小するが、秦の政府に対する不満が伝播し、漢の劉邦や楚の項羽などが軍を率いて反乱を起こすようになり、秦は滅亡する。
この国民の不満が蓄積され暴発的に反乱がおきることで、中国の王朝というのは滅びてゆくことになる。基本的には、「生活苦でこのままでは死んでしまう、または死んでしまったほうがましであるというような生き地獄のような状況を味わっている」というような中国の、古代王朝から最近までの人々は、死の直前と自覚した時、つまりある意味で精神的に追い詰められたときに自暴自棄になり、そのまま廻りを巻き込んで死んでゆくということになる。いや死を賭して反乱の暴挙に出るのである。
その時に、国民の不満が「共有」されている状況になると、中国の人々は、何人かのカリスマ的な指導者の下に参集し反政府運動を広げる。大きな集団になった反政府運動は、そのまま王朝を滅ぼすことにつながる。要するに「国民の不満の共有」「カリスマ的指導者」という二つのことがそろい、そのうえで「政府側の反乱」が有れば、そのまま王朝が変わるということになる。
項羽と劉邦による秦の滅亡のあとの漢は、日本でも有名な三国志にかかれる紅巾の乱で、モンゴル帝国が作った王朝元も、朱元璋による紅巾の乱(正確には朱元璋は紅巾の乱に参加しただけなのだが)、そして清が滅亡する辛亥革命と、どれも政府の腐敗と、国民の不満の蓄積によって起きる国民の反乱である。
さて、現在の「無敵の人」は、ある意味で「政府による処罰を恐れない」人々である。さすがに昔とは異なるので、そのような存在そのものが共産党政権の崩壊に直結するとは考えにくいが、しかし、人民解放軍の将校や下士官クラスが「無敵の人」になるようであれば、当然に共産党政府もおかしくなるということになる。
そのことを察知した共産党政府は、まずは監視を強めるということと、言論をチェックするということを行い、反乱の芽を摘んでいるのと同時に、習近平に逆らう軍の幹部を反腐敗として、処罰し、権限を奪っている。しかし、それは軍人全員をすべて行えるわけではない。習近平と共産党が行っているのは、上記の「反乱」を起こす要素である「カリスマ的指導者」を奪うことであり、国民の不満を解消することではないということに注目しなければならない。つまり、中国共産党の政策では中国国民の不満は解消されないということなのである。
中国は胡錦涛政権以降「経済的・科学的発展」を遂げた。しかし、その経済的な発展っは、無尽蔵に来るわけではない。発展し続ける経済は存在しないの出るが、資本主義を標榜しているわけではなく、社会主義政権に「擬制の市場経済を着けて周辺国ばかりではなく、中国自身も騙している」というような経済においては、一度悪化してしまえば、資本主義の各国の執ってきた政策で経済を好転させることができない。日本の経済評論家の中には、日本を例にとって「日本と同じようになる」とか「日本を真似なければ大丈夫」などというが根本的に経済のシステムが異なり、政府が全権を持ち、経済活動もすべて許可制であるという状況を考えて、そのうえで、政府主導でやりながら市場のバブルがはじけたということに注目すれば、この経済は「表面ではうまくいっているように見せても、その矛盾のしわ寄せが国民に傾き、より一層不満が増殖される」ということが見えてくるはずである。景気が好転して「希望」があるならば「無敵の人」は生まれないのである。
このように考えれば「潜在的無敵の人予備軍」は国民の大多数であるといえる。繰り返しになるが、この無敵の人が人民解放軍の士官に乗り移ると大変なことになる。キューバやリビアの様に大佐クラスが政権にとって代わる独裁政権が生まれる可能性があるのだ。
一方、習近平政権は、そのようなことを避けるために、「排外主義外交」を行うことになるのではないか。その時期は・・・。
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