「宇田川源流」【GW特別 宇田川版幕末伝】 幕末とはどのような時代であったのか
「宇田川源流」【GW特別 宇田川版幕末伝】 幕末とはどのような時代であったのか
本来であれば、土曜日なので「土曜日のエロ」の日なのであるが、本日から、ゴールデンウィークということで、最大10連休ということになっているので、その初日に得ろというのもいかがなものであろうかというような感じになて来ている。このブログも昔は連休のたびに「GWのエロ」などということをやっていたのであるが、残念ながら、セクハラとかジェンダーハラスメントというようなことを言われて、そのことによって圧力を感じることはある。まあ、このブログで、なおかつ「土曜日のエロ」と銘打っておいて、それを呼んで「セクハラだ」を騒がれても意味がないし、まあ、そのよなクレームがついたことは今のところないのであるが、一応「自主規制」というような感じで、今年のゴールデンウィークはちょっとエロはやめておこう。
そこで今年のゴールデンウィークは何をやるかということになったのであるが、せっかく普段は「歴史小説作家」ということになっていえうので、その歴史に関してみてみよう。
そこで、先日4月17日から、山口の萩、つまり、幕末の長州に言って取材をしてきたので、その内容に関して見てみよう。
★ それぞれの幕末
さて、まずは「小説家としての宇田川」視点から見た、幕末という時代を見てみたい。
そもそも幕末というのは、「時代の変わり目」であるが、しかし、本人たちはそれが変わり目であるとは全く気付いていない。しかし、その時代から150年たった現代から見れば、そのようなことは全く考えていないということが面白い。我々は、その時代の後に生まれ、そのような歴史の上に生活している。つまり「結果を見たうえで後講釈で物事を語っている」野に過ぎないのである。政治の世界にいたときに、首相補佐官の人に「あのね、政治で最前線にいる名っていうのは、複雑で出口も何もわからない迷路の中で、目隠しをされ、壁を触ることもできずに、出口にたどり着けるかどうかということをやっているような感じなんだよ。文句い言っている奴は、結果が出てから、ああすればよかったとか、こうすべきだったなどというが、そんなことは最前線で分かれ道に来た時に、今までの資料や手元にある内容で、全てを決めてゆかなければならない。不安があっても進まなければならない、止まっていることそのものがリスクであるという場面になったら、自分ならどうするか考えなきゃならないんだ。歴史の転換点に立った人間は、誰も、自分が転換点の主人公になっているなんてわからないで、手探りで前に進んで今の歴史があるんだよ。その場面を政治の世界は作っているんだ」
まさにこのような事であろう。
さて、そのような中で「歴史の主役」になってしまったり、あるいは、その歴史の渦に巻き込まれて消えて行ってしまった人などがいる。「幕末」というのは、一般に江戸時代の末期という感覚であるが、実際には日本にはそれを含めって3回の幕末がある。
鎌倉幕府の幕末が最初で、その次に室町幕府、そして江戸幕府ということになる。鎌倉幕府の幕末というのは、幕府開幕当初は京都の公家の政治と武家の政治の二島政治的であったものが、承久の乱後武家政権になったということで、一つの変化があり、その後、「元寇」によって「御恩と奉公」の構造が崩れたということが大きな問題になる。そもそも武家政権の御恩と奉公の構造は、一つには武家に子供が多くなってきてしまうと、武家を改易(お取り潰し)して、その領土を分け与えるか、あるいは新たな悔恨をする以外には手段がなくなり、そのその新たな分配原資をどのようにするのかということが大きな問題になる。その問題から、鎌倉幕府内の派閥争いが大きくなってきたところに、他国から攻められるということで御恩と奉公の構造が完全に崩壊するということになったのである。そこに、不満を持った武家が、後醍醐天皇の所に参集し、幕府を潰したということになる。ただし、幕府をつぶした新田義貞は、そののちに滅び、また、後醍醐天皇を支援した楠木正成も討ち死にし、足利尊氏が次の幕府を開く。これは後醍醐天皇の政治も、鎌倉幕府と同様に、武家の不満を解消できるものではなかったということを意味しているのではないか。
室町幕府は、はっきり言ってしまって、ずっと戦乱の中にあったといって過言ではない。三代将軍義満の時代に、一時安定した時代になったものの、それ以外は幕府権威が他の豪族が利用する者にってしまっていて安定していないということが問題ではなかったか。これは、そもそも将軍が「将軍領」がなく、三管領四職や有力豪族、関東管領の力を借りて鎮圧していた。私自身は、現在の国連と同じで、「国連軍」という存在は、諸外国の軍隊の寄せ集めを使うということでしか独自の権力を持たない権威的・象徴的な存在であり、そのことで、有力国が国連の決定に反旗を翻しても、そこに対する強制力が出てこないということが大きな問題になるということになる。まさに今現在ロシアがウクライナ侵攻をしたり、中国が南シナ海や東シナ海で威圧的な行動をとっても、国連は強制力を持ってこれらを排除することができないと言ことになってしまっているのである。まさに室町幕府がその内容と同じになる。国連と異なるところは、「幕府には朝廷というもう一つの権威」があるということだ。つまり、権威的象徴的な存在であれば、その権威や象徴を必要とする人々に守られるが、しかし、既に朝廷というその上意存在があるので、最終的には必要が無くなってしまうということが問題になった。織田信長の権力を使って将軍としていればよかった足利義昭が、独自に権力を持とうとしたことで、織田信長が朝廷の権威を使うようになって必要が無くなってしまった。そのことで追放されて幕府が滅びることになる。ただ、室町幕府の場合は、既に応仁の乱後戦国時代となってしまっており、「幕末」というような感覚はなく、混乱の時代の中に、そのまま古い権威がいなくなったというだけであったのかもしれない。
★ 江戸時代の幕末
徳川家康、徳川秀忠、徳川家光という三代の将軍は、非常によく本を読んだということである。貞観政要や吾妻鑑など、様々な本を読んでいると記録にある。当然に、鎌倉幕府の失敗も、そして室町幕府の失敗もすべてよくわかっていたし、室町幕府の失敗に関しては、多分実体験として家康などは目の当たりにしていたのではないか。そのようなことから、「御恩と奉公」の関係に近い幕藩政治を行い、諸町幕府のようにならないように、天領という幕府直轄領を700万石以上保有した。特に戦略上の要衝や金山などの資源地帯を天領にしていたので、経済的にも石高的にも最も大きな力を持ち、権威と権力を双方持ち合わせた。そのうえで、「御三家」「親藩」「譜代」を作り、幕府を守る体制を作ったので、盤石であったのではないか。そのことが、260年もの平和な、国内で戦争が全くない時代を作ることができたということになる。
しかし、二つの大きな問題が出てきた。一つは、鎖国が打ち破られたことであろう。200年を超える鎖国は、そのまま200年間の文化や技術が欧米から取り残されたことを意味しており、黒船来航によって、「伝統的・保守的な鎖国を維持する」という理念があっても、その精神論や理念論ではどうすることもできなくなり、幕府そのものの指導力に限界が来たということになってしまう。この事は幕末を習うときに必ず習うことではないか。
そしてもう一つは「米本位制」から「貨幣経済制」に変化したということ、つまり、石高でコメの報酬をもらっても、生活をするためには、それを承認に売らなければならず、仏花や相場を決めるのが商人であることから、貨幣経済を握ったものが経済を実質的に握るという構造が出来上がってしまい、幕藩政治の中心であるコメ本位制が崩れてしまっていると言ことが大きな問題になるのである。
幕藩政治的な領土と権力であれば、700万石の天領を持つ幕府が圧倒的に強い。外様の最も大きな加賀前田家でも100万石であれば、その七倍を保有していることになる。しかし、そこに「貨幣経済」ということになると、西国において琉球を通して密貿易をしている薩摩や特産品を持つ土佐・長州、長崎に近い佐賀(肥前)などの比較的裕福な藩が有利になる。そのうえで、欧米との結びつきがあり、なおかつ「権威」と「象徴」として公家が動けば、そこに参集する藩も出てくる。そのようになれば、十分に幕府に対抗できる勢力になりうるということになるのであろう。
要するに、鎖国で遅れたことから、「最先端の技術」と「貨幣経済」という二つの事と、そこに絡む「尊王思想」によって時代が大きく変わったというのが幕末の時代の分岐点である。もちろん、その時代の分岐点の人々は、様々な意見を持っている。現在の結論を持っていれば、佐幕派で命を落とす人も、そもそも安政の大獄でいなくなる人もいなかったであろう。
しかし、暗中模索のうちに、徐々に明治維新になっていったということであろうから、そのような内容になるのは仕方がないことである。
別な見方をすれば、幕末というのは、「徳川家康から秀忠・家光となった三代の作った江戸時代初期の幕府の始まりにおいての伝統を重んじる」ということと、「日本という国を維持するということで、幕府ではなく天皇を中心にする」という考え方が出てくる。そしてその内容が「攘夷」「開国」という外国を受け入れるかということを一つの軸に、そしてもう一つは、「尊王」「佐幕」という日本国の政治の主体、そしてその折衷案である「公武合体」ということが言われるようになる。その中で、何が保守で何が革新なのか、何が電灯で何が日本を活かす道なのかということが、大きく議論され、そして自分以外の意見を排除するというような状況が生まれてきているのである。
★ 現在との親和性
さすがに、現在に「天誅」などと言って刀を振り回す人は少ない(中にはそのような犯罪をする人もいないでもないが、少なくともそのようなことをする集団を作るようなことはない)。しかし、その内容に関しては、「言葉の暴力」といういみでは現在もあまり変わらないのかもしれない。刀を振り回す人はいないまでも、誹謗中傷の言葉をSNS上で振り回し、そのうえで「保守」「革新」ということや「親米」「親中」というような感じ、そこに謎の陰謀論まで入って立場が出てきており、その立場によって小集団や論客が出てきて、その中でお互いが誹謗中傷をしている。相手方を論破するなどの事が起き、そしてそのことがそのまま相容れない対立を生むようになり、お互いが滅ぼすか降伏するまでそのままになってしまっている。まさに、幕末の思想家と同じようになってしまっているのである。
このような意味で、「幕末の諸子百家」と現在のSNS上の論客がリンクしてくる。
まさに幕末のような時代的分岐点は、実は現在の日本、いやもしかしたら世界的にすべてがそのようになってきているのではないかと考えられるのである。
そのような意味で今回のゴールデンウィークは、幕末とその人物を研究したいと思う。
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