「宇田川源流」 反対のための反対を繰り返す日本の野党の象徴的な川勝知事の辞任
「宇田川源流」 反対のための反対を繰り返す日本の野党の象徴的な川勝知事の辞任
「反対のための反対」ということがある。はっきり言ってしまって、質の悪い人が自分の存在感を示すために、なんにでも反対をするということがその内容である。私の著書の中で、もう10年以上前の本であるが「民主党の闇」という本がある。その本の中で次のようなことを書いている。
では、なぜ民主党はそのような考えになって、声高に、そのことを口にするのであろうか。スローガンしか口にしないのは、具体的な政策がないからである。しかし、政治家である以上具体的な政策がないばかりではない。何らかの影響力が働いてそれなりの考え方はあるはずだ。では、なぜそのことを口にしないのであろうか。結局「本心のところを言ってしまっては、国民の支持を得ることができない」または「真実の考え方を示しては、党内のほかの議員と利害が反することによって党内の融和が図れない」という理由によるもの他ならない。そうでないならば、まずは具体的な政策を示し、その政策の総合的な容姿として「スローガン」が決まるはずだ。その順序が逆になっているということは、何かを隠しているからに他ならない。何かを隠しているというのは、そのまま、政治家の場合国民をだます意思があるということに他ならないのだ。だます意思がなくてもそのような結果になることを包含している。法律用語でいえば少なくとも「認識ある過失」ということになる。(著書「民主党の闇」第二章より抜粋)
まだ麻生内閣の頃、民主党の政治姿勢を書いたものである。現在の政治は、この時から全く変わっておらず、単純に「具体的な着地点がなく、ただ反対と批判だけをしている」議員が非常に多い。政治改革を口にする人は少なくないが「どこをどのように改革するのか」ということは全く触れていない。例えばパーティー券を巡る政治資金規正法違反事件(世の中では裏金といっているが)に関して、では「どの様に政治資金規正法を改正するか」「国会や政治全体で変わるような動きをするのか」ということが全く議論されない。ただ与党を批判しているだけの話である。
そのような批判の政治をしていること自体がおかしい。はっきり言ってしまって、10年以上たって、今田にその批判の政治が終わっていないということ自体、つまり批判のための批判の政治が克服できていない今の政治の内容は、日本が全く停滞していることを示すものである。
さらなる衝撃発言…川勝平太・静岡知事『リニア一段落で辞表』が火に油 「遅らせるのが目的か」「環境問題どうでもいいってこと?」非難殺到
職業差別ともとれる発言をしたとして問題となり、2日に突然、辞意表明した静岡県の川勝平太県知事(75)が3日に臨時の会見を開いた。辞意を決意した真相に衝撃を受けた声が多くみられた。
◆会見する川勝平太・知事【写真】
まず冒頭で「特に第1次産業、農業、酪農、あるいは水産業。これは最も(自分が)大事にしてきた産業でありまして、そういう方達の心を傷つけたとすれば、誠に申し訳なく、心からおわびをいたします。申し訳ありませんでした」と問題となった発言について謝罪。
また、リニア中央新幹線については、水資源や生態系への影響を理由に工事を認めない川勝知事の意向などが影響し、2027年の開業が断念されたばかりだが、「リニアの問題が大きな区切りを迎えた」と発言。
信頼するメンバーがモニタリング委員会などに存在するため、今後は「任せることができる」との見解を示し、「リニアの問題で大きく動いたというのが…、ここで仕事が一段落したということで辞表を提出することになった」とリニアが辞意の大きな理由だと説明した。
問題発言が起因するのではなく、工期が遅れた「リニア問題」が辞意を表明した理由だとの告白。ネット上では、寝耳に水のこの発言に対して「リニア開業を遅らせる目的を達成できたから辞めるとしか聞こえない会見」「邪魔をするために、知事職を続けていたということ?」「本当に環境を考えての抵抗だったの?」「結局は水とか環境問題の解決なんてどうでもいいってこと」「水源確保も環境保護も嘘」などと憤り、反発する声が続々とあがり、火に油を注ぐ事態となった。
4/4(木) 中日スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b43f8d16587ee0ecc1128130b12a4c0b0853742
さて、皆さんの会社の中で、会議などに出てきて、何でもかんでも反対や批判的な意見を言う人はいないであろうか。さまざななことを経験して、その経験をもとにして他の人が失敗しないように言ってくれている人はありがたいのであるが、何かといえば別な見方や反対意見を集約したようあことだけを言い、常に後ろ向きの話しかしない。そのうえ、その批判において「ではどうするのか」ということを問うても、全く答えは返ってこない。下手をすると「そんなことは、担当者が考えればいいだけ。俺は別な見方を指摘しただけだから」などという。本当にいるだけで嫌になるし、物事が前に進まない。そしてそのような人に、仕事をやらせたり、プロジェクトリーダーをさせると、結局は何もできないということが少なくないのである。要するに、「批判のための批判をする」だけで、自分でゼロから物事を組み立てて批判を受けながら調整をしたことがない。その為に初めから何かをするというような苦労もわからないし、また「批判をすること」しか自分の存在を誇示できるところがないので、その要求は次々と大きなものになってくることになる。そして最終的には結局相手にやめさせることになる。
さて、そのような人が静岡県知事になり、そのうえで、リニアモーターカーという未来の、そして世界に先駆け作ることができ、なおかつそのことを輸出して国益にかなうようにするということや、リニアモーターカーを作ることによって、新たな技術を発展させるというような「先に進む」「未来を作る」ということを止めてしまい、そのまま停滞させるという結果をしたのである。
そして、それらは単に静岡県知事にだけ責任があるのではなく、「そのような知事を選んだ静岡県民全体に責任がある」ということになる。まあ、個人的には「静岡県民だけリニアには載せないまたはリニアに乗るときに割増料金を請求する」というようなことが怒ればよいと思うが、そのようなことはできないのであろう。
まあ、このような人を選んでしまうということが、この国の民度であるということになってしまう。残念なことながら、認めなければならない。このような人が辞任し、そして邪魔することが目的であったということを自白し、それを見抜けなかった静岡県民は、猛省すべきであろう。
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