「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 一年を通しての感想
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 一年を通しての感想
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について本当に好き勝手っか褪せてもらったのであるが、先週最終回を迎えてしまい、残念ながら今週は書くことがない。まあ、一年間完全に好き勝手なことばかりを書いていた。まあ、実際には、脚本や性s買うの人は、ここに書いているようなお気楽なことは考えていない。どのようにすれば、歴史と整合性が取れるのか、どのようにすれば視聴者が楽しめるのかということを考え、そのうえで、歴史における「学説」を全て網羅したうえで(もちろんスタッフなども総出で行うのであるが)それをパズルのように組み合わせて、視聴者の「史実と違う」というクレームに対して「このような学説があり、ドラマではこれを採用しています」というように答えるようにしているのである。
ある意味で「制作」「演出」ということがあるが、実際のところはチーム戦であるといえる。そのチームが「歴史を物語る」のか「歴史を使って、現在の人々に強いメッセージを送る」という覚悟なのかということによって物語の内容は異なるし、一方で、受け手の側も、どのようにドラマを見るかということによって異なるのではないか。そのようなことが今回は如実に表れた内容ではなかったかと思う。
平均視聴率は10%ちょっとであるという。ワースト2位であるという。しかし、実際に、私の周辺の話でいえば、「今まで歴史が好きではないと言っていた人」「大河ドラマなんかは見ない」と言っていた人々が、多く「光る君へ」を見ていたような気がする。女性の視聴者が増えたということも言えるのではないか。ある意味で「新しい大河ドラマの視聴者層の掘り起こしで視聴者の10%に持って行った」という事であろう。今までの大河ドラマと異なり、最後の刀伊の入寇以外には、戦争のシーンは全くない。それどころか、京都御所から基本的には出ない(越後編や石山寺のシーンなどはあったが)物語構成になっている。その「狭い範囲の物語」でありながら、非常に生き生きとした人間模様が描かれていたような気がするし、また、複雑に絡み合った人間関係や恋愛感情などは、現在の「会社」とか「学校」という「狭い人間関係の中で悩む多くの人」の中で毎日を過ごしている人々に何かの影響を与えたのではないか。ある意味で「現代ドラマ」に近い形での歴史ドラマであり、なかなか面白い内容であったと思う。
<参考記事>
まひろは「書くことに出会えて幸せ」吉高由里子 「光る君へ」ファンミーティング
12/14(土) 14:07配信産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8fddf3bc6562e425b73b29c2a57532786e6f053
<以上参考記事>
あえて記事から抜き出させていただく。
<以下抜粋>
会場からの観覧者からの質問に出演者が答えるコーナーでは、「まひろの人生のなかでいちばん幸せだった瞬間」を尋ねられると、吉高は「むずかしいな」と答えた後、「ちやは(母親)が殺される前の幸せな時間と、書く喜びとか楽しさに出会えたこと。夢中になれることに出会えたのがまず幸せだったんじゃないかな」と語った。
<以上抜粋>
この物語を見てわかるのは、「男尊女卑」とか」「日本の歴史は男ばかり」などというような批判が出てくることがあるが、実際には「女性が様々な意味で男性を支え、また男性をコントロールして動かしていた」ということである。それは「妻が」という配偶者関係ではなく、まひろと道長の様に、お互いの信頼関係(この二人の場合は信頼関係以上の関係であったと思うが)があるところがうまく影響し合って、うまくできる。「宰相は孤独なり」という言葉があるが、実際に権力者というのは、多くの人の不満が溜まる。もちろん、自分の思うとおりに100%良くなるというような庶民はないし、庶民の見方をしてれば、庶民から搾取している公家や権力者(中間管理職)からは、恨まれることになる。万人に良くなるということは、基本的にはない。そのような意味で常に不満と苦情にさらされるのが、権力者である。
その権力者を陰で支えるということは、それなりに「知恵」も「信頼」も必要である。現在の日本の政治でもそのような存在がある人とない首相(あえて双方誰とは言わないが)が大きく異なるというのは見てわかるとおりである。そしてその「支える人」が強ければ、そして献身的に尽くせば、そのことで日本全体がよくなるのである。
道長の場合は、ドラマの中で若いころにまひろとの約束があり、その約束が自分の進むべき方向を全て決めていた。他の人の要求などはすべて無視して、まひろとの約束「庶民にとって良い国を作る」ということに邁進していたし、またそのまひろは、「乙丸」という滅私奉公の従者に支えられるということで、または為時など廻りの人々に支えられて、様々な物語を作るようになる。
ある意味で平安時代の内容も、また現在の内容も、人間は全く同じである。曽於時に、上記に中にある「夢中になれることに出会えた」ということが、人を支える、人間の信頼だけではなく、その力になっていったのではないか。ある意味で、現在の人々も「夢中になれること」を持つ人が、あり、その夢中になれることで、社会に貢献できる人は、本当にし早生なのであろう。
「夢中になれることを幸せ」と感じ、そしてそのことが「信頼する道長」の役に立て、そして「一条天皇や皇后彰子」の心の支えになるということで、物語はより一層厚みを増し、そして、大きな力になる。その大きな力は1000年の時を超えても色あせることなく、現在の人々の心をつかむということになるのである。
ある意味で「人の心の在り方」ということをうまく書いた、そんなドラマである。そのような「心」を扱ったドラマだけに、平安時代という1000年前を扱いながら「新しい物語」としてみることができたのではないか。
もちろん、吉高由里子さんや、柄本佑さんなど、演じている人々の演技力も素晴らしかったしそれを引き出したスタッフの皆さんのすばらしさも忘れてはならない。ある意味で、「道長=柄本佑」「まひろ=紫式部(藤式部)=吉高由里子」というような、ぴったりとしたはまり役が、その物語をより深く楽しめるようにしたものではないか。一時流行のアイドルばかりを使っていた大河ドラマとは異なる、非常に素晴らしいものになったような気がする。
視聴率以上のすばらしさがあったのではないか。
来年も大河ドラマに期待したい。
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