「宇田川源流」【GW特別 宇田川版幕末伝】 7 高杉晋作

「宇田川源流」【GW特別 宇田川版幕末伝】 7 高杉晋作

 令和6年のゴールデンウィークは「宇田川版幕末伝」を書いている。実際に、「小説家」として、幕末の話は「庄内藩幕末秘話」「山田方谷伝」「暁の風 水戸藩天狗党始末記」など、いくつか上梓している。そのことから、今回のゴールデンウィークは、日本の幕末ということに関して見てみたいと思っている。

ゴールデンウィーク後半は、一人ずつの人物伝を書いている。そのうえで、その内容に関して私が小説を書くにはどのようなキャラクターにするかを見てゆくということをしている。おとといは、毛利敬親、昨日は吉田松陰であった。そして今日は高杉晋作をその題材として挙げてみたい。

★ 高杉晋作の印象

 ブログなのであまり調べたりしないで物事を書いてみたい。まず何よりも萩博物館に行って高杉晋作を特集した常設展示がある。萩全体が吉田松陰推しで、なおかつ最近では「長州ファイブ」(明日書きます)の内容を様々に書いているのに、萩博物館には高杉晋作の部屋があることにかなり驚きを感じる。

実際に、萩、または山口県の偉人と言えば、あまりにも多くいすぎて何を特集してよいかわからないくらいである。そもそも、内閣総理大臣を最も多く輩出している件であり、なおかつ帝国陸軍(戦前)は間違いなく長州閥であった。ある意味で日露戦争までの陸軍の戦いは、全て長州藩が戦っていたといって過言ではない。そのように考えれば、陸軍の父と言われる山形有朋も、伊藤博文も、このほかにも、明治政府において活躍した人物はたくさんいる。そのうえで、昨今まで岸伸介や佐藤栄作、安倍晋三と、多くの政治家を輩出しているのであるから、一人一人の記念館を作り、「記念館のデパート」を作ってもおもしろいと思うほどである。

それなのに、同じように30歳前後で此の世を去った吉田松陰と高杉晋作が残っているというのは、なかなか面白い。これは、そのような人々は全て吉田松陰や高杉晋作の影響を受けた人々であり、ある意味で、言葉和は類が「傑出した天才ではなかった」ということを意味しているのではないか。少なくとも萩の人々はそのように考えているようだ。もちろん、伊藤博文の生家や山形有朋の生家などは今でも残っているし、萩の当時の武家屋敷も区画はしっかりと残されている。しかし、その展示などから見れば、間違いなく、吉田松陰と高杉晋作が傑出した天才であったことがよくわかる。

さてその高杉晋作の展示を見て思うのは、「乱暴者」「天才」「気性が激しい」というような、巷間伝わる高杉晋作のイメージとは全く異なる「文字」である。ある意味で、人の性格は文字に現れることが少なくない。以前修善寺の博物館で見た北条政子の文字は、男まさりで、かなり太い強い文字を書いていた。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で小池栄子さんがかなり講演をしていたが、文字からはもっと図太い、そして気丈な性格が見えてくる文字であったことが印象的である。この文字を書く人ならば、頼朝がいなくても問題はなかったであろうし、また、その頼朝をもしかしたら陰で操るくらいの人であってもおかしくないと思ったものである。

それに対して、まあ時代も性別もおかれた立場も全く異なるのであるが、まさに、高杉晋作の文字は非常に「優しく女性的できめの細かい文字」であった。このような文字を書く人は、基本的には(もちろん本人に会ったことなどはないが)非常に神経質で他人のことをもいやったり他人の心を読むことが非常に強いというような特徴がある場合が少なくない。そのうえ非常に優秀で、なおかつ丁寧な物言いなので、その表現はわかりやすく、同時にその内容はきめが細やかで他の人々に反論の余地を残さないというような感じであろう。逆に言えば、周辺からは何を考えているかわからいが、いつのまにか周辺の人の中d得中心人物にまつり挙げられ、同時に、その行動が後になってみれば最も最適であるということになる。このような人物は、組織の中にいると権力志向の人に煙たがられるが、しかし、上層部からは非常に重宝され信頼される。そして、この五zん物がいなくなるとその所属組織はいつの間にか空中分解し、そしてなくなってしまうというような感じになる。実際に奇兵隊は、彼が立ち上げ、高杉とともにあって無類の強さを示し、なおかつ明治時代の国民皆兵の元となった。この奇兵隊の思想があったので、逆に軍隊を造に会った手の武士制度を必要となくなり、そのことで、吉田松陰の理想であった「一君万民」が出来たのであろうが、一方で、高杉晋作がいなくなってしまった後に奇兵隊は目立った卯語句が無くなってしまう。最終的には明治維新後の反s寧改革で脱藩騒動にまで発展してしまうのである。

高杉晋作は、ある意味で毛利の若君元徳の小姓または近習を務めていた。その養父である毛利敬親または師匠である吉田松陰に非常に愛され、なおかつ非常に重宝された存在であった。しかし、一方で乱暴者でついて行けないというような言葉も少なくない。渡邊嵩蔵などは「久坂と高杉の差は、久坂には誰も附いて往きたいが、高杉にはどうにもならぬと皆言う程に、高杉の乱暴なり易きには人望少なく、久坂の方人望多し」と評しているほどである。高杉からすれば、「何でこんなに簡単なことがわからないのだ」というような所があったのではないか。自明の理くらいのことが、他に人には全く見えないということが、多かった人物なのではないか。

そのうえ、その相手の立場や心が見えてしまうので、気を使いながらじぶんがらんぼうものやどうけものになるしかない。自分が自分の事を殺して相手を立てながら動かさなければならないということを感じていた人物ではないか。

ある意味で、本物の天才であり、同時に高杉晋作がいることで、吉田松陰の顕彰が出来たのではないか。実際に吉田松陰が、私は昨日キリストと類似性があるということを言ったが、吉田松陰にとって、その12使徒のすべてを統括したのが高杉晋作でああったのではないか。

下関市桜山で肺結核の療養中、慶応3年4月13日(1867年5月16日)深夜に死去。享年29(満27歳8ヶ月)。この高杉晋作が生きていれば、明治時代は変わったのではないか。

★ 高杉晋作評と私の感想

まず高杉晋作の中で、もう一つ私が「特筆」しなければならないと感じているのが、都々逸の「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」である。

歌は遊郭の遊女に宛てたもの。 「烏が鳴けば私は帰らないといけない。 ならば世界の烏を全て殺してでも、お前とゆっくり朝を迎えたいものだ」そんな心境を唄っています。 明日をも知れぬ志士の身、遊郭で戯れても、烏が鳴けば帰らなければいけない。というような意味で伝わるが、高杉晋作はそのような人物ではないだろう。私の思うところ、ある意味で非常に反語的な表現で、「朝寝南下している暇はないのだよ」というようなことであるが、その遊女の気持ちを謳っていたというような感覚の方が強いような気がする。その様に遊女側の気持ちを都都逸にすることによって、笑いを誘い自分の覚悟を隠していたのではないか。よく「死にたくない」と言いながら最も勇敢に戦うヒーローがいるがそんな人物であったと考える。まさにそれが高杉晋作であり、酒を飲んでいても、遊女と寝ていても、常に幕末や大志を頭のどこかにあり、そのヒントを探っていた人ではないか。私はそのような人物であってほしいと願っている。

そもそも「天才」とは何か。それは「天賦の才能」であり同時に「常に天の啓示があった人物」ということであり、自分個人で遊んでいても、頭の中、理性のどこかには、ある意味で常に天の啓示が入っていて、個人の自由では遊ばせてくれないような人物ではないか。まさに高杉晋作とはそのような人物であったという気がするのである。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」

この俳句も、高杉晋作の作であるが。まさに彼の心意気を書いている。「良い世の中」等とは書いていない「おもしろい」という単語ですべてを物語っている、日本人は、おもしろいと思って本気になれば、変な指導がなくても自分で復興し発展できる国であるということを知っているということであろう。まさにそのように日本人の事を大きく把握していることが、彼の特徴である。何か日本人が発展するための「障害」を取り除くだけで日本人が自分たちで発展できることを知っていたのではないか。創育府封も努力も、勤勉さもすべて知っているからこのような句を作る。その結果は、明治末期には欧米レ強に比肩し、ロシアを打ち破る国になっていたのである。当時そのことをわかっていた幕末の志士は高杉晋作だけであったかもしれない。

遊郭で、坂本龍馬の「船中八策」を見た高杉晋作は「こんなのは、国民がバカになったら国が亡ぶという策じゃねえか。賛成できない」ということを言っている。まさに彼が死んでから150年たった今の日本を一言で言い当てている。ある意味で、プラトンのいう「哲人政治」を考えていたのかもしれない。

吉田松陰は「有識の士なり。しかし、学問をつとめず。またすこぶる意に任せ自ら用うるの癖あり。余かつて玄瑞を挙げ以て晋作を抑ゆ。晋作の心、甚だ服せず。未だ幾ばくならず。晋作の学業にわかに長じ、議論益々たかし。同志皆為に衽を斂む。余事を議するごとに多く晋作を引き之を断ず。その言往々、あなどるべからざる也」と評している。

山縣有朋は「当時にありて既に群を抜き出でたる高杉なれば、今日にあっても、(伊藤・井上)彼らの比ではあるまいと思う」と評している

いずれも高杉晋作そのものをうまく評しているのではないか。天才とは孤独で理解されない者、そのような意味で天才であったのかもしれない。

★ 作品のキャラクター

 さて高杉晋作をは、私は彼を主人公にした本を書いてみたい。その時は、「ユーモアのある天才」というのがコンセプトになる。間違いなく幕末を明るくする破天荒な人物であり、なおかつ極端な行動をとる天才であったことが間違いない。イメージとしては、数年前に映画になった福田雄一監督の「新解釈・三國志」で書かれている「ムロツヨシさんの演じた諸葛孔明を、少し武断派にした感じ」というのが私のイメージである。少し血気盛んでらんぼうもののムロツヨシさんが、多分ぴったりくるのではないか。

もちろん高杉晋作ファンには、反対されるかもしれないが、上記にあるような人物像をうまく演じるのは彼のイメージなのである。

宇田川源流

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