「宇田川源流」 普段なら陰謀説だが今週はここで宇宙人の話をしよう
「宇田川源流」 普段なら陰謀説だが今週はここで宇宙人の話をしよう
現代陰謀説のような話をしようと思っているので、先に言っておくが本日は木曜日である。つまり、これは現代陰謀説ではなく、普通のブログで「宇宙人」を扱う内容を書いているのである。正直に言えば、もともと「現代陰謀説」で話をしようと思っておいたのだが、他のネタが出てきてしまったので、そちらを優先したということになる。
さて、古代の巨大建造物については、様々な「都市伝説」が出てきている。そもそも人間が作ったのではないというような話から、その角がすべて同じ方角を正確に捕えていることなどから、宇宙から何かが測量していたのではないか、つまり、宇宙人の基地とかUFOの駅などというような話まで出てきている。
そのような中で、また新しい内容が出てきた。「古代宇宙人の図書館があるのではないか」というのである。それも場所はスフィンクスの下であるという。何故ピラミッドではなく、スフィンクスの下なのであろうか。
まあ、今回は珍しく前半に、このような記事の種明かしをしてしまうのであるが、実際のところ、砂漠の下に何かが埋まっていても、それはおかしくはない。そもそも砂の地盤の上に、あの大きさ、重さの物がずっと存在していてそのうえで歪みが出てきていないというのはなかなか難しいのではないかという気がする。そのようなことから考えれば、あの砂漠の中で、ピラミッドに関しても、またスフィンクスに関しても、何か下に土台に様なものがあったのではないかというような話が出てくるのは自然なのかもしれない。
もちろん、そもそもあの構造物を作った当時に「砂漠」であったのかどうかということも微妙な感じがしないでもないのであるが、そのままの地形であったとはなかなか考えあっれない部分があるのかもしれない。
さて、今回は「何故、古代巨大建造物は宇宙人が関係するといわれているのか」ということを考えてみたい。
スフィンクスの下に“古代の宇宙人図書館”が眠っている?
“古代の宇宙人図書館”が、ギザの大スフィンクスの下に埋められているという。エジプトの世界遺産に、地球外生命体が残した知識の宝庫が眠っている可能性を、有識者らが示唆している。
アメリカ人予知能力者の故エドガー・ケイシーは1930年代に、アトランティスの失われた都市からの生存者が、先史時代の記録の保管庫ホール・オブ・レコーズを建てていたと主張。しかしその保管庫は何世紀にもわたる洪水で破壊された可能性もあるそうだ。
UFOや超常現象のエキスパートを迎えるイギリスの音楽番組「NubTV」に出演するミュージシャン兼映画監督でUFO研究家のマーク・クリストファー・リー氏は、人類がUFOについての知識を深めた時、大スフィンクスに関するさらなる秘密が解かれることになると話す。
「あのスフィンクスの下に古代の図書館があるとされています。そこには(宇宙人に関する)答えがある可能性があります。それは主流の考古学者が唱えるものよりもずっと古いと言われているのです」
「宇宙人はこれら(ピラミッド)の構造を築き上げる手助けをしたのか? それとも私たちが考えるよりもずっと洗練された社会だったのか? 私は今、自分たちが知っている歴史が真実でないことに気付き始めています」
「もしかするとUFOの情報公開によって私たちの起源に関する理解をさらに深めることになるのかもしれません」
2023年10月5日 6時46分 ナリナリドットコム
https://news.livedoor.com/article/detail/25110686/
そもそも「図書館」って何なんだ。というのが正直な感想である。宇宙人は本を読むのか、その本はどんな形をしていて、そしてそもそも目で読むのか。つまり、宇宙人は地球の人間のように可視光線で物事や形を判断することができるということを意味しているのかということになると、なかなか面白い状態になる。その内容をどのように検証するのかなど、様々な問題点がある。
さて、そのような疑問が多く生まれる内容に関して「なぜ人間はUFOにロマンを感じるのか」ということを考えてみたい。
何しろ「科学的に実証できるかどうかというような話」ではないのである。そこに何らかの物品があったとしても、それが「宇宙人の物」とは思えないしまた、その内容はわからない。ましてやそこが図書館であったかどうかもわからない。それなのに「可能性がある」というようなことが言われることになるのである。
それは「わからない」ということに関して、人間は「解明したいという欲」と「想像力を掻き立てられる」ということができる。そしてそのことは「絶対に正解が存在しない」ということである。要するに「宇宙人が来て、地球人と何らかのコミュニケーションをとり、そのうえで、これは我々の図書館であると明言するまで真実は不明」であり、もちろんその確率はゼロではないが、きわめてゼロに近い状態であるということになるのである。そのように「わからない」「正解がない」ということに関して、人間は「解明したい」と思うし、また、「間違った答えを言っても誰も否定はできない」という状態になるのである。
日本の教育では、とにかく正解が必要でその正解に対して称賛され、間違いは罰せられる。これはほかの国度も同じようなところがあり、そのような世界において「正解がいないことを多くの人が語る」ということを行うようになっている。それは「正解がいないからゆえ楽しい」し、またそこが間違えていても「誰も迷惑が掛からない」ということが、より素晴らしいのである。そこが、「UFO」や、急に出てくるが「幽霊」などの話のもっともよいところであり、また、現代人の「頭の中のゆとり」なのではないか。
まさに「無駄」こそが心の余裕であり、そして、現代人の中で最もたりない部分なのである。そのことをこのような「UFO騒ぎ」が教えてくれるのではないか。
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