「宇田川源流」【現代陰謀説】 中国の行う「反スパイ教育」とは何か
「宇田川源流」【現代陰謀説】 中国の行う「反スパイ教育」とは何か
毎週金曜日は「現代陰謀説」をお届けしている。。日頃目にするニュースの中で、「何故」と思うことを掘り下げて、その内容をしっかりと見ることによって、様々なことが見えてくる。実際に陰謀の内容などは、実はある程度のことは、「現象として」、つまり計画などの内容を出すわけではなく、その結果としていくつかの減少、例えば、「誰かが死んだ」とか「何かを開発した」というようなことが発表になり、その中に「なぜこれがこのタイミングでこのようなことがでてきているのであろうか」または、「今までとは全く違う路線のことがないぜいきなり行われたのであろうか」など、様々なことが疑問に思えてくるということになる。
もちろん、それらを疑問に思うということは、当然に、「正常な姿」や「今までの流れならば当然にこのようになるという帰結」が見えているわけであり、それが全くわからない人は、それらのこともわからないということになる。そのようなことが、見えてくればあとは、その「疑問点を調べる」だけで、様々なことがわかってくる。その「様々なこと」の中に陰謀の端緒が含まれているということになるのである。
その為には、まずは原則論や今までの流れということがわからなければならないし、また、その内容とそれたところを敏感に見つけて、そのうえで、そこに疑問点を持つことがなければならないということになるのである。そして、疑問点を調べる能力とそのことを教えてくれる人脈が必要になる。それらがなければ、陰謀を暴くことはできないということになるのである。
さて、今回は、「中国の行う反スパイ教育」ということに関して見てみよう。
反スパイ法、またはスパイ防止法というのは、国家内にスパイが入ってくることを防止し、スパイ行為を強く罰するということによって国内の治安や財産を守るということになる。そもそも「スパイ」ということであっても様々な種類があるのである。例えば「産業スパイ」と言って、企業直dの知的財産権や開発のデータなどを盗むという内容のスパイがあったり、「工作員」のように、秘密を入手しながら、国民に何らかの影響を及ぼすことをするなど、何らかの工作を行うというようなスパイもある。破壊工作要員や暗殺要員のようなスパイもあるので、何とも言いようがない。
それら全てのスパイを防止するという法律がこれらの法律ということになる。
中国、反スパイの教育宣伝強化=「国家安全日」へ各地で活動
【北京時事】中国の習近平政権が「全民国家安全教育日」の15日を前に、スパイ防止や摘発に関する宣伝を強化している。
摘発を担う国家安全省はSNSの発信を活発化。各地方政府も競うように宣伝活動をアピールしている。
「国家安全を守るのは市民一人ひとりの責任であり義務だ」。国家安全省は12日、こうした文言と共にスパイ活動などの通報先を載せたポスターを公表。SNSでは「海外のスパイ情報機関の浸透活動に厳しい打撃を与えてきた」と取り締まりの成果を強調した。
地元メディアによれば、天津市は国家安全日に合わせ、天井や床まで「国家安全」の啓発広告を掲示した地下鉄車両を運行。貴州省では、国家安全をテーマにした映画の野外上映会が開かれた。子どもを対象に、ゲームを通じて知識を広める活動も各地で行われている。
習国家主席は「国家安全」を重視し、外国人や外国と関わる中国人への監視を強めてきた。特に、2014年に制定され、昨年改正された「反スパイ法」を巡っては、定義があいまいで司法プロセスが不透明なことなどから、外国人らの間で懸念の声が上がっている。
2024年4月15日 22時15分 時事通信社
https://news.livedoor.com/article/detail/26223004/
ではそもそも「スパイ」ということはどのようにして見分けるのであろうか。要するに、「スパイ」ということは、映画などの影響によって、だいたいのイメージがあると思う。まあ、007みたいに格好の良い人ばかりではないのであるが、日本人の場合は、「自分がスパイに狙われるはずがない」などと勝手に思っていて、スパイが近づいても全く気が付かないことが多い。また、そもそも機密というものは何なのか、また、何を秘密にするのか、または何をもってスパイ行為とするのかということは、すべて「国家が決める」ということになる。
つまりスパイ防止法などがある場合、「スパイ」という人と「スパイ行為」という行為、及び、そのスパイから何を守るのかという「機密事項」は、全て国家が決めるということになる。日本のような国の場合は、法律があり、その法律の条文の中に定義が書かれているものである。特に日本の場合は、憲法の中に「罪刑法定主義」ということが書かれており、法律に書いてある内容以外で罰せられることはないというように決められているので、その内容に関してかなりしっかりと物事が決められているということになる。
しかし、法律や罪刑法定主義がしっかりとしていない中国などでは、そのようなことにはなっていない。そもそも「中国」という国は法律が書いてあってもその法律の通りに運用ができていない場合が少なくない。まあ、一応法律がありその法律を守るということは間違いがないのであるが、残念ながら中国は法律を運用するにあたっての細かい部分が決まっていない場合があるので、そのような意味で、法律に書かれていることが運用者によってかなり差があるということになる。
そのような意味で、「スパイ」の定義や「スパイ行為」の定義は、基本的には、中国そのものが決めるということになっている。
さて、中国そのものが決めるということは、そのまま「中国が政治丁な都合でスパイ行為やスパイをでっちあげてしまう」ということがあり、その為に、日本の企業が中国に頼まれた仕事をして、その行為がスパイになってしまうなどということになるのである。
「反スパイ法」というようなことの教育を言うが、基本的に、誰も「スパイ」になりたいとは思わないし、また「国や故郷とを裏切る」ということは、その地域ににおいてそれ以後暮らせないということを意味している。その暮らせないような状況になりたくないので、多くの人は「反スパイ」ということには賛成することになるが、そもそもその定義がしっかりしていないで賛成するということは、中国政府の後付けの定義によって、スパイにされないように、結局は「政府の言いなり」になるということになるのである。
まさに「反スパイ教育」というのは、まさに、「スパイの定義をしない」ことによって、予告なくスパイを決めるということで、国民や外国人を政府の意のままに従わせることができるし、また、都合の悪い人を、スパイにでっち上げて拘束することができるということになる。
まさに「政府主導の人別装置」がこの反スパイ教育になってしまっている。そのことを見て、スパイ教育で何が行われているのかを見る必要があるのではないか。
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