「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 道兼の死と新たな時代
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 道兼の死と新たな時代
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について、本当に好きかって書かせていただいている。まあ、この政策には何の関係もないが一人の視聴者として、そして歴史マニアとして書きたいことを書いているということで考えていただければありがたいかもしれない。
さて、今回は藤原道兼(段田安則さん)が死に、そして息子の道隆(井浦新さん)の独裁が始まったということである。では、藤原道隆について、少し歴史を追ってみたい。
藤原道隆は、天暦7年(953年)生まれである。藤原兼家の死が永祚2年(990年)7月であるから、今回で37歳。この当時としてはかなりの大人であろう。花山天皇が退位する寛和の変では、弟・道綱と共に神璽宝剣を東宮御所へ運び込む役割を果たした。そして、速やかに懐仁親王が即位した。これが一条天皇であり、道隆の甥ということになる。この時に、道隆は正三位権中納言から従二位権大納言へ一気に引き上げられた。
永祚2年(990年)正月、道隆は長女・定子を一条天皇の女御として入内させた。同年5月に病のため兼家が関白を辞すると、代わって関白、次いで摂政となった。7月、父・兼家が薨去する。『古事談』などによると、兼家は自分の後継をどの息子にするかを腹心の藤原在国(後の藤原有国)・平惟仲・多米国平と諮った。在国は胆力のある三男・道兼をふさわしいとした。一方、惟仲、国平は嫡庶の序によって長男・道隆を推した。結局、後継は道隆となり、この話を知った道隆は在国をはなはだ憎み、関白職に就くと直ちに在国父子の官を奪っている。そのようなところのある人物なのである。
帝の外舅となり、10月に定子を中宮とした。正暦2年(991年)内大臣の官を辞して道兼に譲った。正暦4年(993年)4月22日に再び関白となる。このようにして兄弟仲を復活させるなどをしているのである。それから程無く、道隆は病に伏し、長徳元年(995年)3月9日、一条天皇に請うて嫡子の内大臣伊周を内覧とし政務を委任し後継者にしようとしたが、病中の内覧のみ許され、伊周(三浦翔平さん)に関白の位を譲る事は許されなかった。4月3日、関白を辞し、伊周の関白就任を再度奏上したが叶わなかった。同6日出家し、10日薨去。疫病などではなく、当時の「飲水病」つまり、酒の飲みすぎや栄華を極めての贅沢での「糖尿病」であるとされている。
要するに5年間好きなだけ独裁し、糖尿病で亡くなった。しかし、その死に際に、息子を関白にしようとして、天皇に拒否されたという人生である。ちなみに、劇中では安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)に「次も短い」といわれている。前回にナレーションで4年たっているので、あとドラマは何回道隆がいるであろうか。
「光る君へ」ブチ切れ&暴言の道兼に反応真っ二つ
吉高由里子主演の大河ドラマ「光る君へ」(NHK総合・日曜午後8時~ほか)の7日放送・第14回では摂政の兼家(段田安則)が、嫡男・道隆(井浦新)を後継者に指名。それに猛反発した弟の道兼(玉置玲央)の言動を巡って、視聴者の間では同情と批判に意見が分かれている(※一部ネタバレあり)。
~以下、14回のネタバレを含みます~
第14回「星落ちてなお」では、兼家が息子の道隆、道兼、道長(柄本佑)を集めると摂政の座を退き出家すること、そして跡継ぎを道隆とすると告げた。しかし、これまで父のため汚れ仕事を一手に引き受けてきた道兼は「父上は正気を失っておられる。父上の今日があるは私の働きがあってこそ」と激高。これに対し兼家は「黙れ、正気を失っておるのはお前の方じゃ。お前のような人殺しに一族の長が務まると思うのか。大それた望みを抱くなぞ許し難し」と一蹴。すると道兼はこれまで父が行ってきた非道の数々を暴露し、兼家は「これからもわが家の汚れ仕事を担い兄を支えてまいれ。それが嫌なら身分を捨て、どこへでも流れていくがよい」と言い捨てた。
怒りに震えた道兼は兼家に「この老いぼれが……とっとと死ね!」と罵声を浴びせてその場を後にしたが、SNSでは「どっちもどっち…」と中立の声もあれば、「相変わらず道兼の扱いがひどい」「ひどすぎる暴言だけど道兼の扱いが酷過ぎたかな」「あれだけ手を汚したのに…」「さすがに道兼可哀そう」「もう用済み…」「道兼どんまい…」など道兼に同情する声や、「まひろの母を殺したんだから」「気持ちはわかるが器じゃない」「すねるにもほどがある」「道兼相変わらずクソ」など批判の声も上がった。
前話の公任(町田啓太)と道兼の会話では、公任が関白の父・頼忠(橋爪淳)から摂政が最も頼りにしているのは道兼だと聞かされており、今は道隆を立てているが後継者には道兼を指名するはずだとよいしょ。これに道兼は「俺が摂政か関白になれば必ずそなたを取り立ててやろう」と気を良くしていた。これまで円融天皇(坂東巳之助)に毒を盛ったり、次の帝・花山天皇(本郷奏多)を懐柔して出家の後押しをしたり、父のために幾度も危ない橋を渡ってきた道兼からすれば、父に利用されるだけされて裏切られたことになる。
後半では兼家の死後、道兼が喪に服さず女、酒に溺れたあげく、妻に三下り半を突き付けられる様子が映し出された。一方、道隆は露骨に息子の伊周(三浦翔平)を出世させ、娘の定子(高畑充希)を巡って前代未聞の行いに出るなど独裁政権の兆しを見せたが、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は兼家の死の前に「今宵星は落ちる、次なる者も長くはあるまい」と予言していた。(石川友里恵)
2024年4月7日 22時00分シネマトゥデイ
https://www.cinematoday.jp/news/N0142382
さてドラマの世界に戻ろう。
ドラマの世界では、藤原兼家が出家するところから始まる。そこで、次は自分と思っている道隆と、その弟道兼(玉置玲央さん)が集まっていた。兼家は道隆を後継指名する。今まで自分が後継者であると考えていた道兼は、暴言を吐き、そして兼家に暴言を浴びせてそのまま立ち去る。
さて、「あくまでも父に従順」な道隆と、「胆力はあるが気性が激しい」道兼というキャラクターをうまく描き分けていることがなかなか面白い。そのうえで、その二人の争いに当初から加わらないというような道長(柄本佑さん)が書かれている。そして、その道長も、全く関係ないのではなく、兄道隆の治世になった時に検非違使(現在の警察)の改革案を出し、却下されても出し続けるという頑固さと正義感の強さを描いている。このキャラクターの書き分けが、かなり絶妙である。もちろん、道綱(上地雄介さん)も、楽天的で明るい性格ということもうまく書かれているのがなかなか面白い。
さて女性たちである。
相変わらず怖い国母である藤原詮子(吉田羊さん)と、中宮となる藤原定子(高畑充希さん)の対立がある。後に、伊周の関白就任を認めない一条天皇への影響が、藤原詮子が、自分の嫁いだ円融天皇に毒を盛った、藤原兼家、道隆、道兼を恨んでいたこと、そして三兄弟の中で道長にだけ気を許していたことということの伏線となり、道隆の子定子を嫌い、なおかつ道隆の子伊周を配して、自分のお気に入りの道長を関白に就任させるということになるのである。「男性の人間関係」と「女性の人間関係」をうまくクロスさせ、そこに「道長が天下を取る必然」を重ね合わせているというところがなかなか興味深い。
それと同じことが、ききょう(後の清少納言:ファーストサマーウイカさん)とまひろ(吉高由里子さん)の間の人間関係にも出てきている。清少納言は、私的な女房として中宮定子に仕えている。ある意味で「あのうるさい」と和歌の会の時に道隆が言っていたが、高階貴子(板谷由夏さん)が和歌などの才能を買っているということから、清少納言を抜擢したということが見えてくる。清少納言は、定子が亡くなった後はあまり判然としないが兄も殺されるなど、あまり幸運な人生を送っていないようである。これに対して、紫式部(まひろ)は、一条天皇の中宮・彰子に女房として仕える。『尊卑分脈』(『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』)になると、「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」と註記が付いている事から見ても道長の恋心はそのころになっても消えなかったのではないか。
さて、このように「男性の人間関係」と「女性の対立」をうまくクロスして、男性の世界と女性の世界の二つの世界の物語を道長とまひろで交差させ、そこに、うまく貴族の世界と、庶民の世界をつないで書いている。複雑なように見えるが、それだけに「奥行きのある物語」になっているのではないか。
0コメント